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2010年2月15日 (月)

推定無罪はどこに消えた?

検察もそうだが、マスコミがおかしい。一連の小沢幹事長の政治資金問題で、異常なほどに反小沢のキャンペーンを展開しているようだが、政治資金規正法のザル法ぶりでは起訴は難しいのではないか、と思っていたが案の定、小沢氏については不起訴で石川議員のみ虚偽記載で起訴された。が、石川議員とて、有罪が確定した訳ではない。そうである以上、【推定無罪】の原則は当然考慮されねばならず、起訴されたことで辞職を求めるのだとすれば、無罪になった時にはどう責任を取るのだろうか。

足利事件をはじめ、この1年の間でもいくつかの冤罪が発覚した。検察も神ではない以上、間違いもするし、暴走もする。週刊朝日による、石川議員秘書に対する不法取調べのスッパヌキと検察の抗議に対する反論は、マスコミに公器としての自覚があるなら、もっともっと取り上げられてしかるべきだろう。けれども、大マスコミは沈黙を続けている。自民党与謝野議員の迂回献金の問題の追及の声などもあまり聞こえてこないことも合わせて考えると、マスコミ報道が著しく偏向しているように感じられる。

政治と金の問題を追及するならば、当然、政治資金規正法の厳罰化こそ議論になってしかるべきであるにも関わらず、自民党も公明党もみんなの党も及び腰である。つまり、追求している側の野党は、自らも襟を正し、政治と金の問題を解決する努力をする気がない、ということであり、今回の事件を足を引っ張るために利用しているだけであることが素人目にも理解できる。国民をバカにした話である。そして、その事実をまともに追求できないマスコミとは何なのか。一方的に小沢氏や石川議員を責めるだけでは政治と金の問題は繰り返されるだけなのである。

オリンピックが始まったが、始まる前の報道では日本選手団はほとんどメダルを独占するかのようなイメージを振りまいていた。けれども、今のところ入賞まではいっても、なかなかメダルまでは届いていない。希望的観測や思い込みによって報道しているだけで、冷徹に日本選手の実力と世界のレベルの分析をしていないのではないだろうか。

政治報道とオリンピック。まったく関係が無いように見えるが、日本のマスコミの取材能力や報道のレベルという視点から見れば、能力の低さ、という意味において共通しているのではないだろうか。公正で緻密な取材をせずに国民感情を煽り立てるような報道を繰り返す、という流れは、戦前の大本営発表を垂れ流し続けて国民を煽り、無自覚に戦争の空気を作った責任に対する反省は完全になくしてしまったようである。

罪刑法定主義と推定無罪の原則。検察や裁判所も、当然それを遵守しなければならないのだが、マスコミも司法が暴走しないように、その原則に立ち戻って権力をチェックする責務がある。それを忘れているように思えるのだが。

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