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2010年2月 8日 (月)

適応と社会

日常の活動との関わりで、あらためて心理学の勉強やカウンセリングの訓練を受け始めてから3年が過ぎようとしている。もう少しカウンセリングの訓練を続けたいと考えているので、少なくともあと2年は勉強を続けることになりそうだか、実際のカウンセリングの場やカウンセリングの学習の場で【適応】ということが大きな問題となってくる。

だいたい、カウンセリングを考えたり、実際にカウンセリングを受けたりしている人は、日常の生活の中での「生き難さ」や「違和感」、「息苦しさ」といったものを抱えている場合が少なくない。つまり、カウンセリングを行う側からすれば、クライアントである彼もしくは彼女が、現実社会との間に不適応をおこしていると考えられるので、その原因を探りながら不適応状態が改善できるように手助けをしていく、という形で関わっていくことになる。

身近な現実に【適応】出来ていないから、それに【適応】していく、あるいは【適応】できるようにサポートしていく、という発想に特に異論はない。実際、「自分のことは棚に上げ」という人々は、普通に生活していてカウンセリングを必要としていないように見える場合でもかなり目にするからである。

ただ、日本の現実を見ていると、本当に【適応】に値する社会なのかな? という疑問を押さえることは出来ない。一連の小沢幹事長の政治資金事件などでも、検察の法や公正さに反するやり方やマスコミの暴走と反省の無さにはあきれ果ててしまう。(もちろん、小沢氏を「シロ」と言う気は微塵も無いが、検察やマスコミが《推定無罪》の原則や《公正さ》を失っては、結局、国民にとってはマイナス以外の何ものでもないからである。)ある意味では、このような歪んだ社会に【適応】しようとすれば、自分の《まとも》な感覚や判断力を捻じ曲げなければならない場合もあるからである。

とは言っても、「社会が悪い」「周りが悪い」と言うだけで、自らを振り返らずにごまかしていては、人間としての成長・成熟はない。(その意味においては、自己のミスを認めることが出来ない検察やマスコミも未熟ということなのだろう)自分自身の現実と向き合い、自分の中にある問題点や未熟さを意識し、改善する努力が、成長・成熟のために必要となる。ただ、社会の問題点も意識した上で、それを改善していくために自分ができることを積み重ねていく、ということも合わせて必要だろう。

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