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2009年7月28日 (火)

どちらが野党?

来月末の衆議院選挙に向けて、野党の民主党がマニフェストを発表した。それに対する閣僚のコメントがニュースで報道されていたが、批判のための批判にしか聞こえない、あきれ果ててしまうものばかりだった。責任ある政権与党であれば、批判よりもより建設的で魅力ある政策を提言するのが本来の姿であろう。それはせずに、批判だけを口にしてとにかく足を引っ張ろうとする。またまた政権担当能力の無さを曝け出したというところだろう。

確かに、民主党のマニフェストは様々な点で分かりにくいところや心配なところがある。だが、少なくとも苦しくなるばかりの一般国民の生活に目を向けず、多くの問題点の指摘に耳を塞いで、ビジョンもないままアメリカ盲従の売国政策を続けてきた自公政権の「成果」よりも多少はマシである。

ある意味では、共産党が政権を取るのでもない限り、それ程急激な変化は考えられない。与党の能力を失った自民党が批判する「防衛問題の現実路線」などでも、国際関係を考えれば別におかしな対応とは言えない。少なくとも、国民生活ではなくアメリカの都合を優先してまともな外交を展開できていない現政権よりはアメリカとの距離をとって国民1人ひとりの生活に目を向けようとする姿勢は感じられる。それが、口先だけで実行できなければ、次の選挙で政権から引き摺り下ろせば済むだけの話である。

与党の反応は醜態以外の何者でもないが、NHKをはじめとするTV報道も沈みかけた泥舟である与党よりのバイアスが感じられる。本来の不偏不党の原則に立ち返らないとマスコミ各社も与党に続いて醜態をさらすことになりかねないと思うのだが。

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2009年7月27日 (月)

100回を越えたクリック募金

4月にクリック募金の存在を知ってから、毎日アクセスするようになった。そして、1日1回1クリック。1日や2日ならそうでもないが、毎日続けようとすると、ささやかなことではあっても、時には「めんどうくさい」と感じることがある。しかも、1回の金額は1円ということで、1ヶ月続けても、日本では缶ジュースも買えない金額である。

それでも、こうして続けていくことで、いくらかまとまった金額になった。日本でこそ缶ジュースを買うにも心もとない金額だが、国境なき医師団にワクチン2本分を送れる金額でもある。そして、その善意が、毎日ネット上で積み重なっていく。自分にとって何の得にもならないことだが、心が温かくなる。

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2009年7月14日 (火)

黄金の花…夏川りみ【南風】より

夏川りみの【南風】というミニ・アルバムに「黄金(こがね)の花」という歌が入っている。作詞/岡本おさみ、作曲/知名定男、夏川りみのオリジナル・ソングという訳ではなく、カラオケでは沖縄SONGのカテゴリーに入ってはいても、別の歌手の歌になっていたりする。ただ、私自身はこの夏川りみのミニ・アルバムで覚えたので、その印象が強い…ということになる。

 

黄金の花が咲くという 噂で夢を描いたの 家族を故郷、故郷に 置いて泣き泣き、出てきたの 素朴で純情な人達よ きれいな目をした人たちよ 黄金でその目を汚さないで 黄金の花はいつか散る

あなたの生まれたその国に どんな花が咲きますか 神が与えた宝物 それはお金じゃないはずよ 素朴で純情な人達よ 本当の花を咲かせてね 黄金で心を捨てないで 黄金の花はいつか散る

黄金で心を捨てないで 本当の花を咲かせてね

 

とてもストレートな歌詞だが、テクノやシンセサイザーなどの都会風のサウンドではなく、素朴な民族楽器を使った沖縄風のアレンジで歌われると、その言葉は、嫌味な感じには聞こえずに、すっと心に染みこんでくる。

確かに、お金はないよりもあった方が良いが、お金と引き換えに、大切なものを失ってしまっては本末転倒である。富が、それなりに幸福につながることはあるが、経済的に豊かになることが必ず幸福を保証する訳ではない。経済的な豊かさを求めるあまり、時間や心の余裕を失い、大切な関係が壊れたり、心や身体を病んで不幸になってしまう場合が少なくないからだ。この歌を聞いていると、そんな当たり前のことを思い出すことができる。 

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2009年7月13日 (月)

現実に向き合うこと

教育相談などの場で、相手がきちんと自分の現実に向き合っていないなぁ、と感じることが少なからずある。大変な現実、受け入れがたいと感じられる現実を前にして、それから逃げてしまうパターンである。

子どもであれば、正の数・負の数の計算ができないことに向き合わずに自分をごまかして、「数学の先生の教え方が下手だ」とか「数学なんか何の役に立つんや(現実社会では役に立たない)」等といって強がったり、ごまかしたり、責任転嫁をしたりして、努力をせずにそのまま放置する…といったような例である。

この場合、自分が正の数・負の数の計算ができない…という現実に向き合えば、計算の仕方を教えてもらい、練習を重ねて、きちんとできるようにする、という目標を立ててそれを実行すれば、たいてい出来るようになるし、それを土台にして、文字の式の計算や方程式の計算に進んでいける。けれども、自分をごまかし、現実から逃げている限り問題は解決せず、いつまでたっても計算は出来ないままである。

ただ、子どもの場合はまだ、可愛げもあるし、その後の大人のサポートと本人の自覚によって変わっていける可能性は高い。けれども、大人の場合は本人にとっても、周りにとっても不幸な結果になる。

例えば、麻生首相や自民党なども、現実に向き合うことをおろそかにし、それをごまかし続けた結果、状況は悪化の一途を辿っている。麻生首相には、現実を見つめ、その現実に向かい合う機会は何度もあった。党利党略/将来の自民党のことを考えるならば、昨年秋、補正予算を成立させた直後に衆議院を解散すべきだったのだ。その結果、その時点の選挙で敗北したとしても、傷を最小限に抑えられただろう。

ところが、敗北の予想にビビッてそれをどんどん先延ばしをした結果、事態はどんどん悪化していった。現在、自民党内では不人気の麻生首相の退陣を求めて、新しい首相の下で選挙に臨もうとする動きもあるが、それに対する国民の評価自体も非常に厳しい。これも、現実に向き合うことから逃げた結果といえる。

現実に向き合うことは、時として非常に苦しい。けれども、そこから逃げなければ、先に進むことが出来るのである。

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2009年7月10日 (金)

普通郵便より遅い速達

月曜の朝、9時過ぎ、市内のかつては集配局だった郵便局から、県内宛に簡易書留速達の郵便物を出した。車で移動すれば約2時間の距離で、通常郵便で出せば大抵翌日には届いているところである。昨日の木曜日に、その送り先を訪問したのだが、まだ届いていないという。呆れた話である。

何のための速達なのか、ということで、今日の夕方、投函した郵便局に電話をした。配達記録から、今日の夕方届いたことが分かったのだが、月曜日の5時頃のあて先の市内の集配局に届き、その夜2回訪問したが2回とも不在だったので、木曜日まで預かっていたのだ、という。宛先には、事業所名も入れてある。一般の家庭なら、夜居る確率は高いだろうが、事業所を午後5時以降に何度訪れても留守だろう、と考えるのは常識だろう。速達である以上、夜訪問して不在だったとしても、事業所である以上、翌日の日中に訪れるのが当然の配慮であり、サービスでもあると思うのだが。

こんなことは、民営化以前の、集配局が市内に5箇所はあった頃の郵便事情では考えられない。地方の郵便局/郵便屋さんはとても親切で、番地や宛名が間違っていてもちゃんと届いたし、番地がなくても父親や母親の名前で子どもの葉書が届いていた。なかなか郵便局までいけない老人が、配達に来た人に貯金を預けたりするようなこともあったと聞く。「サービス向上」を謳い文句に進められてきた「民営化」以後、すべて失われてしまった「サービス」である。

小泉改革の「目玉」であった郵政改革。だが、かんぽの宿の売却に関わっての疑惑は解明されたとは言えず、法律に基づいて強行にそれにNoをつきつけた前総務大臣は、逆に辞職に追い込まれ、疑惑を晴らさないままの社長は居座っている。加えて、このサービスの低下の例を見ても、郵政「改革」がペテンであったことは良く分かる。

郵政改革ばかりではない。医療制度改革によって、多くの公立病院も危機に瀕している。市内の県立病院も、医師不足のために、改革以前にはほぼ受け入れていた救急医療が困難になり、隣の市に救急車が走る例が激増している。国立大学の独立行政法人化も、一部の有名大学を除いて収支が悪化し、半世紀前の古い設備を使って授業をしなくならないような悲惨な現実がある。

確かに、【改革】は必要だっただろう。けれども、小泉「改革」以降の一連の流れは、弱い立場の人々に過度な負担を押し付け、社会の土台を支える部分を破壊し、荒廃させた。疲弊する地方、崩壊する労働環境、悪化する家計……。こうした結果を見れば小泉「改革」の失敗は明らかである。

間違いを改むるに憚る事無かれ、という諺がある。小泉以降の自公政権が推し進めた改革は、国会論議の中で問題点が浮き彫りになっていたものも少なからずあった。けれども、歴代政権は強行採決や再議決によって矛盾に目をつぶり、問題点を改めずに人々の生活を荒廃させてしまった。改めるべき間違いを改められなかったのである。それは、政権担当能力の無さを示している。居座りは、国民生活に対するテロに等しい。

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2009年7月 1日 (水)

No More 《未来》の浪費

麻生首相と自公政権の迷走と混乱にはもはやコメントする値打ちすらないが、小泉〔改革〕以降の《未来》に対する浪費のツケはもはや隠蔽すら不可能な事態に陥ってしまっている。確かに、行政改革と財政改革は必要であり、改革は行わなければならなかった。けれども、あまりにも教育と福祉の予算を安易に削りすぎた。これは、自民党/自公政権と官僚による日本の《未来》に対する浪費であり、国会議員や上級官僚の退職金や給与、軍事費など、削るべき予算の順位を間違えている。

なぜ、教育と福祉予算の削減が《未来》に対する浪費なのか。小泉元首相が口にした「米百俵」の故事は、それを教育の振興に回すことで現在の結果としての未来を大切にしようとしたのである。けれども、教育予算の削減は、現在の利害のために未来の可能性を犠牲にし続けている。例えば、益川さんや小林さん、小柴さんなどのノーベル賞を受賞した研究は、直接産業に寄与するものではなく、理論研究・基礎研究の分野だが、大学の独立行政法人化によって産業と直接結びつく研究以外は軽視され、半世紀も前の設備をいまだに使わざるを得ない国立大学まで出てきている現実がある。つまり、未来のノーベル賞の芽を教育予算の削減が摘んでしまっているのである。

福祉予算の削減も、セーフティー・ネットの破壊につながり、未来を考えれば安心してお金を使えない状況に国民を追い込んで、内需拡大の足を引っ張っている。同じように雇用の流動性を志向しても、その闇の部分にも目を向けて、様々な形でセーフティー・ネットを整備したドイツやオランダと比較すれば、日本は短期的な利潤の追求に走る財界の要求にのみ耳を傾け、消費者でもある労働者にのみ負担を押し付けた結果、格差の拡大とネット難民、派遣村などを生み出してしまった。労働者の賃金を抑えれば、家計の収入も減少して所得税の税収が伸び悩み、家計が逼迫して逆に生活保護などの社会保障支出の増大をもたらすと共に、内需の足を引っ張ってしまう。それが、現在の経済情勢である。

結局、教育と福祉の財政支出の安易な抑制は、《未来》の浪費につながっていくのである。確かに、未来のための制度改革は必要である。けれども、それは安易な支出の抑制にしてはいけないのである。

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