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2011年4月30日 (土)

何やってんだ~ふざけんじゃねえ~菅などいらね~

菅政権になってからの自民党政策への回帰は目に余るが、この震災対応を見ていても石を投げたくなってくる。古代ギリシャの民主制であれば陶片追放でもしているだろう。大体、原発政策は旧政権からずっと続いているものであり、自民党辺りはどの面さげて批判を口にするのか、という気がしないでもない。が、それ以上に菅総理の対応のまずさ、災害という人々の不幸を自らの政権存続のために利用しているとしか見えない醜悪さが鼻をつく。そしてこの上、増税だとか。

ちょっと待て。国民の負担を口にする前にやることがあるだろう。まず、首相をはじめ閣僚や国会議員の給与の半減、またこの非常時にアメリカの国債は死蔵しているわ、思いやりやり予算は聖域におくわ…というのはちょっと違うだろう。昨年の参議院選挙の惨敗があるし、国民はもともと菅首相を信任している訳ではない。それが未曾有の震災・津波・原発事故という災害の中で「政治的空白を作るのは悪いかも知れない」と一瞬は考え、様子を見ようとしたのが、打つ手が遅く、ピント外れで、しかも自らの責任回避と保身を考えているとしか見えない行動ばかりである。自画自賛をするのは勝手だが、この上首相の座に居座り続ければ、日本に対する外国からの信頼は低下するだろうし、国民はピントの外れた悪政によって長く苦しみ続けるだろう。

この際、政治的空白を作っても、菅首相を退陣させた方が、長期的には日本の国益にもなるし、国民の不幸を最小に押さえられるのではないか。

何やってんだ~ふざけんじゃねえ~菅などいらねえ

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2011年4月29日 (金)

「がんばれ日本」への違和感

震災後、テレビをつけていると「がんばれ日本」という言葉が目につく。未曾有の大災害の後、それでも生き、復興を目指すためには確かにがんばることは大切なのだが、一方で、被災者の方々、現場でそれこそ命懸けで働く技術者や作業員、自衛隊や外国からの支援の方々、ボランティアの方々は十分にがんばっていると感じられる。仲の良い友人の中にも、この連休を利用してボランティアに行こうと動いている者もいる。それは、すばらしいことだと思う。

だが、その一方で、政府首脳や東電の経営陣たちの「がんばり」はほとんど伝わってこない。それこそ現地の人々や一般の国民に「がんばれ」を押付けて、自らは責任回避に動いているようにしか見えない。これは、いかがなものだろうか。

これだけの大災害である。どのように動いても、批判は必ず出る。それはある程度仕方のないことである。それでも、その中で少しでも早くしかも被災者の方々の生活の立て直しの支援体制をどれだけ整えられるかが大切である。

私自身、それなりに歳をとっているので、阪神淡路大震災の記憶はある。被災地域は今回ほどの広範囲ではなかったし原発事故もなかったが、親戚や交流の深かった先生なども神戸住んでいたので後で話も聞いた。当然、村山政権への不満や批判も耳に入ったが、今回の政府や東電のトップの対応と比較して、ずっと真剣さは勝っていたなあ、と感じている。

現地の人々は、十分にがんばっている。それは、遠く離れていても十分に伝わってくる。その人たちに対して、これ以上「がんばれ」という言葉はとても言えない。けれども、もっとがんばらなければならない人がいる。その人たちの責任を「がんばれ日本」の言葉の中にうずめ、ごまかしてしまってはいけない。責任回避に走っている連中よ、あなたたちこそがんばれ !! そして、ごまかすな !! 「がんばれ日本」の言葉に接する度に、そんなことを感じる今日この頃である。

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2011年4月14日 (木)

「銀河英雄伝説」から信頼できる【指導者】を考える

田中芳樹の書いた小説「銀河英雄伝説」は、徳間書店から原作のストリーに忠実アニメ化されたが、現在の日本のトップに立つ人々の無能ぶりを報道で目にしたり耳にしたりする中で、改めて【指導者】への信頼について考えてみようと思った。

福島原発の事故において、現場で必死に命懸けの作業を続けている人々の行動と責任感には本当に頭が下がるが、逆に政府にしろ東電にしろ上に立つ立場の人々の言動には失望し、呆れかえり、その言葉に対する信頼は日に日に揺らいでいく。このような状況にあっても「大本営発表」を続けているトップとそれを垂れ流すだけのマスコミ(マスゴミ !?)報道には、もはやほとんど信頼が置けなくなりつつある。

最大の理由は、自分たちは安全な場所にいて、人々を死地に追いやりながら自己責任を回避し続けているからである。それと、反対の行動をラインハルトはしている。ラインハルトは危険な戦闘の場に必ず身を置いて配下の軍を指揮し続けてきた。それが部下たちの士気を高め、ついには新銀河帝国の皇帝にまで上り詰める。ラインハルトは、自ら安全な場所に身を置きながら国民を死地に追いやり続けた旧銀河帝国の貴族とその政治体制を憎んでおり、その思いが自らをして戦いの前線に立たしめていたし、それゆえに配下や国民の支持を得ていたのである。自ら前線に立ち続けたという意味に置いては、自由惑星同盟のヤンも同じであったし、ヤンもまた自らは安全な場所にいて自分達の利益のために他者を死地に送る決定をする輩を軽蔑していた。

ただ、旧銀河帝国にも自由惑星同盟にも、自分は安全な場所にいながら他者を死地に送り込む決定を平然と行い、その決断が間違っていた時には責任を他の連中に擦り付けて自らは責任逃れに終始しようとする醜いトップはいた。例えば、自由惑星同盟のトリューニヒトは戦争を賛美し国家に対する国民の犠牲を説いたが、ヤンの戦死した親友の婚約者で後には議員となったジェシカに、「自分や家族はどこにいるのか?」と決して前線に自分や身内を送らずに戦争を継続しようとする姿勢を厳しく追及される。また帝国貴族のリッテンハイム侯は戦闘に敗北して逃走する時に「私の転進の邪魔をする」という理由で味方の補給艦隊を攻撃して責任転嫁を図ろうとしたし、帝国屈指の大貴族であったブラウンシュバイク公は、ラインハルトの計略に乗せられて出撃したため手痛い反撃を食らった際に助けに来たメルカッツ大将に「なぜもっと早く助けに来なかった」と怒鳴り散らす。メルカッツが敵の計略だと出撃を止めたにも関わらず…である。

これはもちろん、小説やアニメの話である。けれども、トリューニヒトやリッテンハイム侯、ブラウンシュバイク公の姿は政府や東電のトップの姿とどこかしら重なってくる。そして、そのような指導者に命令されても彼らのために頑張りたいとは思えないし気力もやがて尽きてしまうだろう。一方、ラインハルトやヤンのような指導者の下でならば、自分自身としても、全力を尽くしてやれることをやりたい、と思う。未曾有の危機を口にするにしろ、その上で、どれだけ前線に立って決断や決定、指図ができるか。そこに指導者として信頼できるかどうかのポイントの1つがあるのだろう。

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2011年4月 3日 (日)

ラヴ・ミー・テンダー ~ The RC Succession カバーズ より

この歌を初めて聞いた時、驚いた。ここまで言ってしまって良いのかと。案の定、原子力発電所の製作に深い関わりを持つ東芝の関連企業である東芝EMIは「すばらしすぎて出せません」などという訳の分からないコメントと共にCDの発売を拒否した。RCサクセションはKITTY RECORDSからこのアルバムを発売した。その経緯から、実は原子力発電所は危険な代物に違いない、と思った。本当に、原子力発電所が安全ならば、この程度の内容はギャグとして笑い飛ばす大らかさを持っていると思われたからである。そして、その思いは23年の時を経た今年の3月の大震災と大津波で現実のものとなった。特に2番の歌詞の冒頭「放射能はいらねぇ 牛乳を飲みてぇ」のフレーズは、胸に突き刺さる。

 

何 言ってんだー ふざけんじゃねぇー 核などいらねぇー 何 言ってんだー よせよ だませやしねぇ 何 言ってんだー やめときな いくら理屈をこねても ほんの少し考えりゃ 俺にもわかるさ

放射能はいらねぇ 牛乳を飲みてぇ 何やってんだー 税金(かね)かえせ  目を覚しな たくみな言葉で 一般庶民を だまそうとしても ほんの少しバレてる その黒い腹 何 やってんだー 偉そうに 世界の真中で OH, MY DARLING, I LOVE YOU 長生きしてえな

LOVE ME TENDER, LOVE ME TRUE, NEVER LET ME GO OH, MY DARLING, I LOVE YOU だまされちゃいけねぇ 

何 やってんだー 偉そうに 世界のど真中で OH, MY DARLING, I LOVE YOU 長生きしてえな

 

日本語の歌詞は忌野清志郎が書いている。20年以上後のこの惨事を鬼籍に入った彼が知っていた筈がない。けれども、牛乳や野菜から放射能が検出され、決死の覚悟で作業を続ける下請けや前線の技術者たちを尻目に、経営陣は安全な場所で謝罪や記者会見をしている。最前線でそれをやらない、無責任さや腹黒さはあまりにも醜い。この歌は、それを予見し、糾弾しているようにも聞こえてくる。

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