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2008年9月 8日 (月)

サービス残業の文化的背景

「サービス残業」という不法な賃金未払い労働が横行して久しいが、特に、それによるウツや自殺などの増加は、小泉改革の頃からの「成果主義」との結び付きによって労働環境を悪化させると同時に家庭の生活環境も悪化させていった。だが、「サービス残業」などという発想は、まず欧米では見られない。なぜかと言うと、キリスト教のベースを持つ契約社会の欧米では、8時間労働の「契約」であれば、それを超えて働くことなど基本的な発想としては考えられないからである。だから、契約の「定時」になれば、仕事が途中でも、そこで止めて帰宅するなり仕事外の時間の自由を楽しむなり…という選択となる。

そうした現実があるからこそ、それなりに仕事の結果としての形を求める「成果主義」の発想は、労働の効率から考えて、どうしても必要なものだったのであろう。そして、結果さえ出せば…それなりの形が出来れば労働時間は少なくても良い筈…ということでホワイトカラー・エグゼンプションの発想が出てきたのではないかと思う。

だが、日本ではどうか。日本では、仕事にある程度区切りがつかなければ、少しくらいは残って片付けたり、家に持ち帰って片付ける…という発想は以前からあった。その意味では、定時にきちんと終わる…という意味での労働時間の厳守よりも、仕事に区切りをつけることを優先する発想が一般的だったと言えるかも知れない。だがそれは、もともとの労働の中に「結果」の発想が内包されていたということにならないだろうか。そう考えると、「成果主義」とは言わないまでも、「小泉改革」という改悪以前に、「成果主義」に近い発想がすでにあったと言えそうである。

その中でさらに【成果】を求めればどうなるか。結局、【成果】の目標値を上乗せするしかなくなり、そこにどうしても無理が生じてしまう。それが、労働環境を悪化させ、労働者の意欲を損なって、家庭や社会を疲弊させ、内需の低下にも繋がってしまったのである。その意味では、「成果主義」の導入は失敗であったと言えるだろう。

時間の区切りよりも仕事の区切り……それは、労働者が自らの仕事に責任感と誇りを持っていた証であり、それが労働者の側から見れば主体的な「サービス残業」を生んでいたのだろうし、そのことが希望や努力に結び付いていた部分もあるだろう。しかし、追い詰められて押し付けられた「サービス残業」は、時間を奪い希望を奪って労働者を疲弊させ、意欲を減退させてしまう。これでは「結果」は出難い。

とすれば、どうすれば良いのか。背景を考えずに直輸入しただけの「成果主義」では建て直しは不可能だが、かといってそのまま昔の形に戻すことも不可能である。日本の文化的な伝統にも意識を向けながら、日本人に合った労働の形をあらためて創り上げなければならないだろう。

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