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2009年3月 2日 (月)

市岐商問題の底にある教育行政の貧困

ローカルニュースで、市立岐阜商業高校の存続問題を取り上げていた。「存続させて欲しい」という生徒たちや卒業生、保護者たちの思いは純粋で、感情面でもよく分かる。では、市長は、本当に存続を望んでいないのだろうか。存続させるには、経済的・予算上の問題が大きい事を知っているからこそ、あのような選択をせざるを得なかったのだろう……ということを報道を見ていて感じた。

その意味において、市長に反対する議員の行動は、冷静に見ているとあまりにも不十分である。なぜなら、対案を示さずに感情的な反対の声に押されて、そのまま反対に動いてしまっているようにしか見えないからである。少なくとも、議会で反対をした以上、市長選の際には対立候補を擁立すべきであったし、それが出来なかった以上、経済的・予算上の対案を市長と市民の前に示すべきだろう。例えば、耐震工事に必要な資金を寄付によってきちんとまかなう目処を示すとか、市岐商存続のために、他の予算をきちんと削減してその予算上の費用を確保するなど、いくつかのやり方がある筈である。そしてマスコミも感情的な取材だけではなく、そうした面にも光を当てるのがその役割だと思われる。

ただ、問題の本質は、別のところにある。それは、日本の教育行政の貧困さに起因するからである。日本政府は経済大国を自認するが、その日本の教育予算は、先進国ばかりではないOECD諸国の最低レベルである。だから、政府が、せめて他の先進国並に教育予算を充実させていれば、多くの教育現場で起こっている事件の何割かは防げたのではないかと思われる。市岐阜商の存続問題も、結局はまともに教育環境を整えることなく、教育や福祉の予算を安易に削り続けた結果であろう。私たちは、感情的な部分のみに目を奪われることなく、その背景に流れているものをしっかりと見据えていく必要がある。

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