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2009年1月29日 (木)

アンフェアな競争

このところ、大企業の大型合併のニュースを時々聞くようになった。とにかく、大きくなることによって資本を増強し、経営の安定化をはかる……という説明をよく聞かされるわけだが、今ひとつ首を傾げてしまうところがある。確かに「国際競争」という文脈からすれば分からないでもないが、日常感覚からすれば、「それっておかしくない?」という感じがするのである。

例えば、不況など様々な理由で大企業が経営危機に陥った時、「潰れると社会的影響が大きい」ということで、税金(日本では「公的資金」などという言い替えでごまかしているが、正確に言えば国民の納めた税金である)を投入して支援が行われることがけっこう見られる。特に、日本の場合は経営責任をうやむやにして税金投入が行われる形がほとんどであったと記憶している。とすれば、可能な限り大企業化することで倒産のリスクはより小さくなり、経営危機に陥っても税金で救済される可能性が高いということになる。このような状況は、本当に【フェアな経済競争】と言えるだろうか?

格闘系のスポーツの場合、柔道でもボクシングでもレスリングでも、国際的に広く盛んになっているものはほとんど、体重によって階級を分け、それぞれの階級で世界の王者【チャンピオン】が決定する。日本の相撲は体重が大きく異なっていても同じ土俵で戦うが、相撲が行われているのは日本のみであって、柔道のように世界各地で盛んに行われているわけではない。それは、体重別に分ける方がフェアであるという認識があるからだろう。

経済学においても、一時期は「独占」や「寡占」がアンフェアな競争を生み出すという理解があり、日本の「独占禁止法」も、フェアな経済競争の実現のために制定されたといういきさつがある。そして、独占や寡占を防ぐために公正取引委員会という組織も作られ、アンフェアな競争に対する監視を行っている。小泉改革以前は、地方には小さな店もけっこう多く、電化製品などもほとんど地域の店で購入していたし、小さな店が複数、地域で共存できていたのである。

ところが「国際競争」を理由に、安易に大企業化を推し進めることによって、地域から小さな店がどんどん消え、電化製品の購入はほとんど車で移動しなければならない距離にある量販店へ行くようになった。これは、国内的にはアンフェアな経済競争の条件を作っている事にはならないだろうか? だからこそ、大企業のみが好況となり、一般の人々がカヤの外に置かれて、輸出に打撃を受けた途端に内需の弱い経済構造が不況を深刻にしてしまう事態を生んだのであろう。

そうした点を考えた時に「国際競争」を野放しにすることがフェアな経済競争につながるのかと言う疑問が生じてくる。逆に、国際競争の暴走を抑える事こそ事態の収拾につながるのではないだろうか。

確かに、世界恐慌の後の保護主義が第二次世界大戦につながったという分析は間違いではないだろう。そして、地球規模の結び付きがさかんになるのも良い事である。けれども、大企業の利益拡大のみに寄与するような「国際競争」は、見直す必要があるのではないだろうか。

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2009年1月24日 (土)

「負けてもいいよ」…高橋由美子《万事快調》より

90年代後半、「最後の正統派アイドル」と呼ばれた高橋由美子の《万事快調》というアルバムのラストに「負けてもいいよ」という歌がある。高橋由美子主演のTVドラマの主題歌だったこともあり、CDシングルでも出ていたが、勝たなければ全てを失うかのように追い立てられる資本主義経済体制の中にあって、あえてこんな歌をアイドル歌手が歌っていたというところが結構興味深い。

 

負けてもいいよ 休んでいいよ 夢と逢うのはもっと遠くだよ 追い越してゆく誰かの背中にね 地図が見えるかも ほらひと休み 慌てたりしないでね 今は先を急ぐ誰かをね 助けてあげて

 

働くことには様々な意味がある。そして、競争することも大切である。けれども、いつまでも勝ち続けるなど、まず不可能だし、負けることで学べることもある。1度や2度の負けで人生の全てが終るような大勝負は、そんなに頻繁にあるわけではない。入試だろうと就職だろうと、長い人生の1コマに過ぎないし、またそういう社会でなければいけないのである。

 

高橋由美子はさらに歌う

 

負けてもいいよ 大丈夫だよ 心配ないよ きっとうまくいくよ 負けてもいいよ あなたのことずっと 見ててあげるから

 

それは、何の根拠もない言葉かもしれない。けれども、大切な人から信頼されている…という実感は、勇気を与えてくれる。そしてその勇気が新しいエネルギーをも生み出してくれることもある。勝負ではなく、信頼が人を支えるのである。周りの人々に、自然にこんな言葉を出せるような人間でありたいと思う。

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2009年1月23日 (金)

現実理解の難しさ

人間は誰もが、好むと好まざるとに係わらず、現実の中で生きていかなければならない。けれども、実は、自分を取り巻く現実をリアルに認識する事はけっこう難しい。自分にとって都合の悪い現実から目をそらす場合、あるいは都合の悪い現実そのものを見ようとしない場合が少なからずあるからだ。

けれども、人間として主体的に、生の実感を持って生きていこうとすれば、たとえ自分にとって都合の悪いものであっても、きちんと現実を見つめる必要がある。現実を見つめ、現実から出発しなければ、問題の本質を捉え、状況を改善していくための手立てを見つけられないからである。

ところが、それができない人間は意外と多い。なぜなら、都合の悪い現実を見つめるには勇気が必要だし、そうした現実から出発して状況を改善する努力を積み重ねていくためには、強い意志も必要とされる場合が出てくるからである。その過程で、今までの「自分」を変えていくための努力も必要だが、それにはかなりの痛みも伴う。人間は、なかなか自分を変えられないのである。

例えば、麻生首相なども、現実をきちんと見つめられない人間の1人である。だからこそ、支持率の低下に対して根本的な対策を出し得ず、虚勢を張り、ごまかし、居直っているのだろう。現状を見れば、解散すれば、自民党の敗北は必至である。「現実」を受け入れてそこから出発する覚悟ができず、そこから逃げ続けることによって、その「現実」はより大きくのしかかってくる。放置すればするほど、自民党の敗北はより大きくなるばかりでなく、崩壊の危機すら出てくる。問題から逃げ、解決を先送りすればするほど、問題はより大きくなって再び、あるいは何度も繰り返し自分の行く手をふさぐのである。

もちろん、現実の問題が大き過ぎて現在の自分の手に余る場合もあるだろう。そういう現実認識の場合は、現時点では逃げる…というのも1つの選択肢となる。けれども、そこで大事なのは、「今、自分の手に余るから逃げるのだ」という認識をきちんと持っておくことだろう。当然、現時点で逃げる以上、後々それは形を変えて自分の行く手をふさぐ事になる。だからこそ、その時に備えて力を蓄える努力をするのだ。その場合は、形の上では「逃げ」であっても、大きな視点から見れば「現実」を見据えた対応となる。その場合は、将来的には何らかの解決策が見出せる場合も少なくない。それを知っておく事が大切だろう。

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2009年1月13日 (火)

誰のための「定額給付金」?

世論調査において内閣の支持率が20%を切り、不支持率が70%を超えた、というニュースを見たのが数日前だった。その中で「定額給付金」に対する評価も70%が「評価しない」という選択をしていたようなのだが、政府与党は民意のない衆議院の多数によって、国民が望んでいない政策をゴリ押ししようとしている。

別に民主党の支持者ではないが、後の増税のためにアリバイ的に給付するようなバラマキを欲しいとは思わないし、総額2兆円という金額の中に、地方の事務の経費などが入っているとも思われない。それならば、そのお金を全額就労支援などに割り当てた方がいくらかマシだろうと思うのだが、無責任な政権与党は、国民の7割が支持しない政策をどうしても進めたいようである。

誰のため? 一般の国民は、国民のためとは感じていないし、1人に12,000円程度のお金をもらっても生活の苦しい人々には焼け石に水である。それよりも安定した就職先を斡旋してもらった方が安心してお金を使えるだろうし、景気の浮揚につながるかもしれない。結局、1度口にしたから、という首相の面子のためなのではないだろうか。

そうした行為に、首相としての重責を担っているという責任感は感じられない。そして、そのような無能な首相を制御できない与党は、政権与党としてあまりにも無責任である。こんな政策をゴリ押しして何の得があるのだろうか。少なくとも、「特別給付金」を切り離しての補正予算の議論・採決には応じるという野党の姿勢の方がまだマシである。そのような判断を国民にされて、自らの無能をさらけ出し、政権担当能力の無さを暴露してしまうのは、党利党略から見ても明らかにマイナスだと思うのだが、その判断すらできないのだろうか。

現在の自公政権は戦争の終結交渉に失敗してズルズルと戦争を長引かせてしまった太平洋戦争末期の軍部の姿・政権の姿と重なってくる。日本は、再び焦土と化すのではないか。精神の荒廃という焦土が人々を待ち受けているのでなければ良いのだか……。

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2009年1月11日 (日)

不眠の力…世界を滅ぼす想い

谷山浩子のアルバム「ボクハ・キミガ・スキ」というアルバムの中に「不眠の力」という歌がある。とても美しいメロディーなのだが、詞の方はドキリとした内容になっている。好きな人にキスをしようとする想いが、世界を砂漠にしてしまう。欲望が、世界を滅ぼすのである。

 

恋する人は眠れない 恋する人は眠れない 真夜中に天井をとおして星を見る 星はわたしの瞳の レンズに降りてくる それは世にも恐ろしい 星座のかたち それは世にも恐ろしい 殺戮の暗号

恋する人は眠れない 恋する人は眠れない 明け方に彼の家のまわり 5キロ四方 いちめんの砂漠になる 人は死に絶える 鳥も獣も魚も 水も緑も 干涸びて崩れ落ちる 砂はさらさらと

そして砂漠はさらに ひろがりつづける 消える街 渇れる海

やがて彼の美しい 死骸の上に 自由になった わたしの心がかがみこむ 一度だけのくちづけの 夢をかなえるために すべては死んだ わたしのすべては死に絶えた

誰かわたしに眠りを 安らかな眠りを 眠れぬかぎり砂漠は どこまでもひろがる 誰かわたしに眠りを 安らかな眠りを 眠れぬ限り世界は やがて廃墟になる

たとえ宇宙を滅ぼす力を手にしても あなたにとどかない 想いはとどかない 大きく開いたままの目に 星座は焦げつき 瞳の黒いガラスが 静かにひび割れる

 

欲望は、それ自身が生きるエネルギーだとも言えるが、一方で、煽れば煽るほど肥大化し、制御ができなくなってしまう。歌詞に戻ればささやかな願い…としての好きな人との一度だけのキスもそれができない現実の中で想いが充満し、ついには破壊的な力を呼び込んでしまう。そして、1度呼び込んでしまった破壊的な力は、自分自身だけでなく世界を破滅させても止まらない。

小さな欲望を利用され、欲望が暴走する。暴走する欲望は、世界を滅ぼし自分自身をも滅ぼしてしまう。幻想的な詞が、何故か今の世界のイメージと重なってくる。欲望がなければ人間は生きていけないが、欲望と折り合いをつけなければ欲望の炎は自分自身を焼き尽くし、周囲をも滅亡させてしまう。それをさける智慧が人間社会にはあるのだろうか。

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2009年1月 9日 (金)

再び【DAVE】…完全雇用を目指して

昨年の1月にも取り上げた映画だが、この社会・経済情勢の中でもう一度取り上げたい映画、それが【DAVE】である。伊勢にある個性的で良質の映画を上映している進富座という映画館で何気なく見て感動し、LDとDVDを買ってしまった映画である。1993年製作、監督はアイバン・ライトマン、主演はケビン・クライン、シガーニー・ウィーバーも大統領夫人エレン役で共演している。

ストリーは、大統領の物まねと仕事の紹介で生計を立てているDAVEが脳溢血で倒れた大統領の替え玉として首席補佐官ボブに操られていたのが、持ち前の優しさと大統領夫人エレンへの想いの中で目覚め、ボブと対立した後、人々の為に完全雇用法案を提出するが、ボブの逆襲にあって彼と刺し違える形で元の生活に戻るが、ナンス副大統領がその意志を受け継ぎ、DAVE自身も人々の生活を守るために政治家としてのスタートラインに立つためにDAVEとして地方議員に立候補をする……というものである。

ヒスパニックなどの弱者の側に立って仕事を斡旋するDAVEは、どこかの国の悪質な人材派遣会社とは違って、それだけでは生計は立てられないので、大統領のモノマネ・ショーで収入を補っている。だからこそ、雇用の大切さを痛感している。ボブとの決裂の後、完全雇用法案の提案の演説をするDAVEの姿は、しんみりとした中に深い思いやりを感じさせながら、説得力があり、取材陣の中からも「Thank you Mr. President !」という声が上がる。個人のレベルでも、社会的なレベルでも、雇用の大切さを再認識させてくれる、地味だが感動的なシーンである。

ホームレスの子どもたちの施設を訪問した後、ボブの画策したホームレス施設への予算削減を撤回する閣議のシーン、国会での演説の途中で倒れて大統領の影武者を降りた後、ひっそりと去っていくシーンなど、胸を打つシーンは多い。その意味において、難しいことを考えなくても映画として楽しめる作品である。けれども、ただ楽しいだけではなく、後の余韻も深い映画である。

その余韻の1つに、「完全雇用政策」がある。働く意志と能力を持った人々が、失業によって生活を脅かされることなく、安心して働くことのできる社会は健全であり、モラルも治安も税収も安定してくる。普通の人が普通に働けば普通に生活でき、家族との交流を深めながらもボランティアもできる社会こそが目指されるべきなのだ。小泉「改革」後の日本やブッシュ政権下のアメリカで軽視され、ないがしろにされていった理想である。けれども、その結果がどうなったか。多くの人々が実感していることだろう。

映画【DAVE】はフィクションである。けれども、そこには求められるべき社会の姿も描かれている。この映画からのメッセージをきちんと受け止め、多くの人々が幸せに暮らせるような未来につながる決断や選択をしていきたいと思う。

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2009年1月 7日 (水)

パラオ ゼロファイター …戦の終わりを願って

「パラオ ゼロファイター」という歌がある。作詞・作曲は武田鉄矢で海援隊が歌っていた。ゼロファイターは、もちろん第二次世界大戦中の日本海軍の零式艦上戦闘機である。歌詞には「緑の…」というフレーズがあるので、カラーリングから類推すれば52型あたりだろうか。戦いが終わったサンゴ礁の海の中で朽ち果てていく戦闘機をほのぼのと歌っている。

 

こんなところで翼をひろげ 眠っているのか 緑のゼロファイター 南の魚たちが 翼の上を過ぎる 透き通った海に 緑のゼロファイター 空を飛ぶ為に 生まれてきたんだろう それがどうして 海の底にいるのか 戦さは とうの昔 敗れて終わったのだ 守るべき人達も お前を忘れたのだ 一筋の煙 空にひいて落ち 珊瑚を枕に 眠るゼロファイター

折れた翼に 波は白く打ち 空の夢をみるのか 緑のゼロファイター お前を操り 空を翔けた人は どこに消えたか 緑のゼロファイター 空からその人と ここへ落ちてきたんだろう それでその人は 死んだのですか 戦さとはいえ 長閑な この海では 死ぬ気もせぬのに 眼を閉じたのだ 白い飛沫をあげて 海へ落ちて沈み 珊瑚を枕に 眠るゼロファイター

海の底を 空だと夢見るのか 珊瑚は雲なのか 緑のゼロファイター

 

メロディーもほのぼのとしているのだが、太平洋の戦場で墜落した戦闘機というのは生々しい。この戦闘機によって何人の人が死んだのだろうか。ゼロ戦は子どもの頃から大好きで、21型や32型、52型丙、54型のプラモデルを作った記憶がある。隼や飛燕、雷電なども作ったが、これほど多く作った戦闘機は他にはない。太平洋戦争の末期には神風特別攻撃隊に使われ、機体に爆弾を装着して敵艦に突っ込んでいった。爆弾の為に機体が重くなり、途中で撃墜されたものも多く、敵・味方共に多くの命がゼロ戦によって失われた。

それゆえに、日本人のゼロ戦に対する思いは特別なものがあるように思われる。それでも、ゼロ戦はやはり兵器である。あらゆる兵器は、世界の為、一般の人々の為には、戦争に使われぬまま朽ちていく方が良い。この世界から戦火が消え、兵器が朽ち果てるような日が来ることを思ってやまない。

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2009年1月 6日 (火)

竹鶴12年

昨年最後に飲んだウィスキーは竹鶴12年ピュアモルトだった。ちょっとした合宿に参加するのにグレンフィデックをカバンに忍ばせておこうとしたのだが、仕事と準備に追われてバタバタしているうちについ入れ忘れてしまったのである。翌日、昼食に出た帰りに酒屋に入ったが、残念ながらスコッチのシングル・モルトは店にはなく、それならば、ということで日本の誇るモルトの1つ、竹鶴にした次第である。

モルト・ウィスキーなので、とりあえずストレートとしゃれ込んだが、やはりニッカの竹鶴、十分にストレートに耐える香りと味わいである。合宿でのグループの指導の先生と一緒に、10時頃から竹鶴を楽しんだ。先生は、日本酒だったのだが……。

それにしても、竹鶴は美味しい。サントリーの山崎や白州なども悪くはないが、竹鶴の方が個人的には好みの味である。お陰で一晩のうちにほとんど空けてしまった。本来、好みとしてはグレンフィデックをはじめとするスコッチのシングル・モルトが基本だが、良いものは良い。たまには、日本のモルトも美味しいものである。

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2009年1月 4日 (日)

年越し派遣村

日本では、大企業の身勝手な派遣切りと政府の無能無策によって大変な思いをしている人たちのために心ある人々が「年越し派遣村」を作った…というニュースがマスコミを賑わしている。そのために活動する人々の努力と温かさには心を動かされる一方で、それに対して手をこまねいているだけの政府与党の鈍感さと行動力のなさには腹立たしさを覚える。今、民間のボランティアの人々がやっている活動こそが「緊急」の対策ではないか……と。

これだけマスコミに取り上げられたお陰で、厚生労働省の一部などに動きも出ているが、困窮する人々に対して数ヶ月単位での保障を確約している訳ではなく、期限が過ぎれば追い出しかねないような発表になっている。例え、「人気取り」でやったとしても、例えば、麻生首相が使っていない首相官邸を困窮する人々に開放するとか、首相はこの際官邸に移り、自宅を彼らに開放するといったような手立てをとれば、それによって救われる人々も出てくるだろうが、口先で「緊急」を言っても、行動が伴わなければ何もならない。その辺りの追求をもっとマスコミがしても良いと思うのだが、どうも【美談】的な扱いに終始して、政府・与党の責任や自らの給与を返上せずに安易に派遣切りに走った大企業経営陣の経営責任の追及はいかにも弱いように感じられるのは気のせいだろうか。

一方で、年越し派遣村には、高校生のボランティアも参加しているようだし、またその存在によって助かった人の中には「生活を立て直すことができたら、必ず、何らかの形で恩返しをしたい」と語っていた。痛みを感じる温かな心と感受性、そしてそれに素直に感謝して「恩返し」を語る人たちの思いには胸が熱くなる。身の周りにも、大変そうな話は出てきているが、一方で何とか支えてあげたいという思いを感じる例も多い。本当に大変な状況の中で支え合える関係というのが本当の意味での人と人との関係なのだろう。ここに集う人々の明日に光がさすことを祈らずにはいられない。

それに対して、首相も、大企業経営陣も、確かに「苦労」はしているかもしれない。けれども、苦しい中にあってきちんと支えてくれる関係が周囲に存在しているだろうか。もし、それがないとすれば、本当の意味での人と人との関係を構築する努力を怠ってきたツケが回って来ているのかも知れない。そうだとすれば、早く目を覚ますことである。身を削って弱い立場の人々のために尽力すれば、逆に、苦境からの脱出は早まるのではないだろうか。「情けは人のためならず」との諺があるように、親切や温かな思いやりは巡り巡って自分にも返ってくるのだから。

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2009年1月 3日 (土)

ウルトラセブン印象記…北へ帰れ

いつになく穏やかな年末年始の休みに、久しぶりにゆったりとTVやDVDを見ることができた。サッカー天皇杯や高校サッカー、映画、そしてウルトラセブン……。今回は、フルハシ隊員がドラマの中心となる「北へ帰れ」について書いてみよう。

お母さんが病気だという知らせを受けて実家へと急ぐフルハシ。妹の話でそれが彼に牧場を継がせようとしてお母さんがついた嘘だと知ったフルハシは、結局、家には帰らず地球防衛軍の基地へと戻っていく。おりしも、北極上空で謎の飛行機衝突事故が発生する。フルハシはその原因を突き止めるべく、北極上空に向う。が、フルハシの乗るホーク3号が突然、操縦不能に陥る。同じように、前方からは、操縦不能になった旅客機が迫る。

ほのぼのとしたシーンが一変して緊迫したドラマになるが、実は、この話の中では、カプセル怪獣ウィンダムが敵のカナン星人に操られてウルトラセブンと戦うシーンも出てくる。その戦闘シーンはけっこうユーモラスでもあるが、フルハシを中心としたドラマは緊迫感と温かな家族愛にあふれ、なかなか見ごたえがある。

フルハシの機体の異常と旅客機の接近を知ったキリヤマ隊長は、フルハシを脱出させてホークを自爆させ、旅客機を救おうとするが、脱出装置も作動しない。そんな中、フルハシのお母さんがフルハシを説得しようと北海道からやってくる。本来は家族といえども民間人は司令部には入れないのだが、キリヤマ隊長は、せめても…とフルハシと母親を交信させるべく、彼女を司令室に招く。

旅客機を救うためには…という思いで、苦悩の選択をしようとするキリヤマ隊長とフルハシ。何も知らない母親とフルハシの何気ない会話は、フルハシの覚悟と彼の母に対する思いを伝えてくれる。結局、間一髪のところでカナン星人はセブンに倒され、フルハシの機体のコントロールは回復し、彼は無事に帰還する。その間に、フルハシの真剣な姿を目の当たりにした彼のお母さんは、何も告げずに北海道へと帰っていく。

奇跡の生還を果たしたフルハシが司令室に帰ってくると、キリヤマ隊長は即座にパトロールを命じる。最初は、「疲れているのに…」という顔をしたフルハシだったが、場所が北海道上空と聞いて、笑顔でパトロールへと向うのだった。

たった30分弱のドラマの中に、家族への思いや責任感について考えさせられるシーンがたくさん詰まっている。戦闘シーン/アクション・シーンは派手ではないが、じっくりと見せてくれるなかなかの小品となっている。

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2009年1月 2日 (金)

穏やかな正月

今年は、特に出歩く予定もなく、少し年始に回った以外は、ほとんど部屋で過ごしている。この地域は、雨もなく晴天が続き、過ごしやすい正月となっている。といっても、することがないわけではなく、時間がなくてなかなか手をつけられなかった同人雑誌の編集に時間を取っている。発行すれば52号となる。初めの頃はともかく、最近はずっと年に2回の発行となっているので、20年以上続いている。細々とでも続けられるのは、まだまだ余裕があるということなのだろう。

けれども、内外のニュースは必ずしもそうではない。ガザでは多くの人々が殺され、国内でも大企業の安易な決断によって多くの人々が職や住居を失い、困窮している。少なくとも日本国内の現実は、大企業経営者達の安易な輸出への過剰依存のツケと、無能な政権与党の失政によって引き起こされたものである。その現実を思えば、この穏やかさも胸が痛い。

元旦、2日と、穏やかに過ぎた。仕事は4日から始まるが、明日はまだゆったりと過ごせるだろう。新しい年が、より多くの人々にとって良い1年になることを祈りたい。

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