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2010年4月26日 (月)

普天間基地移設の迷走はマスコミの迷走!?

沖縄が幾度目かの、そして強烈なNOを突きつけた。現地でこれだけの反対があって、それを押し切ることがアメリカ軍にとっても決してプラスにはならないだろう、という判断が、まともな政治指導者なら働くだろう。その意味において、マスコミの報道は、沖縄の反対を大きく報道しつつも沖縄以外の選択肢…例えばマリアナ諸島のテニアンの議会による海兵隊の受け入れを歓迎する決議など…を報道することはもちろん、真剣に様々な案を考察したり検証したりする姿勢はほとんど見られない。迷走しているのは、鳩山政権以上に、マスコミの方ではないだろうか。

ことは、普天間基地移設問題に矮小化すべきことではなく、日米関係の問題である。沖縄への過剰な基地負担はもう限界である、ということは以前にも書いた。それでも日米関係を深化するのに在日米軍が必要だというのであれば、沖縄以外の本土への移設しかない。けれども、移設先に名前が上がっただけで反対が出る、というのは日米地位協定などの不公正や不平等が受け入れる立場からすれば大きな問題となり、国民生活の維持にリスクが大きいと見られてしまっていることも大きい。とすれば、本土への移設を考えれば当然日米地位協定の見直しも必要となる。そうした構造に対する言及すらマスコミに見られないのは、マスコミにこの問題を真剣に国益として取り上げる意思、もしくは能力がないからではないか、と考えざるを得ない状況である。

沖縄の反対を熱心に報道するマスコミは、当然、本土への移設についても述べるべきであり、それが述べられないのであれば、沖縄にはもちろん本土にも在日米軍はいらない、とする論調になるのが論理的にはまともだろう。在日米軍は必要で沖縄はダメ、本土もダメ、ということであれば、マスコミの論調は明らかに迷走である。民主党・鳩山政権の迷走を声高に叫ぶマスコミ報道。けれども、論理性を失い感情的に国民を煽ろうとするだけの昨今の報道はどうもいただけない。マスコミの信頼性がどんどん低下している。

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2010年4月14日 (水)

反省ができない人たち

いくつかの相談の場で話を聴くことがあるが、相談しようという気持ちになるのは、基本的には現実の場で困難や苦痛を感じる状況があって、それを何とか改善したいと考えている、という前提で話を聴き、アドバイスをしたりもする。だが、話を聴いていると、中にはきちんと反省する、ということができていなくて同じ失敗を繰り返し、状況を悪化させている場合がある。

実は、きちんと反省する、というのは、意外に難しい。

例えば、失敗したことにとらわれて「あの時ああすれば良かったのに…」といつまでも思い続けているようなパターンは《きちんと反省する》ということではなく、単に失敗にいつまでもとらわれて落ち込み、その感情をいつまでもひきずっていたり、落ち込んだ感情に振り回されていたりしているだけだ、と言える。

それから、失敗したという事実をきちんと受け入れずに、ああだこうだと言い訳してごまかしたり、自分の責任をあいまいにして他に責任転嫁する、というパターンもよく見受けられる。これは、状況によってはとりあえず「ごまかし」や「責任転嫁」が成功する場合もあり、それによってその時点での「最悪の事態」は避けられることもあるが、根本的な問題を解決せずに放置してしまうことが多いので、けっきょく、後になって解決をごまかしたり先延ばしにしたりしていたことがさらなる大きな問題となってあらためてその身に降りかかってくることも多い。

では、《きちんと反省する》とはどういうことなのか。まず、失敗したという現実を受け入れる。多少の気分的、感情的な落ち込みは仕方がないとしても、いつまでもそれにとらわれていないで、失敗したことを認め、まずその事実から出発するのである。その上で、自分の努力や工夫によって改善できる手立てを考え、次の機会に備える。つまり、「こうしたことで失敗してしまったから、次はこのように変えてみよう」という発想をすることであり、またそれを実行することなのである。

ところが、そうした《反省》ができない人たちが、けっこう地位や権力のある人の中にもゴロゴロいたりする。例えば財界、例えば自民党、例えばマスコミ…等等。小泉改革とそれ以降の自民党を中心とした政策は失敗だった。そして、その政策を進めていたのは財界であり、当然、財界の読みや見通しも失敗だったのである。だから、現状を改善するためには、その失敗を認めることが必要である。失敗を認めることで確実に方向転換をしていくことができるからである。にも関らず、財界側の話は失敗した「改革」時の主張と同じで、法人税を安くし消費税を上げろ、という話である。つまり、労働者/多くの国民の所得を減らして、自分たちは利益を確保したい、と言っているのである。それを実行して国内消費を低迷させ、外需に頼る経済シフトを採ってリーマン・ショック等で大打撃を受けたのだ、という現実をまったく見ていない。

普天間基地移設についても、実は日米関係の問題であって、単なる「普天間基地移設問題」に矮小化するのは間違いである。対米隷属に終始して、基地と地元住民の関係改善を放置し、経済が低迷しても米軍に対しての国際的な同盟国の平均を超える過剰な税金を垂れ流し続けた前政権の反省は自民党からはもちろん、そこから別れたどの政党からも聞こえてこない。税制悪化の現実を見れば、韓国などと比較しても過剰な対米予算はきちんと削っていく必要があるし、地域住民に過剰な負担を強いている「地位協定」も見直すことが必要となる。アメリカ軍に移設先がなかなか出てこないで反対運動ばかり起きる「現実」をきちんと認識させ、軍の綱紀粛正や地位協定の改善が住民との共存には不可欠であることを説き、日本国民の利害とアメリカ政府の利害を調整することが大切なのである。残念ながら、そうした声はマスコミからも聞こえてこない。新聞が低迷しているのも、その辺りの「現実分析能力」の低下、という要因もあるのだろう。

先へ進むには、きちんとした反省が必要である。現実を認め、その上に立って次にどうするかを考え、工夫し、実行する。それが必要な人は意外と多いように思える。

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2010年4月 1日 (木)

国民の生活を第一に

民主党政権が相変わらず迷走しているように見える。だが、根本の原則に帰れば、自ずと判断が出来ることも少なくないのではないか。それは、「コンクリートから人へ」ではなく、「国民の生活が第一」ということである。

大企業や金持ちだけに恩恵があった旧政権の失敗は、現在、誰の目にも明らかになっており、その意味では、自民党議員や竹中平蔵辺りがしたり顔で現政権の批判をしているが、それ自体、ミスリードした政策をもう一度やって自分たちが甘い汁を吸おうとしているだけであり、その批判を抜きにしたマスコミ各社の取り上げ方は世論をミスリードしようとしているようにも見える。まるで、戦前のマスコミのごとき体たらくである。その偏向報道に影響を受けて、現政権がふらついているのが見ていて情けない。

「国民の生活が第一」というのは基本的に正しい。その観点からすれば、普天間基地の移設問題も簡単である。国民=県民が完全にNoを突きつけている。日米同盟を維持したければ、普天間基地の移設先を真剣に検討するようにアメリカ政府(アメリカ軍ではない)に提案していくのが筋だろう。根本にあるのは、国民の生活をどうするか、そのためにプラスとなるように日米関係をどう再構築するかが問題であって、普天間基地の存続どうこうに問題を矮小化しようとするからいけないのである。逆に言えば、なぜ沖縄がNoと言い、他にも受け入れる先が見つからないのは「アメリカ軍の素行」の問題、平時の生活を乱す軍事活動の問題でもあるから、日米地位協定も含めてそれをどう日本国民にとってプラスになる形に改善させるか、ということがポイントとなる。そういった点も含めた協議をすべきであって、どこに持っていくか、という問題に矮小化させてはならないのである。

子ども手当てについても無駄遣いだとか、保育園など他のサポート体制の拡充が先だとかの意見があるが、「国民の生活が第一」ということから考えれば、子どもを預けて働かなければならない家計収入と労働環境こそが問題ではないだろうか。労働は確かに大切だが、家族のために過ごす時間を削られて働かなければならない現実こそが問題であるし、教育にお金がかかり過ぎたり、母親に子育ての責任を押し付け過ぎたりしてきたこれまでの政策の間違いが少子化を深刻化させたのだし、家族の時間を削って働かなければならなくなった結果としての保育所等の不足ではないか。その原因は、これまた前政権の大企業を優遇して労働者の収入を削り、家計を悪化させ続けてきた結果である。それによって内需を縮小させてしまい、景気回復を遅らせてしまった。前政権および大企業中心の財界主導の経済見通しの甘さやミスがこの事態を招いたのである。子ども手当てだけが対策だと矮小な見方をせずに、その課題を明らかにしながら、子どもと家庭のサポートを充実させるために、現在の個々の問題に対する取り敢えずの対処両方と、未来を見据えた制度改革を矢継ぎ早に進めるしかない。

いずれにしろ、根本におくのは「国民の生活が第一」でよい。財源についても、前政権が金持ち優遇を進め過ぎたことによる財源不足もある訳で、高額所得者の税率を上げたり、株取引などの優遇税制を廃止してマネーの暴走を牽制するなども、消費税などの議論以前にきちんとしておく必要がある。それも含めて「国民の生活が第一」である。

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