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2017年12月30日 (土)

聴くということ

先日、「3月のライオン」というアニメのDVDを見ました。このアニメの原作マンガを図書館で借りて面白かったから借りてきたのですが、この作品はアニメばかりではなく実写映画も制作されるほどの人気です。中学生で将棋の棋士となった桐山零が主人公ですが、ある時、彼と家族のように接してくれている川上家の次女ひなたちゃんが、いじめを受けた友達をかばったことがきっかけになっていじめのターゲットとなります。それを自分の高校のよく関わってくれる将棋好きの先生に相談したところ、よく話を聞いてやるようにとのアドバイスを受け、とにかく、聞くという努力を粘り強く続けます。

 
いじめはエスカレートし、担任が倒れて休職したことにより学校側も本格的な介入をしていく中で状況は改善しますが、その間、桐山くんは、本当によくひなたちゃんの話に耳を傾けます。川上家で、将棋を教えながら、川のほとりで、ひなたちゃんの修学旅行の時は、対局を終えてから京都に向かって彼女を見つけ出し、話を聞いたこともありました。

 
クラスでの孤立やいじめがなくなって、問題が解決したとき、直接的には何もできなかった桐山くんは「ぼくは何もできなかった」と口にしますが、ひなたちゃんの答えは「そんなことはない」でした。ずっと時間をかけて話を聞き続けた桐山くん、思いや感情によりそってくれた桐山くんと、彼女を肯定して守ろうと努力したおじいちゃんやお姉ちゃんの存在がひなたちゃんの心を支えたのでした。

 
この話を読んでいて、私は「傾聴」という言葉を思い出しました。桐山くんは、「聞く」というよりも「傾聴」/「聴く」ということを自然に行っていたのです。


「聴く」という言葉で思い出すのは、ミヒャエル・エンデの傑作『モモ』という童話です。『モモ』は、『はてしない物語』と共にのちに映画化されましたが、『はてしない物語』を映画化した「ネバー・エンディング・ストリー」とは異なり原作童話を忠実に映像化しているため、原作者のエンデ自身も少しだけ出演しています。エンデは
1995年に亡くなりましたが、その作品は今でも世界中の多くの人々を魅了し続けています。この作品の主人公モモには不思議な力が備わっています。それは、他の人の話を聞くのがとても上手いことです。町の人は、困っている仲間にこんなふうに声をかけます。「モモのところへ行ってごらん」と。 


子どもに過ぎないモモは、お金を持っているわけでも、アドバイスをしてくれる訳でもありません。ただ、素直に、そして一生懸命に聞くだけです。けれども、モモに話し終わる頃には、何か良い考えが浮かんできたり、気持ちが楽になったりするのです。だから、聞き上手のモモは、人々にとってとても大切な存在なのです。

 
さてここで、私たち自身の生活を振り返ってみましょう。自分に、安心して話をすることの出来る家族や友達はいるでしょうか。この人なら、安心して何でも話せる。この人といるだけで、ほっとする。そんな家族や友達や先輩や仲間が一人でもいる人は、もしかすると、とても幸福な人かも知れません。

 
別にアドバイスを受けなくても良いのです。というよりも、下手なアドバイスは、聞いていて腹が立つことだってあります。「そんなことは、分かってる。でも、出来ないから困ってるんだ」と心の中でつぶやきながら、相手の得意そうに始めた「正論」や「自慢話」や「体験」を聞くなどという展開になってしまって、返って不愉快になったり、落ち込んだり……。そんな場合も、結構少なくないのではないでしょうか。そう考えると、ちゃんと話を聞いてくれる人の存在は、とても貴重で得がたいものだということが分かるのです。

 
では、私たちは、自分の大切な家族の、あるいは友達や仲間の話をちゃんと聞くことができているでしょうか。少し話を聞いただけで分かったつもりになって、その「理解」の上に立ち、自分に都合のいい考えを無意識の内に押し付けていることが結構多いのではないかと思われます。いいえ、もっとひどい場合は、相手の話をさえぎり、こちらの意見や都合をまくし立てることもあるのではないでしょうか。

 
どうしてそうなってしまうのか。きっと、親しいから、分かっているから、という無意識の甘えを背景に、あるいは相手との上下関係などを背景にして、相手の気持ちに十分に応えずに、つい自分を主張してしまうのでしょう。特に男たちは、相談をされていると思うと、「現実的」な「解決策」を提示しなければならない、と感じて、相手に対する《感情的な共感》ということを考えず、話を遮って「解決策」を一方的に押し付けようとする傾向が少なからず見られます。けれども、特に不登校やひきこもりの対応に置いて、《感情的な共感》の持つ意味はかなり大きいのです。

 
もちろん、「現実的」な「解決策」も大切です。しかし、本人にその準備ができていない段階でそれを提示しても反発されるだけで先に進めません。特に「押し付け」と本人が感じてしまい、感情的にそれを拒否してしまっては、もしかすると【最善】かもしれない「解決策」を採ることができなくなってしまうかもしれないのです。感情的にこじれてしまっている段階では、「現実」も「正論」も決して相手の心には届きません。それを回避するために、感情的な部分も含めて、耳をすませ、心を寄り添わせていくことが、まずは大切なのです。

 
「現実的」な話や「正論」は、相手が普通の状態
(精神的にも、状況的にも)であるならば、ある程度素直に聞けるでしょうし、多少の感情的なしこりを感じたとしても、そうした部分はお互い様だから、何事も無く過ぎていきます。しかし、相手が切羽詰っていて余裕の無い状態であれば、そうした「普通の何気ない対応」が相手の心を深く傷つけてしまうことが少なくないのです。

 
だからまず、相手が「現実的」な話や「正論」をも含めて、冷静な判断力を発揮できるような状態になるまで、「現実」や「正論」は封じた方が良い場合もあるということです。「機が熟す」という言葉がありますが、環境を整えながらそれを待つ。「感情的な部分の共感」も含めて耳をすます……というのは、その第一歩なのです。自分の子どもや家族というのは、自分の人生の中で特に大切な存在ですから、普通の状態でない場合は、特別に注意を払った丁寧な対応を心掛けたいものです。

 
もちろん、可能であれば、より多くの人に丁寧な対応ができれば素晴らしいと思います。しかし、いつも「特別に注意を払った対応」を全ての人を相手に出来るわけではありません。と言うよりも、人間にそんなことは不可能であり、無理にそうしようと努力すれば確実に自分の心が蝕まれ、おかしくなってしまうでしょう。その意味では「普通の何気ない対応」というのは、そうならないための無意識の安全弁かサーモスタットのようなものなのかも知れません。

 
また、人間誰しも、精神的に余裕のある時には、わりと他の人の話を聞いてあげられるものです。そういう時に、少し「耳をすませてみる」と、「普通」だと思っていた相手が「普通の状態」でないことに気づく場合があります。そして、モモのように誠意を持って真剣に話を聞き出すと、思いもかけなかった事実や悩みや思いが吹き出す事もあります。しかもその内容が聞く側の人にとっては重すぎて何も出来ない事だってあるのです。

 
でも、慌てないで下さい。無理をせずに出来る事……。そう、モモと同じようにただ、真剣に相手の話を聞き続ける事は出来るはずです。心を合わせてそばにいてくれる、そんな人が存在していると実感できる、それだけで楽になる事があります。下手な解釈や場当たり的な解決策を口にしなくても、自分の辛さや苦しさや悩みを理解してくれる人がいると信じられる事が、人に希望を与えるのです。

 
しかし、精神的に追い込まれている度合いが強いと、自分の辛さにしか目が行かなくなり、その中だけで堂々巡りをしてしまい、手を差し伸べようとしてくれる人に対してさえも心を閉ざしてしまったり、イライラや持って行き場の無い怒りをぶつけたりしてしまう場合があります。そんな時には、それでも聞き続けるというのは本当に辛いことかも知れません。特に、不登校やひきこもりになってしまった本人たちは、その状態を自分自身としても簡単に受け入れるのは困難ですから、「普通の状態」だと考えない方が良いでしょう。

 

だけど、少し考えてみて下さい。他の人には出来ないかもしれないけれど、信頼している相手になら、自分の弱い部分を見せることが出来るし、無理を言ったりして甘えることも出来る……ということが人間にはあるからです。

 
そうした事が少し分かっていると、大切な人が自分にとって辛い言動をしても、何とか受け止められる場合があります。必ず受け止められるとは言いませんが、知識として知っていることで、わずかずつでも許容範囲が広がるという事はあるのです。

 
もちろん、何もかもを自分ひとりで背負えるという訳ではありません。と言うよりも、あまり自分ひとりで背負い込んでしまうと、その許容範囲を超えたときの反動が大きく、返って周囲の人に多大の迷惑を及ぼす場合だってあるのです。だから、問題が自分の手に余る場合は、絶対に一人で抱え込まないようにすることが大切です。精神的に余裕がないと周りが見えにくくなるものですが、それでも、落ち着いて周りを見回し、耳を澄ませてみた時、意外なところで、実は手を差し伸べようとしている人の存在に気づくことがあります。そういう意味でも「耳をすましてみる」ことは大切なのかもしれません。

 
逆に、「耳をすます」という意識のない人はどうなるか。日々のニュースで、その典型と言える人達が新聞やテレビのニュース、雑誌の記事などに毎日のように登場しています。そう、安倍総理と与党の中心にいて、違憲・売国の
TPPや戦争法案を成立させ、自らとオトモダチの利益追求のみにやっきになっている人々です。他者の意見に耳を貸さず、嘘と詭弁に満ちた言い逃れやごまかしでまともな議論から逃げ、自分勝手な主張を繰り返す人々。その姿がどれほど醜く恥知らずに映るかは、説明する必要すらないでしょう。普通の人なら、まあ、そういった人間もいる……ですむのですが、一国の首相ともなるとわれわれ国民が被るリスクは大変大きなものとなります。東京オリンピック誘致の際の原発事故の「アンダー・コントロール」という大嘘は、ドイツ辺りではかなり問題になっていて、放射能汚染の拡大と対策についての無策と嘘が東京オリンピックの中止につながる可能性も出てきています。また、マスコミの弾圧は、ドイツばかりではなくアメリカやイギリスのマスコミにも取り上げられています。憲法や法治主義をないがしろにする言動は、日本が近代国家ではなく軍国主義独裁国家になりつつあると見られ、テロを呼び込む危険性も高まっています。

 
おっと、話がそれてしまったようです。「耳をすます」ということに話を戻すと、安倍総理と自公政権、そして与党の国会議員たちは、その反面教師と言えるでしょう。あそこまでひどくなくても、相手の話をきちんと聞く姿勢を忘れていないか……と振り返ってみることもできるでしょう。相手の質問や疑問に真摯に応えているか…ということを考えてみてもいいかも知れません。相手の発言中にヤジを飛ばすように、小学生レベルでもまともな子ならしない礼儀作法はほとんどの人はわきまえていると思いますが、相手の発言中に自分勝手な発言をして相手の話を遮るようなことは、ついしてしまっているかも知れません。彼らの言動を反面教師にして、ちょっと自分の「聴き方」を振り返ってみるといいのではないかと思われます。

 
もちろん、知っているすべての人々に対して、すべての時間で「耳をすます」ということは物理的にも精神的にも無理なことです。しかし、せめて自分の身の周りにいる本当に大切な人の話には、毎回は無理としても、それなりに時間を取って、耳をすませたいと思います。毎日の暮らしの中で私の身の周りに大切な人もそれなりにいます。けれども、私自身も聖人君子ではありませんので、精神的に余裕の無いときにはバカなこともしますし、他の人の心情にまで思い至らずに無神経な言動をとったりもします。ただ、そういう場合でも、なるべく自分の心に「耳をすませて」心の余裕を失っていないかどうかを確かめるように心がけようと考えています。

 

 
私の好きなシンガーソングライター、谷山浩子さんが
1990年代に発売したアルバム「銀の記憶」の中に「ひとりでお帰り」という歌があります。その一節には、こんなフレーズが並んでいます。『3月のライオン』の主人公、桐山零くんも、小さい頃に両親と妹を事故で亡くして、お父さんの友人であった棋士に引き取られ、養父の実の子どもたちとのトラブルの中で長く孤独な日々を過ごしていました。その経験があってのひなたちゃんへのかかわり方は、ちょうどこのフレーズと重なりあってきます。

 

きみの今のその淋しさが遠い街の見知らぬ人の

孤独な夜を照らすささやかな灯に変わるだろう

 

自分の辛さや淋しさや苦しみを見つめ、それを超えて生きていこうとする体験が、いつしか出会う誰かの辛さや淋しさや苦しみを和らげる力となるかも知れない。そう考えると、まず自分自身の心に「耳をすませる」勇気が湧いてきます。

 
もう一つ、こんなフレーズもあります。

 

 たとえば夜が深く暗がりに足が怯えても

 まっすぐに顔を上げて心の闇に沈まないで

 

この歌を聴いていると、自分が辛いときでも、他の誰かのために何かをしてあげられる強さを持ちたい……と思います。まあ、なかなかそれが出来ないから、そう思うのでしょうけれど。でも、自分の心に「耳をすませ」、周りの人々の言葉に「耳をすませて」、今よりも少し強く、今よりも少しだけ優しい自分になりたいと思います。

 
3月のライオン』読みながら、エンデの『モモ』を思い出し、それから、こんなことを考えていました。今の自分の力ではまたまだ無理ですが、いつの日か、桐山零くんやモモのように、いつでも、自分も含めたあらゆる存在に対して「耳をすませる」ことができる人間になれたら良いと思いませんか? 少なくとも私は、そう思います。

 

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