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2018年12月31日 (月)

ゆく年2018

2018年もあと7時間余りで終了する。個人的にも、国のレベルでも、波乱の1年だったという感じが大きい。何とか自分自身は無事に生き長らえたが、新しい年は良い年になってほしいと切に願っている。

流れとしては昨年末に、小さい頃間借りをしてお世話になっていた親戚の兄貴分がなくなったこと辺りから続いていたのかもしれないが、1月にいつも気にかけられかわいがってもらっていた義兄が亡くなった。職場の宴会の前に姉からのメールで、急きょ日赤に連れていくから大丈夫だと思うけど、もし今晩遅くなったら、明日、父を日赤に連れて行ってもらわなくてはいけなくなるかも…という連絡だったので、宴会は酒も飲まず宿泊もキャンセルして終わってから家に電話してみたら義兄の意識がないとのことで、すぐ日赤に向かった。日赤に入るまでは姉が運転する車の中で普通に雑談していたというのに、心臓の血管が急に破裂して意識が戻らず逝ったという。大阪の姪は間に合ったが、舞鶴の甥は臨終には間に合わなかった。

5月には、臨床心理学の師匠が逝った。こちらは、家族に見守られながら穏やかに旅立ったようだが、数日前にはパーティーらしきことも楽しんだという。3月のゼミでは、皆に自立するようにほのめかしてはいたので死期を悟っていたのだろうが私たちがゴネて、結局、あと3か月は様子を見るということで落ち着いたけれども、4月からのゼミは開かれることはなかった。それで終わりにしてはいけないと考えていたが、メンバーからゼミを続けていこうという声が出て、秋から自主ゼミが続いている。
 
秋には伯母が亡くなり、また、同人誌の編集を引き継いでから長年印刷・製本を引き受けてくれていた市内の印刷屋さんが廃業するということで、それに間に合わす形で7月締め切りの原稿を9月には印刷に回し、そこでの最後の発行をした。また、父も日赤や市内の県立病院で、合わせて4回手術をした90歳を超えてもすべての書類を自分で書き、退院した翌日には動き回っているが、母の通院も併せて、なかなか大変な一年だった。両親とも高齢だが、認知症が大して進んでいないのと、姉との仲が良いので相談や分担をしながら何とかしのげている。
 
失政・悪政・判断ミスを連発し続けているアホ政権に関しては論評もしたくないが、奴らの偽右翼売国ぶりにはあきれ果てる。モスラに100回ほど国会議事堂を破壊してもらいたいくらいである。中でも、入管法改正や水道法・穀物法の扱いのデタラメぶりや辺野古での政権による無法行為は群を抜いているひどさである。日本にとっては東アジアの安定こそ国益なのだが、アメリカ軍(アメリカ国民ではない)とアメリカ軍事企業にとっては東アジアは不安定化している方がオイシイ。上手に【外交】をすれば小さなトラブルで済むものに火をつけ油を注ぐのはアホ政権の外交センスの低さと交渉能力のなさの表れだろう。ここで韓国との関係をこじれさせるのは亡国行為でしかない。北方領土だって、プーチン大統領の発言は、日米地位協定を改定してアメリカ軍に日本のどこにでも基地を置ける権利(つまり今のままでは返還した北方領土にも基地を置く権利を米軍は持っている)を何とかしない限り返さない、と言っているわけで、その決断ができないアホ政権では交渉は最初からとん挫しているに等しいのである。「野党の批判が甘い」との声があるが、それを言うならマスコミの批判はもっともっと甘いし、与党の無能ぶりはそれ以上だろう。
 
まあ、公私ともにあまりよろしくない一年だったが、来年はぜひいい年になってほしいものである。
 

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