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2011年1月 5日 (水)

過剰流動化と地域社会の荒廃

ニュース番組等の報道によれば、参議院選挙の大敗の責任を取らぬまま政権に居座り続けている菅総理は「第二の開国」などとのたまって自由貿易協定を進めていこうとしているらしい。ここで、ちょっと考えてみたいのが、江戸時代の開国についてである。江戸時代の開国の後に尊王攘夷運動が高まったのは、関税自主権のない不平等条約によって経済の流動性が高まり、地域経済・地域社会の荒廃が一層進んだことが大きな要因の1つだった。そうした歴史から学べば、安易な「開国」は地域社会の荒廃を招く恐れがあることになる。

ところで、資本主義経済の歴史を振り返ってみると、経済生産の拠点は「中心」から「周辺」へと移り、はじめは「周辺」であったところが人件費の安さと人々の平均的人的能力の向上を武器に「中心」にとって変わっていく…という推移がある。最初に産業革命を成功させたイギリスは当初は「世界の工場」だったが、周辺地域である西欧(特にフランス・ドイツ)や北米に追い上げられ、市場と原料の確保のために戦争が何度となく行われる。特に2つの世界大戦で戦場となったヨーロッパは生産手段にも人的な面でも大きな打撃を受け、経済の中心としての地位を失うが、国土が戦場とならなかったアメリカはその優位性を維持し続け、戦中から戦後にかけて経済の「中心」としての地位を確立する。その際に戦場となったドイツをはじめとする西欧諸国や日本は「中心」に近い地位から滑り落ち、再び「周辺」に転落したが、教育の高さという好条件もあり、半世紀も経たずにトップに迫る品質と生産性を回復する。そうした状況の中で、アメリカの優位を維持するために生まれたのが金融資本主義(グローバル資本主義)だったのではないか。ただ、それは資本の移動をより便利にする、という形で流動性を過剰に高め、利潤追求のためには地域破壊も辞さないような根無し草のマネーを大量に生み、経済を不安定化させてしまった。そうした中で生産経済の面では「周辺」(決してアフリカなどの「辺境」ではない)地域であるアジアNEASやBRICs諸国が力をつけ「中心」となるべく経済発展を続けている…といったところが今の状況ではないだろうか。

ただ、問題となるのは地域破壊につながる過剰流動性をどう制御するか…という点である。そして、それに失敗すれば、経済も社会も大打撃を受けてしまう。「流れに乗り遅れまい」というだけの安易な「開国」は金融資本主義によって徹底的に痛めつけられた地域社会をさらに危険にさらす可能性がある。モノや資本が今以上に流動性を高めれば、当然地域を支えるべき人々も流動化せざるをえない。地域に生まれた人々が去り、さらに他からの(当然、他国も含めた)人々が長期であれ短期であれ流れ込めば、地域社会は変質し「伝統行事」なども維持するのが困難になるかもしれない。

本流の「保守」からすれば地域社会の荒廃は、決して看過できない。だから、本当の意味での保守政治家は「革新」と組んででもその流れを何とかしようと考えるのであろう。「国民の生活が第一」の言葉はその意味であると考えられる。だが、菅政権はそれを真っ向から否定しつつ、その一方で荒廃に対する手立てをまったく打っていない。それでも「開国」で良いのだろうか? 安易なマスコミの扇動に流されるしっかりと考えてみる必要がありそうだ。そう、「大攘夷」の手段のために「開国やむなし」を選択した江戸末期の人々のように。

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