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2018年6月29日 (金)

リスクと器量

社会が不安定化する中、上に立つ者の器量が問われる時代となった。「リスクがとれるか」という言葉をよく耳にしたり目にしたりするが、リスクをとるということは、アホ総理やアホウ財務相のように、ミスを下に押し付けてごまかしたりウソを重ねたりすることではない。上に立つものとして、部下のミスも含めて結果の責任を取るということである。

そしてそれは、ほとんどの場合、短いスパンで判断するものではない。短期的には減収減益などがあっても、長期的にみれば増益や成長につながればよい、という判断になる。それを考えれば、今の日本に蔓延する短期的な利益至上主義で「リスク」を考えれば大きなチャレンジは無理ということになり、成長を阻む大きな要因となる。
 
例えば、原子力発電でも、短期的に見れば事故の確率は低いが、長期のスパンで考えればひとたび事故が起これば、ヨーロッパ諸国において脱原発の流れが加速しているのは、そうした経営判断による部分も多い。それを教えたのは、東日本大震災におけるフクシマの事故である。
 
リスクの判断には、現実をリアルに分析する力も必要となる。その場合、耳触りのよいイエスマンや太鼓持ちのおべんちゃらばかりでなく、耳の痛い苦言や反論にもきちんと耳を傾ける度量や、自分の最初の意見に固執せず、明らかに問題があるとわかったところは大胆に変更する柔軟さも必要となる。「君子豹変」はそれを表している。
 
そうした点を併せ持つ優れた器量が大きな組織のトップには必要である。しかし、アホ政権の上層部にそうした器量を持つ人物はいない。日本は迷走を続け、国益は流失するばかりである。

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