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2015年5月31日 (日)

加害者の意識

被害者は忘れない、ただ許すだけだ。そして、加害者の真摯な謝罪が積み重なってこそ、それを許そうという気になれるのだろう。けれども、加害者が自らの罪と真摯に向き合おうとしなければ、さらにはその罪をごまかそうとしていたら、被害者は加害者を許すことはできないだろう。様々な事件の報道で、真摯に謝罪しない加害者に対して我々がどんな気持ちになるかを考えれば、それは容易に想像できる。
だが、それを理解できない…あるいは理解しようとしない者もいる。太平洋戦争において、原爆や東京大空襲などのことを考えれば、日本国民は被害者という面があることは否定しない。どちらも、抵抗できない一般の民衆を無差別に爆撃したものだから。けれども、実はその前に南京や重慶といった都市を無差別に爆撃したのは日本帝国軍である。だから、被害にあった民衆にとって、日本は大日本帝国軍は明らかに加害者なのである。では、加害者である日本は真摯に自らの罪に向き合った犯罪加害者のようにきちんと謝罪したと言えるだろうか。戦後70年という節目にあって、村山談話と河野談話という二つで謝罪は十分なのだろうか。戦犯を合祀した靖国神社に多くの大臣や国会議員が参拝する姿は真摯な謝罪と被害者の目に映るだろうか。そうではないだろう。
最初の「宇宙戦艦ヤマト」においてヤマトはガミラス本星での戦いで、鉱脈を波動砲で打ち抜き、ガミラスの都市を滅ぼす加害者となる。古代進は「我々に必要だったのは戦うことではない。愛し合うことだった」と叫ぶ。リメイクされた2199では、ガミラスに対する加害者としての姿は描かれておらず、落下する大要塞を波動砲で打ち抜く。これによって多くのガミラス人が救われる。物語としては受け入れやすい形に変わったが、それでいいのか…という思いもある。
人は生きていく中で多くの人と出会い、かかわっていく。その過程で、それぞれが他者によって傷つき、また他者を意識せずに傷つけたりもする。我々は、自分の加害者の部分にも意識を向けることも必要だと思う。

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