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2016年6月23日 (木)

守るべきもの

沖縄慰霊の日、ニュースでは安倍首相も出席していたようだが、どの面を下げてのことだろう。昨年の安保法制の改悪に際し、安倍首相は国民を守るため…との説明をした。だが、その安保法制の下で、沖縄の若い女性の命が奪われた。その後、米兵による飲酒ひき逃げ事件も起こった。沖縄はもちろん日本の一部だし、沖縄県民は当然のことながら日本国民である。安保法案の強行採決の際の首相の説明では、日本国民は誰一人として殺させないのではなかったか。首相の言葉が正しいならば、安倍氏はアメリカに喧嘩を売ってもおかしくないと思うのだが、逆に、この事件をもみ消そうという圧力が捜査陣に働いていたという話も聞こえてくる。それに危機感を持って、情報が沖縄の新聞に流れ、事件が明るみに出たとのことである。
このような国民軽視と人権侵害を続ける政府に対し、冷静で客観的な判断をしたとき、もともと琉球王朝として大和朝廷とは別の歴史を歩んでいた沖縄があえて日本の一員であり続けることがBestの選択なのか、という考えも出てくる。県民(国民)を本当の意味で守るための沖縄の独立という考えである。そして、沖縄が独立したとき、差別と人権侵害を続けた日米にそのまま基地の設置を許すことはありえない。とすれば、外交的に中国やロシアとの交流を重視するという外交的選択の可能性も当然出てくる。
そうなった時、沖縄の地政学的な位置は日米の安全保障や外交にとって脅威となる。
安倍政権の沖縄への対応は、安全保障の名の下、安全保障をかえって危うくする危険性をはらむ愚かなものなのである。普天間基地の移設は、確かに様々な問題を抱えているし、一週間や一か月で解決できる種類のものでもない。それは、沖縄県民であっても複雑な思いを抱えつつも、それなりの努力を続ければ理解はしてくれるだろう。だが、問題解決への努力をせずに負担を押し付けるだけでは理解は得られない。たとえば、地位協定でも日本ほど米軍に譲歩した卑屈なものは、同じ敗戦国のイタリアやドイツでも結んでいないし、フィリピンでも、もっとフィリピン国民側に譲歩する形での改定を行っている。それらの国にできることが日本にできないなどありえない。政府の外交的無能、あるいは怠慢と言う以外にないだろう。
安倍政権は、安保法の強行採決時に「国民を守るため」と主張したが、それにも拘わらず、国民の命が奪われている。安倍政権の言葉が、いかに行動を伴わない空虚なものであるかが、この事件でも明らかになったのである。守るべきは国民…安全保障においてこれは大前提である。だが、安倍政権はそうした行動をとらなかった。来月には参議院議員の選挙がある。これは、判断をする上で大切なポイントの一つとなる。

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