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2010年3月29日 (月)

仮面ライダーアギト/PROJECT G4

ここ数日、少し時間に余裕があったので、久しぶりにビデオをレンタルしてきた。その中にふらふら、と混じっていたのが「仮面ライダーアギト/project G4」である。仮面ライダーと言えば、個人的には最初のものか一番好きだが、けっこう面白いと思ったのが「仮面ライダーBlack」そして、平成シリーズでは2作目のアギトである。もちろん、Blackやアギトは、リアルタイムというよりも、試しにレンタルして…の口だが、アギトについては、警察ライダーのG3、そしてもう一人の孤独な仮面ライダーギリスとアギトとの関係や、秋山莉奈の演じたヒロイン風谷真魚が結構良かったのでシリーズを最後までレンタルしてしまった記憶がある。

さて、PROJECT G4は70分ほどの映画版で、超能力研究所がアンノウン(いわゆる怪人/この映画でのモチーフはアリとなっている)に襲われるところから物語が始まる。対アンノウン用の警視庁の装備がG3システムであり、1人の若い警官がG3システムを装着し、開発者を含むチームのサポートを受けながら、(TVシリーズでは、徐々にアギトやギリスと協力するようになっていっている)アンノウンと戦っている。そこに自衛隊から1人の研修生が入る。彼女(小沢真珠が好演している)はG3システムのチームの1人からパスワードを聞き出して、開発者が問題があるとして開発を凍結したG4システムのデータを盗み出し、それを作りあげる。ただ、G4システムには超能力者が必要で、超能力研究所の生き残りの子どもを保護していた真魚に超能力が秘められていることを知って真魚を連れ去り、システムのために利用しようとする。

だが、G4システムを稼動させつづければ、装着者はもちろん、そのシステムのサポートに使われる超能力者の生命も奪ってしまう危険がある。G4システムの開発の凍結には、その辺りの事情があったのだが、自衛隊側はそれを無視して開発を強行していたのである。対アンノウンの戦闘ではG3システム以上に絶大な効果をあげたG4システムだったが、人間の命を無視したそのやり方にはG3システムのチームもアギトも疑問を持ち、真魚を奪い返そうと行動を起こす。

そこに、超能力を察知したアンノウンたちの襲撃が始まり、対アンノウンの戦闘と真魚を取り戻す戦いが入り乱れる。ギリスも真魚を助けようとするアギトたちをサポートするために現れて、アンノウンと戦い真魚たちの脱出をサポートする。G3とG4の戦いや女王アリの最強アンノウンとの戦いの中で苦戦を強いられたアギトの真魚のサポートによる新たなる変身など、なかなか見せ場も多い。

現在はオシリーナの愛称で知られ、グラビアやバラエティー、ドラマなどでも活躍する秋山莉奈のシリアスな演技がなかなか見応えのある作品である。

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2010年3月28日 (日)

グレンモーレンジ15年 Sauternes Wood Finish

グレンモーレンジ15年Sauternes Wood Finishを飲んだ。グレンモーレンジは上質のハイランド・モルトで、10年物でもまろやかで美味しい。12年物のシェリー・ウッド・フィニッシュなどもストレートで飲める上質の仕上がりで割りと好きなのだが、この15年物は思わずうなってしまうほどの逸品である。

例えば、一番良く飲むシングルモルト・ウィスキーはグレンフィデック12年だ。横にこのグレンモーレンジ15年がなければ普通に美味しく飲めるが、このグレンモーレンジ15年を飲んだ後ではどうしても物足りなさを感じてしまう。2つを並べておくと、どうしてもグレンモーレンジの方が早く空いてしまいそちらばかりグラスを重ねる事になる。そういうウィスキーである。

ひとくち、このグレンモーレンジを口に含む。少し辛口かな、という印象だが、そのまますっと喉を通っていく。広がる上品な香りと豊かな味わい。ストレートで飲んでも喉に絡まるアルコールの熱さは感じない。従って、気が付けばグラスが空になっている。それくらい美味しいが、ある意味では、困ったウィスキーである。まあ、美味しければそれで良いのだが。

この味わいを十二分に楽しむには、水割りはもちろん、ロックでももったいない。やはりストレートでやるのが良い。そのひとくち、その一杯に至福の時間が広がる。グレンモーレンジ15年。今まで飲んだ中でも屈指のシングル・モルトである。

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2010年3月26日 (金)

沖縄はもう十分耐えた

沖縄普天間基地移設問題で、またぞろ「沖縄県内移設」が声高に報道されている。民意からすれば、先の衆議院議員選挙の結果で十分であり、最低でも県外、できれば国外、という線が当然だし、沖縄県民にとってそれ以外の選択肢はない。それができないのであれば、沖縄は日本を見捨てて独立し、独立国家として、日本やアメリカと対峙してアメリカ軍基地を追い出せば良いとさえ思う。

歴史的に見ても、江戸時代の薩摩藩の琉球侵略以前は、沖縄は日本とは別の国だったのである。薩摩藩に侵略され、明治政府に侵略されて、沖縄は大日本帝国に組み込まれ、太平洋戦争では、「本土決戦」ための捨石にされて味方の筈の日本軍に多くの市民が殺された。そして、戦後はアメリカに占領され、日本に返還された後もアメリカ軍基地は残されて県民の産業や生活を圧迫し続けた。沖縄は、日本のために何度も犠牲になっているのだ。

アメリカ軍首脳部の、沖縄に対する戦略的な拘りは、軍事的には分からないでもない。けれども、民主国家にとって軍事は外交の一つの手段に過ぎないし、住民の反発が強まっている中で無理に駐留する事のリスクもある。そうなれば、外交上の支障も出てくる。今日付(2010,3/23)の中日新聞で、アメリカ側に必ずしも沖縄駐留を絶対視する訳ではない、という文書が存在する記事が出ていたが、ネット上ではもう何ヶ月も前からそれを指摘するものが複数確認されている。逆に、TVを中心としたマスコミが、アメリカの立場からすれば沖縄以外に選択肢はない、とでもいうような報道に終始しているような印象を受ける。

日米関係は日本にとって大切だが、それは軍事関係を聖域化することとイコールではない。また、軍事関係が重要であるとしても、基地の負担を過度に押し付けて良い理由にはならない。財政事情が厳しい中で、前政権までが「聖域化」し続けたアメリカ軍関係の「おもいやり予算」も見直すのは、国民の幸福と利益を守るのが民主国家を標榜する政府としては当然であり、基地の移設についてもそうした大きな視点から見るべきであろう。日米関係をきちんと見直し、主権国家として恥ずかしい対米隷属外交の軌道修正に全力を尽くす義務が現政権にはあるし、沖縄の基地移設問題は、その覚悟と力量を見る試金石とも言える。

重ねて書こう。沖縄は、もう十分に耐えた。県内移設という選択肢はあってはならない。それを許すことは日本国民として恥ずかしいし、民主国家であるならば、許してはならない。

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2010年3月16日 (火)

子ども手当てと高校無償化

曲りなりに…という印象はあるが、子ども手当てと高校授業料無償化が何とか進みだそうとしている。前政権政党によるバラマキ批判はあるが、失政に失政を重ねて家計の収入を奪い、低賃金化わ許して生活のために残業を余儀なくさせられて子どもや地域の活動に割くための時間を無くする政策を推し進めて地域と家庭の教育力を崩壊させてしまった政党の、どの口がそれを言うのか、と呆れてしまう。すべては、前政権の失政と悪政のツケであり、その尻拭いのために暴走資本主義によってバラバラにされ集団としてのパワーを失ってしまった様々な組織に個人が頼れなくなってしまったからこその個別保障の一環と言えるだろう。

社会主義的な視点から見ても、本来の意味での保守的な視点から見ても、家庭や地域の教育力や相互扶助のパワーが減少している現実は、危機的である。これは、「国際競争力」を口実にした大企業の人件費削減要求に無批判・安易に乗った旧政権の責任が大きく、十分な収入を得られなくなったからこそ長時間労動や不安定就労を強いられて国民の多くが家族のための時間や地域のための時間を安心してとれなくなった結果、子どもも含めた周囲の人々との関わりを薄くせざるを得なくなってしまった事による。そのため、集団として資金を還元しても集団の中で適正に配分される可能性が著しく減少したからこその家庭・個別への保障をせざるを得ないのである。

ある意味では、家族に子どもを支え関わることのできる十分な時間と収入があれば、子ども手当ても、高校無償化も不要である。が、それが困難な現実にあって、焼け石に水という感じはしても、間違った現状認識とゴマカシの上に立って何もしなかった今までよりも1歩前進しようとしているように感じられるだけの事である。したがって、子ども手当ても、高校無償化も第1歩に過ぎず、家族や地域のために割く時間を確保しつつ、生活が出来る収入を確保するための税制改革・財政改革も必要となるし、家族や地域の立て直しを進める政策も必要になってくる。

国会での議決は第1歩に過ぎない。国民として、これから何をしていくのかを注意深く、そして厳しく見守っていく必要があるだろう。

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2010年3月 8日 (月)

想い出がいっぱい…みゆき、そして卒業の歌

H2Oというデュオが歌い、TVアニメ「みゆき」のエンディングに使われていた「想い出がいっぱい」という歌がある。歌詞が、けっこう【卒業】のイメージと重なっていたので、一時期、よく中学校や高校の卒業式に歌われていた。そして、あだちみつるの原作マンガ「みゆき」のラストでも、傷心の鹿島みゆきが1人旅をするシーンに花を添えている。

 

古いアルバムの中に 隠れて 想い出がいっぱい

無邪気な笑顔の下の 日付けは 遥かなメモリー

時は無限のつながりで 終わりを思いもしないで

手に届く宇宙は 限りなく澄んで 君を包んでいた

大人の階段昇る 君はまだシンデレラさ

幸福(しあわせ)は誰かがきっと 運んでくれると信じてるね

少女だったと いつの日か 想う時がくるのさ

キラリ木漏れ日のような 眩しい想いでがいっぱい

一人だけ横向く記念写真だね 恋を夢見る頃

硝子(ガラス)の階段降りる 硝子の靴シンデレラさ

踊り場で足を止めて 時計の音 気にしている

少女だったと いつの日か 想う時がくるのさ

少女だったと懐かしく 振り向く日があるのさ

 

「みゆき」は少年ビッグコミック連載中からずっと読んでいたし、その単行本は大学の下宿の連中に引っ張りだこだった。そしてアニメ化された時にも、オープニング・エンディングのみならず挿入歌も含めてその音楽はけっこう魅力的だった。その中でも、この「想い出がいっぱい」は多感だった青春時代には特に胸に響く歌詞であり、「古いアルバム」「思い出」「大人の階段」といったフレーズは卒業シーズンとの親和性が高く、卒業生を送る会や卒業式にはよく使われたように記憶している。最近はあまり聞かれなくなったが、耳にする機会があると若かりし頃のシーンが胸に蘇ってくる。

1日には県内の県立高校で卒業式が行われ、明日は市内の中学校の卒業式である。なかなか、希望に満ちた船出とは言いがたいような経済情勢ではあるが、希望を失わずに未来を切り開いていって欲しいと思う。

 

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