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2008年11月27日 (木)

補正予算よりも給油法案?

国会の会期が延長されるらしい。そして、その理由は「100年に一度」の非常事態という経済危機に対処するための補正予算ではなく、インド洋での給油法案のためらしい。つまり、麻生総理の「100年に一度」の危機という認識は、その程度のものに過ぎないのだ。世界同時不況の危機に際し、「金融資本主義への脱皮」のための「改革」が不十分であったことが功を奏してか、欧米に比べて日本の大手銀行への影響は多少小さそうであることが現在の円高の大きな要因となっている。が、それによって安易に人件費を削って外需依存を強めた輸出産業は大きな打撃を受けている。それが、さらに内需に悪影響に与えるのは必至である。

こうした経済状況、国内状況にあって、「100年に一度」の非常事態という認識が本当であれば、外での紛争よりも、まず内需の拡大の方策を練って、内側から経済を立て直すべきなのだ。その意味では、給油法案よりもまず補正予算……という行動こそが政権の意志を強く内外に示す。にも関わらず、補正予算の提出から逃げ回り、挙句の果てに「給油法案」である。国民生活を考えないからこそ、こんな本末転倒の行動ができるのだろう。

ある意味では、麻生総理は自民党のために当初の計画通りすぐに解散をすべきだった。結果として、一時的に自民党が下野することになっても、それによって自民党の建て直しと再生が可能になっただろう。ところが、下野を恐がって決断せずに、ずるずると解散を引き延ばしてしまった。それによって、麻生総理は自らの無能と無責任および自民党の政権担当能力の無さを露呈させることとなった。

ある意味では、衆議院選挙による政治空白よりも、政権担当能力の無い政権が政権に居座り続けることによって起きている現在の政治空白の方が、現在の国民および国の将来に対する傷は大きくなる。他人には「愛国心」を煽るが自らは愛国心のかけらもないニセ愛国者ならともかく、本当に国の将来を憂う愛国者なら、国を蚕食するこの種の売国奴を許すとは思えない。その意味では、本当の愛国心を持つ国民が少ないことは、無能な売国政権には幸いだったのかもしれない。

だが、国民にとっては不幸である。安易な格差の拡大は失敗だった。その認識の下、国の方向転換が必要である。それは、国民1人ひとりの選択にもかかってくる。可能な限り知恵を絞って、その時に備えなければならない。

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2008年11月21日 (金)

コミュニケーションの断絶とテロ

年金制度「改革」に深く関わった元社会保険庁の職員や家族が連続して襲撃される事件が起きた。テロリズムという暴力は決して許すことはできない。が、その一方で、テロリズムを生み出す土壌としての貧困やマイノリティーの抑圧が社会に存在している。それは、昭和初期の血盟団事件や、五・一五事件、二・二六事件などの軍国主義へと至る過程の歴史が教えてくれる。当時の日本には東北地方など農村の貧困や労働者たちの窮乏があったし、パレスチナも北アイルランドも、貧困とマイノリティーの抑圧が存在した。

例えば、年金制度「改革」に際しても、国会の議論の中でいくつかの問題点が明らかになっていたにも関わらず数の横暴による採決が行われて、少数意見は抹殺された。一部の富裕層を除き、社会における貧困は増え続けている。その状況に絶望した時、「問答無用」となり、テロを生み出す土壌が生まれる。

絶望の深さは、時として自らの命をも顧みない暴力へと人を駆り立てる。それがテロである。だから、テロを武力で押し潰そうとしても、貧困とマイノリティーへの無視や抑圧が続く限り、テロは新たなテロを生み、暴力の連鎖はエスカレートしていく。

逆に、苦難に耐えているマイノリティーの言葉に耳を傾けていれば、対話は続く。対話が続けば、絶望することはない。絶望して自暴自棄になり問答無用の暴力に身をゆだねることはない。北アイルランドの紛争も、民間のエンカウンター・グループによる対話の回復が状況を少しずつ変えていく力となった。

とりあえず、暴力を止める力を否定するつもりはない。けれども、力で押さえつけるだけではテロは無くならない。マイノリティーとの対話と貧困の撲滅への行動こそが、本当のテロとの戦いなのである。

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2008年11月18日 (火)

極光(オーロラ)…夢を追う生き方

さだまさしの【夢の轍】というアルバムの中に「極光(オーロラ)」という歌がある。「椎の実のママへ」「風に立つライオン」など、さだまさしが実在の人を歌った歌の1つだが、その写真家の生き方にはとても心を引かれる。そして、彼を支えた愛の存在にも……。

 

 

おい結婚するぞそしてアメリカへゆくぞといっぺんにふたつびっくりをつきつけて それから俺仕事をやめたぞカメラマンになるんだと腰が抜けなかったのが奇跡だわ そのあとあなたは夢の通りに歩いてとうとう本物のカメラマンになった グランド・キャニオンも死の谷もみんな友達にして知らないうちに丸め込んでいた 

自然はやはりすてきだだけど不安が1つ もっと大きなものが撮りたくなって俺はどこまで行けばいいのか オーロラそれはオーロラ地球も夢を見るんだこいつがそうだと目を輝かせてた あなたを愛して気づいたどんどん先に歩いて行ってしまうあなたを 追いかけるのは大変だわ

アラスカであなたが突然空気になったとそんな事信じられると思う 飛行機のプロペラが廻っているのに気づかない程オーロラに夢中だったのね 

あなたの残したものは世にも美しい地球が夢を見ている写真とそれからこの私と オーロラそれはオーロラなんてせっかちなあなたオーロラに愛されてオーロラになってしまった あなたを愛して気づいたどんどん先に歩いて行ってしまうあなたを 追いかけるのは大変だわ

 

 

夢を追い続ける生き方は魅力的ではあるが、それなりに大変である。夢を捨ててしまい普通の日常に埋没している生き方は、逆に、とても楽なところがある。多くの人々が大人になるにつれて、若き日の夢をあきらめてしまう理由がそこにある。結局は様々な苦労や苦しみを越えて夢にこだわり続けることができる人間だけが、夢を追い続けることができるのだろう。そういった人々は、神に愛されることも多く、すばらしい仕事をする一方で若くしてこの世を去る運命になることも少なくない。写真家・阿岸充穂さんもその1人だったのかも知れない。

そして、もう1つ。彼を支えた愛、阿岸明子さん……。夢を追い続ける恋人/夫を支え続けた愛の存在が、写真家としての阿岸充穂さんの仕事をすばらしいものにしていたのではないだろうか。「あなたを愛して気づいた どんどん先に歩いて行ってしまうあなたを 追いかけるのは大変だわ」というフレーズに、その愛の深さが表れている。彼女は「大変だわ」と言いながらも、追いかけるのを止めることなく続けているのだ。2人の生き方には、とても心を動かされる。

人は、こんな素晴らしい生き方もできる。写真家として仕事に倒れる生き方、そして愛する夫を支え続け、その最愛の人を失ってなお生きる生き方。切なく、悲しいけれども、美しく愛と勇気に満ちている。そんな2人を歌った歌だから、いっそうこの歌は美しい。20年以上前に作られ、今なお輝きを失わない歌である。

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2008年11月16日 (日)

その歴史認識では…

田母神前空幕長の歴史認識についてのレポートと更迭の際の発言が問題になっているが、憲法上の国家公務員の憲法遵守の義務違反であることは明白で、その点からだけでも、空自のトップとしての資質に欠けていたことが分かる。ただ、職務的な観点からでも、彼の歴史認識は問題である。なぜなら、報道されている程度の歴史認識であれば、いざ、戦闘状態に陥ったという緊急事態に際して、空自は勝てないからである。

太平洋戦争の敗因は様々あるが、兵站/補給の軽視と失敗はかなり大きい。「大東亜共栄圏」の構想が、単なるお題目・ニセ宣伝でなく本当の意味で、「解放区」の人民の自由と反映をもたらすものであれば、占領地の人々は、進んで軍に協力しただろうし、英米の再進攻に際しても、日本に協力する人が多数出ていただろう。

だが、インドネシア等の例を見ても、日本軍のための物資調達のことだけを考えて軍票を乱発し、占領地の経済を疲弊・悪化させた。これは、軍票という形をとったとしても略奪と何ら変わるところがない。そうした点からすれば、被害者からすれば「侵略」という判断となるのは当然である。そのような感情を考えれば、「侵略」のごまかしをするような認識を周囲の国々やその国民が持っていては物資の補給にマイナスとなる。

加えて、「侵略はなかった」という歴史認識では、兵站/補給の失敗の本質に迫ることが出来ず、歴史に学ばない者の宿命として同じ失敗を繰り返すことになる。そのような人物が空自のトップに座っていたこと自体が恐ろしい。これでは、有事の際に日本の国自体を守りきれないだろう。その意味では、遅まきながらも、更迭されたことは国民にとって幸いだった。

それにしても、資質に欠ける前空自幕僚長といい、社会保険庁といい、資質に欠け、まともに仕事ができない連中がどうして国民の税金から高い給料や退職金がもらえるのだろう。その種の無駄遣いをまず一掃しないことには、財政再建は無理だろう。無駄な「給付金」や増税の議論の前に、やるべきことをきちんとやって、首相自らが税金泥棒ではないという範を示す必要があると思うのだが。

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2008年11月10日 (月)

迷走「給付金」のウソ

麻生首相の「給付金」が迷走し続けている。「100年に1度」という経済危機の中で、麻生首相自らが出してきた各家庭への「給付金」だが、実際は政府から給付されるのではなく、税金からまかなわれるものであり、「還付金」と言った方が正しいのではないか。いかにも「政府が与えてあげる」という発想が見え見えのネーミングに、麻生首相の意識が透けて見える。

『銀河英雄伝説』に登場するとある政治家の言葉を借りれば、政治家は税金の公正な配分を委託されただけであって偉く見えるのは政治宣伝の結果に過ぎない、という事になるらしい。また、映画『DAVE』でも大統領の影武者を勤めたDAVEの議会での最後の演説によれば「臨時雇い」に過ぎないのが政治家である。だからこそ、国民の生活と福利の向上のために最善を尽くす義務があるのだ。

にも拘らず、このところの自公政権が行ってきたのはアメリカの一部富裕者の利益のみを代弁したブッシュ政権の走狗になって、日本の国民生活を破壊し続ける政策を次々と打ち出して人々の生活と精神を荒廃させてしまった。内需を徹底的に破壊した結果が、外需頼みの産業構造となったのだが、サブプライム・ローン問題から広がった世界レベルの金融不安によって、それも危機に陥ってしまった。

そこで「給付金」なるものを出して来たのだが、実際問題として使われなければ何の意味もない。だが、3年後の消費税増税をセットにしたことで、不安を感じて使えなくなってしまった。内需を拡大するためには、使えるお金を増やすことと自由な時間を増やすことが大切になる。だから、給付金よりも正規雇用を増やし、労働時間を短縮して、家計収入と家庭での自由時間を増やすことに尽力すれば内需が増えてくる。

加えて、一連の金融危機の元凶は「マネー」の暴走である以上、株取引の優遇税制を撤廃するなどの「マネー」の暴走を封じ込める政策転換をするべきなのである。ただ、そうしたことを行うには、国民の支持が必要となる。3代続けて国民の審判から逃げ続けている自公政権に、その正統性はない。正統性がないからこそ、「給付金」なる単なる思い付きをウソで塗り固めた政策を出すしかないのだろう。そして、それ自体が政権担当能力の無さを露呈させる結果ともなっている。麻生政権は、早くも末期的症状である。当初の予定通り、早く解散した方が、傷は少なかったに違いないと思うのだが……。

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2008年11月 2日 (日)

主人公…自分の人生の中では誰もが

今日も片道2時間かけて津に行ってたので、行き帰りの車の中でいろいろな歌を流していた。その中に、さだまさしの歌をセレクトしたものがあったので、久しぶりに「極光(オーロラ)」や「夢」などと共に「主人公」を聴いた。「主人公」はさだまさしがソロになってから3枚目のアルバムである【私花集(アンソロジー)】のラストを飾る歌だが、【帰郷】というアルバムでは、別のアレンジで入っている。【帰郷】以降は、こちらのアレンジに近い形で歌われることが多いようだが、個人的には【私花集】のアレンジの方が好きである。さだまさしの歌との付き合いは、グレープの「精霊流し」の頃からになるので、もうかれこれ30年をこえるだろうか。たくさんの歌を聴き、ギターを片手に歌ったり、カラオケで歌ったりしてきているが、「主人公」は、その中でも特に大好きな歌の1つである。

 

時には思い出ゆきの ガイドブックにまかせ 「あの頃」という名の駅で降りて

「昔通り」を歩く いつものテラスには まだ時の名残が少し

メトロの駅の前には「62番」のバス プラタナス並木の古い広場と学生だらけの街

そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる

あなたの眩しい笑顔と 友達の笑い声に

抱かれて私はいつでも 必ずきらめいていた

「或いは」「もしも」だなんてあなたは嫌ったけど 時を遡るチケットがあれば

欲しくなる時がある あそこの別れ道で選びなおせるならって……

勿論 今の私を悲しむつもりはない 確かに自分で選んだ以上精一杯生きる

そうでなきゃあなたにとても とてもはずかしいから

あなたは教えてくれた 小さな物語でも

自分の人生の中では誰もがみな主人公

時折思い出の中で あなたは支えてください

私の人生の中では 私が主人公だと

 

 

この年齢になるまで、多くの選択を繰り返してきた。様々な出会いと別れの中で、もしかして、別の選択をしたら、また違った人生があったかもしれない…という思いは確かにある。けれども、自分自身の選択の積み重ねによって、今の私がある。他の人から見ればバカなことや愚かなことに写るかもしれないが、自分自身は、それらの選択のすべてが今の自分を創ってきたのだと感じられるし、今の自分自身を否定する気もない。不器用でも、自分の足で歩いてきた道だからである。

この歌は、上質の映画を見るようにシーンが浮かび上がる。不器用でも、精一杯あがきながら、それでも地道に生きていこうとする人生を応援してくれているような歌である。

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