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2010年12月31日 (金)

年の終わりに

今年も残りあと1時間を切った。個人的にはそれなりにいろいろなことがあったが、おおむね大過なく過ぎたのではないかと思う。ただ、日本は変革期のうねりの中で嵐の中の木の葉のように不安定な一年を過ごした。政治的にも、経済的にも、社会的にも……。それは、ある意味では危機であり、苦難・困難は弱い者により激しく牙を剥き、我が故郷の街でも、少し気をつけて見てみれば身近な人々がシンドイ中で日々を生きている。

友人の中にも経済的な苦境の中で忍耐の日々を送っている者がいるが、彼らに比べれば私自身は、経済的には昨年よりは多少はマシな1年だったが、それ程生活に余裕がある訳ではない。ただ、毎日を失業することもなく、餓えることもなく、凍えることもなく暮らせたというところか。

経済的には何とか生きてこれたが、振り返ってみると、そろそろ「時」がきつつあるのかな、という予感があるような出来事もいくつかあった。自我が「したい」と欲することでなく、必要とされる大きな「流れ」のようなものに沿って、苦闘しつつも努力を続けて、いつの間にか、何かに導かれているように感じる…というようなところか。「おおむね大過なく…」という言葉は使ってはいるが、小さな危機はいくつもあった。それを何とか越えてきたかな…という気はするが、成熟のための課題はまだまだたくさん残っている。それらは、結局は来年に持ち越すことになる。

身体も1年ごとに衰えていく。記憶力や集中の持続、出会ったさまざまなことやものへのフレッシュな感受性なども20年前、10年前よりも確実に低下している。けれども、それなりに歳を重ねたことによる知恵はいくらか付いてきたのではないか、と思っている。それを生かしながら、樽の中で熟成していくウイスキーのように、良い歳の重ね方をしていきたいと思う。

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2010年12月21日 (火)

堕ちていく政権

菅政権の迷走が続いている。政権奪取を前に「国民の生活が第一」を合言葉に、行き過ぎた大企業・アメリカ軍産複合体優先の政策を推し進めた小泉以降の自公政権を追い落とした民主党であったが、沖縄の米軍基地移設問題で鳩山前首相が辞任して菅直人が政権を引き継いでから、政策は自公政権のそれに逆戻りしている。

少しでも経済を上向きにしようとするのであれば、内需の拡大が必要だが、それは大企業ではなく低所得者層にお金が回るようにすれば良い。低所得層は、大企業のように「内部留保」して資金を溜め込む余裕は無いから、収入が増加してもそのほとんどを消費に回すしかない。だが、菅政権は、大企業は減税し、低所得者へは増税となる消費税の税率引き上げを目論んでいる。つまり、失敗した自公政権の経済政策に回帰しようとしているのである。

政治と金が問題ならば、まずは企業献金を全面禁止し、政治資金規正法をもっと厳しく改正すれば良い。それをせずに、企業献金の再開を打ち出すなど、政権交代に託した国民の願いを踏みにじり続けている。それが内閣支持率低下の大きな要因となっているのだが、彼にはそうした現実を見つめるだけの力はなく、責任を小沢一郎に押し付ける(小沢ばかりが異常に責められているが、同じような事を町村や二階、森元首相といった自民議員もしている訳で、それを追求しない検察やマスコミは明らかに偏向しているが…)ことでごまかそうとしている。まったく、呆れかえってしまう。

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2010年12月 8日 (水)

真珠湾攻撃から65年

12月8日と言えば「ニイタカヤマノボレ1208」を思い出す。1945年に太平洋戦争が日本海軍の真珠湾攻撃によって始まった日である。零式艦上戦闘機の太平洋戦線でのデビューということになる。零戦は九七艦攻・九九艦爆を護衛してハワイ・オアフ島の真珠湾に停泊するアメリカ艦隊・飛行場の奇襲攻撃を敢行した。港内に停泊する戦艦群のみならず、飛行場も襲い多くの戦闘用艦船と飛行機を破壊したことで、その時点では目に見える大きな戦果を上げたが、燃料タンク攻撃や空母探索などが不徹底で、その事がアメリカ国民の反日感情をかきたて、あわせてアメリカ軍の太平洋艦隊再編を予想以上に早めてしまったとの評価もある。

外務省の不手際で宣戦布告が遅れたことによる「不意打ち」の汚名などもあるが、政治の指導部の戦争についての考えそのものが大局的な視点や戦略を欠いており、そうした意味では「負けるべくして負けた」と評価されるが、アジアの諸国民や日本国民自身の被った被害はとてつもなく大きい。その意味では、歴史に学び、同じ失敗を繰り返すことのないようにしたい、と思うのだが、「歴史に学ぶ」よりも「水に流す」…つまり「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことの多い国民性があることは、日本の歴史そのものが示している。

国民を煽り、大本営発表を垂れ流して世論をミスリードしたマスコミも、昨今の様子を見ると当時に回帰しつつあるような危惧を抱くし、無能・無責任を感じさせる政権与党・野党の言動は失望ではなく、怒りと絶望を感じてしまいそうな体たらくである。朝鮮半島にきな臭い動きがある中、再び「戦前」にならないよう祈るばかりである。

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2010年12月 1日 (水)

タバコ・パージの強迫性

送られてきた文芸同人誌を読んでいたら、タバコの値上げをめぐってのことを題材にして書かれた作品が目にとまった。父がかつてはヘビー・スモーカーだった反動からか、タバコ自体はほとんど吸わないが、傍ですまなさそうにタバコを吸っている人に対して別に反感も無い。けれども、ここ数年のタバコ・パージは、どちらかと言えば強迫的な印象があり、精神的な面からは必ずしも健全だとは思えないように感じている。

確かに、タバコは身体の健康にプラスにはならないだろうし、依存性もある。けれどもそれは、コーヒーやお酒の類も同様である。例えば、お酒/アルコール飲料について考えてみても、過度に飲み続ければ肝臓をはじめとする内臓を傷めるし、依存性もある。さらにはアルコールが体内に入って神経系を麻痺させる働きもあるため、反応や判断力の低下をもたらし、人間関係の失敗や事故の原因となる可能性もタバコよりずっと高いと言えよう。アルコールを取って自動車の運転をすれば事故を起こす可能性は高くなるが、タバコはお酒類ほど運転への悪影響は無い。また、アルコール依存症は家族の関係性を破壊してアダルト・チルドレンを生み出す場合も少なくないことがずっと以前から指摘されているが、タバコの依存症がそうした人間関係のトラブルの直接の原因となっているような話は寡聞にして耳にしていない。

このように書いていると、タバコを擁護してお酒・アルコール類を糾弾しているように思われるかもしれないが、私自身はウイスキー特にシングルモルトのスコッチには目が無いし、泡盛の古酒も大好きである。所詮は嗜好品だし、節度を守ってたしなむならば精神衛生から見ても、ガマンしてストレスを溜め込むよりはずっと良いと思っている口である。だから、酒を飲みながら「身体に悪いことはえてして心には良い」などと軽口を叩いたりもする。だから、ウイスキーを飲むことに対して、今のタバコ並みのパージを受ければ、反発し、「自分の主義主張を不遜に他人に押付ける人権侵害だ」くらいは言うだろうし、「無理に禁止を強要して、結果としてストレスをため、感情が不安定になったり鬱などになったりしたら責任は取れるのか」と食って掛かりもするかもしれない。その意味では、最近の愛煙家たちはずいぶん礼儀正しいと思う。

確かに、マナーも何もなく傍若無人にふるまって他人に迷惑をかけるようなスモーカーや酒飲みは言語道断だが、病的なまでにマイノリティーになりつつある愛煙家を排除しようとする姿勢は逆に見苦しいし、精神的にも不健全である。全面的な禁煙を押付けるのではなく、喫煙スペースを多少なりとも確保しておくようなマイノリティーの人権を守る発想を維持している社会の方が精神的にはずっと健全だと思う。

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