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2010年2月21日 (日)

激戦 ! 日本vs英国

土曜日の昼、何気なくTVを見ていたら、日本VSイギリスのカーリングの試合が始まった。テープおこしをするつもりでいたのだが、その手に汗握る熱戦にTVに釘付けになってしまい、とうとう決着がつくまで見続けてしまった。最終的には点差が開いて日本チーム/チーム青森の勝利となったが、試合のレベルはとても高く、実はいつ逆転があってもおかしくない展開だったのである。

日本に敗れはしたが、特筆すべきは英国チームの技量の高さであり、特に19歳のスキップ(主将/最後にストーンを投げる選手)の読みと技量は舌を巻くものであった。ただ、日本のスキップ目黒の読みとショットも素晴らしかった。結局、チーム全体の氷面の読みのわずかな差と、2度のチャンスをクリスタル・ジャパンが確実にものにしたことで点数としては大きく開いたが、ストーンをコントロールする技量と集中力は、双方のチーム共に素晴らしいもので、さすがはオリンピックというレベルの試合だった。

そして、カナダ、中国と連敗した後で、集中力を取り戻し、期待と重圧の中、素晴らしい力を発揮して勝利した日本チーム。この一戦で、多くの人々がカーリングというスポーツに魅了されたのではないかと思う。まだまだ予選リーグの段階で、日本チームが決勝に進めるかどうかは予断を許さないところだが、日本チームも英国チームも実力を発揮して、悔いが残ることがないようにがんばって欲しいと思う。

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2010年2月20日 (土)

グレンフィディック18年

昨日もグレンフィディックを飲んだ。やはり、ここ数年で、最も愛飲しているスコッチのシングルモルト、その匂いも味も、充分に満足できるものである。その際に、グレンフィデック18年の話になった。昨日飲んだのはグレンフィディック12年だが、実は1週間前の12日には18年の方を飲んでいる。12年の方は、たいていロックで飲んでいるが、さすがに18年の方はストレートで味わった。

13日にはラフロイグ10年、グレンモーレンジ12年シェリーウッド・フィニッシュ、ブッシュミルズ等を飲んでいたが、ストレートで飲んだのは前日のグレンフィディック18年とグレンモーレンジ、ラフロイグとブッシュミルズはロックで味わった。ラフロイグ辺りは10年ものの方が「らしさ」が出ていて面白いが、その荒々しさゆえに飲み方の選択としてはロックであった。グレンフィデックはフルーティで味わい深いモルトだが、ロックの氷が解けた水とのハーモニーも結構好きなので、12年物はロックで飲むことの方が多い。ただ、18年物はよりまろやかさが増しているので、ロックよりもストレートの方が美味しい。12日も2人で200ml入り の小瓶を一気に空けてしまったために、昨日の18年もの談義になったのである。

美味しい酒…私の場合はスコッチのシングル・モルトだが…との時間は、酒に飲まれない限り、本当に至福の時間である。そして、とりあえず私自身は、酒との良好な関係をずっと保っている。部屋の隅には2本のグレンフィディック・クラッシックと共にもう1本グレンフィデック18年のボトルも置いてある。1人ではなかなか開けようという踏ん切りはつきにくいが、何かの機会にまた、至福の時間を楽しみたいものである。

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2010年2月15日 (月)

推定無罪はどこに消えた?

検察もそうだが、マスコミがおかしい。一連の小沢幹事長の政治資金問題で、異常なほどに反小沢のキャンペーンを展開しているようだが、政治資金規正法のザル法ぶりでは起訴は難しいのではないか、と思っていたが案の定、小沢氏については不起訴で石川議員のみ虚偽記載で起訴された。が、石川議員とて、有罪が確定した訳ではない。そうである以上、【推定無罪】の原則は当然考慮されねばならず、起訴されたことで辞職を求めるのだとすれば、無罪になった時にはどう責任を取るのだろうか。

足利事件をはじめ、この1年の間でもいくつかの冤罪が発覚した。検察も神ではない以上、間違いもするし、暴走もする。週刊朝日による、石川議員秘書に対する不法取調べのスッパヌキと検察の抗議に対する反論は、マスコミに公器としての自覚があるなら、もっともっと取り上げられてしかるべきだろう。けれども、大マスコミは沈黙を続けている。自民党与謝野議員の迂回献金の問題の追及の声などもあまり聞こえてこないことも合わせて考えると、マスコミ報道が著しく偏向しているように感じられる。

政治と金の問題を追及するならば、当然、政治資金規正法の厳罰化こそ議論になってしかるべきであるにも関わらず、自民党も公明党もみんなの党も及び腰である。つまり、追求している側の野党は、自らも襟を正し、政治と金の問題を解決する努力をする気がない、ということであり、今回の事件を足を引っ張るために利用しているだけであることが素人目にも理解できる。国民をバカにした話である。そして、その事実をまともに追求できないマスコミとは何なのか。一方的に小沢氏や石川議員を責めるだけでは政治と金の問題は繰り返されるだけなのである。

オリンピックが始まったが、始まる前の報道では日本選手団はほとんどメダルを独占するかのようなイメージを振りまいていた。けれども、今のところ入賞まではいっても、なかなかメダルまでは届いていない。希望的観測や思い込みによって報道しているだけで、冷徹に日本選手の実力と世界のレベルの分析をしていないのではないだろうか。

政治報道とオリンピック。まったく関係が無いように見えるが、日本のマスコミの取材能力や報道のレベルという視点から見れば、能力の低さ、という意味において共通しているのではないだろうか。公正で緻密な取材をせずに国民感情を煽り立てるような報道を繰り返す、という流れは、戦前の大本営発表を垂れ流し続けて国民を煽り、無自覚に戦争の空気を作った責任に対する反省は完全になくしてしまったようである。

罪刑法定主義と推定無罪の原則。検察や裁判所も、当然それを遵守しなければならないのだが、マスコミも司法が暴走しないように、その原則に立ち戻って権力をチェックする責務がある。それを忘れているように思えるのだが。

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2010年2月 8日 (月)

適応と社会

日常の活動との関わりで、あらためて心理学の勉強やカウンセリングの訓練を受け始めてから3年が過ぎようとしている。もう少しカウンセリングの訓練を続けたいと考えているので、少なくともあと2年は勉強を続けることになりそうだか、実際のカウンセリングの場やカウンセリングの学習の場で【適応】ということが大きな問題となってくる。

だいたい、カウンセリングを考えたり、実際にカウンセリングを受けたりしている人は、日常の生活の中での「生き難さ」や「違和感」、「息苦しさ」といったものを抱えている場合が少なくない。つまり、カウンセリングを行う側からすれば、クライアントである彼もしくは彼女が、現実社会との間に不適応をおこしていると考えられるので、その原因を探りながら不適応状態が改善できるように手助けをしていく、という形で関わっていくことになる。

身近な現実に【適応】出来ていないから、それに【適応】していく、あるいは【適応】できるようにサポートしていく、という発想に特に異論はない。実際、「自分のことは棚に上げ」という人々は、普通に生活していてカウンセリングを必要としていないように見える場合でもかなり目にするからである。

ただ、日本の現実を見ていると、本当に【適応】に値する社会なのかな? という疑問を押さえることは出来ない。一連の小沢幹事長の政治資金事件などでも、検察の法や公正さに反するやり方やマスコミの暴走と反省の無さにはあきれ果ててしまう。(もちろん、小沢氏を「シロ」と言う気は微塵も無いが、検察やマスコミが《推定無罪》の原則や《公正さ》を失っては、結局、国民にとってはマイナス以外の何ものでもないからである。)ある意味では、このような歪んだ社会に【適応】しようとすれば、自分の《まとも》な感覚や判断力を捻じ曲げなければならない場合もあるからである。

とは言っても、「社会が悪い」「周りが悪い」と言うだけで、自らを振り返らずにごまかしていては、人間としての成長・成熟はない。(その意味においては、自己のミスを認めることが出来ない検察やマスコミも未熟ということなのだろう)自分自身の現実と向き合い、自分の中にある問題点や未熟さを意識し、改善する努力が、成長・成熟のために必要となる。ただ、社会の問題点も意識した上で、それを改善していくために自分ができることを積み重ねていく、ということも合わせて必要だろう。

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2010年2月 5日 (金)

大山鳴動して…

昨夜、遅ればせながら、「週刊朝日」2/12日号を買ってきた。ネットで知った、石川議員の女性秘書に対する検察の不法捜査をスクープしている号である。

この記事によれば、1月26日に石川事務所の女性秘書が、「押収品の返却とちょっと確認したいこともある」との理由に検察に出かけたところ、民野健治という検事がそのまま弁護士にはもちろん、小さい子どもを心配する彼女に家族や事務所に対する連絡もさせずに、10時間にも及ぶ「任意の事情聴取」という「監禁」を行っていたという。

事実であれば、法を遵守させるために不法行為を取り締まるための検察が、令状によらない監禁、自白の強要、といった刑法どころか日本国憲法にも違反する悪質な不法行為を行ったことになる。合わせて、このスクープ記事に対して「捜査妨害」と圧力をかけたという話も耳にしている。呆れた話である。

足利事件をはじめとする全国的に知られた冤罪事件もあったし、身近な例でも、以前、津地検職員による差別事件、およびその隠蔽工作についてこのblogで取り上げたこともあったので、マスコミ報道のように「検察の正義」を無条件に信じられるほど単純で非現実的な感覚は持ち合わせていないが、これだけ疑問の多い不公正な捜査(政権党にあった自民党議員の起訴の話が、野党であった民主党議員よりも職務権限などの条件があるにも関わらず、まったく聞こえてこない不思議)や不法捜査の結果、小沢氏は起訴せず、石川議員などについても闇献金の贈収賄ではなく政治資金規正法の虚偽記載での起訴(結審していない以上、検察はもちろんマスコミも【推定無罪】の原則で進めなければならないのは近代法・国際法の常識である筈なのだし…)ではまったく納得がいかない。

この流れを見れば、不法を交えた強権捜査やマスコミ・リークによる情報操作によって遮二無二小沢議員の追い落としを図ったが、誘導尋問などを駆使しても検察側の意図したシナリオ通りの証言を得ることが出来なかったということなのだろう、というように推察できる。小沢氏とその関係者がシロ、と言う気はないし、政治資金規正法のザル法度を考えれば、限りなく灰色、というところだろう、という思いはある。だが、【推定無罪】の原則からすれば、明白なクロでなければ罪に問うことは出来ないのである。法治国家であれば、恣意的な思い込み捜査や、不法な「任意同行」の取調べなどは決して許されるべきではない。その意味では検察のやり方はおかしいし、過剰に検察情報偏重の報道を続けるマスコミも無責任である。

足利事件などは、検察が誘導尋問によってシナリオ通りの「証言」をさせ、無実の人を冤罪に落としいれ真犯人を逃がしている。検察も裁判所も間違いを犯す。だからこそ、近代の知恵は【罪刑法定主義】や【推定無罪】の原則を生み出したのである。検察は取り調べの可視化を進めるべきだし、金と政治の問題が与野党ともに政治を歪めている、というのであれば、政治資金規正法をもっと厳しくしていけば良い。それをせずに小沢批判を繰り返しても問題は解決しない。検察も、マスコミも、与野党も、根本のところに立ち返る必要があるのではないだろうか。

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