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2010年7月31日 (土)

昔のビデオ

少し時間に余裕が出来たので、昔のVTRを見てみた。古い機械で撮ったもので、何年も前のものばかりだ。「ジャイアントロボ」、「超人バロム・1」などだが、新しい機械との相性が今1つということもあって少し画像が乱れたり音が今ひとつだったりするが、見ることも聞くこともできないというレベルではないので、それもご愛嬌という感じである。

また、昔の特撮なので、ストリーや台詞などではツッコミどころが満載で、1シーンごとにツッコミを入れたくなってしまう。それはそれでけっこう楽しいのだが、昔は、こんな番組を真剣に見ていたのかな、と思うと笑ってしまう。ただ、アクション・シーンは、意外と見応えがある。今の特撮はシーンとしては確かなきれいなのだが、迫力としては昔のアクションの方が上に感じられるのだ。「仮面ライダー」や「超人バロム・1」などのアクションは、大野剣友会が担当していた。彼らのアクションの下地に厳しい練習があったからこそあの迫力は生まれたのだろう。そんなことを改めて確認できた。

忙しくなれば、VTRを見る機会はほとんどなくなるだろう。それでも、たまに見る古い作品はけっこう楽しい。また機会があれば、こういう時間を楽しみたいと思う。

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2010年7月29日 (木)

「学びの雨」…谷山浩子【翼】より

梅雨明けから暑い毎日が続いていたが、今日は久しぶりに雨となった。最高気温も30度を超えず、雷などもなくて、とても過ごしやすい一日だった。久しぶりに訪ねた友人の写真館で、「恵みの雨」という言葉が出た。その言葉を聞いて、谷山浩子の「学びの雨」という歌を思い出した。2002年に発売の【翼】というアルバムの1曲目、作詞・作曲はもちろん谷山浩子である。ゆったりとしたリズムと歌詞が、砂漠に降る慈雨のイメージを広げていく。

 

乾いた大地にしみこむような 恵みの雨 潤す力

何もない荒れ地にも 花は咲くだろう 一粒の種がここにあるかぎり

知らない言葉を覚えるたびに この世界を 抱きしめて行く

月の満ち欠けの訳を 記号や数の意味を 涙と諍いが織りなす 人の歴史を

色あせた一冊の本 羽ばたき飛ぶ わたしの翼

乾いた生命(いのち)にしみこむような 学びの雨 わたしは生きる

広い宇宙の中の 塵のひとひらでも まばたきほどの 短い時間でも

わたしは生きてる わたしの場所で 支えながら 支えられながら

いつか会えるだろうか はるか遠い国の どこかで生きている まだ見ぬ明日の友達

 

学ぶことは本来、自分を知り、世界を知り、その上でより良く生きていくための智慧を身につけることとイコールではなかったか。そして、そんな生きる智慧は人と人とをつなぎ、結びつけ、温かい関係を育むことにつながっていた。けれども、そうした慈雨のような学びは日本の社会からは失われつつあるような気がする。それに変わって点数と競争で子どもたちを追いたて、欲望の道具としての知識だけをつめこんでいく。日本の大人たちは、いつからそんな「勉強」を作ってしまったのだろうか。そんな現実にあって、この歌は、「学び」の真実の姿を取り戻せと訴えてくるようだ。そう、未来を担う子どもたちに、慈雨のような「学びの雨」を取り戻してあげたい。そのために、今の自分ができること……。それは、一粒の雨にも満たないわずかなものかもしれないが、小さな一粒も集まることで何かが出来るかもしれない。そんな希望も、この歌は心に運んでくれる。

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2010年7月 8日 (木)

変革できない自民党、変質する民主党

参議院選挙が目前に迫っているが、一票を託すに足る政党・候補者が見えてこない。90年代以降の自民党を中心とした政権の致命的な政策ミスが国民と国をこのような状況に追い込んだ訳だが、その政権党を支えた連中が、その政策ミスの責任は棚上げして揚げ足取り的に民主党を中心とした政権を批判している。そして、民主党を中心とした現政権も、その見識のない大局観に欠けた批判に右往左往して混乱している。

現在の状況は、日本社会の風土や特徴を無視して、アメリカの新自由主義の一派にすりより、安易にセーフティーネットを破壊し、財政政策の再配分機能を後退させた結果であることは、この20年ほどの流れで明白となった。自民党はもちろん、そこから枝分かれしたみんなの党や立ち上がれ日本などの諸政党も、その点の反省をしっかりすることが本当の意味での変革のためには必要である。だから、自民党はもちろんその他の新党は、失敗した経済政策の分析と反省から出発しないことには変革ができない。にも関わらず、そうした動きはまったく目に入らず耳に届いていない。つまり、自民党も野党側の新党も変革が出来ていない、という結論になる。従って、彼らに勝たせることは90年代以降の失政の再現を国民が認めてしまうことにつながる。日本は、さらなる苦難の未来が待つことになるだろう。

では、民主党はどうか。菅首相の消費税増税・法人税減税の話は、失敗した小泉改革と同じ方向に政策の舵を切ろうとしているようにしか見えない。小泉改革の失敗が日本の医療や社会保障を後退させ、家計を悪化させ、格差の拡大と国家財政の悪化をもたらした訳で、法人税減税が税収の低下につながったことや、世界レベルの比較からしても日本の法人税がそれ程高い水準にないことや、1億円を越える収入を得る経営者が存在する一方で労働環境が悪化している現実を考えれば、小泉改革の失敗を繰り返すことは日本の未来を閉ざす方向転換にしか見えない。

さらに、マスコミがそれを分析したり批判したりする能力を失っていることも問題である。だいたい、小泉改革の失敗のA級戦犯の1人である竹中平蔵が、なぜしたり顔で経済や財政問題に口を挟めるのか。一億を越える経営陣の収入のわずか1割の金額でリストラの名の下に首を切った労働者の何人分かの1年分の賃金がまかなえることを考えれば、国内の生活の苦しさは経済格差の拡大に大きな要因があることをきちんと分析することが本来のマスコミの責務ではないだろうか。

変革できない自民党、そして変質する民主党…いずれも、90年代からの失敗へと政治・経済を後戻りさせようとする方向である。これでは、どちらも選べない。選挙は目前に迫っている。投票を棄権する気は毛頭ないのだが……。

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