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2009年4月17日 (金)

「虎の威を借る狐」の心もよう

「虎の威を借る狐」ということわざがある。もともとは「戦国策」あたりの古典にあった話だが、虎に襲われた狐が、「自分は神様に動物たちの王となるように命じられた。だから、森の動物たちは自分を畏れ多いと避けて歩く。嘘かどうか、後についてきて確かめてみろ」と言って難を逃れる。もちろん、他の動物たちは、虎の姿を見て恐れた訳だが、虎は本当に狐が偉いのだと誤解したのである。転じて、現在は、実力もないのに他の力や権威のある人の威光を利用して威張ったりする場合のたとえに使われている。

だが、元の話からすれば、狐は明らかに自分自身の非力を自覚している。その上で、生きのびるために、知力を総動員して虎の魔手から逃れたのである。己の非力を自覚した上で、とりあえず他者の力を借りなければならないような状況は、現実社会においてもそれなりにある。ただ、その際に、自覚かあるかどうかはけっこう重要になる。己の非力を自覚していれば、急場をしのいだ後は、後々のために力を蓄えるなどの手を打つこともあるだろうし、何よりも自分の力を錯覚して思い上がったり、弱者を不必要に攻撃するようなこともないだろう。

ところが、自分の非力に対する自覚がないと、自分を過信して能力以上のことをしようとしたりするし、無意識で非力を感じている反動や虚勢のためか、必要もないのに他者を攻撃したりもする。そのような場合、周囲に多大の迷惑をかけたり、周囲から多くの恨みをかったりしているため、「虎の威」がなくなると周囲から叩かれたり攻撃されたりしやすい。その結果として、より多くの人々が傷を負うことにつながったりする。

今の日本を見ていると、自覚なく「虎の威を借る」連中がけっこう目立つように感じられる。世襲議員なども、見ていると明らかに実力不足が見えたりして、自覚のない「虎の威を借る」組が多いように思えて仕方がない。その後の本人の不幸は、因果応報かもしれないが、巻き込まれる周りの人間はたまらない。自覚なく「虎の威を借る」ようなことをしないように気をつけたいと思う。

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コメント

TACさん
 まったくもって御尤もなことです。
親の七光と言うか、環境が作られているだけでも他の人に比べ有利な条件での立身。
 政治に限らず、スポーツ、芸能界にも多く見られますね。DNA的に確かに資質はあるのでしょうが、人間的に見た場合どうなんでしょうね?芸能界では麻薬に手を出す人が多いのは何故でしょう? 

投稿: 花形 みつる | 2009年4月17日 (金) 20時54分

2世タレントなどは、まだ世襲議員よりは害は少ないでしょうけど……。問題は、自我の確立や成熟なのだと思います。

自我がしっかりしていれば、自分を真摯に見つめなおしもするのでしょうし、実力不足を感じて努力もするでしょう。それが弱いと流されやすく、他人に責任転嫁をしやすく、実力以上に自分を誇示しようとしやすいのでしょう。

ただ、自我は、仏教のいう「執着」につながる部分もあるので、とらわれすぎないように注意も必要でしょうね。

投稿: TAC | 2009年4月18日 (土) 09時52分

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