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2012年11月30日 (金)

コミュニケーション不全社会

先週「エヴァンゲリオンQ」の映画を見てきた。基本的に、大人が全く説明責任を果たしていない/説明責任を果たそうという努力すらしない設定に反吐が出そうになった。そう言えば、衆議院が解散され来月は総選挙が行われるが、自民党にしろ民主党にしろ、売国政治屋連中の言葉も説明責任を果たさずに、自画自賛と足の引っ張り合いばかりである。他者の言葉に真剣に耳を傾けてきちんと議論する姿勢は見られず、根拠を抜きにした自己主張だけを繰り返す。コミュニケーションの基本ができていないのである。
仮にも「民主」という言葉を使っているのであれば、相手の意見をきちんと聞き、少数意見であっても尊重すべき部分は大切にしてしかるべきである。けれども、あれ程の重大な事故の後でも、多くの国民の「原発を止めよう」という声が無視され、再稼働を画策する連中が暗躍する。それも、自分たちは安全な場所にいて……である。多くの人々の声を無視して他者に自分たちの主張を押し付ける連中はファシストか何かではないか。しかも、ファシストよりも質が悪いのは、国民の利益よりも余所の国の金持ちの利益を優先しようとする売国奴的な動きが目に余る。自らの主張や行動が「正しくない」と、心のどこかで感じているからこそ、他者の意見・多くの日本国民の意見に耳を傾けられないのかもしれない。
国を動かす立場にいる連中がそうだと、社会にコミュニケーションを無視する空気が広がり、蔓延していく。今の日本の状況は、まさにそれではないか。かつては多くの日本人が大切にしていた「察する」という心遣い。それは、相手の様子をよく観察し、わずかな言葉の中に込められた思いを大切に受取ろうという姿勢の上に成り立つものだった。だが、相手のことを考えず相手の言葉を無視して自らの主張をゴリ押しし続ければ、コミュニケーションをあきらめゴリ押しによって相手を蹴落とし自分だけが得しようということになっていく。そこに良質のコミュニケーションは生まれなくなり、お互いの関係もギスギスしたものになる。誰が、そんな社会で暮らしたいだろう。
まずは、自分の周りの人々の話をよく聞き、お互いが良いコミュニケーションを取れるように心掛けたい。その中で生まれる過ごしやすさを、少しずつ広げていければと思う。

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