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2012年10月 4日 (木)

いじめ雑考

また、「いじめ」事件がマスコミを賑わしている。以前、県内のとある郡PTA連合会に呼ばれ、いじめの問題について講演したことがあるが、マスコミの報道の仕方では「いじめ」は決してなくならないと感じている。なぜなら、数年、もしくは4,5年に一度くらいのサイクルで「いじめ」事件がセンセーショナルに報道されてはいても、事件そのものは何度も繰り返されているからである。報道は、決して「いじめ」が起きる構造に踏み込むことはほとんどなく、精神論を繰り返すだけである。精神論で実際に減少したりなくなったりするならば本人たちの意識の問題で解決できるが、何度も繰り返されている以上、精神論では通用しない。本気でなくそうと考えるのであれば、その構造に深く切り込んだ報道によって、環境や構造そのものを変えていくきっかけを作っていく必要がある。
さて、いじめ事件が起こると「精神論」を振りかざして解決できる気になる無知で愚かな連中に出くわすことが少なくないが、ここでちょっと考えてみよう。学校の教師や職員で「いじめはいけないことである」と考えている人はまずほとんどいないだろう。同じように、子どもたちに尋ねてみてもほとんどの子が「いじめはいけない」と答えるだろう。そして、子どもたちの親や家族も「いじめは絶対にいけない」と答えるに違いない。だから、誰もが「いじめはいけない」「いじめは悪いことだ」と知っているのである。
知っているにも関わらず、「いじめ」事件が繰り返されるのはなぜだろうか。『龍』という村上もとかのマンガで、主人公が記憶を失って世話になっている家の子どもがいじめられているシーンがあり、「やっている子どもにとっては【遊び】…」というセリフが出てくる。「いじめは悪い」と知っていても自分がやっていることが【遊び】やストレス解消の【気晴らし】だと感じているとしたら、「いじめ」は止まらない。そして、もう一つ、そのように陰湿な【遊び】や【気晴らし】をしなければならないほど深刻なストレスや苦痛を【やっている子ども】がどこかで感じている可能性もけっこう高い。そうだとすると、やはり「いじめ」は止まらない。ターゲットが移動するだけである。
とすれば、「いじめ」を減らすには、学校や親に「精神論」を押し付けても無駄で、それよりも子どもたちがストレスを溜めないように丁寧にケアできる環境を整えることが重要となる。その前提条件として、大人が心にゆとりをもって丁寧に子どもたちに接する時間を増やすことが必要になる。小泉改革以降、教育予算を減らし続けてきたことや、人件費を削って家計収入を低下させる政策を導入し福祉予算を削って家庭から経済的・時間的余裕を奪ってきたことは、それに反する正反対のことを行ってきたことになる。「精神論」にごまかされないで、そうした構造にメスを入れ、改善していく努力をしていくことが我々大人に必要であろう。

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