« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月27日 (火)

道なかば

鳩山首相の所信表明演説も終わり、いよいよ国会の論戦も始まる。8月末の総選挙からおよそ2ヶ月、自民党を中心とした政権がこれ以上続いたら日本は終わる、という思いはあったが、選挙で民主党が勝ったとしてもそれ程変化は無いだろう、というのが正直な気持ちだった。国民生活を徹底的に破壊した小泉「改革」から考えても10年ほどかけて変えてきたもの、そしてそれ以前からずっと自民党を中心として続けてきたものをそんなに簡単に変えられるなら苦労はしない。せいぜい、4年かけて3分の1か4分の1でも変えられればうまくいった方ではないか、と予想していたが、このスタートの2ヶ月を見た限りでは、思いの外よくやっているという感じである。

もちろん、問題は山積しているし、早急に手を打たなければ問題はさらにこじれる、というものも多い。けれども、マスコミの報道を見る限りでは短絡的で底の浅い批判が多いように感じられる。例えば、「子ども手当て」よりも「保育所を増やして待機児童を無くする」方が先ではないか、というように聞こえるような編集をされたニュースがあったが、その双方が必要であって、一方が不要と言うわけではない。前政権では双方共に後回しにされて少子化を招いたのである。その解決が一朝一夕でできるものなのか。マスコミ報道の底の浅さが感じられる例である。

同様に、酒井法子報道の加熱ぶりも異常である。薬物汚染は大きな問題だが、たかが1タレントの不法行為で死人が出ているわけでもない。薬物依存から立ち直ることが出来るかどうかは、道なかばというよりも努力が始められたに過ぎないだけのことで、鳩山首相の所信表明演説の解説を削って長時間をとるほどの必要はまったくない事件/裁判である。そうした判断すらまともに出来ないような程度のマスコミの力量で、本当に政治権力のチェックができるのか心配になる。

いずれにしても、道なかば。自民党やみんなの党のように、対案も出せずに揚げ足取り的な批判をまくし立てても、まともなチェックは出来ない。何を、どのような形で、どうステップを積み上げながら変えていくのか。それを丁寧に見ていきたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月16日 (金)

死刑が厳罰にならない!?

無差別殺人の裁判で死刑が求刑されたり、死刑判決が出たりしているのは今までの社会通念からすれば当然…という感じはするが、事件によっては必ずしも死刑が厳罰にならないのではないか、と感じることがある。自我の未熟さゆえに、自らの行為によって自殺をする勇気や決断力を持ちえず、自分よりも「弱い」と感じられる人々を無差別に殺害することで死刑にしてもらおう…という甘えがあるのではないか、と見える例がけっこうあるからである。

本人は、他者の手による「自殺」…つまり死刑を望んで無差別殺人という行動を選択している以上、死刑こそが本人の希望であり、願いなのだ。それに対する死刑判決は、本人の希望を叶えることになるだけで、本人にとっては望んだ通りの結末を迎えられることにもなる。とすれば、死刑判決は本人にとっては罰にはならないし、同じようなことを考える人に対する抑止効果はなく、同じような犯罪を助長することにもなりかねない。

犠牲者の家族の感情からすれば、憎しみゆえに犯人の死を望んだとしても、その憎しみは死を犯人が望む以上復習とはなりえず、返って犯人の望みを叶える結果になって犯人を喜ばしてしまう場合も出てくる。犯人の「苦しみ」を考えるならば、逆に「死」を与えるよりも苦しい「生」の中に縛り付けられる方が辛いと言えないこともない。その意味でも、死刑は憎しみの感情の方向性をズレさせ、思いを拡散させてしまうことにもなりかねない。

江戸時代の逸話で、死刑に相当する重罪を犯した犯人に対して、とある名君がその罪を理解させるに十分な教育を施して罪を自覚させた後死刑に処した、というものを何かで読んだ記憶がある。自らの犯罪に罪悪感を持たずに死刑を望む犯人に対する死刑判決…ということと比較して、いろいろと考えさせられる話である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月10日 (土)

見直しは当然 ! 学力テスト

異論があり、問題点も多く指摘されていた全国一斉学力テストが、今回の政権交代で見直される可能性が強まっている。全国の公立学校では、犬山市教育委員会がきちんと反論して参加に強い抵抗をしめしたが、文部科学省や自公政権はそれに対するきちんとした説明は行いえず、かつ私立学校の離脱や裏に隠した競争至上主義に過剰反応を示す自治体が現れるに至り、矛盾は明らかであった。

それでも、自公政権の意思を組んで市教育委つぶしに動いた現市長により参加せざるを得ない状況に追い込まれたが、独自の対応を加えることで一定の筋を通した。その市教委を支えていた前市長が民主党の衆議院議員として当選し、民主党政権になったこともあり、見直しの流れは、かなり可能性が高まっている。市教委つぶしに動いた現犬山市長は沈黙している辺りが、その行動の愚かさを示している、といったところか。

それにしても、全員に受けさせるということ自体が、大いなる税金の無駄遣いであった。サンプルとしては統計学的にも抽出方式で十分であり、それによっておかしな競争至上主義は駆逐されるだろう。データをきちんと分析した上で、学力の低い地域には逆に教育予算を手厚くして、子どもたちの教育を受ける権利を守って欲しいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月 3日 (土)

ウルトラマン印象記…果てしなき逆襲

科学特捜隊インド支部から休暇で日本に訪れたパティ隊員。ところが、灼熱怪獣ザンボラーが現れて、パティ隊員の休暇は散々なことに……。けれども、彼女は言う、「私はもう、日本の名物を三つも見ました。地震、怪獣、ウルトラマン」と。40年以上も前に放映されたものであるにも関わらず、今でも印象深く覚えているそのシーン。それは、パティ隊員を演じた真里アンヌのエキゾチックな美貌にも因るのだろう。そして多分、ウルトラセブンのアンヌ隊員のネーミング/由里アンヌにも、彼女の存在は大きく関わっているのに違いない。

印象としては、圧倒的にパティ隊員の存在感が強いが、森林や丘陵を開いて、工場や宅地が作られていくことに対する自然の怒りの象徴が、灼熱怪獣ザンボラーである。ザンボラーは山を割って出現し、宅地造成中の工事現場を襲い、周辺を火の海にして、さらに近代的な大工場も破壊する。ザンボラーの発する高熱は、自然破壊に対する怒りの炎なのである。だから、自然破壊を進める人間社会にたいしての「果てしなき逆襲」ということになる。それは、40年以上もの時を隔てた今は、「空想特撮」の《怪獣》ではなく、地球温暖化の影響の1つとしてささやかれる大型台風/ハリケーンや洪水の頻繁な発生という形になっているのではないだろうか。

ザンボラーは工事現場や工場を破壊し、周辺一帯を焼き尽くしたが、結局、ウルトラマンによって倒された。だが、ザンボラーに代わる巨大台風/ハリケーンや大洪水の頻発を前にして、その問題を解決してくれる《ウルトラマン》は現実の私たち人類の前にはいないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »