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2011年6月29日 (水)

「ねこ曜日」…谷山浩子〈しまうま〉より

先月から外の仕事に出ているが、この地方の梅雨明けの声はまだ聞かないのに毎日暑い日が続いている。当然、摂取する水分量も増加するのだが、それ以上に大量に汗をかくので、体重が数キロ落ちた。それは別に良いのだが、さすがに夜になっても室内の温度は下がらず、クーラーを嫌っている身としてはさすがにグッタリしてきている。そこで久しぶりに谷山浩子の歌を聞いていたら、「何もしない ねころんで まどろむだけ」というフレーズが心に風鈴のように響いた。そこで今夜はちょっとblogを書く気になった。

 

 

ねこ曜日 何もしない ねころんで まどろむだけ あなたのひざ 温かい ほかに 何もいらない にぎやかな表通り  飾りたてたお店より ふたりすごす この部屋が わたしたちの一番

広い広い世界の中に たったひとつだけ さがしあてた 大切な場所 やすらげる場所 ほんとのわたしに 帰れるところ

広い広い世界のどこか どんな人にでも 必ずある 大切な場所 やすらげる場所 たとえ今はまだ 気づかなくても

ねこ曜日 何もしない ねころんで日ざしの中 ややこしい仕事のこと 今は忘れていよう 甘えてね ねこのように 首筋をなでてあげる 静かに夜のとばりが 部屋をつつむ時まで

 

広い広い世界の中に たったひとつだけ さがしあてた 大切な場所 やすらげる場所 ほんとのわたしに 帰れるところ

広い広い世界のどこか どんな人にでも 必ずある 大切な場所 やすらげる場所 たとえ今はまだ 気づかなくても

 

 

大切な相手とゆったりとした時間を、こんな風に過すことができれば、疲れた身体や疲れた心も次第に回復するのではないだろうか。だいたい、近代以降、産業社会で暮らす人々は働き過ぎているのではないだろうか。たまには「ねこ曜日」でも聞いて、ゆったりとした時間の流れの中に身も心も浸していたいものである。

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2011年6月19日 (日)

「アバター」と「もののけ姫」

先日、借りてきた「アバター」のDVDを見た。上映当時の鳴り物入りでの宣伝を覚えていたのであまり期待していなかったのだが、けっこう楽しむことができた。そして、見終わった後、「もののけ姫」を思いだした。

近代西洋の意識では「自然」とは征服するものだが、日本神話などの多神教の世界では「自然」とは、本来は畏怖し共存を願うものだった。だが、人間の活動が広がる中で欲望が拡大し、森を切り開き、自然と神々の世界を侵犯しようとする。「もののけ姫」では鉄と薪だったか、「アバター」ではレアメタルという違いはあっても、その構造は共通している。そして、欲望に駆られた人々が、かけがえのないものを破壊していくのである。

ただ、結末は少し異なっていた。「もののけ姫」では大きな矛盾を抱えながらも生きようとする。共存は困難かもしれないが…という含みを持たせながらの灰色決着である。一方、「アバター」では徹底的に敵と対決し、相手が死ぬまで戦いは終わらない。白か黒かの決着となる。見た時は多少はすっきりするにしろ、そんな決着の付け方では問題は絶対に解決しないだろうと思う。ただ、その辺りに欧米の文化的な背景や無意識と、日本の文化的な背景や無意識が感じられる。

そんなことをちょっと考えてしまった。

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