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2014年6月30日 (月)

解釈改憲閣議決定の大きなリスク

先進国首相としてあまりにも恥ずかしい首相の暴走を誰も止められない。日本は、先進国・民主国家・法治国家という前提を国のトップたる総理大臣が自らの行動によって否定しようとしている。近代国家は、政治権力の暴走を止めるために憲法や法律を整え、法律や憲法に従って政治を行うことを前提としている。それは、一個人が勝手に権力を乱用しないためである。そして、それを守るということが近代国家としての前提であり、明治政府も諸外国から近代国家として認められるように法律を整備し、憲法を制定した。これは、義務教育段階の中学校社会で教えられていることである。
にも関わらず、現総理はそんな中学生ですら理解できていることを理解していないらしい。恐るべき無知であり、民主国家日本の恥さらしである。総理をはじめとして国会議員は憲法順守の義務がある。そして、憲法は近代国家にあって最高法規である。その憲法の解釈を、たかだか1内閣の総理が閣議決定によって大きな変更を加えようとしている。また多くの世論がそれに賛成していないことを様々な世論調査が伝えているし、地方議会からも反対の声が上がっている。にも拘わらず、閣議決定による解釈改憲を強行することは、総理自らが、法治主義を否定し、日本という国が行政のトップの判断のみで簡単に法律を変えてしまう反動国家であると、諸外国に宣伝してしまうことを意味する。加えて、国会による判断もないまま憲法を変更できる道筋を作ってしまえば、日本の政治家も議員も立憲主義も法治主義も理解できない前近代的野蛮国家だと政治家がそれぞれの行動によって認めるようなものである。
けっきょく、政権が代われば、最高法規である憲法すらも簡単に変更できる、ということになり、法治国家・近代国家・先進国としての日本の信用、日本の法律や憲法への信頼は失われることになる。そのような国家と条約を結んで、信用する近代国家があるだろうか。民主政治・法治主義の原則を知る近代国家の政治家であれば、日本との条約の締結や条約の履行に対する信頼には疑問符を付けざるを得ないだろう。憲法すらトップの意向だけで軽々しく変更できるような国である。法律だろうが条約だろうが、トップが代われば簡単に変えてしまうに違いない。そう判断されても仕方がないだろう。
安倍政権の暴走は、日本の政治に対する他国の政治家の根本的な信頼感を失わせる口実を与える愚行であり、一度失った信頼を取り戻すのは非常な困難を伴う。私は、閣議決定による解釈改憲には絶対に反対だし、このような首相を支持しない。

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2014年6月19日 (木)

世界の果ての通学路

先週末、カウンセリングの後が久々に空いていたので、伊勢市内にある小さな映画館に出かけた。進富座は、派手にTVなどで宣伝される映画はあまり持ってこないが、色々な国の良質の映画をよく持ってくる。伊勢や津に出かけた時に、ぽっかり数時間開いたりすると、上映時間だけ確認して(つまり、映画そのものを確認せずに)出かけても、「外れだった」と思ったことは1度もない。今回はさすがに映画の題名は確認して出かけたのだが、なかなか心にしみるドキュメントだった。
On The Way To School…世界の果ての通学路(邦題)フランスのパスカル・プリッソン監督の手によるドキュメンタリー映画だ。ケニヤ、インド、モロッコ、アルゼンチンの4つの国の子どもたちが、片道4km~22kmの道のりを1時間15分から4時間をかけて通うところを映している。
中学校の頃、片道1.5km弱の道のりを15分ほど歩いて通っていたが、舗装された道を鞄を持って通っただけであり、途中で象に襲われる危険もなかったし、兄弟の車いすを押していたわけでもなく、落石や滑り落ちる危険もない。幼い妹の落馬を警戒しながら馬を操って山や荒れ地を走る訳でもない。通学距離としては自分の学年でも長い方だったが、この子たちに比べたら、比較にならないくらい楽な通学だった。
逆に言えば、子どもたちは様々な困難のある長い通学路を長い時間かけて毎朝学校に通っている。子どもたちはもちろん、家族のみんなもそうした苦難を超えて学校に通うことに大きな意味を感じていて、夢に向かって進む子どもたちを応援している。
ただ、淡々と子どもたちが通学をする姿を追っている映画なのだが、子どもたちのひたむきな姿と困難を前にして乗り越えていく知恵にすがすがしさを感じる素敵な映画だった。

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