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2009年8月20日 (木)

政権評価とマニフェスト

名古屋にある新聞社の記者から取材を受けた。選挙を間近に控えて、市井の教育関係者に対しての取材…ということだったのだが、マニフェスト以前に現政権の評価が必要である、という立場からまず話を始めた。

こと、教育に関して言えば、自公政権の今までやったことは、評価に値しないと考えている。OECD諸国の教育予算の割合を比較しても、日本は先進国レベルに達しないどころか、下位を低迷している。教育が充実していて問題も少ないがゆえに教育予算を削減した、というのであればまだ話は分かるが、学力、子どもの貧困、高校中退の増加、不登校、就労など、教育の場は問題が山積している。にも関わらず現政権は教育予算を削り続けてきたのである。もちろん、お金だけの問題ではないが、例えば、先進国並みに20人(30人ではない)学級を実現するための予算を組むだけでも状況はかなり改善される。事実、犬山市は、独自に30人学級を完全実施することによって、それなりに成果を挙げていた。お金が総てではないけれども、予算の問題はそれなりに重いのである。

少子化の問題も、実はこの教育行政の貧困の影響は少なくないと考えられる。子どもを産んでも、十分な教育を受けられなければ将来的に不利になるだろう、という判断が働けば、子どもの将来の幸せを考えれば、十分に子どもに教育を受けさせることの出来る範囲の子どもしか育てられない…という判断をする人は少なくないだろう。そうした意識は、当然、子どもを産むことへの抑制につながっていく。実際、今の日本では、大学進学まで考えると相当なお金がかかり、家庭が豊かでなければ進学を断念せざるを得ない場合も多いのである。

格差社会は子どもの貧困を産み、ちょっとしたアクシデントで家計の収入のバランスが崩れて、払う意思はあっても給食費を払えなくなるような家庭も増えている。国家としての将来を考えるのであれば、子どもが貧困ゆえに十分な教育を受けられず、才能を開花させられないまま崩れていく、という場合が増えるようでは大いなる損失である。

その意味で、1人ひとりの子どもに焦点を当てて、少なくとも高校卒業まではきちんと支援していこう、という発想は正しい。その意味において、民主党のマニフェストは多少なりとも評価できるが、乳幼児の段階までで支援を打ち切ってしまうという自民党のそれは、現在までの失政の反省がまったくなく、評価できないと言えよう。

財源の裏づけ…などという反論が自民党辺りから聞こえてきそうだが、確かに民主党の財源も分かりにくさが伴うが、少なくとも、増税と赤字国債を「財源の裏づけ」とは認められないし、自民党の言う「財源」は、これまでのところ、「赤字国債」に多くを頼ってきている事実からすれば、民主党を攻撃できるほど確かなものであるとは判断できない。国民の1人としては、「どの口でそれを言うのか」というところである。

また、教育の荒廃は、子どもを支える家庭や地域の荒廃とも関わっているが、その元凶は、安易な金融資本主義化によって賃金や労働環境を悪化させ、家計から経済的ゆとりを奪うと同時に、家族から子どもと関わる時間を奪い、地域の人々と関わることのできる共通のゆとりのある時間を奪っていった経済政策にある。人々はつながりを失い、経済的・時間的なゆとりを失ってしまったのである。

関係がバラバラになっている状況で、「集団」に支援を入れても、個々人にまでは行き渡らない。実感の伴わなかった「景気回復」はそのためなのだが、自民党はその失敗を省みることなく、相変わらず「集団」を支援しようとしている。支援は、現状を考えれば「個別」に行う方が正しいと言えるだろう。

取材の中では、就労の問題や学習指導の問題、現在の特別支援教育の問題などについても具体的な事例をあげながら話をしたが、結論としては、失政を省みることなく相も変わらず同じレールを強いて間違いを正そうという姿勢をまったく見せない現政権にだけは絶対に政権を渡してはならない、ということで話を締めくくった。月末には、投票である。

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2009年8月15日 (土)

今年も「ビルマの竪琴」

毎年、終戦記念日の頃になると、「ビルマの竪琴」が見たくなる。昨年はビデオデッキが壊れていて見ることができなかったが、今年は、古いVHFのテープを取り出して夕方から見出した。何度も見ている映画だが、何度見ても胸を打たれる。若き頃の中井貴一が多感で純真な水島上等兵を好演し、石坂浩二が隊長の役を演じて全体の雰囲気を支えている。

第一のエピソードは、歌による和解である。水島たちがタイへの脱出の途中、ビルマ(現ミャンマー)国境近くの村でイギリス軍に囲まれる。それに気付いた部隊は、広場に置きっぱなしだった弾薬を積んだ荷車の回収と、戦闘準備の時間を稼ぐために歌を歌い、騒ぐ。包囲に気付いてないとイギリス軍に思わせ、油断させるための作戦だった。ところが、たまたま歌った「埴生の宿」が状況を一変させる。その歌に、イギリス軍も声を合わせて歌いだし、結局それが停戦を知り、武装解除して生きながらえることになるのである。

映画ではこの辺りはさらりと流れていくだけだが、原作では、「埴生の宿」はもともとはスコットランド民謡で、その歌詞も遠い地から故郷を思うものであったことが書かれている。だから、両方の部隊がメロディーを知っていて、英語と日本で歌いだす…という場面の説得力が生まれる。もちろん、現実の近代戦争ではこのような牧歌的なことは起こり得ないだろうが、それゆえに一層胸に染みる。

次のエピソードは三角山で抵抗を続ける日本軍の部隊に水島が説得に向かうところから始まる。水島は必死に説得するが、指揮官はそれを受け入れず総攻撃が始まってしまう。戦闘に巻き込まれた水島はビルマの僧に助けられる。水島は、ビルマ僧の服を盗んで、ムドンに移動した隊に合流しようとするが、途中で、山や川に放置されているたくさんの日本兵の遺体を目にして、彼らの埋葬と鎮魂のためにビルマに残る決意をする。

それを知らない部隊の戦友たちは、水島がビルマ僧に化けて近くにいると察し、水島に一緒に日本に帰ろうと呼びかけるために歌を歌い続ける。その行動に、水島の心も揺れるが、部隊が日本に帰る直前に戦友たちの前に姿を見せ、別れの曲として「仰げば尊し」を演奏して姿を消す。翌日、水島から彼の思いと決意を述べた手紙が隊長宛に届く。帰国の船上で、隊長は水島の手紙をみんなに読んで聞かせる。

後半は、犠牲者への鎮魂である。近代以降の戦争は敵・味方に関係なく、多くの犠牲者を出している。それは、戦闘員(軍人)・非戦闘員(一般市民)を問わずに…である。そして、多くの犠牲者がそのまま放置されることもまれではない。そうした人々への鎮魂の思いをこの映画はいつも思い出させてくれる。太平洋戦争は終わったが、世界全体を見渡せば、まだまだ戦火や紛争は続いている。終戦記念日の今日、鎮魂の思いを新たにすると共に、不戦への努力を続けていきたいものである。

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2009年8月12日 (水)

依存の背景

押尾学や酒井法子夫婦の事件で、芸能界の薬物依存がクローズ・アップされているが、依存の背景をきちんと分析し、それを生じさせる構造にメスを入れることなく騒ぎ立てるだけでは問題は解決しない。罪を犯した人間を徹底的に排斥するだけでは同じような事件が繰り返されるだけである。

酒井法子らの事件は違法な薬物の所持・使用/あるいは依存が問題となるが、依存は他にもアルコールやセックスなど様々な場合がある。いずれにしも、自我の未熟さや弱さが様々な依存に結びついてしまう例が多い。心の中に広がる虚無感や絶望感をごまかすため、あるいは過大なストレスを処理しきれずにそれに走ってしまう場合、他にも断れずに周りに流されてしまう場合などが考えられる。

では、昔は今日ほど目にしなかったのはどうしてか。日本の社会は「出る杭は打たれる」というような自我の確立を否定するような諺が示すとおり、自我の確立をそれ程重視しなかったが、その分、1人ひとりを支える集団が様々な関係を通して弱い自我を支えていた。けれども、資本主義の進展の中で、集団や社会が解体され、弱い自我を支える関係が弱体化してしまった。

こうした背景に目を向けず、個人に責任を押し付けるだけでは問題は解決しない。「悪」を異化して排除し続けても、社会がそれを再生産する構造になっているのである。マスコミもセンセーショナルに騒ぎ立てるだけでなく、こうした構造の分析やそれを変えていくための手立てを提言するような報道姿勢が必要だろう。

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2009年8月 9日 (日)

酒井法子は重要人物?

酒井法子が薬物法違反で逮捕された。芸能界や大学生の薬物汚染のニュースはこのところ多いし、事実認定が行われ、裁判の後刑が確定すれば、それはそれで憂うべきことではあるが、酒井法子は政治家でも財界の要人でもない。彼女が逮捕されたからといって、国民生活への影響は考えられない。ところが、NHKをはじめとするマスコミの取り上げ方は異常であった。SMAPの草なぎの泥酔全裸事件といい、芸能人の醜聞よりも、もっと重要なことがある。

例えば、同じく薬物違反で問題になった議員がいたが、そのニュースは酒井法子よりもずっと小さかった。同じタレントでも、疑惑の選挙で千葉県知事になり、市民から選挙違反で告発されている森田健作の方が社会的には問題である。けれども、その報道は信じられないほど小さい。芸能界の薬物問題よりも、もっともっと緊急性があり大切なことは山ほどある。

確かに、芸能界の薬物汚染は問題である。ただ、精神的に見れば、常に他者の視線にさらされ「良い人」を演じ続けなければならないストレスは大きい。だから、自我が未成熟な場合は、その精神的な弱さゆえに薬物に手を出してしまう可能性はあり得る。今回の酒井法子の失踪についても、精神的な弱さやもろさ…という可能性を考慮すれば、解離性の逃走である場合もあり得る。幸い、大事には至らなかったが、警察やマスコミの対応を外から見ている限りにおいては、自殺という可能性もあったのではないか。

一方、酒井法子事件の大騒ぎによって、人々の目から逸らされてしまった事件や問題があったのではないだろうか。芸能人は聖人君子ではない以上、間違いも犯すだろう。それは良くないことかもしれないが、大騒ぎして徹底的に糾弾する必要はないのではないか。政治家や大企業、官僚などの言動にこそ、もっともっと注視が必要だろう。

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2009年8月 4日 (火)

裁判員裁判は始まったが…

先日から裁判員裁判が開始され、夕方のニュースでも、毎日、それが取り上げられている。市民感覚を裁判に生かすとの理由がしきりに喧伝されているが、少なくとも報道を見た限りでは、単なるパフォーマンスに過ぎず、やはり廃止か全面的な制度改定を早急にする必要がある、との印象である。

まず、最初に選ばれた裁判員のうち4名が女性だったが、これは意見や質問が出にくいのではないか、と思われる男女比である。たった1人の男性という立場では、公的な場で意見を言いなれているならともかく、心情的にはプレッシャーは大きいだろうし、女性が多いということも公的な発言の経験はたいていの場合少ないだろうから、やはり意見や質問も出にくいだろう。男女同数にするかどちらが多くてもかまわないから、せめて4人と2人にした方が意見や質問は出やすいだろうし、バランスとしても良いのではないかと思った。

それから、実際に始まってから知ったことだが、控訴審では裁判員裁判は行われないという。とすれば、市民感覚による裁判も、控訴審以降で「専門家」による判断によってひっくり返されてしまう機会が2度もある…ということである。けっきょく、裁判に市民感覚を導入する…というのは口先だけのことだし、イギリスなどでは完全実施されている取調べの完全録画も行われていない事実などからも、批判をかわす為のパフォーマンスに過ぎないということなのだろう。

これも、小泉政権以降の「改革」の中で行われた「実績」の1つである。閣僚の中には、前回のマニフェストに対する評価について「厳しすぎる」との声もあったようだが、裁判員裁判1つを例にとって見ても、平均すると40点台後半という評価は、どうみても甘過ぎる。この評価に「厳しい」との声が出るようでは、現実認識能力がない、と言われても当然だし、それ自体が政権担当能力の欠如の現れである。

だが、政権が変わったとしても、自公政権によって行われた「改悪」はあまりにも多岐にわたっている。裁判員制度をはじめ、多くの見直しが必要だろう。

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2009年8月 3日 (月)

久しぶりのteacher's

先日、友人からウィスキーをもらった。たまたま時間が空いていた時に、駅まで乗せてあげたお礼のつもりらしいのだが、それ程高いものでもないので、ありがたくいただく事にした。とは言っても、このティーチャーズは、決してまずいウィスキーではない。というより、シングル・モルト党であるにも関わらず、時々自分でも買ってくるブレンデッド・ウィスキーの1つなのである。酒に強くない友人だが、何かの拍子に話した時にあげた銘柄を覚えていてくれたのだろう。そんな訳で、さっそく封を切った。

明日も朝から用があるので、今夜のところはロックで1杯…という程度にとどめておこうと考えている。もっとも、美味しいスコッチを前にすると、鋼とまでは行かないまでもそれなりにあるつもりの根性が、豆腐のごとく軟弱になってしまうことが少なからずあるので、強い意思をどこまで維持できるか、はなはだ心もとないが。

さて、そのteacher'sだが、ハイランド・モルトをブレンドしたものであることが、その味からも良く分かる。好みのモルトと言えばキャンベルタウンのスプリングバンクやグレンスコシア、スペイサイドのグレンフィディックなどだが、ハイランドのグレンモーレンジやアンノックなども見事な美酒である。したがって、ベースのハイランド・モルトの味を上手く生かしているテーチャーズは、バランタインやジョニーウォーカー、オールドパー、シーバスリーガル、カティーサークなどと比較すると日本での知名度は低いかもしれないが、とても美味しいブレンデッド・ウィスキーなのである。

今日は、あまり夜更かしせずに…とは思っているが、日が変わるまでの残りわずかな時間を、久しぶりのオン・ザ・ロックで楽しもうと思っている。

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