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2009年3月31日 (火)

降りていく感覚

ここ数日、少しゆとりのある時間を使って、詩を書いている。だが、今ひとつ納得できるところまでいかない。意識の表面的なところで言葉を操っている感覚しかないのだ。そのため、自分の深いところで詩を作ったという実感がない。とりあえず書いてはいるが、もうひとつストンとおちないのはそのためだろうと思う。

小説や童話を真剣に書いている時は、精神的にかなりシンドイ思いもするのだが、集中していく中で、心の深いところまで降りていくような感覚がある。それは、自分として納得できる詩を書いたときも共通するところがあったりする。そんな時は、1つの言葉にも苦しむが、苦しんで苦しんで心の深いところまで降りて言った結果出てきた言葉はストンと胸に落ちる感覚がある。そうやって書いた作品は、詩であれ童話であれ小説であれ、自分としてはけっこう納得のいく作品となる。

ところが今回は、もう1つ集中し切れていない自分を感じている。それでも言葉を操ってとりあえず形にしているのだが、自分として納得できる「作品」になっていない。まあ、まったく書けないよりはましかな……という思いも一方ではあるのだが、それでも、書くからにはやはり深いところまで降りていく感覚を体験したいと考えている。

ここ数日はゆったりしていたが、もう少しすればまた忙しくなってくる。少し環境も変わるので、それが、新しい詩を書くきっかけになってくれると良いのだが……。

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2009年3月30日 (月)

NHKの偏向報道

西松建設の献金事件で、民放や新聞などで検察の手が自民党の二階議員の方にものびたとの報道が少し目に付いた。ところが、NHKのニュースを見ていても、そうした報道はまったく出てこない。逆に民主党の小沢議員側の報道は、あまり新しい情報でもないことを微に入り細に入り繰り返して、時間を多くかけている。

検察側の主張であれば、二階議員や森元首相などの自民党議員も当然ひっかかってくるはずだし、法律や国民の常識からすれば、問題は金額の多少ではない。二階議員の説明が通るなら、当然、小沢議員の説明で十分だということになるが、そうした指摘は過分にしてマスコミからは聞こえてこない。そして、自民党側についてはまったく報道せずに過度に小沢議員側をターゲットにするNHKの報道姿勢は、明らかに公平性を欠いた偏向報道である。

公平性という面では、他の民放各社や新聞なども必ずしも十分とは感じられないが、特にNHKは自民党側の情報をまったく流していない現実からすれば、与党偏重が過ぎる。国民から受信料を取っているのであれば、政府の広報機関/大本営発表の垂れ流しではおかしい。それをするならば、受信料は自民党と公明党にのみ負担させてしかるべきだろう。公共放送を自認するならば、与党の方ももっともっと厳しく監視し、不正や不正義を糾弾しなければならない。

太平洋戦争が国民に辛酸をなめさせた原因のひとつに、マスコミの大本営発表の無批判な垂れ流しがあった。当時は、治安維持法などの縛りがあった訳だが、現在、治安維持法はない。その状況の中で、自らが政府与党の宣伝を垂れ流し続けるような報道姿勢では、国民から受信料を取る資格はない。

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2009年3月27日 (金)

ようやく直ったPC

10日過ぎからパソコンの調子が悪くなった。windowsそのものがセーフティー・モードでも開かなくなったので、再セットアップを試みたが、これもうまくいかない。隣の市に住む、パソコンの扱いに慣れた友達に見てもらったが「ハードディスクそのものが壊れている可能性がある」ということで、買った店に持ち込んだ。幸い、5年間の無料保障の期間中だったので、無料で直してもらえることになった。

とは言っても、1日や2日で直るわけではないし、別にバックアップしてなかったものはすべて失われてしまう。とは言っても、メール関係と一部の書類だけだったので、この際スッパリとあきらめて直ってくるのを待つことにした。

それから10日あまり……。ようやくパソコンは直ってきたが、接続やアップデートなど、けっこう時間をとられている。今日は幸いにも昼間の仕事がなかったので、多少は楽なのだが、半日かけても、まだ、印刷の再設定など終わってないものもいくつかある。パソコンも、けっこう不便なものだと思う。

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2009年3月 4日 (水)

西松建設献金疑惑への疑問

西松建設の裏金問題との絡みで、政治献金疑惑から、民主党小沢党首の第一秘書が逮捕された。政治資金規正法違反の疑いである。ところが、額は違っていても森元首相をはじめとする自民党議員に、同じ団体から献金が行われている様子である。となると、なぜこの時期に、小沢党首の第一秘書だけが? という疑念が生じる。

私は、民主党支持者ではないし、小沢党首の潔白を心から信じている訳でもない。けれども、なぜこの時期に、しかも小沢党首の第一秘書だけが? という点には疑問がある。そのニュースによって、マスコミの話題を分散させ、国民や専門家からも批判の強い定額給付金の交付の元となる法案を再可決によって通すという暴挙から目を逸らさせようとすると同時に、この時期にあえて小沢氏だけを狙い撃ちする事で民主党のイメージにダメージを与えようとしているように見えるからである。

ニュース報道によれば、検察は金額の過多を問題視しているようだが、国民の側からすればそれはおかしい。数千万円だろうと1000円だろうと、違反は違反であり、当然、森元首相も含めた自民党議員の方にも検察による逮捕という事態が生じていなければ、とても【公正】だとは感じられない。小沢氏の方も「灰色」だろうが、同様に自民党議員も「灰色」に思われるからである。だが、この時期に一方だけ逮捕……ということだから、政府与党によるなりふり構わぬ「国策」逮捕の可能性が高いように思われる。そして、近視眼的には、これによって麻生政権は、とりあえず一息つくことができる。

けれども、「国策」逮捕だということであれば、長期的には自民党の傷はより深くなる可能性は小さくないし、内外へ政治の混乱のイメージを広めてしまい、それが日本経済に悪影響を与えるのみならず、国家や国民の利益にとってもマイナスとなりかねない危険をはらんでいる。

その意味において、私が指導者の立場にいるとすれば、この時期の逮捕は避ける。「国策」逮捕の疑惑を招くし、政治の混乱というイメージを諸外国に与えるのは、長期点に見て国益に与えるダメージは大きいからである。

その点からすれば、「国策」としてならとりあえず逮捕は先延ばしをすべきだと思うし、もし「国策」逮捕であれば、麻生政権には政権担当能力がまったくないということになる。自身の延命のみのために権力を乱用し、国民の目を逸らしつつ、日本の政治に対する信頼感を著しく損ねるような、長期的には自らの足も引っ張りかねない手を使ったからである。

現に、小泉元首相の造反も、TVニュースでの扱いは小さく、定額給付金がわざわざ再可決までして緊急に行わなければならない政策か? という検証はまともに行われていなかった。それに、小泉元首相の造反に対して何の処分も行えない与党のだらしなさ、一貫性のなさについては、ほとんど聞こえてこない。マスコミは、政府与党の応援メディアに成り下がったのか……という印象である。

ある意味では、今日までのこの数日間の時点では麻生政権にとってはマスコミからの逆風は弱まった。しかし、マスコミの力量にも大いに疑問の残る報道振りであり、下手をすれば党や政権への逆風は、長期的にはさらに強まる可能性もある。与党の将来を考えるとすれば、何とも危なっかしい決断をしたということになるがそれが現在の与党の「実力」だとすれば、国民としては絶望的になってしまう。

なぜなら、一時の政権への逆風の弱まりと引き換えに、より深刻なダメージが日本を襲う危惧が生じているからである。この一連の動きの中で、政治の混乱と流動化はさらに激しさを増し、それが衰弱している日本経済の足をさらに引っ張る印象を内外に与えてしまったことに対する危惧も強まった。私が投資家なら、冷静に判断すれば「日本株」は売り……ということになるだろうし、政府や政治への信頼感は地に落ちているので、それを利用して自分の国や企業の利益を上げようと考えるだろう。これは、明らかに日本の国益に反する。もはや、政権担当能力以前の問題である。

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2009年3月 2日 (月)

市岐商問題の底にある教育行政の貧困

ローカルニュースで、市立岐阜商業高校の存続問題を取り上げていた。「存続させて欲しい」という生徒たちや卒業生、保護者たちの思いは純粋で、感情面でもよく分かる。では、市長は、本当に存続を望んでいないのだろうか。存続させるには、経済的・予算上の問題が大きい事を知っているからこそ、あのような選択をせざるを得なかったのだろう……ということを報道を見ていて感じた。

その意味において、市長に反対する議員の行動は、冷静に見ているとあまりにも不十分である。なぜなら、対案を示さずに感情的な反対の声に押されて、そのまま反対に動いてしまっているようにしか見えないからである。少なくとも、議会で反対をした以上、市長選の際には対立候補を擁立すべきであったし、それが出来なかった以上、経済的・予算上の対案を市長と市民の前に示すべきだろう。例えば、耐震工事に必要な資金を寄付によってきちんとまかなう目処を示すとか、市岐商存続のために、他の予算をきちんと削減してその予算上の費用を確保するなど、いくつかのやり方がある筈である。そしてマスコミも感情的な取材だけではなく、そうした面にも光を当てるのがその役割だと思われる。

ただ、問題の本質は、別のところにある。それは、日本の教育行政の貧困さに起因するからである。日本政府は経済大国を自認するが、その日本の教育予算は、先進国ばかりではないOECD諸国の最低レベルである。だから、政府が、せめて他の先進国並に教育予算を充実させていれば、多くの教育現場で起こっている事件の何割かは防げたのではないかと思われる。市岐阜商の存続問題も、結局はまともに教育環境を整えることなく、教育や福祉の予算を安易に削り続けた結果であろう。私たちは、感情的な部分のみに目を奪われることなく、その背景に流れているものをしっかりと見据えていく必要がある。

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2009年3月 1日 (日)

仰げば尊し

今日は3月1日。所用があって出かけた津市の会場の近くで、高校生の姿を多く見かけた。今年は今日が日曜日なので、近くの高校の卒業式は先週末に行われたようにおもったのだが、その高校は違っていたのだろうか。私も、30年ほど前に、「プラチナの…」で始まる母校の校歌を歌って、神宮杉をかたどったデザインの校章を持つ思い出多い母校から巣立った事を思い出した。

その頃の卒業式の歌というと、「蛍の光」や「仰げば尊し」などが定番だった。そして、私自身は、けっこう「仰げば尊し」が好きで、卒業の季節に関係なく口ずさんだりすることもあった。我が家には、さだまさしの《にっぽん》というアルバムとスーザン・オズボーンの《パール》というアルバムに入っているので、日本語のものも英語のものも聞くことが出来る。

 

あおげば尊し 我が師の恩 教えの庭にも はや幾年(いくとせ)

思えばいと疾(と)し この年月 今こそ別れめ いざさらば

互いに睦(むつ)みし 日頃の恩 別るる後にも やよ忘るな

身を立て名をあげ やよ励めよ 今こそ別れめ いざさらば

朝夕なれにし 学びの窓 蛍のともしび つむ白雪

忘るるまぞなき ゆく年月 今こそ別れめ いざさらば

 

この歌については、卒業式だけではなく、「ビルマの竪琴」と「地球交響曲(ガイア・シンフォニー)」という映画も思い出す。どちらも、心に残る場面でこの歌が使われている。「ビルマの竪琴」では水島上等兵の想いが、竪琴のメロディーの奥に響く歌詞とともに胸にしみこんでくる。また、私がスーザン・オズボーンという歌手の存在を知るきっかけになった映画が「地球交響曲」でもある。卒業という言葉とともに別れと旅立ちへの思いが胸を打つ。

だが、学校を卒業しても、厳しい経済状況の中で、未来を見通せない若者達も少なくないだろう。厳しい世の中ではあるが、夢を追い続けられるようなしなやかな強さを若い魂の中にひそませて、人生の歩みを進めていってほしいと思う。

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