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2008年9月14日 (日)

久しぶりの映画

8月にもとうとう映画に行きそびれてしまったので、昨日は、カウンセリング演習の帰りに、何が何でも……という思いで伊勢の映画館に寄った。進富座は、派手な宣伝の超大作を持ってくることは少ないが、良質の良い作品をいつも上映しているので、忙しい時期には「この映画を見に行く」という形で行くのではなく、「上映時間が良いタイミングで始まる」という選択肢だけで行くことが多い。それでも、まず「外れ」はない。このような映画館が、いまだに残っているのがうれしい。

で、今回見た映画だが、もちろん、「外れ」ではなかった。だが、カウンセリング演習の帰りに寄って見る映画としては生々しすぎるところもあった。たまたま、実際に起こった事件を映画化した作品で、その事件とは、母親殺しであった。

人間が、大人として自立する際には、精神的に「親殺し」あるいは「親離れ」の葛藤を超えていく必要がある。それができないと、どうなるのか……。「不幸な事件」が起きるのである。この映画を見ていて、精神分析的な視点からすれば、母親が殺されなければならない事情が非常に良く分かった。この息子は、確かに母親を殺すしかなかったのである。

子どもの成長にあたって、母性の存在は不可欠である。けれども、母性は必ずしも良い面ばかりでなく、子どもを母の枠内に閉じ込めて飲み込んでしまいかねない暗黒面をも併せ持っている。両親が離婚し、母親と共に暮らす息子は、不安定な母親のために「物分りの良い息子」、「自慢の息子」であり続けるしかなかった。そこに「自分」という存在が育ちきれないまま抑圧されていけば、当然、精神的に追い詰められていく。そこから開放される唯一の選択は、もはや「母親殺し」しかなかったのである。

心の動きとしては非常に納得できた作品だが、途中で、半分「精神分析の勉強」のような感覚に陥ってしまったところがあった。「映画」としては満足のいくレベルの作品だったし、また、久しぶりの映画を楽しむことも出来た。だが、別の「選択」でも良かったのではないか……という思いも少し残ってしまった。ただ、それも含めて楽しいひとときだった。

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