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2011年4月14日 (木)

「銀河英雄伝説」から信頼できる【指導者】を考える

田中芳樹の書いた小説「銀河英雄伝説」は、徳間書店から原作のストリーに忠実アニメ化されたが、現在の日本のトップに立つ人々の無能ぶりを報道で目にしたり耳にしたりする中で、改めて【指導者】への信頼について考えてみようと思った。

福島原発の事故において、現場で必死に命懸けの作業を続けている人々の行動と責任感には本当に頭が下がるが、逆に政府にしろ東電にしろ上に立つ立場の人々の言動には失望し、呆れかえり、その言葉に対する信頼は日に日に揺らいでいく。このような状況にあっても「大本営発表」を続けているトップとそれを垂れ流すだけのマスコミ(マスゴミ !?)報道には、もはやほとんど信頼が置けなくなりつつある。

最大の理由は、自分たちは安全な場所にいて、人々を死地に追いやりながら自己責任を回避し続けているからである。それと、反対の行動をラインハルトはしている。ラインハルトは危険な戦闘の場に必ず身を置いて配下の軍を指揮し続けてきた。それが部下たちの士気を高め、ついには新銀河帝国の皇帝にまで上り詰める。ラインハルトは、自ら安全な場所に身を置きながら国民を死地に追いやり続けた旧銀河帝国の貴族とその政治体制を憎んでおり、その思いが自らをして戦いの前線に立たしめていたし、それゆえに配下や国民の支持を得ていたのである。自ら前線に立ち続けたという意味に置いては、自由惑星同盟のヤンも同じであったし、ヤンもまた自らは安全な場所にいて自分達の利益のために他者を死地に送る決定をする輩を軽蔑していた。

ただ、旧銀河帝国にも自由惑星同盟にも、自分は安全な場所にいながら他者を死地に送り込む決定を平然と行い、その決断が間違っていた時には責任を他の連中に擦り付けて自らは責任逃れに終始しようとする醜いトップはいた。例えば、自由惑星同盟のトリューニヒトは戦争を賛美し国家に対する国民の犠牲を説いたが、ヤンの戦死した親友の婚約者で後には議員となったジェシカに、「自分や家族はどこにいるのか?」と決して前線に自分や身内を送らずに戦争を継続しようとする姿勢を厳しく追及される。また帝国貴族のリッテンハイム侯は戦闘に敗北して逃走する時に「私の転進の邪魔をする」という理由で味方の補給艦隊を攻撃して責任転嫁を図ろうとしたし、帝国屈指の大貴族であったブラウンシュバイク公は、ラインハルトの計略に乗せられて出撃したため手痛い反撃を食らった際に助けに来たメルカッツ大将に「なぜもっと早く助けに来なかった」と怒鳴り散らす。メルカッツが敵の計略だと出撃を止めたにも関わらず…である。

これはもちろん、小説やアニメの話である。けれども、トリューニヒトやリッテンハイム侯、ブラウンシュバイク公の姿は政府や東電のトップの姿とどこかしら重なってくる。そして、そのような指導者に命令されても彼らのために頑張りたいとは思えないし気力もやがて尽きてしまうだろう。一方、ラインハルトやヤンのような指導者の下でならば、自分自身としても、全力を尽くしてやれることをやりたい、と思う。未曾有の危機を口にするにしろ、その上で、どれだけ前線に立って決断や決定、指図ができるか。そこに指導者として信頼できるかどうかのポイントの1つがあるのだろう。

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