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2010年6月 6日 (日)

「銀河英雄伝説」から《改革と独裁》を考える

銀河帝国で皇帝の死後の内乱で勝利を収め、銀河帝国の実権を握ったラインハルトは帝国に独裁権を確立し、リップシュタット連合に参加した貴族の財産の没収、貴族特権の廃止、税制改革、表現の自由の保障など様々な改革を矢継ぎ早に行い、国民の熱狂的な支持を得て皇帝の座に着く。そして、皇帝となってからも、優れた能力を持つ人々を様々な分野で登用し、開明政策を進めていく。

こうした銀河帝国の様子を知った自由惑星同盟のヤン・ウェンリーは、銀河帝国の国民は腐敗した独裁政治から解放されたが、自由惑星同盟の市民は腐敗した民主政治か清潔な独裁政治か、という最も困難な選択を迫られる…という意識を持っている。ヤンは民主政治は改革に時間がかかる面があることや、時として衆愚政治に出しやすいことを歴史から学び、そういう判断をしているのである。そして、ヤン自身は、自由惑星同盟の腐敗した政治家たちに嫌悪を感じながらも、民主主義を守るために最後まで清潔な独裁者ラインハルトと戦い続ける。自由惑星同盟の腐敗政治家よりもずっとラインハルトに好意を持ち彼ならば国民のための政治をすると信頼を置いているにも関らず…そういう選択を続けたのである。

また、ヤンの査問事件の際には、自由惑星同盟のマスコミが腐敗して腐敗政治家のメディア・コントロールを受けて真実を知らせず、政府広報にそのまま従っている様子を描いている。自由を標榜する国家において、政府に都合の悪い真実を報道せず、それを隠蔽するのに力を貸していた例をビュコック元帥がヤンの副官フレデリカに語るシーンがそれである。

小説やアニメの世界であれば、「これはひどいなあ」とコメントするだけですむが、実際問題として、改革を進めるには確かに「独裁」の方が効率が良い。逆に言えば改革がなかなか進まないのは、民主主義のシステムがかろうじて日本に残っているからではないかということも考えられる。

このところマスコミは小沢氏の「独裁」を毎日のように喧伝していたが、結果からすれば、「独裁」にはとても見えない。検察の不法な取調べやリークに対しても政治的に法務大臣筋を動かすようなことはなかったし、マスコミの推定無罪を無視した差別報道に対しても訴訟を起こすなどの手は打たなかった。これを「独裁」と糾弾する側のマスコミの異常性がここにきて一層強く感じられる。

ある意味では、郵政改革以降の自公政権の方が、「独裁」に近いのではないだろうか。国民や識者の危惧や反対の声を無視して強行採決を繰り返した結果、「改悪」は異常に早く進められてしまった。その矛盾が生み出した尻拭いを民主党にさせながら、揚げ足取りに血道を上げて対案を出せない旧与党の姿は見苦しい。そして、その旧与党をまったく追及できないマスコミの無能さも情けない限りである。

このような無様な政治やマスコミの動向を見ていると、「独裁でも良いからラインハルトのような皇帝に支配されたい」と思いたくなることがある。危ない、危ない…。

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