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2009年5月18日 (月)

欲望との折り合い

資本主義経済は人間の欲望を肯定しエネルギーにしてここまできた、という見方をしてきたが、特に昨今のグローバル経済の状況は、欲望の暴走がコントロールを失った結果であろう。その結果、世界中の多くの人々が貧困に苦しみ、環境を破壊し続けている。だが、キリスト教をはじめイスラム教、仏教など多くの宗教が欲望の暴走を危惧し、そのコントロールを力説し、他者への博愛や友愛を説いている。資本主義経済も、もともとのルーツを辿ればピューリタンなどのキリスト教文化圏から誕生している。それが、多くの人々を貧困に陥らせ生命の危機すらも感じさせる状況に追い込んでいる。

もちろん、この現実は、様々な偶然や政策、対応のミスが重なって生じたものには違いないのだが、一方でわれわれ自身も欲望のコントロールを怠り、周りに流されてきた部分があった点も見逃せない。周りに流され雰囲気に身を任せ、「これくらいなら…」という積み重ねが「今」をつくってしまったのである。

ただ、現実の社会の中で生きていくにあたって、欲望を完全に消し去ることは不可能だし、また欲望がなさ過ぎると現実社会で生活していく上で様々な不都合も生じてくるだろう。その意味では、現実を生きていくためには欲望を排除することは不可能である。けれども、自分自身の欲望をある程度見つめ直すことが必要になってくるのではないだろうか。特に、コマーシャルや周囲の空気に煽られ、自分の欲望が暴走していないかという点を気にかける必要があるように思う。

もちろん、お金があるにこしたことはないし、美味しいものを食べたり、贅沢をしたりもしたい…という気持ちは誰もが持つだろう。けれども、それを貫くことが、誰かもっと弱い立場の辛さや苦しみにつながっていることはないだろうか。そういうことも少しは考えてみたい。そして、可能であれば、「自分のため」がもっと弱い立場の誰かのためにもつながるような行動にも手を伸ばしたいと思う。

少し考えただけでは、「シンドイ」と感じるかもしれない。けれども「自分のため」だけで動くとだんだん心に余裕を失っていくし、他者との関係も薄れたり切れていったりするので、精神的にギスギスしていっそう余裕がなくなってしまう。他者のことも考えるそのことによって、逆に心に余裕も生まれてくるのである。それに他者のために動くことで他者との関係が生まれたり深まったりもする。それが精神的な余裕につながったり、困ったときのサポートにつながったりもするのである。

結局それは、自分自身の欲望との折り合いをつけるということである。人間である以上、欲望を完全になくすことは無理だろうが、ある程度は欲望との折り合いをつけることで心のゆとりを取り戻したいものだ。

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