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2009年9月10日 (木)

「銀河鉄道999」雑考…メーテルと機械化人

昨日は2009年9月9日、ということで999となり、銀河鉄道999に関わるイベントが行われたところもあったらしい。そんな話を聞いたために、「銀河鉄道999」のことを思い出した。昭和のTVシリーズにしろ、2つの映画にしろ、999では、機械化人が生身の人間の敵として登場する。機械化人とは、永遠の命を持つ存在として描かれ、限りある命を生きる人間と対比される。星野鉄郎の旅は、原作マンガおよびそのストリーに沿って忠実に創られたTVシリーズにしても、最初の映画版にしても、永遠の命を求めてメーテルと共に地球から旅立つという形でスタートする。けれども、その旅を通して、鉄郎は限りある命の輝きとその大切さを実感し、生身の身体にこだわって機械化人と戦う人生を選択する。

ところが、機械化人の「永遠の命」という設定を考え直してみると、「変わらない現実」を無理やりに維持しようと尽力しているようにも読めなくもない。そして、機械化人たちは生身の人間たちを権力で押さえつけていた。その意味では、変化を受け入れようとせずに自分たちだけが利益を得るシステムに固執しようとしている守旧派とも取れる。言わば、変わり続ける現実の流れを無理に押し止めようとしている老いた権力者たちである。

それに対して生身の人間というのは、常に変化の中に身を置く存在であり、その中で自分自身をも好むと好まざるとに関わらず変えていく若者たちのように読み取れる。子ども、あるいは青年前期としての鉄郎が、限りある命にこだわるのは、その意味において当然であろう。

では、メーテルはどうだろうか。原作マンガやTV版「メーテルの旅」において、変わらぬ姿で時間の流れを旅し続ける姿が描かれているメーテルもまた、永遠の命を持つ存在である。ただ、鉄郎たちの戦う機械化人たちと違い、メーテルは自らの権力を維持するために変わろうとしないのではなく、自らの運命を背負うために変わることが出来ないのである。そしてメーテルは変われない辛さを受け止めながら永遠の時を生き続ける。メーテルの美しさは、その哀しさゆえなのかも知れない。

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