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2009年4月30日 (木)

SOLITAIRE…男は1人カードを

今年は、カーペンターズがデビューして40周年ということで、日本では様々なイベントがあったようで、リチャードも来日している。私自身も中学時代はよくカーペンターズを聞いた。アルバム「Now & Then」はテープに録り、何度も聴いたし、「スーパースター」や「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「オンリー・イエスタディ」などの曲も好きだった。けれども、最近では「ソリテアー」をよく聞くし、またカラオケでも歌っている。中学・高校時代は、嫌いではなかったがそれ程大好きという訳でもなかったこの歌の良さが、最近はよく分かる。

恋を失った男が、1人カードをめくる。その哀愁を、カレンの優しく包み込むように響く歌声が鮮やかに歌い上げる。もちろん、リチャードの繊細なアレンジもすばらしいのだが、それを生かしきったカレンの歌唱は、何度聞いても心を動かされる。

 

There was a man  A lonely man  Who lost his love Throgh his indifference

A heart that cared  That went unshared Until it died Within his silence

他に心をまぎらわすゲームもなく、何か新しく惹かれるものもなく、ただ、1人でトランプを続ける。そこにあるのは、男として泣くことなどできない……という見栄だろうか。いっそ、嘆き悲しんだ方が心は早く回復するのだろうが。それとも、それさえ出来ぬほどに深く傷ついたのだろうか。彼は1人、トランプを続ける。

それなりに生き続けていれば、多くの出会いと別れを経験する。その経験の中には、失恋した後、1人でトランプのカードをめくり続けるシーンはなかったが、その気持ちは理解できる気がする。1人の生活もそれなりに心地好いが、人生を共に歩めるパートナーが傍にいると信じられた時間の豊かさも確かにある。そうした思いもかみしめながら、今夜はカレンの歌声を聞いて眠りにつこう。

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2009年4月28日 (火)

低所得放置が財政難を呼ぶ

ワーキングプア問題が世界的な大不況の中でいっそう深刻になっているが、政府与党の対策は低所得者層への還元率が低く、高額所得者の方が恩恵を受けやすいために、効果として疑問視される……という意見が少なくない。その上、消費税を上げる話まで出て来ている。その通りになれば、税の逆進性はさらに進み、所得格差はいっそう大きくなる可能性が高くなる。

だが、低所得者層の放置やさらなる逆進性は、財政をいっそう悪化させる。低所得者層の増加は、当然、所得税の税収減につながるのみならず、社会保障の支出を増加させることにつながっていく。逆に、低所得者層を減らすようにすれば所得税の税収は増え、社会保障費用の支出減にもつながってくる。そうした観点からしても、政策として意識的に低所得者層の減少を図るのが財政再建の意味からも正しい選択と言える。

ところが、自公政権は、ずっとその逆を進めてきた。例えば、ワーキングプア公務員の問題である。以前、非常勤講師の労働条件について書いたことがあったが、実は行政サービスの分野では、学校の介助員や学習支援教員などをはじめ、保育所の保育士、市役所関係の事務職員など多くの非正規職員を抱えている。非正規の場合は、時給が1000円を割ることも少なくないので、年収が200万円にも満たないワーキングプア公務員が増えている。また、民間業者への請負契約なども、人件費の削減がそのまま現場労働者の賃金の削減につながったりして、低所得者を増加させている。派遣や請負の労働形態は民間企業の人件費を低下させたが、その分労働者の可処分所得の低下による内需の弱体化と所得税の税収減につながる。そうした現実は、実は公務員の世界にも広まっているのである。

だが、低所得者層が働かないかというとそうではない。例えば、特別支援教育を支える学校の介助員などは1000円にも満たない時給、10万円そこそこの手取りにも関わらず、関わる子どもたちや学校のために十分な休憩時間もとらずに働いている。時として専門的な知識も必要となるが、十分な研修も保障されずに日々の仕事に追われていたりするのである。介護の現場もそうだが、専門的で厳しい労働条件にも関わらず収入が十分でないと生活のために離職という選択をせざるを得ない場合も少なくない。けれどもそれは、仕事や生活に見合った収入を保障しないからであって、離職や転職をする側の責任ではない。夢や責任感が低賃金によって駆逐されてしまうのである。

それに対し、一方では社会保険庁のように、まともに仕事をせずに高い給料だけもらい、ミスの尻拭いにさらに税金を使って平気で居座っている連中もいる。おかしな話である。そういう連中の給与支出をこそ徹底的に減額する必要があると同時に、現場で本当に必要な労働力に対して、きちんとした正当な賃金を保障する必要があるのではないだろうか。それが、所得税の税収増にも、内需の拡大にもつながるのだから。

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2009年4月23日 (木)

もっと大事なことがあるのでは?

夕方のニュースを見ていたら民放でもNHKでもSMAPの草彅剛の逮捕が大きく報じられていた。酒に酔って騒いで裸になり警察に逮捕されるなど、確かに褒められた行為ではない。けれども、有名とは言え、たかがTVタレントである。薬物を使用していた訳ではないし、他人にけがをさせた訳でもない。酔いが覚めて本人も罪を認めている。そうした点を総合的に考えれば、家宅捜索やこれほどまでに大きく報道する必要があるのか、と思う。

やったことは悪いが、政治家でも官僚でもないただのタレントだし、薬物違反の疑いがある訳でもない。当然、逃亡の危険性もほとんどない。逮捕や家宅捜索が必要とは思えない。それなのに、この扱いである。警察も、検察も、マスコミも、もっと追及しなければならない重要な問題が他にたくさんあるのではないだろうか。

同じヨッパライならば、重要な国際会議で外国にまで出かけていって朦朧会見をし、結局は辞める羽目になった前大臣の方がよほど悪質である。ところが、その第一報は、これ程までにマスコミで騒がれていただろうか。それと比較しても、この扱いは異常だし、西松建設事件で名前の挙がっている自民党議員への追求はほとんど聞こえてこない。市民から公職選挙法違反と政治資金規正法で告発されている森田健作知事に関しても同様である。国民生活や市民生活にとって、これらの問題に対する追及の方が、TVタレントの酒の上の失敗の何十倍も何百倍も影響が大きく、重要な問題である。

だが、あえて大して重要でもないことを意識的に騒いでいるのであれば、職務怠慢を偽装しているのではないかという疑いや、社会的影響は小さいけれども人々の目を奪いそうなゴシップを大々的に追求することで国民の目を重要な問題から逸らそうとしているのではないかという疑いも出てくる。

あえて繰り返し強調したい。他に、もっと大事なことがある筈である。

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2009年4月22日 (水)

今一度問う、何のための学力テストか

全国一斉学力テストが今年も行われた。市長の異常な圧力のせいもあって、今年は犬山市も学力テストに参加したが、犬山市の教育委員会は、この学力テストを少しでも犬山市の教育に生かすために迅速に「どのように使うか」を決めて公表した。その姿勢は、教育を知る者にとっては、やる以上は犬山市の子どもたちの教育の改善のために直接生かそうとする強い意思が感じられた。逆に、犬山市長のコメントは、教育に対する乏しい知見と犬山市の教育に対する無責任で感情的な考え方を露呈することになった。

一方、私立学校の受験率は連続して下がり続け、3回目の今回は60%台にまで落ち込んだ。これは私立学校が「この学力テストに意味はない」とシビアに判断した結果である。私立学校といえども、憲法・教育基本法・学校教育法等に定める基準を満たしているので、広い意味においては《公教育》の一環を担っている。それが、「不参加」を選択する学校が年々増加する……ということの意味は決して小さくない。

ある意味においては、不参加を決めた私立学校の増加と、犬山市教育委員会の対応は、文部科学省が推し進めた全国一斉学力テストの教育政策的な意味を突きつけているのである。問題の内容がころころ変わって定点観測の意味もなくなっているし、何よりも、なぜ、全員に受けさせるのか……ということの説明は3回目を数える現時点においても十分に説明されたとはいえない。そして、採点やデータ処理に費やす時間とその生かし方についても、すっきりとした説明がされているとは言いがたいし、何よりもここに使う予算を特別支援教育や学校カウンセラーの常設、30人学級の実現等に当てた方が、ずっと子どもたちの現状の改善に直結するだろう。

現状の形でズルズルと学力テストを続けるのは時間と予算の無駄である。文部科学省は、学力対策のアリバイ作りと一部の企業を設けさせるだけで大して意味のない全国一斉学力テストを取りやめ、せめて先進国並みの20人学級(30人学級ではない、念のため)を実現するための努力と予算の重点配分を優先すべきだろう。

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2009年4月21日 (火)

「よその子」と「ひとりでお帰り」…知らない誰かのために

自分の利益のために……だとか、周りの身近な組織や集団のために……といった利己的な判断がよく目に付く今日この頃、谷山浩子の歌をセレクトしてmy favorite songs の音楽CDを編集していて、二つの歌をセレクトした。1つは、アルバム《宇宙の子供》の中の【よその子】、そしてもう1つがアルバム《銀の記憶》の中の【ひとりでお帰り】である。両方とも、アルバムの第1曲目に置かれている。

 

ここから見える全ての家の 全ての人の幸せを 祈れるくらいに強い心を 強い心を 僕は持ちたい ここから見えない全ての家の 全ての家の幸せを 祈れるくらいに強い心を 強い心を 僕は持ちたい きみはよその子 宇宙の子供 全ての家の 窓を開くよ きみはよその子 わたしの子供 閉ざした心の窓を開くよ ……【よその子】より

きみの今のその淋しさが 遠い街の見知らぬ人の 孤独な夜を照らす ささやかな灯に変わるだろう …… たとえば夜が深く 暗がりに足が怯えても まっすぐに顔を上げて 心の闇に沈まないで どんなに淋しくても きみはひとりでお帰り どんなに淋しくても きみはひとりでお帰り ……【ひとりでお帰り】より

 

生きていれば、どこかで辛い思いや悲しい思い、淋しい思いを経験するだろうし、その中で心に深い傷を負ったりもする。けれども、そんな心の闇をきちんと見つめ、それを超えていく過程で、人は成長し成熟するし、強くなると同時に、他者に対して優しくなれる。それを実感できたとき、この2つの歌の歌詞が深く胸に染みこんでくる。

孤独の辛さや淋しさに耐え、それに押しつぶされそうになりながらも、「全ての家の幸せ」を願う。あるいは、自分の辛く悲しい経験を、他者の「孤独な夜を照らすささやかな灯」に変えていく努力を続ける。その中には「利己心」や欲望を超える深い愛がある。まだ、そこまでは至らない自分の弱さや小ささを自覚しつつ、それでも努力を続けていこうとする意思。それこそが本当の強さであり、また本当のやさしさにつながっているのではないだろうか。そのような生き方を大切にしようとする人間でありたいと思う。

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2009年4月17日 (金)

「虎の威を借る狐」の心もよう

「虎の威を借る狐」ということわざがある。もともとは「戦国策」あたりの古典にあった話だが、虎に襲われた狐が、「自分は神様に動物たちの王となるように命じられた。だから、森の動物たちは自分を畏れ多いと避けて歩く。嘘かどうか、後についてきて確かめてみろ」と言って難を逃れる。もちろん、他の動物たちは、虎の姿を見て恐れた訳だが、虎は本当に狐が偉いのだと誤解したのである。転じて、現在は、実力もないのに他の力や権威のある人の威光を利用して威張ったりする場合のたとえに使われている。

だが、元の話からすれば、狐は明らかに自分自身の非力を自覚している。その上で、生きのびるために、知力を総動員して虎の魔手から逃れたのである。己の非力を自覚した上で、とりあえず他者の力を借りなければならないような状況は、現実社会においてもそれなりにある。ただ、その際に、自覚かあるかどうかはけっこう重要になる。己の非力を自覚していれば、急場をしのいだ後は、後々のために力を蓄えるなどの手を打つこともあるだろうし、何よりも自分の力を錯覚して思い上がったり、弱者を不必要に攻撃するようなこともないだろう。

ところが、自分の非力に対する自覚がないと、自分を過信して能力以上のことをしようとしたりするし、無意識で非力を感じている反動や虚勢のためか、必要もないのに他者を攻撃したりもする。そのような場合、周囲に多大の迷惑をかけたり、周囲から多くの恨みをかったりしているため、「虎の威」がなくなると周囲から叩かれたり攻撃されたりしやすい。その結果として、より多くの人々が傷を負うことにつながったりする。

今の日本を見ていると、自覚なく「虎の威を借る」連中がけっこう目立つように感じられる。世襲議員なども、見ていると明らかに実力不足が見えたりして、自覚のない「虎の威を借る」組が多いように思えて仕方がない。その後の本人の不幸は、因果応報かもしれないが、巻き込まれる周りの人間はたまらない。自覚なく「虎の威を借る」ようなことをしないように気をつけたいと思う。

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2009年4月16日 (木)

マスコミとしての誇りと責任感は?

森田健作千葉県知事が、市民グループから公職選挙法違反と政治資金規正法違反で告発されたという記事を、スポーツ新聞で読んだ。というよりも、今日読んだ四つの新聞の中で、大きく取り上げていたのがスポーツ新聞だけで、他の一般の新聞はまったく取り上げていなかったり、取り上げ方がとても小さかったり、という状況だった。そして、国民から受信料を取り、不偏不党を貫く責任のあるNHKの夕方のニュースでは、これまたまったく取り上げていなかった。おかしな話である。

西松建設の献金問題で、民主党の小沢党首の秘書が政治資金規正法違反の容疑で逮捕されたが、道義的にはクロもしくは灰色だとしても、法律的にはどうだろうか。ザル法の評価の高い現行の政治資金規正法では自民の二階議員や森元首相をはじめとするより多くの議員が小沢党首の秘書と同じ状況である。その意味では、民主の小沢氏側を追及する以上の時間を割いて、自民党への追求がなければ偏向と判断されても仕方がないだろう。

それに加えて、森田健作千葉県知事に対する告発。告発する側によれば、【完全無所属】を主張しながら自民党支部の長を勤め、迂回献金についても灰色どころかクロだと判断できるそうである。西松建設の献金問題であれだけ騒いだマスコミ、特にNHKが、少なくとも告発されたという事実すらもまったく伝えていないのはどういうことだろうか。

政権与党の広報を「大本営発表」よろしく垂れ流し、政権与党の汚点を報道しないのならば、国民から受信料を取る資格はない。運営資金はすべて自民党と公明党が負担するべきだろう。けれども、国民から受信料を取っている以上、そのような偏向は許されない。NHKはイギリスのBBCのようにマスコミとしての責任感と誇りを取り戻す必要がある。そしてそれは、NHKだけではなく、他のマスコミにも言えることである。戦前の日本の歴史に学べば、誇りと責任感を失って権力の広告塔と成り下がったマスコミの罪は明白であり、戦後のマスコミはそれに対する反省から出発した。

敗戦から半世紀以上たった今、マスコミは責任感と誇りを失い、再び日本を「戦前」に戻したいのだろうか。

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2009年4月13日 (月)

クリック募金

昨日、谷山浩子さんの関連サイトをのぞいていたら、【クリック募金】というものがあることを知った。 http://www.dff.jp のアドレスにアクセスし、いくつかの募金から選択してクリックする。その1クリックで、スポンサーから1円が子どもたちの教育支援や緑化運動、ユニセフの活動などに支払われる……というものである。ただし、1人につき、1日に1クリックのみ。そういう決まりである。

1円といえばささやかな金額だが、それでも500日押し続ければ、発展途上国の子どもたちのワクチン代になったりする。どうせインターネットにアクセスをするのなら、わずか数分で済むこのクリックを続けるのも悪くない。さっそく、このページを「お気に入り」に追加した。

最初のページにアクセスした後、10社ほどのページに跳んで、いくつかの募金を選択してクリックする。そのページに出ているすべてをクリックするのは多少めんどうくさいという気がしないでもないが、それが募金のためで、そうしたささやかな善意が集まること自体、世の中、まだまだ捨てたものじゃない……という気にもなってくる。世界がこのような善意でつながるのはなんとすばらしい事だろう。

今日で2日目。多くの人々の善意を感じながら、可能な限り続けていきたいと思っている。

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2009年4月11日 (土)

花の街…鮫島有美子/日本の歌 より

ぽかぽかと温かな日が続いている。庭先にも道端にも、桜やタンポポ、水仙をはじめとする様々な花が風景を彩っている。温かな日ざしとそよ風の中で春の花々をぼんやりと眺めていると、「花の街」という歌が思い出される。作詞は江間章子、作曲は團伊玖磨。わがCDコレクションの中では、鮫島有美子の「日本のうた」というアルバムに入っている。

 

七色の谷を越えて 流れていく風のリボン 輪になって 輪になって かけて行ったよ 歌いながら かけて行ったよ

美しい海を見たよ あふれていた 花のまちよ 輪になって 輪になって 踊っていたよ 春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で 泣いていたよ まちの窓で 輪になって 輪になって 春の夕暮れ ひとりさびしく 泣いていたよ

 

中学校の時の音楽の時間に、この歌を歌ったような記憶がある。教科書にあった歌なのだが、その時の記憶では、1番の最後の歌詞が「春よ春よと かけて行ったよ」だったように思う。そして、3番の歌詞は書いてなかったので、ずっとこの歌は2番までしかないのだと思っていた。だが、その後、初めてこの歌をきちんと聴いたとき、驚いてしまった。歌はもっと長く、しかも、春の喜びだけを謳っているのではなかったのだ。だが、春は必ずしも喜びばかりではない。それを考えれば3番の歌詞もうなずける。そればかりか、この歌の世界の深さをも感じさせるのである。

このところ、ポップスやフォーク、ニューミュージックをよく聞いていたので、今日は久しぶりに鮫島有美子の歌に耳を傾けよう。

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2009年4月 8日 (水)

また確認 ! 税金泥棒の社会保険庁

社会保険庁から茶色の封筒が届いた。過去の共済組合加入記録の確認、ということだが、昨年すでに確認の封書を出した記録である。それをまた改めて確認する封書が届いたのだ。記録が消滅していたわけではないという点では悪い知らせではないのだが、同じ記録を何度も確認させられるとは思わなかった。まったく呆れた話である。

何度も書いたことだが、そもそも、1年以上もかけても本来の業務のミスに対する確認作業が終わらないのは異常である。そのような杜撰な年金記録の管理をしていて給与をもらえるなどということがおかしい。この結果を見れば、それまでの間の仕事が出来なかったのだから、民間企業なら懲戒免職だろう。やるべき仕事がきちんとできない以上、給与を払う必要はない。なぜなら、給与や退職金はもともと労働に対する対価なのであって、きちんと仕事が出来なかったことが発覚した以上、給与や退職金は返上させるべきだろう。

しかも、年金確認のためにアルバイトや臨時職員を雇っているようだし、確認の封書にかかる送料もタダではない。その経費は、誰が出しているのだろうか。少なくとも、社会保険庁が身銭を削って出しているという情報は得ていないので、これも税金ということになる。しかも、その確認の仕事に対しての給与もカットをされている話は聞かないので、仕事をきちんとしなかった後始末に対しても平気で給与を貰っているということなのだろう。

コンビニのアルバイトなどでも、ミスで損失を出したときには損害賠償を請求される場合がある。民間企業であれば、アルバイトでもそうなのだ。それよりも手厚い保護を受け、よりたくさんの収入を国民の税金から得ている社会保険庁の正規の職員は、コンビニのアルバイトよりも責任がないのだろうか。そんなことはない筈である。

とすれば、社会保険庁は、きちんと仕事をせずに給与を貰った点のみならず、そのミスによる損失をきちんと補填せずに、その処理費用にも税金を使っている。「やらず、ぼったくり」の典型ではないか。その事実をごまかしている政府・与党、そして何故かそれを追及・報道しないマスコミ……。我々は確認の知らせがくる度に、その事実をつきつけられている。

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2009年4月 6日 (月)

恐怖を煽る政治家/ミサイル騒ぎの裏に……

北朝鮮が、自称「人口衛星」を発射した。それは確かに問題ではあるが、今回の麻生政権やマスコミの取り上げ方は少し大げさだったのではないか……という思いがある。本当に「人工衛星」であれば、衛星軌道に乗せられなかった可能性が高い、という意味で失敗の可能性は高いが、ミサイル実験ということだったのならば、距離は伸ばしたかも知れないが、アメリカ本土、特に東海岸を狙うにはまだまだ技術が伴わない現実が透けて見えそうだ。

ただ、弾道ミサイルの距離という点では、確実に日本は射程に入っている。核弾頭はともかく、細菌兵器弾やガス弾などを搭載すれば日本で爆発した場合は大きな被害が出るだろう。とは言っても、現在の国際情勢では、あえて日本を攻撃するメリットは小さいしデメリットはあまりにも大きい。その意味では、自衛隊の迎撃システムにとっては良い訓練の機会になったかも知れない。ただ、2度の誤認があったという現実からすれば、日本の迎撃システムも信頼性には疑問が残る……という結果となったと言えるだろう。

その上で今回の「騒ぎ」は何だったのか……ということを考えると、恐怖を煽ることによって政権浮揚を画策したのではないか、という疑問が出てくる。仮想敵を設定し、恐怖を煽ることによって国民の判断力を鈍らせ、国内の政敵の意見や冷静な議論を封殺しようとするのは、統治能力のない政治家たちがその政治権力を維持するために使う常套手段だからである。

それを大々的に行い、実際にその時点では政権浮揚に成功した間近な例として、アメリカのブッシュ前大統領を挙げることが出来る。ドキュメンタリー映画の監督、マイケル・ムーアは「華氏911」で、ブッシュ前大統領の二期目の当選自体にも疑問があることを説いたが、9.11同時テロの後の「テロとの戦い」の中で、当時のブッシュ政権の支持率は跳ね上がった。だが、ブッシュ政権の政策は、戦火を世界各地にもたらし、経済的にも世界に大きな混乱を招いた。そのため、政権末期には支持を失って完全に死に体となり、多くの負の遺産をアメリカと世界に残して、ひっそりと政界から去った。

同じ匂いを、このミサイル騒ぎに際して麻生政権から感じるのは私だけだろうか?。発足から支持率は低迷を続け、西松建設事件での不公平な報道にも関わらず、支持率はあまり上昇しない。逆に、何故かNHKでは取り上げられないが、二階議員らの西松建設との関わりが複数のマスコミから追求され始めている。そんな中で、恐怖を煽って支持率を浮揚させようとするのは、政権にしがみつくためには魅力的なやり方である。

ただ、この方法は、副作用が大きい。アメリカの前ブッシュ政権の例を見れば分かるように、その効果がなくなり国民が冷静な判断が出来るようになった時点で、国や国民自体に大きな傷ができてしまったことが判明する。もともと、統治能力不足を補うための操作に過ぎない以上、その問題に直接関係がないところにも「間違った判断」が行われ、結果として様々な分野で大きな悪影響が残ってしまうのである。

実際、麻生政権の不支持率は少し減少し、支持率は少し上がったという調査も出ている。けれども、「定額給付金」の判断を見れば分かるように、麻生首相の統治能力にはまったく期待できない。日本の傷が最小限になるように祈るしかない。

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2009年4月 2日 (木)

セィフティー・ネット破壊のツケ

年度がかわり、いくつかの経済対策や値下げ情報が新聞やテレビをにぎわしている。内需拡大のためには良いことではあるが、福祉や教育、社会保障の財源を削ってセィフティー・ネットを破壊し、非正規労働者を増やすような政策を強行して一般の家計収入を減少させ続けた政策のツケは大きく、内需拡大の効果は、まだまだ限定的である。しかも、他の先進諸国と比較しても、対策の実行速度は遅く、迷走を繰り返している。

他国のことであれば、クールに分析をすれば済むことだか、我が愛する祖国のことであるいじょう、それだけでは済まされない。幸運にも、とりあえずの仕事と住む家はあるのだが、安定性はといえば今1つ…というのが正直な実感である。

なぜか、野党の党首がらみのものだけを大々的に取り上げてより人数の多い与党には操作や取材がなかなか伸びない不公正な「西松建設」事件によって一息をついて感のある麻生政権だが、政策としてこの方向に誘導した自公政権であると同時に、国民の審判を受けずに暴走し、迅速な対応もできないままここまできた現実を私は忘れることができない。

民主党の小沢党首が辞任すべき…という声は少なくないが、内閣不支持率はそれよりもはるかに高い。小沢党首の辞任を言う以前に、国民の審判も受けないまま政権のたらいまわしを行って、迅速で抜本的な対策を打てない麻生政権の罪は重い。

大企業も、自公政権も、国民/一般家庭に甘えて、社会保障を削ったり給与所得を少なくしたりして勝手放題を続けてきたが、もはや、その甘えは許されない状況である。大企業や高額所得者は、社会に対してそれなりに責任を取る必要がある。それは、例えば雇用の確保であったり、家計収入の増加を図ることで内需の拡大を目指したりすることだろう。そして政府も、一刻も早く、根本的で大胆な発想の転換によってセィフティー・ネットの再構築を進めることが急務である。が、それは現政権では無理。解散・総選挙がもっとも有効な経済対策かもしれない。

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2009年4月 1日 (水)

ジャングルジム…小さな夢をからませた銀の思い出

五輪真弓の古い歌の1つに「ジャングルジム」がある。NHKの銀河テレビ小説「僕たちの失敗」の主題歌だった「落日のテーマ」と共に五輪真弓の歌の中でも特に好きな歌である。夕暮れの公園/運動場にポツンと残るジャングルジム。昼間は子どもたちの声に満ちた遊具も、子どもたちがいなくなると何かしら寂しく物悲しい。そう言えば、小さい頃はよくジャングルジムに登ったり、中を歩いたりしたものだった。最後にジャングルジムで遊んだのはいつだろう……。この歌を聴いていると、そんな想いが心に浮かんでは消えていく。

 

ジャングルジム 夕闇の背に 昔のおもかげ うかべて ジャングルジム まるで母のように 幼な心 呼びさます あなたからみれば 私はもう見知らぬ通りすがり 今はつかれ たちつくす ぼろきれのような私に 悲しげなまなざしさえ むけてくれない あー ジャングルジム 今はあこがれ あー ジャングルジム 遠い恋人のように

あなたから見れば 私はもう見知らぬ通りすがり 小さな夢をからませた 銀のおもいで ジャングルジム ジャングルジム まるで母のように 幼な心 呼びさます あー ジャングルジム 今はあこがれ あー ジャングルジム 遠い恋人のように

 

今となっては、ジャングルジムで遊ぶことはない。小さい頃はやすやすとくぐれた鉄棒の間も狭く、中に入ってしまったら抜けられなくなりそうだ。けれども、何も考えずに鉄棒の間をちょこまかと動き回り、上ったり下りたりを繰り返した時代は確かにあった。そんなことを思い出すと、心の中にやさしさが広がっていく。忙しい日々が続いても、こんな気持ちを忘れずにいたいものである。

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