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2011年7月27日 (水)

東電を潰さない不平等と無責任

飼料から食肉への原発事故被害の拡大が表面化する中、東電の経営陣や株主、金融機関への責任追及がうやむやにされようとしている。未曾有の天災が引き金になったとはいえ、福島の原発事故の被害の拡大に、経営陣の安全判断の甘さと事故対応の不適切さが、政府・菅政権の対応のまずさと共に、時間が経つほどに漏れてきている。政府や東電が、必死に隠したりごまかそうとしたりしているにも関わらず……。

当然、その責任は東電、特に経営陣と政府…現民主党菅政権の不手際も大きいが、国策として関わってきた時間の長さからすれば自民党と公明党の責任はいっそう重い…の責任は非常に大きい。当然、東電がつぶれても保障に全力を傾ける必要があり、現経営陣とそれを認めた株主は、その責任を負う必要と責任がある。もちろん、株主は出資した範囲での有限の経済的責任…つまり損失を甘んじて引き受けるということになる…だが。その上で、税金を投入し、安全を軽視したために大事故を引き起こした上に隠蔽と責任回避を図って対応を遅れさせ、事故をさらに深刻なものにした経営陣には、経済的以上に収監も含めた法的な責任をとらせることが必要である。そうしたことを考えれば、アメリカがGMを潰したように、東電を潰すのが資本主義の経済的な平等である。

ただ、電気という公的事業という事で現場の仕事と電力の供給は、政府が責任を持って仕事と現場従業員の生活と仕事の保証を図ればよい。そして、事故補償の支払いの遅れが出ることを考慮した上での一時的な立替と迅速な保障の実施を政府が行い、東電の資産と経営陣の財産は全て没収してその支払いに当てればよいのである。

ところが、その道筋が見えてこないばかりでなく、経営陣が変わらぬまま東電の資産は温存され、保障に税金をつぎ込むことだけが議論されている。おかしな話である。こんな不平等と無責任は、資本主義の経済体制で許されること自体がばかげている。東電は産業再生機構入り、資産は売却、幹部経営陣は業務上過失致傷(自殺者も出ていることも考えれば業務上過失致死か)で、その責任に応じて収監…これが、平等で責任ある対処であろう。

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2011年7月25日 (月)

熱中症と節電ファシズム、そして…

梅雨も意外に早く明け、今年は暑い夏が長く続きそうな気配である。そんな中、原発事故による影響で、点検後再開されない原発が増え、マスコミによる「節電キャンペーン」が幅を利かせている。本当に電力供給がギリギリの状態ならばそれも仕方のないことだと思うが、週刊誌やネットなどの情報によると、例えば夜間の電力を利用した揚水発電や停止中の火力発電等の再開の電力供給を小さく見積もった形での数字の改ざんが行われているらしい。そして、停電の危機を煽って心理的に国民を恫喝し、原子力発電の必要性を強調し、再稼動を目論んでいるらしいというのだ。

マスコミや東電、菅政権が信頼できるのであれば、それは単なるデマと片付けられるのだが、3.11以来、東電や菅政権の発表が決して信頼できるものではなく、また多くのマスコミが戦前の「大本営発表」のように東電や政府寄りの報道を垂れ流すだけの「マスゴミ」に成り下がっている現実が白日のものとなってしまった。となれば、政府や「マスゴミ」の報道以外の情報にも目を凝らし、耳を傾ける必要が出てくる。

そのような目で「節電」報道を見てみると、「節電」そのものを強制するファシズム的な匂いがプンプンしているのを感じる。しかも、高齢化の進む日本での夏の「節電ファシズム」報道は、高齢者の熱中症の危険を増加させる殺人報道になる可能性がある。なぜなら、年齢が上がるほど身体の感覚は鈍くなり、暑さに鈍感となって体温の上昇に対する身体感覚のセンサーが働き難くなり、クーラーのスイッチを入れたり温度を下げたりする対処が遅れる危険があるからである。それに加えて、年配の方々は「東日本大震災と原発事故のため」と言われれば、素直に節電に協力する割合が高く、その意味でも危険は増加する。確かに、ある程度の節電は必要だろうしそのこと自体を否定しないが、本当の意味でどれだけの節電が必要かは、信頼できる正確な数字を発表した上で、「原子力ムラ」の金を受け取っていない中立の人による丁寧な説明を聞いて判断すべきものであろう。

節電だけではない。地デジ化もなぜ、この時期にこの早さで行わなければならないのか。そして、なぜ衛生デジタルでないのか、という検証も行われずに無理やり進められ、終了した1日だけで万単位の問い合わせが殺到したという。これは、取りも直さず、問い合わせ件数の半分で考えたとしても、被災地外で数万は地デジ難民が発生している可能性は否定できない。ヨーロッパでは地デジでは電波が届かないために衛生デジタル化を選択している国もあるようだし、今回の東日本大震災では地デジはほとんど役に立たなかったという話も聞こえてきている。そのような中での地デジ化の強行は、デジタルやネットの知識の少ない高齢者や低所得者層に多くの情報弱者を生み出したことになる。

牛の飼料に高濃度の放射性物質が含まれていた事件でも、農家も飼料会社も肉を売った店も買った人も全てが被害者であり、過失だとしても加害者は東電と政策として原発を推進してきて来た政府(同然、自公は推進した当事者であり現政権以上にその責任は大きい)である。が、その責任をうやむやにしようとする姿勢は非常に悪質であり、マスコミも検察も本来は徹底的に糾弾・告発すべき性質の重過失である。

あまりにも国民生活をないがしろにした、小泉以降の自公政権によって国民生活は多大の傷と痛みを負った。それを国民の側に立って立て直そうとしたのが民主党のマニフェストであり、民主党が政権を奪取した理由もそこにあったと考えられるが、菅政権になってからマニフェストの矮小化やマニフェストの空洞化・骨抜きが次々と行われ、ついには「見直し」まで政権幹部の口に上るようになった。何をかいわんや…である。

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2011年7月 7日 (木)

追悼…和田慎二

「スケバン刑事」「ピグマリオ」などのTVドラマ化、アニメ化されたマンガの作者、和田慎二さんが7/5に亡くなられた。「スケバン刑事」や「ピグマリオ」の原作マンガは、我がマンガ蔵書の中に全巻揃っているが、他にも「超少女明日香」や「少女鮫」「わが友フランケンシュタイン」などもあり、和田さんは好きなマンガ家の1人である。

中でも「ピグマリオ」は神話・伝説の匂いの色濃いファンタジーで、心理学・カウンセリングの勉強を再開しから、そのキャラクターの配置や関係、ストリーの流れには改めて感心してしまった。西洋的な自我の成長を考えるにあたり、非常に興味深いものを数多く含んでいたからである。ただ、そのような知識はなくても、基本的におもしろく、感動的な作品である。

ドラマ化の際に斉藤由貴や南野陽子、浅香唯などのアイドルたちが主演した「スケバン刑事」も、ぐいぐい引き込まれていくストリーに読み出したら止まらなくなってしまうようなおもしろさがある。「怪盗アマリリス」や「忍者飛翔」という作品、そして「超少女明日香」のシリーズなどは、ちょと変身的な要素もあり、読んでいて純粋に楽しい。また、最近の「傀儡師リン」という作品も、人形が動くという突飛な設定の下で、色々と謎をはらんだ展開が、読者を楽しませてくれている。

こうしてその作品を振り返ってみると、ミステリー色はけっこうあるが、適度な笑いも散りばめられ、安心して楽しめるものばかりであることが分かる。まだまだ活躍して、もっともっと楽しい作品を生み出して欲しかった。心から、ご冥福をお祈りしたいと思う。

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