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2010年10月 7日 (木)

グリーン大佐答えて下さい…森田童子「ラスト・ワルツ」より

過酷な時代を生きている、と思うことがある。社会の状況に希望を見出すことが難しいと感じることがけっこう増えているからだ。自分自身のことを考えても「絶望」するには経験を積み知恵をつけ過ぎたが、だからといってバラ色の夢が根拠もなく描けるほど若くもない。時々怠けることは会っても、日々の努力は積み重ねたいと思っているが、それだけでは限界があることもまた知っている。最後には、自分のために、そして他者のために祈るしかないのかな…ということになる。そういう思考をしていると森田童子の歌が恋しくなることがある。その中でも、今回はアルバム「ラスト・ワルツ」の中の1曲「グリーン大佐答えて下さい」が心に浮かんだ。手放しに「上手」とは言えないが、森田童子の高くて不安を呼び起こす歌声は、絶望の中にすら「祈り」を思いおこさせるように感じられる。

 

私たちは幸せになれるでしょうか 私たちの祈りは届いたでしょうか

グリーン大佐答えて下さい

いまだ見ぬ母の手に 奇跡の海 モーゼ 屠所の羊の群れ

やさしき地平に 帰りて眠れ 悲しき旅人

私たちは幸せになれるでしょうか 私たちの祈りは届いたでしょうか

グリーン大佐答えて下さい

母の背に帰れ 盲目の兵士 青き海を渡れ

いまだ見ぬ母の船に 私たちは伝えよう この悲しい夢を

私たちは幸せになれるでしょうか 私たちの祈りは届いたでしょうか

グリーン大佐答えて下さい

 

人生は旅に例えられることもあれば、戦いに例えられることもある。森田童子がこのアルバムをLPレコードで発表した頃よりもさらに世界は過酷になり、フツウのそして無名の人々が競争に駆り立てられ、戦いに追い立てられて疲れ果てていく。その悪しき構造にメスを入れて白日の下にさらし、それを変えていくための日々の努力は必要だし、それに絶望する気はないが、それでもこのひとときひとときの間に1人また1人と疲れ、倒れ、亡くなってしまう人々が確実に存在する。それに対して私たちの出来ることはほとんどない。せめて祈りを捧げることくらいは…と思う。

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2010年10月 3日 (日)

赤い嵐の女王…「聖戦士ダンバイン」より

「聖戦士ダンバイン」全49話を何日かに分けて続けて見た。メカとしてのダンバインとビルバインは好きだが、通して見てみると憎悪と嫉妬の中でオーラ力を増大させ、それが多くの人々を死に導いていくというストリーの流れは、見終わった後の爽快感はない。けれども、ショウ・ザマとシーラ・ラパーナとの出会いを描いた「赤い嵐の女王」は戦乱の中に開いた淡い初恋の花火のような感じがあった。

トッド・ギネスとの戦闘中に、ショウは赤い砂嵐の荒れ狂う異空間に迷い込む。そこでショウはガロウ・ランたちに追われているミ・フェラリオのエル・フィノを助け、エルに案内されてガロウ・ランが誘拐しようとしている少女シーラ・ラパーナに出会う。この出会いによって、シーラはショウにビルバインを託すことになる。

もちろん、ショウは出会った時点ではシーラがバイストンウェルの大国ナの国の女王であることは知らない。ただ、誘拐されようとしていた少女を救おうと考えただけである。もちろん、その口調や態度からただの少女ではないだろうとは思っていただろうが。ガロウ・ランのボスであるシンドロは巨大な翼竜ルグウをも操ってシーラを追うが、ダンバインに翻弄され、ルグウも同じく砂嵐の荒れ狂う異空間に迷い込んだトッドのビアレスによって倒される。ショウは、ダンバインにシーラとエルを乗せ、砂嵐の異空間から脱出する。

シーラは、感謝のキスをして聖戦士として戦うならば大局観を持つことも大切であることを説いてショウと別れ自国へ帰還する。その後のシーラの行動から見れば、シーラにとってショウとの出会いのひと時は、映画「ローマの休日」のような時間だったようである。その、ほんのりとした温かさが、とても心地好い。

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