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2009年9月26日 (土)

美辞麗句…岡村孝子《私の中の微風》より

今日は、片道1時間ほどかけて隣の市まで出かけていたので、途中の車の中で岡村孝子の歌をかけていた。岡村孝子の歌は割とよく聞く方だが、ソロになってからのアルバム《夢の樹》や《リベルテ》、《オー・ド・シェル~天の水》は特に好きな歌が多く入っている。今回取り上げる「美辞麗句」は2ndアルバムの《私の中の微風》に入っている歌である。このアルバムには来生えつこ・たかお姉弟が詞と曲を書きシングルカットもされた「はぐれそうな天使」も入っているが、個人的にはこの「美辞麗句」や「Baby, Baby」、「ひとりごと」などの歌の方が好きである。それらの詞と曲には、20代の頃の若き岡村孝子の瑞々しい感性が感じられる。

 

幸せについてコメントすれば あたりさわりのない美辞麗句 何かがこわい誰かがこわい 自分をせめるすべてのもの

こんなに私は弱虫だっけ 思わず苦笑い 退屈なだけの夜を飛び越え ここを見つけたのに 本当の自分をどこかに忘れ 今日もさまよう

 

周囲の視線がどうしても気になってしまう。歳を重ねることでその怖さや不安は若い頃ほどには感じなくなったが、20代の頃には周囲を過剰に意識し、不安や恐れを感じていた。そして、「本当の自分」を探して悩み、迷い、苦しんだものである。けれども、そうした日々を越えてくる過程で、「自分」というものは、周囲の他者と関わりながら、時には影響を受け、時には影響を与えながら少しずつつくりあげていくものだったのだな、ということを今になって思う。

けれども、若い頃はそんなことなど思いつきもしなかったし、幻想の中の「本当の自分」を信じて苦闘したものだった。それゆえに、同じように苦闘していた岡村孝子の歌に惹かれたのだろう。この歌を聞いていて、そんな若い頃のことを思い出してしまった。若さには若さの良さと苦悩があり、歳を重ねればそれに応じた別の良さと苦しみがある。それを受け入れながら、まじめに生きることが「本当の自分」へと至る道なのかも知れない。

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