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2011年1月23日 (日)

ジョニーウォーカー赤

今日、朝から会議があり、それに出席するには2時間かけて帰宅した上に朝7時には自宅を出なければならない…ということで久しぶりに津市内に宿泊した。とは言え、夕食の後特にすることもないので、市内のコンビニでウィスキーを見繕ったところ、ジョニーウォーカーの赤ラベルがあったので、つまみと一緒に買ってホテルに入った。

もちろん、ジョニーウォーカーは良い酒であり、赤ラベルでも十分美味しい。ただ、スコッチのシングルモルト派としては、著名なブレンデット・ウィスキーの整えられた美味しさは、逆に物足りなさを感じないでもない。それで、普段はあまり買わないのだが、それでも焼酎やビールや日本酒よりはずっと心をくすぐられるし、コンビニでジョニ赤は予想外だったので、さっそく買って部屋で荷物をおろしてから室内に設置してあった冷蔵庫の製氷スペースに放り込んだ。いつもなら、ブレンデット・モルトであればたいてい水割りにするのだが、ホテルの部屋で1人で飲むことを考えるとわざわざ水割りを作るのも面倒だと思い、氷や水も買ってこなかったので、ウィスキーそのものを冷やしたのである。

少し時間を置くのにメールをチェックし、半時間ほど経ってからDVDを見ながらチビリチビリとやり出した。買ってきたのが200ml入りの小瓶なので、ビンから直接飲むのに手ごろだし、コップなどを用意する手間もない。ミックス・ナッツなどのつまみをかじりながら冷えたウィスキーを飲む。いい感じの時間である。

飲み出せば、さすがにジョニーウォーカー、ビンから直接ストレートで飲んでも、十分に楽しめる味わいとなっている。朝の会議のことを考えてさすがに半分あまりで自重したが、朝の会議がなかったら多分空になっていたに違いない。たまには、こんな風に飲むウイスキーの飲み方があっても良いと思うし、ジョニーウォーカーの赤ラベルというのも贅沢と言うほどではなく、かと言ってそれ程悪い味でもなく、宿泊先のホテルでの楽しみとしてはちょうど良い感じであった。帰宅して今、コタツに入っているが、ジョニ赤が明日まで持つかどうかは定かではない。

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2011年1月 7日 (金)

お金は低所得者層に

景気浮揚の経済対策として「量的緩和」がよく言われ、また実行もされているが、本当に国内の景気回復を考えるならば、低所得者層にこそお金が回っていくような政策こそが急務である。ところが、聞こえてくるのは、大企業向けの法人税の減税や消費税の導入などのみ。これでは、市場に資金が出回っても、大企業や高額所得者にしか行かず、内部留保や国外投資に向けられて国内の低額所得者層には行き渡らない。その結果はどうなるかと言えば、余ったマネーが国境を越えて投資に向かい、どこかでバブルを引き起こし、生産のための実体経済に悪影響を及ぼす…という「小泉改革」以降「リーマン・ショック」までの流れを繰り返すだけである。

だから、量的緩和をすると同時に、国内の低額所得者層にお金が回っていくように政策的なリードをすることこそが必要なのである。例えば、法人税減税には正規雇用を増やすことや非正規などの時給を大幅upさせるなどの条件をつけ、それをクリアした企業にのみ減税をするとか、資金を海外投資に回す場合の課税などを工夫するなどといったこと、あるいは農林漁業などの第一次産業の労働に国土保全・環境保全の付加価値をプラスして所得の向上につながる形にするといったこと、あるいは電化製品のリサイクルの徹底によって「都市高山」に眠る貴重な資源を再利用する道すじをつけ、国内である程度の資金と労働が回り、それによって1日8時間週5日程度の労働で家計が維持できるような方向付けを与えれば、内需は拡大し、社会保障費の抑制や税収の増加にもつながっていくのではないだろうか。

けれども、安易な人件費抑制を許したことで、日本経済はズタズタになった。人件費を減らすことで企業の再構築がなったとするのは経営としてあまりにも安易な話であり、それが結果として家計を圧迫し消費支出の減少を招くことになったのだから、人件費削減に走って良しとした企業経営陣は経営者としての経営ミスに頬かむりをして責任を誤魔化した無能経営者である。そのような人々の要求をそのまま取り入れていては、日本経済の再生はおぼつかない。それが失敗であったことは小泉・竹中の経済政策の失敗から見れば明らかであろう。

にも拘らず、どうも菅政権の言動からは、失敗した自公政権の経済政策にもう一度戻そうとしているようにしか思えないところがある。失敗を繰り返しては日本は持たない。

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2011年1月 5日 (水)

過剰流動化と地域社会の荒廃

ニュース番組等の報道によれば、参議院選挙の大敗の責任を取らぬまま政権に居座り続けている菅総理は「第二の開国」などとのたまって自由貿易協定を進めていこうとしているらしい。ここで、ちょっと考えてみたいのが、江戸時代の開国についてである。江戸時代の開国の後に尊王攘夷運動が高まったのは、関税自主権のない不平等条約によって経済の流動性が高まり、地域経済・地域社会の荒廃が一層進んだことが大きな要因の1つだった。そうした歴史から学べば、安易な「開国」は地域社会の荒廃を招く恐れがあることになる。

ところで、資本主義経済の歴史を振り返ってみると、経済生産の拠点は「中心」から「周辺」へと移り、はじめは「周辺」であったところが人件費の安さと人々の平均的人的能力の向上を武器に「中心」にとって変わっていく…という推移がある。最初に産業革命を成功させたイギリスは当初は「世界の工場」だったが、周辺地域である西欧(特にフランス・ドイツ)や北米に追い上げられ、市場と原料の確保のために戦争が何度となく行われる。特に2つの世界大戦で戦場となったヨーロッパは生産手段にも人的な面でも大きな打撃を受け、経済の中心としての地位を失うが、国土が戦場とならなかったアメリカはその優位性を維持し続け、戦中から戦後にかけて経済の「中心」としての地位を確立する。その際に戦場となったドイツをはじめとする西欧諸国や日本は「中心」に近い地位から滑り落ち、再び「周辺」に転落したが、教育の高さという好条件もあり、半世紀も経たずにトップに迫る品質と生産性を回復する。そうした状況の中で、アメリカの優位を維持するために生まれたのが金融資本主義(グローバル資本主義)だったのではないか。ただ、それは資本の移動をより便利にする、という形で流動性を過剰に高め、利潤追求のためには地域破壊も辞さないような根無し草のマネーを大量に生み、経済を不安定化させてしまった。そうした中で生産経済の面では「周辺」(決してアフリカなどの「辺境」ではない)地域であるアジアNEASやBRICs諸国が力をつけ「中心」となるべく経済発展を続けている…といったところが今の状況ではないだろうか。

ただ、問題となるのは地域破壊につながる過剰流動性をどう制御するか…という点である。そして、それに失敗すれば、経済も社会も大打撃を受けてしまう。「流れに乗り遅れまい」というだけの安易な「開国」は金融資本主義によって徹底的に痛めつけられた地域社会をさらに危険にさらす可能性がある。モノや資本が今以上に流動性を高めれば、当然地域を支えるべき人々も流動化せざるをえない。地域に生まれた人々が去り、さらに他からの(当然、他国も含めた)人々が長期であれ短期であれ流れ込めば、地域社会は変質し「伝統行事」なども維持するのが困難になるかもしれない。

本流の「保守」からすれば地域社会の荒廃は、決して看過できない。だから、本当の意味での保守政治家は「革新」と組んででもその流れを何とかしようと考えるのであろう。「国民の生活が第一」の言葉はその意味であると考えられる。だが、菅政権はそれを真っ向から否定しつつ、その一方で荒廃に対する手立てをまったく打っていない。それでも「開国」で良いのだろうか? 安易なマスコミの扇動に流されるしっかりと考えてみる必要がありそうだ。そう、「大攘夷」の手段のために「開国やむなし」を選択した江戸末期の人々のように。

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2011年1月 1日 (土)

新しい年は明けたが

謹賀新年

 

新しい年が明けた。とは言っても、特に新しいことがある訳ではない。雑煮を食べ、サッカーを見て、TVやDVDを見て1日が終わろうとしている。平和な元旦である。ただ、日本列島に居座っている寒気の影響で、日本海側は大雪である。米子など、研究会などで交流のある人たちも住んでいるので、悪影響が出ていないか心配ではある。

とは言っても、心配できることは自分自身に余裕があることなのだろう。その意味では、社会や経済でも、本来、お金や生活に余裕のある人は、心の余裕を持って他者と接することや他者を助けることが出来るはずなのである。ところが、必ずしもそうとは言えないところが今の日本の社会にはある。今年は、それが少しでも改善されて欲しいものである。

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