2009年9月10日 (木)

「銀河鉄道999」雑考…メーテルと機械化人

昨日は2009年9月9日、ということで999となり、銀河鉄道999に関わるイベントが行われたところもあったらしい。そんな話を聞いたために、「銀河鉄道999」のことを思い出した。昭和のTVシリーズにしろ、2つの映画にしろ、999では、機械化人が生身の人間の敵として登場する。機械化人とは、永遠の命を持つ存在として描かれ、限りある命を生きる人間と対比される。星野鉄郎の旅は、原作マンガおよびそのストリーに沿って忠実に創られたTVシリーズにしても、最初の映画版にしても、永遠の命を求めてメーテルと共に地球から旅立つという形でスタートする。けれども、その旅を通して、鉄郎は限りある命の輝きとその大切さを実感し、生身の身体にこだわって機械化人と戦う人生を選択する。

ところが、機械化人の「永遠の命」という設定を考え直してみると、「変わらない現実」を無理やりに維持しようと尽力しているようにも読めなくもない。そして、機械化人たちは生身の人間たちを権力で押さえつけていた。その意味では、変化を受け入れようとせずに自分たちだけが利益を得るシステムに固執しようとしている守旧派とも取れる。言わば、変わり続ける現実の流れを無理に押し止めようとしている老いた権力者たちである。

それに対して生身の人間というのは、常に変化の中に身を置く存在であり、その中で自分自身をも好むと好まざるとに関わらず変えていく若者たちのように読み取れる。子ども、あるいは青年前期としての鉄郎が、限りある命にこだわるのは、その意味において当然であろう。

では、メーテルはどうだろうか。原作マンガやTV版「メーテルの旅」において、変わらぬ姿で時間の流れを旅し続ける姿が描かれているメーテルもまた、永遠の命を持つ存在である。ただ、鉄郎たちの戦う機械化人たちと違い、メーテルは自らの権力を維持するために変わろうとしないのではなく、自らの運命を背負うために変わることが出来ないのである。そしてメーテルは変われない辛さを受け止めながら永遠の時を生き続ける。メーテルの美しさは、その哀しさゆえなのかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年5月 9日 (土)

レリューズ…もう1人のリューズ(コミック&TV版999より)

「銀河鉄道999」の原作コミックおよびTVシリーズにレリューズという機械化人の歌手が登場する。惑星ヘビーメルダーの時間城で暮らしているところや時間を自由に操れる能力などは、映画版999のリューズと同じである。ただ、原作コミックとTVシリーズでは先に《リューズ》が登場していることもあり、レリューズはリューズの姉ということになっている。そして、映画版999では、時間城の主は鉄郎の母を殺した機械伯爵であったが、原作コミックとTVシリーズでは《キャプテン・ハーロック》を名乗る機械化人が時間城の主であると同時にレリューズの恋人である。

原作コミックにおいて、レリューズは酒場で「やさしくしないで」を歌っている。これは、映画版999でリューズが歌っていた歌である。ただ、TV版での歌は「想い出なみだ色」である。歌は違っているが、過去を思い出し懐かしくなるような歌である。リューズもレリューズも恋人の言うがままに自らの身体を改造し、思いがけず時間を操る能力を手に入れてしまった。だが、鉄郎の言葉や行動によって若い頃の気持ちを思い出して心を動かされ、信じていた「恋人」が、実は自分を愛してはおらず、道具として扱っていたことに気付いてしまう。だから、土壇場で「恋人」の【命令】を聞かずに裏切ってしまうのである。

けれども、その「恋人」を捨てて、新たな自分の人生を生き直す強さは持ちえず、愛した「恋人」と共に滅んでいく道を選択するのである。しっかりとした《自分》を作れなかったからこそ、「恋人」の言うがままに生きてきた。けれども、その冷たさを見ようとしなかったし、彼が自分を愛してくれている訳ではないという現実を認めようとしなかった。だが、意識はしていなくても心のどこかでは感じていたからこそ「恋人」を裏切ったのだ。それは、レリューズ(リューズ)にとっては自立への第1歩であった。けれども、愛し続けた「想い」から逃れなかったために、2歩目へと進めなかったのであろう。あるいは、「恋人」の言うがままに犯してしまった【罪】を自らの命で償おうという意味もあったのかも知れない。

レリューズのように自立しきれない人々は少なくない。けれども、生き続けていれば、やがて2歩目を歩む日が来るかもしれない。それを信じて生き続けてほしいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 1日 (金)

めーてるの気持ち…背景にあるしんどさ

『めーてるの気持ち』は、マンガ家・奥浩哉が2006~07年にヤング・ジャンプに連載したものをコミック化したもので、全3巻が発売されている。

メーテル…といえば『銀河鉄道999』のヒロインだが、当然、直接これに関係ある訳ではない。主な登場人物は、30歳でひきこもりを続ける慎太郎と、その父親と結婚し、すぐに未亡人になったはるか。他にも慎太郎の父やはるかの母など数人の登場人物場が出てくるが、「めーてる」という名前は出てこない。はるかは、20代前半で慎太郎よりは年下である。このようなマンガに、なぜ「めーてる」が出てくるのか。999のメーテルは、星野鉄郎の母代わりであると同時に恋人でもあった。だが、鉄郎の未来のために、すべてが終わるとひっそりと鉄郎の下を去っていく。そうした点ははるかの立ち位置と重なる。その辺りに「めーてる」が出てくる意味があるのだろう。

作品そのものは、一応、ラブ・コメである。そして最後に慎太郎はひきこもりを脱して家族を持ち、ラーメン屋を経営するまでになる。けれども、そこに至るまでのはるかの努力や迷い、そして慎太郎の、家の外や他者に対する恐怖感などは恐ろしくリアルである。その意味においては、ひきこもる人の気持ちを、マンガという手段によって分かりやすく表現してある作品といえる。

例えば、はるかが風邪で寝込んだとき、慎太郎ははるかのために薬を買いに行き、買い物をして、おかゆを作る。けれども、1歩外に出るだけでも強いプレッシャーがかかり、気分が悪くなる。薬局で薬を買い、レジでお金を払う時も、心理的にはかなりシンドイ思いをしてやっとのことで買ってくる。しかし、はるかが回復するとまた外には出られなくなる。

実際のひきこもりに関わる相談の際に「イベントではなく、アクシデントがきっかけになる」という話をすることがある。周囲が意図的に何かをさせようとしても、本人が心情的に十分に納得できないとうまくいかない場合は少なくない。けれども、周りが意図していない出来事や事件がきっかけになって本人が動くことは意外にある。その点を考えれば、この風邪のエピソードは、けっこうリアルである。

他にも、慎太郎の30歳という年齢設定は、現在、ひきこもりの平均年齢は30歳を超えていると推測されていることから、それほど違和感はない。従って、「時間がない」という周囲の理解は重要だし、自立と関わって異性とのコミュニケーションの問題や性の問題、就労の問題などは大きな課題となる。そして、「母親」が「子どもがすべて」の人生ではなく、母親自身の人生を生きることも、「自立」のための「環境」として大切なポイントである。

はるかは、慎太郎の想いを受け入れることを決断し、「母親」ではなく、「恋人」として慎太郎を外に連れ出し、キスをする。そして、セックスも……。けれども、次の日、はるかは慎太郎が寝ている間に家を出て行く。1つは、慎太郎がズルズルとはるかに依存して自立できなくなってしまうことを避けるため、そしてもう1つは多分、自分の人生を生きるために……。

はるかが去ったことに気づいた慎太郎は、最初は怒り、悲しみ、自暴自棄になってはるかの残してくれたお金を無思慮に使ってしまう。けれども、はるかがどこかで見守っていることを信じて、アルバイトを始めようとする。仕事が出来なくて罵倒され、何度もクビになり、それでも仕事を続けた結果、慎太郎はラーメン屋の主人となり、家族を持つまでになる。

実際は、就労から自立までの過程が大変で困難も多いのだが、この作品は、あくまでもラブ・コメなので一応はハッピー・エンドとなっている。が、実際のひきこもりの本人や家族の状況は、もっとしんどい。その辺りも含めて、気になる部分もあるが、上手に読めば、いろいろなことを考えさせてくれるマンガである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 5日 (木)

コスモタイガーⅡ…ヤマトの艦載機

宇宙戦艦ヤマトの艦載機と言えば、すぐ、コスモタイガーⅡが頭に浮かぶ。実は、コスモゼロ、ブラックタイガー、新コスモゼロなど、ヤマトにもいくつかの艦載機が登場するのだが、もっとも好きなのが、コスモタイガーⅡである。コスモタイガーⅡは、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」から登場し、その後のTVシリーズのすべてと映画の「完結編」までヤマトの主力艦載機となるが、実は、単座タイプ(1人乗り)と3座タイプ(3人乗り)があり、登場回数は圧倒的に単座タイプが多いが、3座タイプは白色彗星帝国との戦いの際、空間騎兵隊を乗せてその内部に突入する際に使われている。

艦載機としては、銀河英雄伝説に登場するワルキューレやスパルタニアン、キャプテンハーロックのアルカディア号のスペースウルフ、マクロスのバトロイド・バリキリー、宇宙空母ジャスダムの巨大艦載機でダンガードAに変形するサテライザーなども思い浮かぶが、そのシャープなイメージの割には曲線も多い洗練されたフォルムと、大気圏/宇宙空間と場所を選ばず使用可能な汎用性、機銃で敵艦を破壊する攻撃力(?)、なかなか撃墜されない強さ(?)など、突っ込みどころも多いトップクラスの高性能は相当魅力的だと言えよう。

同じヤマトの艦載機でも、最初のブラックタイガーはどこかしらやぼったいデザインであったし、初代コスモゼロは、松本メカとしては納得できる仕上がりだったが、それゆえにごつごつした感じもあってシャープさという点では今ひとつという印象だった。が、コスモタイガーⅡは、松本メカのエッセンスを持ちながらシャープで洗練されたデザインであり、それを見た瞬間、プラモデルを作りたくなった。当時はいくつかの事情があってその夢は適わなかったが、現在my roomには4機のコスモタイガーⅡがブラックタイガーや宇宙戦艦アンドロメダなどとともに並んでいる。うち2機は、アフターバーナーのカラーリングが異なる山本機(単座タイプと3座タイプ)である。

このコスモタイガーⅡに乗って宇宙を飛行することは絶対に叶わないが、それでも、コスモタイガーⅡに乗って宇宙や大気圏を飛行する事を想像すると心が躍る。多分、その速度に耐えられるほどの力はこの肉体にはないだろうが、そのスピード感は、そのデザインを見ているだけで味わう事ができる。メカとして、ヤマトに次ぐ登場回数を誇るのもうなずける戦闘機である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月23日 (火)

銀河子守唄と星の子守唄…松本アニメ/父と母の子守唄

松本零士のアニメのエンディングや挿入歌に、いくつか子守唄がある。例えば、【SF西遊記スタージンガー】のエンディンク「星の子守唄」や【宇宙海賊キャプテンハーロック】の挿入歌「銀河子守唄」、【新竹取物語1000年女王】の挿入歌「ラーメタル・ララバイ」などがそれである。

子守唄というと、母親や子守の少女など、どちらかと言えば女性が歌うイメージが強い。その意味においては「ラーメタル・ララバイ」や「星の子守唄」は女性の澄んだ声が相応しい母性あふれる歌になっている。1000年女王/雪野弥生もそうだが、オーロラ姫も銀河に母性のエネルギーを復活させるためにジャン・クーゴやサー・ジョーゴ、ドン・ハッカの三人のサイボーグに守られながら銀河の中心にある大王星へと旅をする。その存在そのものが大いなる母性であり、オーロラ姫の歌としてのイメージで作られた「星の子守唄」は母性の子守唄であると言えよう。

 

ララル ララル 星の海は 白い流れ 静かな輝き 星くずキラキラ 船のしぶき 遠い彼方へ 旅は長く 夢路はるかな母の星よ 眠れ眠れよ 心安らか ララル ララル 星のララバイ ララル ララル 星のララバイ

ララル ララル 星の空は 七色虹の きれいな輝き 光るかけ橋 夜も昼も 明るく照らす 旅のゆくえ 願う心は 母の星よ 眠れ眠れよ 夢は静かに ララル ララル 星のララバイ ララル ララル 星のララバイ  〔星の子守唄〕

 

一方、「銀河子守唄」は、ハーロックの親友で、肉体は死んでも心は海賊戦艦アルカディア号の頭脳となって行き続ける大山トチローが、マゾーンにさらわれて助けられた後も恐怖のために眠れない愛娘まゆを眠らせるために歌ったうたであり、言わば父性の子守唄である。

 

大きな枕に 星屑をつめて おやすみ おやすみ いとしい子 この世で一番 美しい星は おやすみ おやすみ その瞳 さがしに行こう 夢の宇宙船で よみがえる 愛の星を みんなの星を

輝く銀河の ゆりかごに乗って おやすみ おやすみ いとしい子 誰もが待ってる 新しい星は おやすみ おやすみ その笑顔 さがしに行こう 若い宇宙船で 父母の生きた夢を みはてぬ夢を  〔銀河子守唄〕

 

どちらも、それぞれの味わいがあって優しい。心が疲れたときには、そっと聞いていたい歌である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月12日 (金)

今週の御言葉…「はいからさんが通る」より

大和和紀が週間少女フレンドに連載して大ヒットしたマンガ「はいからさんが通る」は基本は純愛なのだが、あちこちにギャグがちりばめられ、非常に楽しい作品に仕上がっている。そのギャグシーンの背景にさりげなく登場する【今週の御言葉】が、なかなかブラック・ユーモアに富んでいて、今、読み直してもとても面白い。いくつかあげてみよう。

 

強いものにはへつらおう 弱いものはいたぶろう

わいろできめよう 人のあつかい

つっぱるな しょせんあなたは三級品

ごますろう 金のあるやつ 強いやつ

みかえり期待し いつも親切

金になるならへつらおう 金は正義だ真実だ

われときて あせれやとりえのない女

はりあおう あなたは上役わたしは下っ端 同じ米くってどこちがう

みやげ持ちには笑顔で接待 もってこんやつぁ涙で抗議 しゃぶりつくそう骨までも

こだわろうひとつの善行 わすれよう百の悪行

 

ただ、これはあくまでも、風刺、ギャグとして面白いのであって、これを地で行く人が増えれば増えるほど、世の中は暮らしにくくなる。最近の社会が暮らしにくいのは、これを地で行く連中が、例えば政府や行政の中枢にいたり、大企業のトップにいたりするからではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月20日 (土)

「銀河英雄伝説」から【国民のための政治】を考える

リンカーンは、ゲティスバーグの演説で【民主政治】を「人民の、人民による、人民のための政治」だと定義したという。ところで、今の社会を見た時、特に「人民のための政治」という部分がなおざりにされているように感じられる。二代続けて、途中で政権を投げ出すような党首/首相をえらび、国民の職の安全を軽く考えて、けっきょくたかだか5日前に「辞任」するような無責任大臣を選んで何の反省もないような政権与党にとって、一般の国民などは利用して水から甘い汁を吸うための道具としか考えられないのかも知れない。

そうした状況に多くの人が苛立ちを覚えているだろうが、「改革」は遅々として進まず、「改革」という名を冠した「改悪」が国民の生活を破壊し続けている。そうした現実を見ていると、独裁でもいいから…という思いが頭を掠めることがある。そしてその後で「銀河英雄伝説」を思い出してしまう。「銀河英雄伝説」のラインハルトは、戦争の中でその優れた知略と才能を発揮して武勲を重ね、銀河帝国ゴールデンバーム王朝を倒して、新銀河帝国ローエングラム王朝を樹立する。

ラインハルトは独裁者だが、彼は旧王朝の貴族特権を廃止し次々と行財政改革を推し進める。だが、それは一般国民にとって旧帝国と比較して公平・公正な方向への上からの改革であり、ラインハルトは国民の支持と敬愛を一身に集める。兵士達は歓喜と尊敬をこめて「マイン・カイザー/我が皇帝」と呼ぶのである。

一方、銀河帝国と敵対する自由惑星同盟のヤン・ウェンリーは、腐敗した政府に足を引っ張られながらその知略と詭計で何度となく帝国軍を撃破・撃退するが、最後には自由惑星同盟政府に裏切られて命の危険にさらされ、仕方なく流浪の身となる。ヤンは、腐敗した民主政治を守るために、最後まで国民のための専制政治と戦うことになる。国民にとっての幸福はどちらなのか……という思いを胸に抱きながら。それでもヤンは、民主主義の理想を捨てず、ラインハルトとの停戦の交渉の途上で暗殺者の手によって命を落とす。

さて、独裁者と呼ばれる政治家は現代も存在しているが、中には国民の絶大な支持を得ている政治家もいる。反対派に「人気取り」と非難されても、その政策の結果、一般国民の生活がそれなりに改善された事実が存在するからである。生活を改善された国民が支持している独裁者は、一般国民の生活の困窮に目をつぶり「民主主義」を自称して結果として国民生活を破壊する「改革」という失政のツケを国民に押し付けている政治屋たちよりも、ずっと「国民のための政治」を行っていると見えなくもない。

ある意味では、民主政治は、国民に厳しい政治システムである。それは、国民の一人ひとりが自立し、自覚的に自らの代表としての政治家を選出する能力を試されるからである。ただ、その支えとしてはきちんとした情報公開が前提となる。逆に、腐敗した政権ほどメディア・コントロールを強めて、事実を国民に知られることを恐れる。戦争中の「大本営発表」などはその最たる例だが、現在の日本のマスコミは、それを笑えない状況に陥りつつあるように思われる。国民の1人として忸怩たる思いである。

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月20日 (水)

リューズとクレア…映画「銀河鉄道999」より

映画「銀河鉄道999」で、主人公の鉄郎のために命を落とす2人の女がいる。1人は、鉄郎の母の敵(かたき)である機械伯爵の愛人リューズ、そしてもう1人は999の食堂車でウェイトレスをしているクレアである。共に、原作のマンガやTVシリーズにも登場するが、それぞれに魅力のあるキャラクターである。

前回の記事のコメントで、リューズを《いい女》、クレアを《かわいい女》に分類した。リューズは、愛する男の命じるままに機械の身体を改造し、やがて時間を自由に操れる力を身に付けてしまった。「男の言いなりになる」という面では、一見、男にとって《かわいい女》と見えなくもないが、その結果として「時間を自由に操る」という【毒】を身に付けてしまった。そうした生き方にリューズ自身の心に満たされない想いがくすぶり続け、鉄郎との出会いによってそれを自覚したリューズは、自分の男である機械伯爵の絶体絶命の危機において彼を裏切るという選択をする。

クレアは、見栄っ張りの母親によって、自分の身体をクリスタル・ガラスにされてしまい、冥王星に眠っている自分の身体を買い戻して生身に戻るために999で働いている。999での旅の過程で、クレアは鉄郎に対しほのかな恋心を抱いており、惑星メーテルの崩壊から脱出して999に乗り込み、鉄郎を殺そうとした機械帝国の女王プロメシウムから鉄郎を守るために砕け散ってしまう。

リューズの選択は、自我の確立に失敗して流されながら時を重ねてしまった自分自身の虚しさから解放され、自分を取り戻すための決断だったが、機械伯爵への情に殉じて、自らは時間城の崩壊を前にしながら脱出をせずに、機械伯爵のなきがらと共に時間城の中で錆びて崩れ落ちていく。その最期には女の哀しさが漂っている。

クレアの選択は、「ロミオとジュリエット」のジュリエットのような若さゆえの真っ直ぐな想いが感じられ、この映画を映画館で初めて見た若い頃には、そのけなげさに胸を打たれたものだった。若い頃であれば、恋人としての理想像の1つであったろう。ただ、歳を重ねた今は、また少し違った感覚もあるのだが……。

「銀河鉄道999」の女性を考えるとき、まず頭に浮かぶのはメーテルであり、次にエメラルダスを思い浮かべることが多いが、リューズやクレア、メタルメナなど、メーテルやエメラルダスの他にも、けっこう魅力ある女性たちが登場する。それを楽しむのも、999の楽しみ方の1つだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月21日 (土)

ダメおやじ…見えない糸

古谷三敏が週間少年サンデーに連載していたマンガ「ダメおやじ」の14巻の6話目に「みえない糸」という話がある。ダメおやじが、大和グループのヒミコにユートピアを作るという夢/課題を託されて旅に出ている途中、ウンチクというバーのある町に滞在して、ウンチクに通いつめていた頃の話である。このウンチクというバーのマスターと常連のメガネさんは、後の古谷三敏の「レモンハート」というマンガの原型になっているが、この話にはメガネさんは登場しない。

ウンチクのマスターが、予定していた金(10万円)が入らず、骨董屋から買うつもりでいた皿を断るところから話は始まる。ところが、骨董屋はその代金を見越して石屋に墓石を注文していて、その代金が入らなかったため、墓石の支払いが出来なくなり、石屋はその代金を見越して買おうとしていた息子の車が買えなくなり、車の持ち主の出版社の社員はハワイ旅行をキャンセルせざるを得なくなって…という形で負の連鎖が広がっていく。

ところが、植木屋が遅れていた金をやっと作ってウンチクのマスターに支払いに来ると、すべてが好転して、結局、そのお金はそのまま植木屋に戻ってくる。八方丸く収まって、みんなはウンチクのカウンターで乾杯をするのだが、その経過をすべて見ていたダメおやじは、最後に「世界の経済ももとをただせばこれと同じなんじゃないのかな……」とつぶやく。ある意味では、分かりやすいが地味な話である。

とは言うものの、今あらためて読んでみると、けっこう含蓄の深い内容となっている。この関係の取引が丸く収まったのは、すべてが実際のモノやサービスをお金を介して取引する実体経済のレベルの話だからである。だが、ここに投機マネーが絡まってくると、取引額は増加するだろうが、欲望が疑心暗鬼をも生じさせて取引そのものが崩れてしまう可能性が生じてくる。それが、「今」の世界経済の状態である。

追加証拠金制度などを見ても、株などの投機の取引においては実際の紙幣が動くわけではなく、「情報」が行き交っているだけである。だからこそ、手元にある「紙幣」以上の取引が可能になり経済が拡大するわけだが、投機経済はその意味において虚構経済であり、「情報」の信頼性が失われれば「実体」を得られなくなりかねない不安定さをその奥に抱え込んでいる。だからこそ、実体経済と投機経済の乖離の幅が拡大し続ければ、地球レベルで、人々の生活を圧迫しかねないのである。

例えば、先物取引は、もともとは生産者のための価格安定の機能を持っていたために、生産者を守る働きもあった。ところが、買う側が主導権を握っている現在では、価格の高騰が必ずしも生産者の利益には結びつかず、実体経済を圧迫し続けている。ところが、「情報」はあくまでも「情報」に過ぎず、ハッカーなどの攻撃によって情報が破壊されたり、実体経済の側が「情報」とのリンクを拒否したりすれば、モノもサービスも失ってしまうことにもなりかねない。その意味において、現代の状況は危険なのである。国のレベルを超えてこの問題に取り組む必要があるだろう。

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年5月31日 (土)

仮面ライダーSPIRITS…ストロンガー・スカイライダー・スーパー1

村枝賢一の描く『仮面ライダーSPIRITS』の第3巻に登場するのが、ストロンガー、スカイライダー、スーパー1である。そして、ストロンガー編では、今は亡き小林昭二さんの演じた立花藤兵衛=おやっさんも出てくる。パイプを加えた表情など、往年のおやっさんの姿が目に浮かぶ。何とも言えない登場である。

ストロンガー編の冒頭、謎の組織の暗躍に対し、滝和也は、インターポールの選任捜査官・三影英介と共に立花レーシングクラブを訪ねる。そこでは、ストロンガー城茂が、毎日、岬ユリ子の墓に花を供えながら立花藤兵衛と共に暮らしていた。その城茂を村雨を指揮官とする改造人間の一団が襲う。城茂はストロンガーに変身して戦うが、電パンチも電キックも彼らには通じない。そこで、チャージ・アップによる超電ドリルキックによって敵の1人を倒すが、村雨には通用しない。ボロボロになっても戦い続けるストロンガーは、岬ユリ子・タックルが自らの死と引き換えに敵を倒したウルトラサイクロンを使う。全滅する敵サイボーグ。だが、インターポールを裏切った三影は、村雨の頭を持って敵組織に入る。村雨は後に10号ライダーZX(ゼクロス)となり、三影はZXのライバル・タイガーロイドに改造されることになる。

スカイライダー編では、北欧を旅する筑波洋が古城でフレイアという娘と出会う。フレイアの兄フレイは、妹と共に科学者である実の父の手によって改造され、さらに謎の組織はフレイをドクガロイドに改造していた。謎の組織はフレイア兄妹の父親の毒に関する技術に目をつけ、彼を引き込もうとしてドクガロイドを送る。ドクガロイドの猛毒の燐粉に、スカイライダーも重力低減装置を犯され墜落してしまう。フレイアの父は彼女の解毒能力を更なる改造によって強化しようとする。そして、彼は謎の組織からの誘いにも魅力を感じていた。自分の子どもよりも毒の研究を優先しようとする良心を失った科学者の父親の姿にドクガロイドは彼を殺してしまう。スカイライダーは警備の人々やフレイヤのために再びドクガロイドに挑み、大回転スカイキックでドクガロイドを倒す。

スーパー1編は、沖和也が仲間と共に建設に取り組んでいる月面基地をアメンバロイドが襲う。和也の所属するチームは辛うじてスペースシャトルで月面を脱出するが、大気圏突入の角度を狂わされてしまい、シャトルもろとも燃え尽きる危険の中、スーパー1は単身で外に出て、重力コントロール装置と冷熱ハンドを使ってシャトルを救おうとする。その姿にシャトルの乗組員たちも希望を取り戻し、生還のための努力を続ける。だが、海面に何とか着水したシャトルを再びアメンバロイドが襲う。老いの衰えを改造人間になることによってカバーしようとした拳法家であるアメンバロンド。力を自分のためだけに使おうとした男に、スーパー1の赤心少林拳が炸裂する。

改造人間として生身の身体は失っても、人間の心を失わず、人々を守るために戦おうとする仮面ライダーたちの思いと、彼に関わり続ける人々の思いの強さが胸を打つ。そして、4巻以降のZX編でも、一人ひとりのライダーたちの壮絶な戦いが胸に迫る。その前哨戦としての意味を持ちながらも、ひとつひとつの物語が胸を熱くする第3巻である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 6日 (火)

仮面ライダーSPIRITS…ライダーマン・X・アマゾン

村枝賢一が「マガジンZ」で連載を続けている「仮面ライダーSPIRITS」は現在14巻まで単行本化されているが、その2巻に登場するのがライダーマン、Xライダー、アマゾンライダーである。ライダーマンは、他の仮面ライダーたちのように、全身を改造されている訳ではない。そのライダーマンだけのエピソードが入っている…という意味ではTVや原作マンガにもない珍しいパターンである。ただ、仮面ライダー1人ひとりへの作者の愛情が伝わってくる。

ライダーマン編では、記憶を失って南の島に流れ着いた結城丈二を追って、島にインターポールのアンリが現れる。アンリは結城がデストロンの科学者であったことを知っているが、彼がデストロンと決別して、命をかけてプルトンロケットを安全な場所で爆発させた行動を知っていても完全に彼を信用しているわけではない。だが、ライダーマンを追ってヨロイ元帥のクローンが島を襲ったとき、彼はマスクを手渡されてライダーマンとしての自分を思い出す。他のライダーたちと違って、全身を改造していないライダーマンにヨロイ元帥/ザリガーナは倒せるのか。ライダーマンはパワーアームやドリルアームの攻撃を集中してヨロイ元帥の硬い殻に穴をあけ、そこからマシンガンアームで銃弾を打ち込む。殻の固さが禍して、ヨロイ元帥の体内で銃弾が跳ね回り、ライダーマンは1人でヨロイ元帥を倒す。そして、ヨロイ元帥に襲われたアンリを助け、取り戻した記憶と共に、再び戦いの場へと赴くのである。

Xライダー編では、滝和也とXライダーが出会う。ライダーたちを探してヨーロッパの港町に現れた滝和也は、地元の偏屈な漁師の手伝いをする神敬介と出会う。港町に起こる謎の事件はバラロイドの仕業であった。バラロイドと銀のドクロの謎を追って神敬介と滝が動き出す。決戦は、深海作業用のカイゾーグであるXライダーらしく海である。銀ドクロの妖しい力を突き破って炸裂するXキック。Xライダーの魅力を引き出すストリーである。

そして、アマゾンライダー編では、天才少年科学者の案内人としてギアナ高地に向かうアマゾンに、天才少年科学者の頭脳を利用しようとするトカゲロイドが襲い掛かる。孤独な天才少年科学者とアマゾンとの心の交流と友情がトカゲロイドの野望を打ち砕き、アマゾンは新たなトモダチと心を通わせる。後に、このトモダチは、アマゾンとの友情から、ライダーたちのために力を尽くすことになるのだが、それはZX編の話である。

1つひとつのストリーが、それぞれのライダーの特徴を生かした熱い物語になっている。それと共に、ライダーたちの戦いが人々をつなぎ、ZX編での共闘へとつながっていく。このシリーズは読んでいてとても楽しい。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月17日 (木)

漂流幹線000

『銀河鉄道999』の後で松本零士が雑誌「少年キング」に連載していたマンガが『漂流幹線000』である。働きながら下宿して家族と離れて暮らしている中学生・大山大は、メイビスという不思議な女性の導きによって漂流幹線000に乗る。漂流幹線000は、時間の止まった街や第三次世界大戦後の未来の日本、心や身体の傷ついた人に追い討ちを掛けて人の苦しみをあざ笑う世界など、さまざまな駅に大を連れて行き、そしてまた帰って来る。途中から、大の担任の平田静子先生も大と共に漂流幹線000に乗るようになる。

この辺りの流れは、『銀河鉄道999』と良く似ている。999が宇宙の様々な星に停車するのに対して、この漂流幹線000は、言わば別次元の様々なところに停車するのである。だが、漂流幹線000とメイビスたちの世界【裏球】と敵対する世界【死球】の人々が、【裏球】の秘密を探ろうとして大や平田先生の周辺で様々な工作を始める。時には、大たちが偽の漂流幹線000に乗せられて【死球】に連れて行かれようとしたり、平田先生がさらわれかけたりするのである。

メイビスやその妹のメイビク、メイヒスたちの助けを借りたり、時には彼女たちの危機を助けたりしながら、【死球】との小競り合いに巻き込まれていった大の前に、やがて【魔球】や【天球】からの使者も現れ、大を見守っていく。徐々に明らかになっていく【裏球】やメイビスたちの謎、そして【裏球】と【死球】の決戦……。

全4巻の物語だが、999とは別の、そしてどこかしらメーテルリンクの『青い鳥』をも思わせるような、時々、読み返したくなるマンガである。単行本は、1983~84年にかけて刊行されているので、25年ほど前のマンガだが、時には、今の社会を予見しているような停車駅もあり、またお互いを思いやる温かさに心うたれるところもある。『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『1000年女王』などの作品と比べると映画化やTVアニメ化などをされている訳でもないし、今の感覚からすれば割と短い地味な作品だが、心温まる小品である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 6日 (日)

わが青春のアルカディア…戦場まんがシリーズより

松本零士の戦場まんがシリーズの4巻目(昭和51年・小学館)の冒頭に、本のタイトルにもなっている「わが青春のアルカディア」というマンガが収録されている。主人公はドイツ空軍のファントム・F・ハーロックⅡ大尉。愛機メッサーシュミットの操縦桿を握り、ドイツ帝国崩壊の日まで不敗のまま敵機を撃墜し続けていた。

その最後の出撃の前にハーロック大尉は、1人の男に出会う。男の名前は台場元、技術交換で日本から来た照準器を開発する技術者だった。2人とも祖国の敗戦を認識していたが、今、自分の果たすべき役割に全力を尽くす誇り高き男たちだった。

味方の交代を援護する為の最後の出撃に際して、ハーロックはメッサーシュミットの胴体部に台場を乗せることになる。上空からの敵機の攻撃で離陸直後に被弾したハーロックのメッサーシュミット。その際に切れかけた昇降舵のワイヤーを台場は自らの身体を使ってつなぐ。ガソリンが尽きてスイス国境の近くに胴体着陸をするメッサーシュミット。そこで、ハーロックは台場が切れかけたワイヤーの代わりになっていてくれたことを知る。その行為に対して、ハーロックは常に戦場を共にしてきた愛機の照準器を台場に託す。生き延びたら再会することを約束して……。

時間的にはわずかでも、決定的な出会いというものは確かにある。濃厚なひとときを共有した信頼に足る相手は、どれ程時と距離を隔てても、親友として深く心に住み続ける。ハーロック大尉と台場の関係はそのようなものだったのだろう。日常的にはそれ程多くない出会いかもしれないが、1度会っただけで相手を信じられる出会いというのも確かにある。そして、その相手の存在が、心の中で輝き続け、自分の生を励まし、力を与えてくれるのだ。

このエピソードは、後にキャプテン・ハーロックの海賊戦艦アルカディア号誕生のエピソードを描いた映画「わが青春のアルカディア」にもそのまま挿入される。もちろん、台場はアルカディア号の設計者大山トチローの祖先ということになり、ハーロック大尉もキャプテン・ハーロックの祖先ということで、2人のつながりの深さを語る為のエピソードとしての挿入になるのだが。

松本零士が描く代表的なキャラクターであるキャプテン・ハーロックは非常に魅力的な男だが、その魅力の1つに友情の厚さがある。ハーロックとトチローの友情は、男として胸を熱くする多くのエピソードに彩られている。このような友情はそれ程多くはないかもしれないが、親友の大切さを感じさせてくれる作品である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月 6日 (木)

惑星ロボ ダンガードA

松本零士が関わった唯一のロボット・アニメ、それが「惑星ロボ ダンガードA」である。松本零士自身は、このアニメに関わることで、自分が巨大ロボット・アニメに向いていないことを自覚し、以後は、ロボットアニメから手を引いてしまう。けれども、ダンガードAの母艦である宇宙空母ジャスダムや敵ドップラー軍団の人間模様を描くことでその面白さを再認識し、それが「宇宙海賊キャプテンハーロック」や「銀河鉄道999」などのアニメに生かされていく。そうした意味では興味深い作品である。

だが、このロボット・アニメは本当に変わっている。まず、ダンガードAは200mの巨大ロボットである。そして、このダンガードAは物語の最初から登場せずに、主人公である一文字タクマがダンガードA/サテライザーのパイロット候補生として訓練するところから物語はスタートし、なかなかダンガードA自体が登場しない。原作マンガにいたっては、最後のシーンにサテライザーが変形したダンガードAを惑星プロメテと地球の友好の証としてプロメテの大地においてくるシーンに登場するのみである。その意味では、ヒーロー・ロボットとしての存在感がマジンガーZやジャイアントロホ゛、エヴァンゲリオンなどのそれと比べて今ひとつなのである。

それでも、ドップラー軍団から脱出してきた仮面のパイロット/キャプテン・ダン(実は記憶を失ったタクマの父・断鉄)とタクマのドラマや、新しく発見された太陽系の新惑星プロメテに向かうドップラー軍団の母船と宇宙空母ジャスダムの競争、およびその中でのそれぞれの集団の人間模様など、巨大ロボット・アニメとして見ずに楽しむとなかなか面白いエピソードが数多くあって楽しい。ロボット・アニメとしては型破り過ぎて違和感を覚えるかも知れないが、松本アニメの宇宙船モノという見方をすれば、宇宙戦艦ヤマトやキャプテンハーロック、銀河鉄道物語などにも通じるものがあって興味深い。

松本アニメのファンとしては、なかなか見るところの多い、別の意味で興味深いロボット・アニメ…それが惑星ロボ ダンガードAなのである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月17日 (日)

戦艦ヒューベリオンと戦艦ブリュンヒルト

アニメ「銀河英雄伝説」で、自由惑星同盟軍きっての知将で不敗の英雄ヤン・ウェンリーの乗る13艦隊/ヤン艦隊の旗艦がヒューベリオンである。同じ自由惑星同盟のリオ・グランデ(ビュコック元帥の旗艦)などと比べて、やや小ぶりでスマートな艦で、船体の色が他の艦に比べて青っぽいのが特徴的である。

ただ、ヤン・ウェンリーは、つねにヒューベリオンに乗って戦っているわけではなく、ユリシーズやレダⅡに乗ったりもしているし、メルカッツ提督がヒューベリオンに乗って艦隊を指揮する場合もある。魔術師ヤンにとって旗艦と言えども、それへの拘りはそれ程でもなかったというところだろうか。その意味においてはヤンらしい使い方と言えるかも知れない。

一方、銀河帝国軍の常勝の英雄ラインハルトが乗るのが白い戦艦ブリュンヒルトである。ヤンと異なり、ラインハルトは常にブリュンヒルトに乗って戦場を翔る。純白の戦艦ブリュンヒルトは、ラインハルトに相応しい輝かしさを持つ戦艦で、ラインハルトの栄光を象徴する旗艦でもある。

宇宙戦艦と言えばヤマトやアンドロメダ、アルカディア号などの艦上に砲塔を据えた松本アニメの戦艦のイメージが強かったが、銀河英雄伝説に登場する戦艦は自由惑星同盟軍、銀河帝国軍のいずれも、そうした砲塔を持たない。艦首等に砲を集中させ、スッキリとしたデザインになっている。それでも、艦隊として動くことで【宇宙戦艦】として納得してしまうところがある。そのリアルな宇宙艦隊の動きが、アニメ「銀河英雄伝説」の魅力ともなっていると言えよう。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 5日 (火)

戦士の銃No.4/星野鉄郎の銃

銀河鉄道999の主人公、星野鉄郎が持つ、一撃で機械化人を倒すことができる銃、それが戦士の銃だ。鉄郎は、土星の衛星タイタンで、老婆からこの銃をもらう。少年キングに連載されていた原作コミックでは、この老婆の息子はタイタンで老婆の目の前で亡くなっている。だが、映画「銀河鉄道999」では、この老婆こそ宇宙海賊キャプテン・ハーロックの親友で、アルカディア号の設計者でもあり、クィーン・エメラルダスの恋人でもあった大山トチローの母親であった…ということになっている。

映画の設定では、トチローはタイタンの母親に帽子とマントとこの戦士の銃を形見として残していった。そして、共に機械伯爵を追って、惑星ヘビーメルダーで鉄郎とトチローは出会うのである。そして、鉄郎は、トチローの最期を看取り、戦士の銃を手に機械伯爵の居城である時間城にのりこみ、山賊アンタレスの助けもあって機械伯爵を倒す。

一方原作マンガ、およびTVシリーズでの「メーテルの旅」というエピソードでは、鉄郎はこのシリアルNo.4の戦士の銃の未来の持ち主であるレドリルと出会う。メーテルは、その時もNo.4の戦士の銃の持ち主であるレドリルと一緒に銀河鉄道999で旅をしている。ただ、鉄郎はその後も、戦士の銃を手に旅を続けている。それは、今も続くエターナル編でも同じである。No.4の戦士の銃は星野鉄郎の銃なのである。

ちなみに、No.1の持ち主はハーロック、No.2はエメラルダスである。では、No.3は……。もしかすると以前は知っていたかも知れないが、今は記憶にない。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月17日 (木)

新造人間キャシャーン

タツノコ・プロのアニメ「ヤッターマン」がリニューアルされ、放映が始まったが、「宇宙エース」「マッハGoGoGo」「紅三四郎」「ガッチャマン」「タイムボカン」など数あるタツノコ・プロのアニメの中でも特に好きだったのが「新造人間キャシャーン」である。オープニングの主題歌の冒頭で次のような台詞が流れる。

たった一つの命を捨てて 生まれ変わった不死身の体 

鉄の悪魔をたたいて砕く キャシャーンがやらねば誰がやる

父の東博士が作った優秀なロボットが落雷のショックで狂い、ブライキングボスと名乗ってアンドロ軍団を組織し、地球の征服に乗り出す。その暴挙を阻止するために東博士の息子鉄也は二度と人間には戻れないことを知りながらも新造人間となってアンドロ軍団に戦いを挑む。必殺技は電光パンチと流星キック、そして頭部のソーラメットから発射する超破壊光線。そしてキャシャーンと共に、愛犬のボスを機械の体に移したフレンダーと、ロボットのみを破壊するMF銃を持った幼馴染のルナがアンドロ軍団と闘う。

子どもの頃に熱中したオリジナルのTVシリーズは白いボディに黒いラインの入ったシンプルかつ精悍なデザインのカッコよさにひかれた。また、スピーディーな空手アクションと孤独の影を宿すヒーロー像にも心奪われ、都合で毎回見ることが出来たわけではなかったが、TVの前に座ると、いつも胸を躍らせて見ていた。

後に、オリジナル・アニメ・シリーズとして4話くらいでリニューアルされ、小説もでた。また、近年、実写の形で映画化され、その小説も出ている。ただ、オリジナル・アニメの方の小説版は、地球の環境を守る目的で作られたブライキングボスが、人類を環境破壊の元凶として滅ぼそうとする形になっている。なかなか、胸にグサリとくる設定である。

さて、オリジナルのTVシリーズだが、最初は「人間」のヒーローとして戦っていたキャシャーンだったが、人間を捨てて機械の体になったことを知られて人々の信頼を失い孤立するようなシーンも出てくる。また、ブライキングボスに捕えられている東博士が、キャシャーンを凌駕するロボットを作らされ、こっそり作った弱点をキャシャーンに知らせるために苦心する場面もある。それでも、最後では、様々な苦難を乗り越えた末にキャシャーンはブライキングボスとの死闘を演じ、とうとう超破壊光線でブライキングボスを倒す。

人々は、アンドロ軍団から解放され、復興へと向かう。喜びと希望に満ちて。だが、二度と人間に戻れないキャシャーンは……。その余韻の残るラストが胸を打ち、未だに忘れることのできない作品となっている。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 1日 (火)

パスカル・シティ

20年ほど前の新谷かおるのマンガに『パスカル・シティ』という作品がある。新型のスペース・シャトルであるサラトガが初飛行のミッション中に事故をおこす。当初は月面への追突の危険を回避し、乗組員は全員生きていたのだが、NASAの必死の努力も空しく、太陽に突入する軌道を進んでいく。その時に、乗組員の子どもたちが、シャトルを乗っ取って発進し、父親たちを救おうとするのである。

問題は、新型のシャトルであるサラトガのスピードで、救助船との0.00001秒のシンクロの誤差によってドッキングに失敗し、大人たちは絶望してしまう。けれども、子どもたちは諦めず、NASAや国防総省のコンピューターをハッキングし、シャトルで宇宙に飛び出すのである。そして、サラトガのミッションのために設置してあった燃料コンテナで燃料を補給し、子どもたちを救出するために発射されたシャトルを振り切って、サラトガの救出に向かう。

当時としては難しかったためか、少年ビッグコミック誌(「みゆき」や「エリア88」などを連載していたが現在は廃刊)の連載も早く終わり、単行本としても2巻で完結している。そのため、サラトガに追いつくまでの宇宙飛行の間のエピソードも少なくて残念なところもあるが、子どもたちの柔軟さは宇宙での生活に適応し、様々なトラブルもお互いの協力によって乗り越え、ギリギリでサラトガとのドッキングを果たし、父親たちを救出して地球に帰還する。

もちろん、本当の宇宙飛行には体力も必要だし、多くの訓練も受けなければならない。けれども、子どもの発想の柔軟性と適応力の高さは、未来を切り開く大きな力となり得る可能性を秘めている。それを大切にし、子どもたちの力を伸ばしていく環境を整えるのが大人の役目だろうし、それによって人類の未来は開かれるのではないかと思う。

ただ、現代の社会は、必ずしも子どもたちを本当の意味で大切にしていないのではないかと感じることが少なくない。子どもを大切にすることは未来を開く道につながる。人類の未来を守るために、身近な子どもたちを大切にすることから始めていきたいものである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年11月16日 (金)

サイボーグ009

戦うための兵器として改造される目的でさらわれ、自分の意志に関わりなくサイボーグにされてしまった9人。それが、サイボーグ009たちである。彼らを改造したブラックゴーストは、武器を開発して売る死の商人たちが作った組織である。その組織から逃げ出してブラックゴーストと戦う9人の戦士たち。彼らの出身地は、ロシア、アメリカ、フランス、ドイツ、中国、イギリス、アフリカ、日本と非常に多彩である。これは、国際連合への願いがこもっているのだろう。

改造されたブラックゴーストの基地から脱出し、追撃を振り切った9人のサイボーグたちとギルモア博士は、ブラックゴーストの影を追ってベトナムや中東の戦場にも姿を見せる。そうした戦場でブラックゴーストの暗躍を阻止した009たちは、さらにブラックゴーストの暗躍を追っていくうちに地底世界にも達する。彼らの活躍で地底世界のブラックゴーストの基地は壊滅するが、ブラックゴーストの仕掛けた爆弾で地底世界はズタズタにされる。それでも001のテレポート能力によって辛うじて地底を脱出したサイボーグ戦士たちだが、ブラックゴーストの首領でもある巨大魔人像の内部に1人テレポートで送られた009は、後は仲間に託して魔人像とともに死ぬ覚悟を決める。そして宇宙空間で魔人像の破壊に成功するが……。

この地底編のラストは、002が009を救おうと宇宙空間まで魔人像を追って、009と合流するが飛行燃料が尽きて、009と共に地上へと落下していく。その「流れ星」を見ていた少女が、世界の平和を祈る……というシーンで終わっている。

現代の世界の情勢に目を向けると、現実の《ブラックゴースト》たちである産軍複合体が自分達の利益追求のために世界各地に戦火を撒き散らし、兵士ばかりでなく多くの人々の命を犠牲にしている。だが、彼らと命がけで戦ってくれるサイボーグ009たち9人の戦士は、私たちの現実世界にはいないのである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年11月 4日 (日)

「銀河英雄伝説」から文民統制を考える

今夜は少し時間があったので、久しぶりに「銀河英雄伝説」のDVDを見る気になった。この物語に登場するキャラクターの中で一番好きなのは自由惑星同盟の軍人、ヤン・ウェンリーである。歴史研究を志したにも拘らず父親の事故死によって士官学校の戦史科に進学し、軍人になってからはその優れた知略によって時には同盟軍に勝利をもたらし、時には同盟軍を全滅の危機から救い、常に最前線にあって民主主義体制を擁護するために力を尽くした。

だが、そのヤンが必死に養護していた自由惑星同盟の民主政治は腐敗していた。そしてヤンは腐敗した政権やその中心となっていた扇動政治家たちを嫌っていた。しかも扇動政治家たちは、政権維持のために出兵を画策したり、前線の熟練兵を新兵に変えたり、法的根拠のない査問会にヤンを呼び出したりするなど、意識してかどうかは別にして、ヤンの足を引っ張る事ばかりを続けていた。

そうした政治の腐敗を憎んだ軍人たちのクーデターに対し、ヤンは軍事独裁政権を支持せずに、尊敬するグリーンヒル大将が首班となっていた救国軍事会議を倒して民主政治を守るために戦い、決して政権をとる事はなかった。ヤンは、軍隊は道具に過ぎないと考えていて、しかも状況が許せばない方が良い道具だと考えている。そして歴史的には軍隊は民衆を解放するよりも民衆を弾圧する側に回る例が多い「道具」だと……。それゆえに、ヤンを慕って軍人になろうとする被保護者のユリアン・ミンツに対し、民衆に対するなるべく無害な「道具」になれると良い、と語る。現実には大変な不便を感じながらも、民主政治の下の軍の文民統制という原則を守り続けたのである。

ひるがえって、わが国の自衛隊はどうだろう。イラクに駐留していた元前線指揮官が、他国軍が戦闘に巻き込まれた時に「救助」という形に戦端を開く可能性を準備していたり、給油記録の疑惑や航海日誌の紛失など、国会での追及に対して十分な説明責任を果たしえないようなことを行っていたりしている。平和主義の憲法9条を持つにも拘らず、シビリアン・コントロールが十分に機能していない疑いが濃厚なのである。

多国籍軍に対する給油が、本当に国際貢献になっているのか。「テロ」なのか「レジスタンス」なのか、という詳細な独自の検討を放棄して、アメリカの要求を鵜呑みにした給油を続けるよりも、別の平和憲法に即した国際貢献の道をきちんと検討した上で、自衛隊の活動についてはきちんとガラス張りの文民統制が機能するような形で今後の方向性を決定すべきであろう。

アニメや小説から「文民統制」を学ばなければならないような「現実」は情けなくもあるが、民主国家の軍人としてはヤン・ウェンリーのような見識と自制が必要だろうし、政治家はそれを生かす文民統制の能力が必要だろう。現在の政府与党については、文民統制の能力はの判断としては失格である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年10月20日 (土)

やさしくしないで…リューズの歌

映画「銀河鉄道999」で、機械伯爵の愛人である時間を自由に操る機械化人の女リューズが、惑星ヘビーメルダの酒場で歌を歌うシーンがある。その際にリューズが歌っているのが【やさしくしないで】という歌である。

 

何が欲しいというの 私 それとも愛 つばさいやす鳥たちも 私を欲しいとさわがしい

こわれたおもちゃ箱を 子供みたいに 抱えこんで 涙ぐんで それでどうなるの

何が欲しいというの 私 それとも愛 疲れはてた心には やさしくしないで させないで

誰でも昔話 ひとつやふたつ 大事そうに 語るけれど それでどうなるの

 

若さゆえに出来るチャレンジがある。それを諦め、また諦めして歳をとってしまうと、わずかな思い出を抱えこんで後悔の涙を流すだけなのか。そんな大人たちを尻目に、鉄郎は先へ進もうとする。リューズが最後の最後の土壇場で機械伯爵を裏切るのは、鉄郎の熱い意志に深く心を動かされるものがあったからなのだろう。けれども、自らの時間を戻して人生をやり直すことはできないし、機械伯爵との時間もまた彼女自身の選択の結果でもあった。そして、機械伯爵と共に滅ぶ時間城と運命を共にするリューズ。そんなリューズの哀しさを歌い上げるように、【やさしくしないで】のメロディーが流れる中、リューズの身体が錆びて崩壊していく。忘れられないシーンである。

だが、30年ほどの時を経た今、リューズの歌に涙を流すような齢の取り方をしていないだろうか。少し気になるところである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 7日 (日)

「ドラえもん」を使って

ドラえもんの好物はドラ焼きである。では、ドラえもんは、ドラ焼きのあんと皮のどちらの方が好きか? というクイズを子どもたちに出す事がある。で、「あん」と答えると「アンアンアン ! とっても大好き」という歌のフレーズを使って「あんを取っても大好きだから皮だよ」と答え、逆に「皮」と答えると、同じフレーズを使って「あんがとっても大好きだから皮だよ」と応じる。なかなかイジワルなクイズである。だが、声優とともに歌も変わったようなので、そろそろこのクイズも賞味期限が切れそうである。

それから、1月に講演をした時に、いじめの構造についてドラえもんのキャラクターを利用しながら説明した事があった。「なぜ、スネオがいじめをとめないのか」ということを「とめたら今度は自分が標的にされるかもしれない」という怖さがある…という点から説明したら、けっこう分かってもらえたようである。

私も、子どもの頃に親しんでいたドラえもん。長い間愛され続けている作品だけあって、色々な場面に応用する事ができる。そして、それがまた、相手との距離を縮めていく。最近はTVを見る時間がなかなか取れないので、声優さんたちが変わったドラえもんがどんな風になったのかは、まだこの目で確かめてはいない。それでも、これ程人々に愛されているドラえもんはすごいと思うし、大人になってパラパラとマンガをめくってみてもけっこう楽しい。やはり、名作という事なのだろう。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年9月21日 (金)

タキオン粒子

光より速い粒子…そう考えて設定されたのがタキオンである。もちろん、その実在は現時点では確認されていないし、もしかしたら存在しない架空の粒子に過ぎないのかもしれない。けれども、光より速い粒子が存在すればどうなるのか…という点は非常に興味深い思考実験でもある。

タキオン粒子を初めて知ったのは、「宇宙戦艦ヤマト」であった。放射能除去装置を手に入れるために、1年以内に14万8000光年離れた大マゼラン星雲のイスカンダル星へ行って帰って来なければならない。そのためには光の速度以下で移動していては不可能なので超光速飛行による移動が必要となる。それがワープであり、それを可能にするのがタキオン粒子である。…後に、講談社のブルーバックスを読み漁り、こうした考え方が科学的な議論や推論に基づいたものだという事を知る。そして、タキオンを発射する波動砲の描写において粒子が砲口に吸い込まれていくのは理論的に正しいのだと知って感動した覚えもある。

私が生きているうちに人類が他の太陽系惑星の上に立つことはもしかしたら出来るかもしれないが、最も近い恒星であるケンタウルス座α星に達する事は無理だと思われる。けれども、恒星間飛行、さらにはアンドロメダ星雲や他の銀河星雲まで達する可能性を考える事は良い事である。愚かな戦争によって人類が滅亡しないためにも、戦争に使う金を大幅に削減して宇宙の探査や宇宙の平和利用の研究に回せば良いと思うのだが……。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年9月17日 (月)

あぶさん…いぶし銀から野球仙人へ

水島新司の野球マンガは「ドカベン」「野球狂の詩」「一球さん」「球道くん」など、それなりに読んでいるが、コミックを全巻そろえているのはなぜか「あぶさん」だけである。だが、この「あぶさん」は息の長い野球マンガで、1巻から始まって、やがて90巻に手が届こうとしている。

主人公は、ホークスの景浦安武、通称あぶさん。野村監督が率いる南海ホークスの時代に入団し、当初は代打の切り札として活躍する。一発の長打力を持ちながら、代打であり続けるのは酒のせいでもある。いわゆる大酒のみであり、集中力は驚異的だが、体力は九回の攻守をまっとうするには不安がある…ということなのだ。だが、その集中力と一発の魅力/驚異ゆえに四番の打順であっても代打として登場できる。そんな魅力ある選手としてあぶさんは描かれている。

だが、時代はめぐり、ホークスも大阪から福岡へ移り、ダイエー、そしてソフトバンク・ホークスとなって現在にいたっている。ところが、あぶさんは今も現役。落合と三冠王を争い、門田や秋山とホームラン王を競い合った男が松坂とも対決する。99年の優勝の際には王監督の胴上げもするし、選手ばかりでなくコーチを引き受けることもある。

50歳を越えても四番を打ったり、レフトを守ってファインプレーを見せたり、歳を重ねても現役にこだわり、しかもしっかりと結果を出す。まさに野球仙人という感じである。水島マンガでは岩田鉄五郎という老投手も登場する(野球狂の詩)が、あぶさんは岩田鉄五郎の打者版という感じになりつつある。

それでも、実際にプロ野球で活躍している選手も多く登場し、わが三重県出身で明野高校からホークスに入った大道選手なども出ている。また、プロ野球を陰で支える審判やコミッショナーなどが登場する地味な話もあり、それも含めて野球マンガとして楽しむ事ができる。だが、あぶさんもいつまでグランドに立ち続けるのか…という点では、ずっと続いて欲しいという思いと共に、そろそろ休ませてあげたいという思いが交錯する。

心から酒を愛し、野球を愛する酒仙打者。南海の時代の野球職人のような描かれ方に惹かれて読み出したマンガだが、どこまで続くのかをしっかりと見届けたい作品である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年9月 9日 (日)

未来少年コナン…来年は滅亡の危機!?

久しぶりに「未来少年コナン」を第1話から見ている。このアニメはNHKで最初の国産アニメであると同時に宮崎駿が関わっているアニメでもある。冒頭のナレーションでは、西暦2008年に戦争と超磁力兵器によって、人類は滅亡の危機に瀕する。さすがに超磁力兵器までは開発されていないようだが、貧困問題や異文化への無理解を放置したまま「テロとの戦い」を続けていては戦火が暴走してしまう可能性がない訳ではない。そうならないように、努力できる事をしたいものである。

足の指先まで自由自在に動かせる野生児コナン。その動きはジャッキー・チェンの映画のように動きそのものがユーモラスでもある。だが、その背景に流れる文明批判はかなり辛らつである。そして、自然と共に生きる豊かさを教えてくれる。それに何よりも、コナンとラナの2人の深い信頼関係は感動的である。

ラナが絶対絶命の危機には、必ずコナンが現れる。そして、その驚異的な野性の力で状況を劇的に変化させ、ラナの危機を救ってしまう。でも、時々コナンもラナに助けられる事がある。「そんなにうまくはいかないよ」と心のどこかで思いつつも、「コナンのやることだから」と納得してしまう。そして、純粋にそれを楽しむ事が出来る。コナンにはそんな魅力がある。

心から笑って、ハラハラ・ドキドキして、大人たちの浅知恵を蹴散らして進んでいくコナンとラナ。2人の歩む方向に未来が開ける。多くを望まず、地に足のついた生活を大切にする。そこにこそ閉塞した現在を切り開く智慧が隠されているのかも知れない。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年8月30日 (木)

仮面ライダーSPIRITS…1号・2号・V3

「俺たちのフィールド」という熱血サッカーマンガを描いていた実力派の漫画家・村枝賢一が10人目の仮面ライダーZXと歴代ライダーの物語を「マガジンZ」という月刊誌に連載している。現在は12巻まで単行本が発行されているが、その1巻を飾っているのが仮面ライダー1号(本郷猛)、2号(一文字隼人)、V3(風見志郎)の活躍である。

物語は、ニューヨークでFBIの窓際族となっている滝和也の周辺で吸血鬼騒動が起こることから始まる。本郷猛や一文字隼人と共にショッカーと戦った滝が物語の中で大きな役割を演じているのも往年のファンとしては嬉しいが、村枝賢一のペンが往年のライダーたちのイメージを熱く伝えてくれるのが魅力的である。

さて、滝の前に現れたコウモリ怪人に対し、周りの人々のために滝は「ライダー」として立ち上がるが、力及ばず倒れる寸前まで追い詰められた時仮面ライダー1号・本郷猛が登場する。そして、滝と共にコウモリ怪人を追い詰め、トドメは電光ライダーキック。立花藤兵衛(おやっさん)との特訓で編み出した、非常に珍しい必殺キックである。

続いて、東南アジアに飛んだ滝は一文字隼人との再会を果たし、内戦の影でうごめく謎の組織が改造したクモロイドと戦うことになる。一度はクモロイドの吐く糸に全身を締め付けられて敗北した仮面ライダー2号・一文字隼人だったが、子どもたちの危機に傷ついた身体で変身し、必殺のライダー卍キックでクモロイドを撃破する。これもまた特訓のシーンを思い出すレアな必殺技である。

一方、エジプトでは単身で謎の行方不明事件を追っていた風見志郎が謎の組織が改造したタカロイドに遭遇。死者を蘇らせて兵士に改造する実験プラントをタカロイドとの戦いに勝利して叩き潰す。空中を自在に飛ぶタカロイドを倒したのは、数あるV3の技の中でもツバサ大僧正/死人コウモリを倒した空中を旋回するV3マッハキック。命がけの特訓を付き合った「おやっさん」の顔が浮かぶ珍しい必殺キックである。

ところどころ、こうした細かい楽しみが満載だが、懐かしい姿をそのままマンガにした村枝賢一の迫力とストリーの面白さが非常に心にくい。血沸き肉躍る、という言葉は、このマンガの面白さを語るのにピッタリの表現である。

その後、滝は仮面ライダーX・神敬介と出会い、さらには謎の組織バダンを裏切ったZXや他のライダーたちと共にバダンと戦い続けるが、その面白さは、直接マンガを手にとって味わって頂きたいと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年8月21日 (火)

宇宙戦艦アンドロメダ

松本零士のマンガやアニメには魅力的なメカが多く登場するが、それ程活躍できなかったにも関わらず海賊戦艦アルカディア号やクィーン・エメラルダス号、宇宙戦艦ヤマト、超時空戦艦まほろば…といった主役を張る宇宙戦艦と同じくらい魅力を感じるのが、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」やTVシリーズ「宇宙戦艦ヤマト2」に登場する宇宙戦艦アンドロメダである。

設定によれば全長275m、艦首に拡散波動砲2門を備えた、地球防衛軍・連合宇宙艦隊の旗艦であり、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」では、地球に帰還する古代進艦長の宇宙駆逐艦とすれ違う形で登場する。映画では、白色彗星帝国の宇宙艦隊は愚か小惑星群なども簡単に破壊する白い渦巻にあっけなくやられてしまうが、TVシリーズでは映画で2代目ヤマト艦長を務めた土方艦長がアンドロメダの艦長を勤めており、白色彗星の渦を拡散波動砲によって消滅させることに成功するも、その後の白色彗星帝国の攻撃によって撃沈する。

だが、その洗練されたデザインと拡散波動砲2門という強力な装備は魅力タップリで、映画やテレビにおける宇宙戦艦ヤマト中心のストリー展開を無視して、もっともっと活躍して欲しかったように思われる。ただ、特に映画での醜態は、拡散波動砲2門という武装を過信して、安易に正面から相手を撃破しようとした作戦ミスが祟っている。

結局、どれ程優れた道具も、使う人間が使い方を誤ればその能力を発揮できない。ステルス戦闘機やステルス爆撃機、イージス艦などの最新・最強の装備を誇るアメリカが中東での戦いに多くの犠牲者を出しながらも「勝利」し得ないのは軍事力を過信して外交や人道支援に力を尽くさずに欲望に踊った結果である。

宇宙戦艦アンドロメダの戦いは、道具よりも人間の使い方の重要性を教えてくれているのかも知れない。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spamではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月21日 (土)

るろうに剣心…力は市井の人々のために

明治という新時代を創るためにその剣を振るった1人の維新志士が、権力を求めずにさすらい、市井の人々のために戦う。TVアニメ化もされたこのマンガは1994年から1999年まで週間少年ジャンプに連載されていたものである。

主人公の緋村剣心は、幕末の動乱期に長州側の剣士・緋村抜刀斎として最初は暗殺に、後には護衛に活躍した過去を持つ。だが、明治になっても多くの志士たちのように政界に入ることなく、峰と刃が通常の刀とは逆になった逆刃刀をふるい、市井の人々の幸せを願って「殺さず」の戦いを続けていく。

だが、江戸幕府の初期に大名の取り潰しによって浪人が増え、由井正雪の乱となって爆発したように、鍛え上げた剣術によって世をひっくり返そうと画策する男たちが次々と登場する。権力者の側からすれば、そうした勢力が力を持てば権力の座から引き摺り下ろされるので、それを何とか阻止しようとするのは当然である。

だが、一般の市民の立場からすれば、よりよい暮らしが出来れば、権力者が変わっても別にかまわない。だが、剣心が許せないのは、それによって市井の人々が苦しむことが見えたときである。だからこそ、剣心は、権力の側とは一線を画しながらも人々のために逆刃刀をふるい続ける。その結果、剣心の身体がぼろぼろになっていくとしても……。

剣心の戦いにおいて「殺さず」の誓いは、幾度となく彼を危機に追い込む。だが、それでも「殺さず」を貫くのは、維新前夜に、彼のために命を失った人々への思いがあるからだろう。理想のため、何かを守るため戦った人々に対しての憎しみは剣心の心には無い。だが、自らの欲望のために人々の幸福を踏みにじる者たちに対しては、虐げられた人々を守るために剣を抜く。

その視線で今の日本を見たとき、彼の逆刃刀の先にはどういった連中が並ぶだろうか。普通の人々が安心して幸福に暮らすことのできる日本が「明治維新」の目標だとすれば、剣心の目は、「まだ明治維新は達成されていない」と見えるのではないだろうか。

だが、剣心も、1人だけの力で敵と戦い続けた訳ではない。彼と関わる中で様々な「仲間」ができ、仲間たちと共に戦うことによって「敵」を退けることが出来たのである。1人ひとりの力は小さいかもしれないが、力を合わせれば可能になることは増えてくる。仲間たちと共に、今やれることをきちんとやって、未来へと希望をつなぎたいと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月12日 (木)

BLOW UP ! …夢への階段

『BLOW UP !』細野不二彦が80年代末に描いた作品の1つである。主人公の菊池オサムは、大学を中退してジャズミュージシャンを目指しているサックス奏者である。そのため、実家から勘当され、アルバイトをしながら生活している。

生活に追われて、楽器さえも触れぬ日々が続き、バーをしている先輩に紹介されたキャバレーのバック・バンドやスタジオ・ミュージシャンを経験する。だが、ジャズへの情熱を持ち続け、アイドル歌手のバック・バンドをしながら昼休みの公園で仲間たちと共にカルテットを組み演奏を始める。

そのカルテットの活動が、何度か会っていたジャズ評論家の耳にとまり、やがて、一流の店でジャズの演奏を依頼されるようになる。そして、本当の意味でのライバルと呼べるサックス奏者の出現と、彼の突然の死……。

のた打ち回りながらも、夢を捨てずもがき続けることで見えてくるステップがある。だが、そのステップを上がる事と引き替えに、捨てなければならないものも出てくる。それを捨てることでまたステップを上がれるが、その事によってまた何かを失う。その痛みや辛さに耐え、それを引き受けることによって夢への階段を1段、また1段と上がっていけるのではないか。

最近の長いマンガと比較すれば、わずか2巻の短い作品である。けれども、そこには青春の夢と苦悩が凝縮されている。1人の人間にとって捨てられない夢、そしてその夢のために失わなければならないもの……。それは、人によって様々だろう。だが、夢を追い続ける事を選択し、捨てる痛みをきちんと引き受けた人間には、濃厚な生の時間が与えられる。それは、夢を追い続ける喜びでもある。

だが、必ずしもその道を選択する人は多くない。ある意味では、夢を捨てるのは楽だからである。ただ、夢を捨てた人間には平凡な生の時間が待っている。だが、それも1つの選択である。平凡な日々の積み重ねは、安定した強さをも併せ持つ。それは、地にしっかりと根を下ろし、自分の夢を別のものに変えて納得した力強さでもある。

どちらの生き方が幸福なのか……。その選択は、難しいかも知れない。だが、捨てる痛みをきちんと引き受けた夢を追う生き方は、それなりに納得できるものだし、また非常に魅力的でもある。読んでいる間にそんなことを考えさせてくれる、魅力に満ちた作品である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年6月26日 (火)

まぼろしの旗…絶望を超えて

『まぼろしの旗』は、竹宮惠子が四国・祖谷(いや)地方に伝えられている平家落人伝説をマンガ化した作品である。屋島での敗戦の後、密かに安徳天皇を四国に落ち延びさせることを提案した平教経(のりつね)は、三種の神器の1つである草薙剣を持って安徳天皇とともに四国に落ち延びることになる。

大枝の名主や住民たちの協力を得て、国盛(くにもり)と名を変えた教経は、近隣から攻め寄せてきた源氏を撃退し、平氏の再興を目的に生きようとする。新しい御所をつくり、安徳天皇の元服の日を向かえる。

その国盛に最初は反発しながらも次第に惹かれて行く、大枝名主の娘・穂波。国盛と安徳天皇の交流、住民たちとのふれあい……。だが、安徳天皇は突然の病に倒れて無くなってしまう。安徳天皇を失った国盛は絶望し、酒におぼれる日々を送る。その国盛が、再び生きる希望を見出すのは、生前の安徳天皇の言葉と夢のお告げ、そして国盛を見守り続ける穂波のまなざしによってであった。国盛は、厳島神社に使いを送り、平家の御鉾を御神体として譲り受ける。そして、祖谷の地に根を張って生きて意向と決意するのである。

10巻、20巻と長く続くマンガが多い中、わずか1巻で終わってしまうこのマンガは珍しいかも知れない。けれども、歴史の流れと生きることの難しさと尊さを感じさせてくれる小品である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年6月17日 (日)

さらば宇宙戦艦ヤマト

入試の前日、テレビの前にかじりついて見ていたアニメがあった。【宇宙戦艦ヤマト】である。その当時は、裏番組の「アルプスの少女ハイジ」に押されて、学校でもほとんど話題になっていなかったが、再放送からブレイクし、総集編の映画も作られた。それでも人気は衰えず、その後の新作映画の製作につながった。それが【さらば宇宙戦艦ヤマト】である。

宇宙戦艦ヤマトはもちろん好きだが、宇宙戦艦アンドロメダ、宇宙戦闘機コスモタイガーなどのメカも魅力いっぱいである。アンドロメダなどは映画の中ではほとんど活躍せずに終わったが、シャープで洗練されたデザインを見ると、もっともっと活躍する場面が見たかったような気がしないでもない。(テレビシリーズの【宇宙戦艦ヤマト2】では土方艦長の指揮の下、映画以上に活躍してくれてはいるが……)

力は何のために使うのか。ヤマトの前に立ちふさがった白色彗星帝国は宇宙を移動しながら、侵略を繰り返していた。テレザート星に幽閉されながらもその事実を宇宙に送り続けたテレサ。そのメッセージの一部を解読した古代らヤマトの旧乗務員たちは命令を無視して終結し、調査のために旅立つ。そして、途上でヤマト2代目艦長となる土方を救出し、テレザート星へと向かう。その行動は、14万8000光年の彼方イスカンダルへの航海で学んだ、地球だけではなく宇宙全体のための行動…を実践するためだった。

ヤマトの前に立ちふさがる白色彗星帝国の軍団、そしてガミラス再興を目指して白色彗星帝国に身を寄せるデスラー総統との戦い。ヤマトは奮戦するが、白色彗星の強力な防御はなかなか破れない。けれども、古代たちは諦めず、戦い抜く。だが、森雪をはじめ、佐渡先生、徳川機関長、真田技師長、戦闘隊の加藤、山本など次々と倒れていく。その行動に、テレサも……。

そのシーンの1つひとつは音楽や台詞も深く印象に残っている。その後、TVシリーズが続いてしまったために、物語世界の流れとしては鬼子扱いされることもあるが、一本の映画としてみた時、面白いだけでなく、深く心に残る作品である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2007年6月11日 (月)

《銀河英雄伝説》から戦争を考える

久しぶりにアニメ版《銀河英雄伝説》を最初から見ている。もちろん、DVDで外伝も合わせると全体で48巻にもなる大作なので、5月下旬から見始めて未だ半ばという進み具合である。仕事の合間をぬって見ているので、1日に1枚(4話…およそ2時間弱)見られれば良い方であり、ペースとしては良い方であろう。

この《銀河英雄伝説》は以前にも書いたように「民主政治」を考えるきっかけとなるエピソードに満ちているが、同時に、軍や戦争を考えるのにも興味深いエピソードも多い。主人公は、銀河帝国のローエングラム侯ラインハルト、そしてそのライバルとして彼の前に現れる自由惑星同盟のヤン・ウェンリー。

当初、銀河帝国はゴールデンバーム王朝の皇帝と貴族に支配されていたが、実戦で結果を出し続けて軍の中で昇進し、常勝の英雄として若くして元帥にまで登りつめていくラインハルトによって、ゴールデンバーム王朝は倒される。ラインハルトは、貴族の特権を廃止して平民の自由と権利を養護する政策を次々と進める。また、戦いとなればゴールデンバーム王朝の皇帝や貴族とは異なり、安全な場所に隠れて兵だけを危険にさらすのではなく、自ら戦艦に乗り前線に立って戦う。それゆえに国民や兵士たちから圧倒的な支持を受けている。

一方のヤン・ウェンリーも、軍師・参謀としての優れた才能ゆえに実際に戦闘指揮をした戦いでは負けたことが無い不敗の英雄である。敗戦の時はしんがりを務めて、より多くの見方を撤退させるのに成功するし、敵軍の、あるいは敵将の作戦の間隙をぬって相手を出し抜き、味方を勝利へと導く。だが、腐敗した自由惑星同盟の政治家(政治屋)たちは、間違った選択を重ね続けて戦争を継続し、国を滅亡へと導いてしまう。シビリアン・コントロールが裏目に出て、ヤンをはじめとする現実的な軍幹部の声を押しつぶして戦争を煽り、首都星ハイネセンを攻略されて破れてしまうのである。

ラインハルトはもちろん、ヤンも常に前線に立って戦うし、戦争というものを良く知っているからこそ無思慮な戦いはしない。逆に言えば、ゴールデンバーム王朝の貴族たちや自由惑星同盟の政治家など自らも家族も前線に立たない連中が戦争を煽り、戦争を続け、国を滅ぼしてしまうのである。

日露戦争に際し、日本陸軍を指揮した乃木大将は、その戦いの中で2人の息子を失っている。だが、自衛隊の海外派兵を決定した総理や閣僚、与党議員の中で、自衛隊に家族がいて、その隊員が「非戦闘地域」に派遣されている……という話は寡聞にして聞かない。「愛国心」を口にするなら、まず自ら進んで範を示すべきだと思うし、そうした行動を取れば多くの人々がそれなりに納得するだろう。ヤン・ウェンリーは、戦争を煽る国防委員長に対し、自分が安全な場所にいて戦争を煽り人々を戦場に送るような人間が卑劣で卑怯者であることを正面から指摘している。まったく、同感である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 3日 (日)

ヒカルの碁…遥かなる高みを目指して

週間少年ジャンプに連載されて小・中学生の間に囲碁ブームを巻き起こし、TVアニメ化もされたマンガが「ヒカルの碁」である。祖父の家の蔵にあった古い碁盤に取り付いていた幽霊/藤原佐為と小学5年生の少年/進藤ヒカルとの出会いから物語は始まる。佐為の情熱に押されてイヤイヤ囲碁をしていたヒカルだったが、名人の息子である塔矢アキラとの出会いによって、本格的に囲碁に情熱を燃やし始める。

中学の囲碁部、そして院生の仲間に支えられながら、ヒカルはプロの棋士を目指し始める。院生たちとの交流と戦い、そしてプロの棋士との戦い……。佐為の指導を受けながら、ヒカルは1歩1歩階段を上っていく。だが、佐為は……。

佐為が幽霊として存えていたのは、ヒカルに1つの対局…塔矢名人と佐為との戦い…を見せるためだったのだ。佐為は、それに気付き、ヒカルとの別れを惜しみながらも成仏していく。だが、佐為を失ったヒカルは怒り、嘆き、悲しみ、一度は囲碁を捨てようとする。しかし、友情と囲碁への情熱に支えられ、ヒカルは再び、以前よりもずっと真剣に囲碁に取り組み始める。遥かな高み…佐為が求めてやまなかった「神の一手」を目指して……。

1つの出会いが、人生に大きな影響を及ぼすことがある。けれども、1人で何もかもができる訳ではなく、周囲の多くの人々との関係や努力が自分を支え、歩みを進めていく。そんなメッセージが、押し付けがましさを感じずにストレートに伝わってくる面白いマンガである。

ただ、難を言うならば、物語としては【佐為編】が終了する17巻で終わっていれば一番すっきりとした形になっていたのではないかと思う。けれども、人気があったためにそこでは終わりきれず【北斗杯編】まで続いてしまったために悪くは無いけれど、少しばかりダラダラと続いてしまった印象もある。それでも、囲碁への興味をかきたてる楽しいマンガであることには変わりはないのだが……。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年5月28日 (月)

バトロイド・バリキリーの魅力

【超時空要塞マクロス】に登場する地球の主力戦闘機がバリキリーである。一応、戦闘機と書いたが、ロボット・フォルムのバトロイド、両者の中間フォルムのガウォークに状況に応じて変形する。

戦闘機タイプのフォルムは、その可変後退翼も含めて、アメリカ軍のF14トムキャットによく似ている。速度に応じて主翼の角度を変えるという発想は非常に魅力的であり、また、他のフォルムへの変形機能との整合性も含めて説得力を持つ。

ガウォークのフォルムは、短距離もしくは垂直の離着陸が可能であり、離着陸時の機動性は非常に高い。そして、バトロイドのフォルムは、敵ゼントラーディー軍の巨人たちとの戦いに際して不可欠である。

その変形能力とそれぞれのフォルムに付随して高まる様々な機能……。可能であれば、ぜひ1機欲しいと願う夢の戦闘機である。もっとも、搭載されるミサイルなどの武器まで入らないが…。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年5月22日 (火)

天空の城ラピュタ…少年の夢と国家の欲望

《天空の城ラピュタ》は、スタジオ・ジブリ/宮崎駿監督作品の中でも三本の指に入る大好きな作品である。だが、早いもので、もう20年も前の作品になっている。それほど以前の作品ではあるが、何度見ても古さを感じさせない楽しい作品である。

ラピュタが楽しいのは、少年の夢と冒険を素直に描いているところにある。主人公パズーは少女シータと出会い、冒険の旅に出る。ところが、シータの持つ飛行石のペンダントを狙って海賊ドーラ一家と軍が動き出す。ドーラ一家の方は、海賊としてまじめに宝物を狙っての行動だが、軍、特に情報部のムスカの方は、古代ラピュタ帝国の超化学兵器が目的だった。

最初、パズーは単純にラピュタの実在を確かめることが冒険の目的だった。だが、シータと関わりの中で、ラピュタの様々な秘密に触れてしまい、ムスカや国家の欲望からラピュタを守るためにシータと行動を共にする。結果としてムスカの野望は粉砕され、最大の秘密、巨大な飛行石は大樹と共に大空に消えていく。

軍事力は、決して幸福につながる訳ではない。心底楽しめる冒険アニメの中にも、そんなささやかな思いが込められている。だが、現在の世界は未だ戦禍が絶えず、日本でも、「愛国心」を他者に強要する「売国奴」が、戦争の準備に余念がない。素直に、少年の夢を楽しめるような日本を守れるように、少しでもやれることを重ねて行きたいと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2007年5月12日 (土)

トトロの季節

5月もそろそろ半ば、と言えば思い出すのが映画【となりのトトロ】である。サツキとメイ…2人の姉妹は共に5月生まれなのだろう、サツキは、日本の5月を呼ぶもう1つの呼び方《皐月/さつき》から、メイはもちろん英語の5月《May/メイ》から名付けたのだろう。つまり、5月はトトロの季節なのである。

稲作のスケジュールからすれば、場所によっては田植えも始まる。今は、学校が最優先だが、50年代から60年代始めのころは田植え休みを取る学校もあっただろう。家族や近所の人、地域の人たちとのつながりが子どもたちを支え、子どもたちも家の仕事や小さい弟妹の世話を自然に行い、家族が一緒に過ごす時間を今よりもたくさん確保できていた時代。【となりのトトロ】は、そんな中にあった大切な何か…今の私たちが日常生活の中で失いつつあるもの…のことも考えさせてくれる。

けれども、【となりのトトロ】は何度見ても楽しい。オープニングのテーマ「さんぽ」という歌も、10歳の子どもたちでも良く知っている。「歩こう 歩こう」と繰り返すだけですぐに「トトロ!!」という声が上がるくらいである。映画が作られた年数から考えれば、すごいことでもある。確かに、自然の中を歩くのは気持ちが良い。後に残る疲れすらも、心地よい疲れである。自然と、周りの人々との濃密な時間があることの温かさ…楽しみながらも、そんなことを自然に考えさせてくれるのが【となりのトトロ】の良さである。

久しぶりに、ゆったりとした時間の中で【となりのトトロ】を見ようと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 9日 (水)

風を見る人…人の強さとは?

『生徒諸君!』を描いている庄司陽子の十数年前の作品に『風を見る人』という一冊の短いマンガがある。小品と言えば小品なのだが、読み応えのある内容の濃い作品である。

主人公となるのは透と美佐緒という愛し合う1組のカップル。だが、美佐緒が透の目の前で交通事故に遭い、再び意識を取り戻したとき、《美佐緒》の心は50年前に肺炎で亡くなった《久野周子》という17歳の女性であり、後に《美佐緒》は妊娠していることも分かってくる。《美佐緒》を失った透と美佐緒の家族の苦しみや悲しみ、そして混乱……。そして《周子》の混乱と不安……。そして、一方の当事者でありながらも、《周子》と共に行動したことによって、少しずつ【現実】を受け入れようと努力を始める透……。そして、透や周子、美佐緒の両親の決断は……。

簡単に受け入れられないような【現実】はどのような人生でも、多かれ少なかれ存在するだろう。そして、そのような時は誰もが混乱し、悩み、苦しむ。けれども、【現実】を受け入れ、そこから出発して努力を続けていけば、それなりに道は開けるものである。残念ながら、その勇気がなく【現実】から目を逸らしたり、逃げたりしていれば、苦しみが続いたり、その場はどうにかなっても後でより大きな苦しみや悲しみに直面してしまう。その辺りの分岐点は【現実】を受け入れ、勇気を持って決断し、努力を続けられるか否かにかかってくるのだろう。

このマンガは10年以上も前の、わずか1冊で終わっている単行本である。そして、それ程世に知られた作品…という訳でもない。それでも、深みのある優れた作品であり、読み応えのある1冊である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2007年5月 5日 (土)

W3(ワンダー・スリー)…平和への思い

手塚治虫のマンガに【W3/ワンダー・スリー】という作品がある。白黒の時代にアニメ化もされたが、ジャズ・テイストの主題歌はとても印象深く、今でも口ずさむことができる。ウサギとカモと馬に化けた宇宙人ボッコ、ブッコ、ノッコの3人が、地球の1人の少年星真一と共に、日本の小さな村から世界中をまたにかけて様々な冒険をする話である。TVを見ていた頃の記憶では、馬のノッコがその辺のガラクタをもとに作ってしまう巨大なタイヤの乗り物《ビッグ・ローリー》が特に印象に残っている。

このW3は、実は、銀河連盟から派遣された優秀なパトロール隊員であり、その使命は、地球を調査し、その結果地球が好戦的で危険な星であると判断されたら、持参した反陽子爆弾で地球を破壊することであった。だが、W3の報告を検討した銀河連盟が地球は好戦的でありは解すべきだと判断したにもかかわらず、W3は地球を破壊せずに帰ってしまう。真一との交流の中で、人間に希望を感じたからである。

その際に、W3は、宇宙人が反陽子爆弾を地球の中心に置いていった…と嘘をつくように真一にアドバイスする。その結果、世界の国々は、反陽子爆弾を取り除くために協力しようとして争いを止める…という結末である。何とも、頼りない結末である。爆弾に脅されなければ、平和は達成できない…ということが哀しい。

だが、今の世界はどうだろう。W3は1960年代の世界という設定である。それから40年は経過しているにも関わらず、世界平和は実現されておらず、戦火と貧困の中で、多くの人々が命を落としている。手塚治虫の平和への願いは、未だに実現されていない。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月25日 (水)

心に残るラストシーン/アニメ編

以前、特撮のラストについて書いたが、今回はアニメで考えてみよう。その際に、すぐ頭に浮かぶのは映画「銀河鉄道999」のラストシーンである。機械化母星を破壊して地球に帰ってきた鉄郎とメーテルの別れ……。唇の柔らかさやぬくもりまで伝わってくるようなメーテルのキスと走り出す999を、メーテルの名を呼びながら追いかける鉄郎…そして宇宙へと遠ざかっていく999……。何度でも見たいシーンである。

それから、TV版「宇宙戦艦ヤマト」の最終回の地球到着を前に「地球か…何もかも懐かしい」という言葉を最後に息を引き取る沖田艦長…それを知らせようと艦橋に向かった佐渡先生の前で何も知らずに喜びに沸き立つ艦橋と古代の胸で息をふき返した森雪…ちょうど沖田艦長の魂が、雪の魂を呼び戻したかのように、喜びと悲しみが交錯するラストも心に残っている。

また、「もののけ姫」の矛盾を抱えながらもそれと向き合い、森とタタラ場に別れて生きていく選択をしたサンとアシタカの思い…それに対比するように明るくしたたかに生きる人間たちの姿と変わってしまった森の姿……このラストも印象深い。

あるいは、「海のトリトン」で海の仲間たちに支えられてポセイドン族の刺客を次々に退け、オリハルコンの短剣をかざしてポセイドン族の本拠地に飛び込んだトリトンを待っていたポセイドン族の滅亡……。知らないで進んできた道を過酷な運命が待っていたという衝撃のラストは深く心に刻まれている。

他にも、「天空の城ラピュタ」や「紅の豚」、「機動戦士ガンダム」「闘将ダイモス」「惑星ロボ ダンガードA」「ジャイアントロボ~地球が静止する日」や「タイガーマスク」「ペリーヌ物語」映画「1000年女王」など、ラストシーンが蘇ってくるアニメはいろいろある。その中でも999やヤマト、もののけ姫、トリトンなどは特に印象深い作品である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年4月12日 (木)

ホイッスル! …努力をする才能

最近は、さすがに身体がついていかないのでめったにサッカーをすることはないが、見るのはもちろん、身体が動く間ならサッカーは好きなスポーツの1つである。そのこともあって、「シュート」や「俺たちのフィールド」など、いくつかのサッカーマンガをコレクションしているが、週間少年ジャンプに連載され、コミックも2003年に完結した「ホイッスル!」も大好きなサッカーマンガのひとつである。

主人公である風祭将は中学生。背が小さいがサッカーは大好きで、何よりも努力を惜しまない。そのひたむきさが周囲の少年たちや大人たちを動かし、様々な壁に突き当たりながらも、自ら努力し、そのひたむきさが周囲のサポートと共感を引き出し、一歩、また一歩とステップを重ねていく。その中で、新しい仲間やさらなるライバルが生まれ、支えあいつつも競い合う中で、将はやがて世界へ向かって羽ばたこうとするが……。

努力を続けることは、ある意味では大変な苦しみである。けれども、努力を重ねることによって得られる喜びや楽しさがある。そして、その努力が、必ずしもストレートには報われなくても、積み重ねた時間は、何らかの形で新しい希望や幸せを運んでくる。努力を信じられることのすばらしさ、努力を続けることのすごさを感じさせてくれるマンガ…それが、この「ホイッスル!」である。

最近の日本を見ていると、ひたむきに努力を続けるよりも、安易に結果を求めようとする雰囲気がはびこっている。そして、途中の苦しさゆえに努力を避け、努力することが逃げる子どもや大人を以前よりも目にするようになった。けれども、最初から努力を放棄するのは、社会のためにも、そして何よりも自分自身のためにもならない。

様々な壁を前にしても、そして大きな不幸を前にしても、将はサッカーにこだわり続け、努力を続けた。そんな風祭将の姿はとても気持ちよく感じられる。もちろん、大人の世界では、努力だけではものごとは解決しないということも少なくない。けれども、それが努力をすることから逃げる口実にはならない。「ホイッスル!」はサッカーを楽しみながらも、そんなことを考えさせてくれる作品である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年4月 5日 (木)

ビッグX…正義を信じて

日本人とドイツ人、2人の天才博士が作ったビッグX、それは鉄の身体を持つ巨人になる薬だった。開発者の1人、朝雲博士は、それが戦争に利用されるのを嫌って、息子の身体にその薬の製造法を隠す。その薬が再び世に出たとき、朝雲博士の孫の昭が自らの身体に薬を注射し、鉄の巨人となって、薬をねらう組織と戦う。ビッグXの誕生である。

ビッグXの秘密を知り、それをねらうナチス同盟やクロス党の陰謀。昭はそれを打ち破り、正義と平和のために戦い続ける。ある意味では、朝雲昭は、真っ白な正義である。その意味で、欲望のために悪事に手を染める敵は徹底的にやっつけた。逆に、悪の一味にいても、悪に染まりきらない人間には信じられないほど優しい。

だが、世の中がそれ程簡単に色分けできるわけではない。ある立場の人々にとって利益になることが、別の立場の人々には不幸の種ともなる。そうした点からすれば、正義や悪という判断は必ずしも絶対的なものとは言えない。けれども、昭は、常に【正義】の側にいた。作者の手塚治虫は、そのことに違和感を持っていたのだろう。マンガのラストでは、ビッグXを飲んで巨大化したまま元に戻れなくなった朝雲昭は、ジャングルの奥へと消えていく。哀しいラストである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月30日 (金)

ダメおやじ…ユートピアを求めて

マンガ「ダメおやじ」と言えば、妻や子に徹底的にいじめられる…というイメージがあるが、1982年、雑誌「少年サンデー」での連載を終えた「ダメおやじ」/同年にコミック18巻で完結/の後半は、いろいろと興味深い展開になっている。

大和ヒミコとの出会いをきっかけに、社長へと抜擢されたダメおやじは、ヒミコの祖父や様々な人々との交流を深め、自ら子会社に出向して潰れかけていたその会社を建て直し、やがて、ヒミコの夢…ユートピアを作るパートナーとして「幸福」を考え、見つけるための旅に出る。

その過程で、家族を含めた様々な人々と語り合い、交流を深めながら、「幸福」について考え続けていく。だが、もちろん、「幸福」についての「答え」が見つかるわけではない。月岡リンとはプラトンについて語り合い、バーのマスターや常連のメガネさん、そしてバーに来る客たちから様々な言葉を聞き続ける。さらにはイヌの大左エ門や動物たちとも心を通わせていく。

最終回でも、もちろん「答え」は見つからない。だが、ダメおやじのもとに向かう月岡リンは「まず人の心がひとつになること…それがユートピア実践への第一歩」とつぶやく。ヒミコやリンをはじめ、ダメおやじと関わった人々が、みんなダメおやじの下に集まっていくからである。

モノでもなく、場所でもなく……お互いに心を通わせることの大切さを改めて感じるマンガである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月25日 (日)

8マンinfinity…新しいヒーロー

東光一〔ひがし・こういち〕それが、東八郎〔あずま・はちろう〕からかつての8マンの能力と新たな力を受け継いだ少年の名前である。線路に転落した少女を救おうとして線路に飛び込み、その命を失ったことで新しい8マン・ネオの身体を手に入れることになる。

マシナリー…サイボーグでもロボットでもない、それらを遥かに凌駕する能力を持った電子知性体。特に8マン・ネオの身体には、特別な秘密が隠されている。それゆえに、開発した国家や軍にすらも影響力を持つ組織から追われる存在ともなる。

だが、光一は、人々を助けるために8マン・ネオとして戦い続ける。彼が救おうとした少女/マシナリーの身体を持つアンナ・ヴァレリーや一度は彼を殺そうとしたマシナリー犬リープと協力しながら。その戦いは、普通の人々を守るためである。殉職した父親の記憶が自己犠牲的な行動へと彼を駆り立てる。そんな彼の優しさは、ともすれば追っ手のマシナリーとの戦いの中では弱点となりかねない。だが、その優しさが心をつないでいく。

物語は、まだまだ大きな広がりを予感させながら続いていく。桑田次郎+平井和正のバトンを受け継いだ鷹氏隆之+七月鏡一のコンビがつむいでいく世界に興味がそそられる。現在、講談社から4巻まで刊行されている。5巻も近々発売の予定らしい。続きが楽しみな作品である。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年3月21日 (水)

紅の豚…男たちの願望

子どもっぽい冒険心と自由、そしてケンカしたりふざけあったりできる馴染みの奴ら…そんなものを堪能しながらも、安心して帰っていける存在があること…大人の男たちは、ひょっとすると、そんな願望を持ちながら日々を送っていないだろうか。

ところが、現実は、仕事に追われて冒険心も自由も遠い存在となり、疲れた自分をパートナーが優しく受け入れてくれるわけでもない。そして、身も心もクタクタになってしまう。現代社会とは、そんなものなのだ…とため息をつきながら、軽くビールを飲んで。そんな日々が続く中で、年老いてしまっていないだろうか。

そんな日々と正反対の男がいる。賞金稼ぎの飛行艇のりの豚ヤロウ…ポルコ・ロッソである。第二次世界大戦前の少しキナ臭い雰囲気の漂い始めたイタリア。凄腕の飛行艇乗りでありながら、自ら魔法で豚となったポルコはアドリア海を舞台に、自由でハチャメチャな日々を謳歌する。勝手気ままに生きているようでも、彼には帰っていける人がいる。マダム・ジーナ。アドリア海の飛行艇乗りたちの憧れであり、ポルコの幼馴染で、しかも未亡人。そして、ジーナの亡くなった夫たちは、ポルコの親友たちだったのだろう。

だからこそ、不器用に接するポルコをジーナは温かく見守る。それなりの腕があり、こういう理解者がいてくれたら、男は安心して冒険ができるし、自由に生きていける。男の理想郷と言えるかもしれない。

だが、現実は、そうはいかない。おもしろくもない日々の仕事は山のようにあるし、女房殿だって疲れている。時には愚痴も聞かなければならないし、感情をぶつけられたりもする。それすらなくなってしまったら、もう夫婦・家庭は崩壊するかもしれない。せめて、映画の中でも、自由に包まれ、マダム・ジーナ(加藤登紀子)の歌に包まれていたいと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2007年3月 9日 (金)

砂の薔薇…無差別テロへの怒り

新谷かおるのマンガに《砂の薔薇》という作品がある。《ふたり鷹》《エリア88》などメカと気の強い女を描かせると天下一品の新谷かおるの作品の中で、とびきりの女たちが世界を駆け巡る作品だが、発端は、真理子・ローズバンク/バラのマリーという女性が空港の無差別テロで夫と息子を失い、対テロ組織CATに所属して仲間たちと共に世界各地でテロと戦うという物語である。

アメリカのブッシュや日本の政府なども「テロとの戦い」を口にする。けれども、例えばイラクやアフガニスタンで都市を爆撃し、多くの民間人の死傷者を量産しているアメリカは、国家を上げてテロをしているように見えなくもない。それによって軍需産業を肥え太らせ、アメリカへの不信と怨嗟の声を世界各国に撒き散らせている結果となっているからである。

だが、テロとレジスタンスは紙一重の部分もある。政府要人への「テロ」は、政府そのものがマイノリティーへの差別・抑圧政策を続け、弱者の声に耳を傾けない場合も見受けられるからである。弱者の声は、時として企業の利潤の追求に邪魔な場合が少なくない。それでも、民主主義をうたい、人権を口にするならば、企業の利潤追求を制限しても人権を守る姿勢を貫かなければならない筈である。それがなされない時に起こる抵抗運動は、必ずしも「テロ」と呼んで良いかどうか…。一般市民を犠牲にして省みない無差別テロでない限り、判断に迷いかねないところである。

その点、バラのマリーは明確である。一般市民をターゲットにした無差別テロに怒りを燃やし、特に女や子どもが犠牲者や人質になっている場合は、全力でそれを阻止しようとする。それを支えるヘルガ、リン、コリーン、デラ、アイリーン、ジェシカ、キムなどの仲間たち。様々な地でテロと戦い続けながら、最後には息子たちを殺したテロリスト・グリフォンのアメリカでの無差別テロ計画を見抜き、グリフォンを追い詰めていくマリー……。

無差別テロへの怒りは共有できる。だが、市民を抑圧している「政治家」が勝手に「テロ」と名指ししているだけの抵抗運動も確かに存在している。それを意識した上で、無差別テロを続けるテロリストを孤立させるために私たちにできることを考え、行動に移していくことが大切だと思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月 5日 (月)

エイトマン…冷戦の影で

エイトマンはSF小説家平井和正の原作で桑田次郎が描いたヒット・マンガであり、鉄腕アトムや鉄人28号、宇宙エースなどと共に、カラー放送が始まる前の黎明期に作られたアニメ作品でもある。そのシャープな体型に憧れたが、最大の魅力が弾丸よりも早いスピードであり、あえて軍事とは一線を隠した探偵/8番めの刑事という立場で難事件に取り組んでいくところに大人の匂いを感じたものだった。

子どもの頃の印象では、あくまでも「何となく大人」という感じではあったが、あらためて原作マンガを読んでみると、東西冷戦の影が作品世界の中にも投影されている。アメリカ製の007や005と言ったスーパー・ロボット、そしてエイトマンをとらえて利用しようとするソ連の科学者デーモン博士。その中で、あくまでも軍事兵器とは一線を画して、自ら信じる正義のための行動を貫こうとするエイトマンの姿には感動を覚える。

そう、エイトマンは戦闘兵器となっても何の不思議もないのである。けれども、殉職した東八郎の記憶を受け継ぎ、探偵/8番めの刑事としての姿勢を守るエイトマンの行動には心をひかれる。また、サチコを思いながらも、ロボットとしての存在ゆえに苦悩する人間ととしての心を持ったエイトマンの思いは、仮面ライダーなどとも共通していて作品に深みを与えている。

そうした、社会的背景や異人性の中にある苦悩が作品のベースに貫かれていたことが、単なる子どものマンガ・アニメに終わらせない魅力を作品に与えている。現在、それを生かした新しいエイトマン【エイトマン・インフィニティー】がマガジンZという雑誌に連載され、単行本化もされている。そうした新しい展開もあるエイトマンの奥行き・魅力が1人のファンとしてとてもうれしい。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (6) | トラックバック (2)

2007年2月28日 (水)

はいからさんが通る…笑える純愛コミック

『はいからさんが通る』は、大和和紀が1975年から「少女フレンド」に連載していたマンガである。本編のストリーをきちんと追っていくと、純愛の物語なのだが、失敗しても簡単にはめげずいろいろとチャレンジを続けていく主人公・花村紅緒のキャラクターの成功もあり、随所にギャグのちりばめられたけっこう笑える作品でもある。

シベリア出兵や関東大震災といった史実が、主人公の紅緒とその恋人の伊集院忍の運命を狂わせ、相思相愛の筈が多くの苦難が2人をみまう。けれども、紅緒はめげない。本当に元気である。そして、想いをまっすぐに行動に移す。

その過程に、ギャグがちりばめられる。楽屋オチも時々あるが、その中に「宇宙戦艦ヤマト」や「科学忍者隊ガッチャマン」なども登場し、男が読んでもなかなか楽しい。また、「わいろで決めよう人のあつかい」とか「つっぱるな しょせんあなたは3級品」や「こだわろう1つの善行 忘れよう百の悪行」などのウィットに富んだ《今週のみことば》などもさりげなく背景にちりばめられていたりして、けっこう細かいところも笑えてしまう。

それでも、紅緒をはじめ多くの登場人物の弱者への視線は優しく、それがまた彼女たちを窮地に追い込んだりすることも少なくない。それでも、あきらめず精一杯まっすぐに生きようとする。そして、苦難を乗り越える過程で、様々な人との関係が深まり、やがては幸せが訪れる。その意味で、心にじんとくるマンガでもある。

確かに、生きていればいろいろと大変なことも少なくない。けれども、辛い思いをしたり、シンドイ目にあっていてるのは自分1人だけではないし、あきらめずに行動することで開けてくる道もある。読み終わった後、そういった【希望】をもう一度信じてみたくなるマンガである。多くのキャラクターが時々「酒乱」にもなるが、失敗を笑いに変えてしまう「強さ」も同時に持ち合わせている。差別や偏見も、笑い飛ばして自分の信じた道を進むことで、新しい世界が広がっていく。

苦しみも、笑いとばす事ができれば、新たな力がわいてくる。笑いを忘れずに、行動していきたいものである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年2月22日 (木)

もう1つのジャイアントロボ…地球が静止する日

前回の記事で、特撮の「ジャイアントロボ」のラストシーンを取り上げたが、「ジャイアントロボ」と言えば、オリジナル・アニメのシリーズ《ジャイアントロボ…地球が静止する日》も、すばらしい作品に仕上がっている。

敵側のBF団のメンバーに様々な横山光輝の作品のキャラクターやロボットが登場している(仮面の忍者赤影、闇の土鬼、三国志、魔法使いサリー、バビル二世…ロボットとしてはマーズや鉄人28号でおなじみのガイアやモンスターなども)ので、それだけでも楽しめるのだが、実は、物語としても父と子の絆や家族への思いなどシッカリとした芯が通っていて非常におもしろい。

音楽は天野正道が作曲し、ワルシャワ・フィルが重厚な音を奏でてくれているので、それだけを純粋に聞いていても十分に楽しめる豊かさがあるし、草間大作の声優・山口勝平の職人技の声も見事である。

全7巻をすべて続けて見れば軽く5時間を越す長さなのだが、一度見出すと、続きが気になって止まらない。友人に貸したときは、「くれぐれも時間のある時に見るように」と念を押したほどである。そして、彼もその注意に納得していた。どうしても続けて見てしまうので、確かに、忙しいときには無理だ…と。それ程おもしろいのである。

見所、楽しみ方は満載なのだが、敵の攻撃によってロボの顔面の装甲が一部溶け、中の機械が露出しているところに大作が飛び込み、最後の攻撃へと向かうシーンは感動・また感動の連続である。

楽しみながら、父と子の絆とは……約束を果たすとは……そんなことも考えさせてくれる逸品アニメーション、それが【ジャイアントロボ…地球が静止する日】なのである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月18日 (日)

『拳児』…中国拳法の魅力

『拳児』は、1988年から1992年まで週間「少年サンデー」に連載されていたマンガである。戦争の際に負傷して中国人に助けられたことがきっかけで八極拳を修行した祖父に拳法を学んだ少年が、祖父が中国に渡った後も様々な出会いに支えられて拳法の修行を続けながらやがて中国に渡り、拳法の修行によって広がっていった関係に支えられて祖父とめぐり会い、やがては極意を悟るにいたるまでを描いている。

最初は、単に「強くなりたい」という軽い気持ちで始めた拳法が、精神をも成長させ、それが次々と新しい出会いにつながっていく。試合の場面、修行の場面、私闘の場面などもあるが、師父や兄弟弟子たちから様々な技を学ぶ過程でのエピソードには、深い哲学に通じるような言葉もちりばめられている。

例えば、台湾で行動を共にする兄弟子・蘇崑崙は武術を学ぶ理由を「人間性を高めて宇宙と一体になるため」だと言い、「武術を学ぶ者には武徳が必要」で殺人の目的には強力をしないとまで言い切る。この場合は武術の技で得た力だが、これは科学や技術、経済などの力についても同じことが言えるのではないだろうか。拳児は別の場面で「皆と仲良くするため」に武術を学ぶのだとも言っているが、様々な力をどう使うのか…という問題は、私たち1人ひとりにとっても考える必要があることだろう。

そして拳児の「学び」の姿勢…。今まで学んできたことが一度壊れてしまうことをも恐れずに、素直に指導の根本に迫ろうとする。だからこそ、体力もあり様々な技を知っている大人と試合をしても圧倒してしまう。その試合を兄弟子の蘇は「何を学んでも自分の既成概念で使おうとすれば、優れた武術を自分自身でダメにしてしまう」と評する。【武術】を【知識】や【技能】に言い換えても通じる言葉であり、教育方法学や学習心理学の観点から見ても、鋭い指摘である。

「柔道一直線」や「るろうに剣心」などのようにドラマ化やアニメ化された作品ではないし、〔フェニックス〕や〔天翔龍閃〕などのとんでもない《必殺技》が出てくるわけでもないので、それほど知名度の高い作品とは言えない。が、様々な中国拳法の雰囲気が伝わってくるし、少年の成長物語としても奥が深い。いぶし銀とも言えそうななかなかのマンガである。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月14日 (水)

2つのアルカディア号

宇宙海賊キャプテンハーロックの乗る海賊戦艦、それが親友の大山トチローが設計し、苦難の末に作り上げたアルカディア号だ。

さて、このアルカディア号、実はイメージの異なる2つのタイプが存在する。1つはプレイコミックに連載し、TVアニメ「宇宙海賊キャプテンハーロック」に登場する青いカラーのアルカディア号、そしてもう1つは映画「銀河鉄道999」「さよなら銀河鉄道999」「わが青春のアルカディア」そしてテレビシリーズ「無限軌道SSX」などに登場するグリーンのカラーのアルカディア号である。

異なるのはカラーだけではなく、前部の形状も違っている。青いタイプは前部にも2つのアンテナが立つ複雑なフォルムだが、グリーンのタイプは潜水艦の前部をイメージさせるすっきりとした形状になっていて髑髏の海賊マークが描かれている。

作品に登場する割合からすれば、圧倒的にグリーンのタイプが多いし、我がdisplay colectionのアルカディア号もそちらになっているが、青いタイプもけっこう捨てがたい。以前に書いた「銀河子守唄」でまゆを救うのは青いタイプのアルカディア号だからかも知れない。

ただ、その両タイプに共通しているところもある。頭脳ともいえるコンピューターにはトチローの魂が宿っているし、後方からのイメージはどちらも共通している。そして、プレイコミックに連載していた原作マンガでは、後方に小惑星基地を連れていて、改造なども思いのままにできることになっている。なかなか便利な設定であり、一応、話としてはつじつまが合う。つまり、マゾーンとの戦いの時期だけは青いタイプ…ということなのだろう。

いずれにしても、アルカディア号は宇宙戦艦ヤマトと共に、乗ってみたい【戦艦】の双璧である。ワープという超光速移動など、今の科学技術では絶対に実現不可能な性能も持っており、それに実際に乗ることなど一生かかっても不可能だが、多感な青春時代に宇宙への夢をかき立ててくれた夢の宇宙船であることには変わりはない。今日は、久しぶりに「キャプテンハーロック」を読み直してみよう。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spm等ではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年2月10日 (土)

高橋留美子作品の異界論

15歳の少女・日暮かもめは、神社の隠し井戸に落ちて戦国時代にタイムスリップしてしまう。そして、そこで出会った犬夜叉という妖怪と人間のハーフと共に、四魂の玉のかけらを求める冒険が始まる。現在「少年サンデー」という週間の少年向けマンガ雑誌に連載されている最新の高橋留美子の作品が、この「犬夜叉」である。
 

「犬夜叉」に限らず、高橋留美子の作品には、普通の人間とは異なる存在が登場することが少なくない。例えば、TVアニメや映画にもなった「うる星やつら」には、宇宙人という微妙な設定であるが鬼や雪女、弁天、烏天狗などが登場するし、オリジナル・ビデオアニメとして作られた「人魚の傷」の原作の「人魚シリーズ」には、人魚の肉を食べて不老不死となってしまった人間たちが出てくる。
 

TVアニメやゲーム・ソフトになった「らんま 1/2」でも、水をかけると女の子や小豚や猫に変身し、お湯をかけると元に戻るという、普通ではない人間が主人公や脇役となってストリーを展開する。「めぞん一刻」ではそうした異質の存在は登場しないが、一刻館の住人は年齢・職業不肖の四ッ谷をはじめ、例外なく常人離れをしたキャラクターで固められている。短編で出てくる座敷ぼっこなども含めて考えれば、こうした異者が登場する傾向は決して連載作品にはとどまらないと言えるだろう。
 

だが、高橋留美子の作品世界において、このような異質の存在は、実は異者であって異者ではない。大人気を博した「うる星やつら」の主人公の諸星あたるは、地球人のガール・フレンド三宅しのぶと同じように鬼娘のラムや雪女のユキ、弁天様たちと接しているし、現在、週間「少年サンデー」に連載中の「犬夜叉」でも、ヒロインの日暮かもめは、人間と妖怪の混血少年である犬夜叉や妖狐の七宝と、ある場面においては普通の人間たち以上に親しみと愛情を持って接している。異形のものや特異な能力を持ったものでも、広い意味では「同じ人間」として生きていける世界がそこには存在しているのである。
 

しかし、現在の日本に目を転じてみると、正反対の事例がそこかしこに見られる。同じ人間なのに、わずかな違いやちょっとした差を理由にして、いじめられたり酷い差別を受けたりするという現実が様々なメディアによって至る所で報告されている。
 

例えば、教育関係誌に限らず様々な雑誌や書物で取り上げられ、TVのニュースや特別番組などでも何度も特集が組まれる学校での「いじめ」の問題。真実かどうかは別にするとしても、そのきっかけや背景に挙げられるのは、ほんの些細な差やちょっとした違いである。その背景には、同質性に病的なまでに固執するあまり、本来同等である仲間をわざわざ「異者」に仕立て上げて排除しようとする、余裕のない荒んだ心の風景が見える。
 

そうした「いじめ」は、子どもの世界ばかりでなく、大人の社会でも幅広く見受けられる。南米から日本に働きに来たが職場でいじめや差別にあって心を閉ざしてしまった女性、職員室で孤立し体育館の裏で泣いていた若い講師、自らが差別をされているがゆえに不法滞在のアジア人ホステスを蔑視してしまう男性…。少しアンテナを張っただけで、こんな情景や話をいくらでもキャッチできてしまう現実が今の日本にはある。
 

それは、現在の日本人が心にゆとりを失って追いつめられていることの表れなのだが、そうした心の弱さや醜さをそのまま発散させることは、社会全体が一層ゆとりを失い荒んでいくことにつながっていく。弱者をいたぶり排除を続ければ、次第に自分自身も弱者の側に追いやられ排除される道へと誘導されていくことになってしまうのである。
 

だが、ちょっとした心の持ち方で、そうした悪循環は断ち切ることができる。1人ひとりの「違い」を「個性」として受け入れ、心を通じさせようと努力すれば、時として世代や言葉の壁さえも超えて「思い」を伝えることが可能となる。一方の好意は、鏡のように他方からも好意として返ってくるのである。
 

高橋留美子の作品世界とは異なり、現実の地球には、妖怪や魔物や宇宙人は存在しないかも知れない。しかし、高橋留美子の世界/るーみっく・ワールドの前提にある、「違い」を「個性」として認め「存在」をそのまま受け入れるまなざしがあれば、「異者」も安心して生きていくことが可能となる。そして、「異者」を受け入れることのできる社会は、その視野を拡大し、発想や技術を飛躍・発展させて、社会全体をダイナミックに変革していく力を内在させているのである。
 

私は、自分自身が「異者」であると感じてきたがゆえに、様々な「異者」と巡り合うことができたように思う。そして、彼らとの交流は、私自身の「生」を非常に豊かなものにしてくれたという実感がある。そうした体験から、私は、自分自身を「異者」として生かしてくれる「集団」に対しては、できる限りのことをしてその扱いに応えたいと努力している。その努力は、集団を豊かな形に変革していく力につながると同時に、私自身の人間的な成熟にもつながっている。一方の利害ではなく、双方向の豊かさがその関係には存在しているのである。
 

「異者」をいじめたり排斥したりすると、その一瞬だけは気分が晴れるかも知れない。しかし、そのことによって失われる「豊かな実り」を思えば、そうしたやり方がいかに愚かであるかが理解できるだろう。るーみっく・ワールドの登場人物たちのように、「異者」をありままに受け入れる豊かさを持ち続けたいと思う。

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2007年2月 3日 (土)

「ピグマリオ」の味わい

幼児虐待、家庭内暴力、そしてドメスティク・バイオレンス…。家族や親と子の関係が不安定になり、時として破壊的な様相を示す現代社会。胸を痛める様々な事件は、自立に至るまでの苦難に負けてしまった人間たちの姿なのかも知れない。

 

自立とは何か。心理学の世界では、西洋的自我の確立の過程を英雄譚になぞらえながら以下のようなステップでまとめている。旅立ち、そして旅の途上で怪物と出会い、それを倒して美女を救出し、最後に彼女と結婚する。ここで怪物とはあらゆるものを飲み込もうとする悪しき意味での母性と重なる部分があり、その繋がりを断ち切る強さこそ自我の確立にとって重要となる。が、母性…あるいは女性原理を失ってはバランスが崩れるので、新たな出会い、すなわち結婚によってそれを補完するのである。

 

もっとも、このまとめ方はかなり大ざっぱで乱暴だが、ユングや河合隼雄の著作などを丁寧に読んでいくと、それなりに説得力を持っている。そうした事を意識しながら、この『ピグマリオ』という作品のストリーに目を向けてみよう。

 

主人公のクルトは、ルーンという小さな国の皇子だった。父王や周囲の人々に慈しみ育てられていたが、クルトには母親がいなかった。理由は注意深く隠されていた。が、悪神エルゾの娘メデューサによって石像に変えられてしまったのである。

 

その母ガラティアを元の姿に戻すには、母を石にした悪神エルゾの娘メデューサを倒さなければならない。石にされた人々と母のために、メデューサを求めてクルトは旅立つ。母ガラティアの妹である精霊オリエや大地の女神ユリアナに見守られながら。その旅の途上でクルトは、多くの人間や神々、そしてメデューサのしもべ・使徒の妖魔たちと出会う。そして、後にクルトの妃となるはずの星占いの少女オリエとも…。

 

次々と襲いかかるメデューサのしもべ・使徒を、女神ユリアナに借りた大地の剣で倒しながらメデューサ城を目指すクルト。だが、クルトは単にメデューサに近付くために妖魔たちと戦っているのではない。人々と語り、行動を共にしながら、妖魔や悪政に虐げられている人々の願いを背負って戦い、旅を続けるのである。

 

人々と語り、その苦痛や悲しみを背負い、共に生きようとするクルトの額に星が光る。それは、神々から時代を引き継ぎ、人々を導く『創世王ピグマリオ』の証である。共に苦しみ悲しみを背負いながら先へ進むクルトだからこそ、人々は心を動かされて共に生き、戦おうとする。そして、自らの時代の終わりを告げるクルトに、神々も力を貸そうと動きだす。そしてその力を結集してクルトはメデューサの前に立ち、クルトの剣は戦いの中でクルトを育てた闇の母メデューサの胸を貫くのである。

 

翻って、現代の日本の姿に目を向けてみよう。弱者に寄り添い、人々と苦難を共にしながら未来を切り開こうとする政治家や官僚の姿は無く、特権にしがみつき弱者を苦しめ未来を閉ざすようなことしか出来ない族と、国や国民の利益よりも外国と身内の利益を大事にして恥じない売国奴が日本を徘徊する。自ら血を流す勇気もなく、責任の取り方を知らない口先だけの指導者に、国難に対処する当事者能力はない。

 

困難は、それを乗り越えてこそ豊かな実りとなって当事者と周囲の人々に降り注ぐ。様々な妖魔との戦いを越えて、人々の心をつないでいくクルトの旅は、その物語に接する読者に深い感動と、生きる力と、困難に立ち向かう勇気とを与えてくれる。それは、本来、様々な神話が与えてくれたものであり、現在でも優れたファンタジーが私たちに示してくれるものである。

 

ファンタジー作品としての『ピグマリオ』(和田慎二/私は見ていないがTVアニメでも放映されていた)。その中に内包されたイメージには、多くのかぎが隠されている。政治の問題、親子の関係、自立の課題、愛というもの…。いくつもの読み方ができるこのマンガを読みながら、そうしたことに思いを巡らし、未来に立ち向かっていくきっかけを探るのも良いかも知れない。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年2月 1日 (木)

「銀河子守唄」…宇宙海賊キャプテンハーロックより

TV版《宇宙海賊キャプテンハーロック》の34話「銀河子守唄」は、キャプテンハーロックのアニメの中でも、特に好きな作品の一つである。プレイコミック版の原作マンガには1ページの中の台詞にしか登場しないハーロックの親友トチローとエメラルダス(TV版のこのシリーズではエメラーダ)の一人娘大山まゆ。この34話では、マゾーンにさらわれたまゆをハーロックが仲間と共に取り戻すのだが……。

このマンガ版には登場しない少女・大山まゆは、ハーロックが命がけで守ろうとするものの象徴だが、それは決して国ではない。未来なのだ。だからこそ、地球政府と敵対し、犯罪者として追われていても、まゆの暮らす地球を守るためにハーロックとアルカディア号の仲間たちは強敵マゾーンと戦い続ける。

この34話に使われている音楽の中で特に好きなものが「まゆのテーマ」とこの34話の題にもなっている「銀河子守唄」である。

まゆのテーマは、まゆがオカリナで吹き続けている曲なのだがどこか哀愁を帯びたそのメロディーは放映(1978年)から30年近く経った今でも心に残っており、携帯電話のメールの着信音にしている。このオカリナの音をアルカディア号の心となったトチローが追って、まゆのもとに辿り着くのである。

「銀河子守唄」は「星の子守唄」の記事でも触れたが、さらわれた恐怖のせいで眠らずにオカリナを吹き続けるまゆを眠らせるためにアルカディア号=トチローが歌う子守唄のシーンに流れる。トチローの歌によって、まゆもようやく眠りにつくのである。その使われ方はもちろん、その歌詞からも、父親の子守唄として相応しいものである。そして、このたった1回使われただけの挿入歌を30年近くたった今も歌うことができる。残念ながらカラオケには入っていないが……。

ストリーはもちろん、その中に使われている音楽も印象的な作品。わずか30分ほどの話だが、松本零士アニメの中でもおススメの逸品と言えよう。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年1月31日 (水)

『銀翼…つばさ』を読む

『銀翼』は1997年に立原あゆみが「少年チャンピオン」に連載し、後にYCコミックスにまとめられて出版されたマンガである。

戦後ではなく、「戦前」のような空気がじわじわと日本に広がってきている。自ら戦場に足を運ぶことのない無責任な輩が、嘘とごまかしで塗り固めた法律と手続きで、自衛隊を危険な〈非戦闘地域〉へと送り込む。そして、世界の各地で吹き荒れる「テロ」の嵐…。弱者を巻き込むテロは決して許せないが、同様に強国が欲望のために人々の生活を破壊し、貧困と絶望を拡大する事も絶対に許せない。

 

太平洋戦争の歴史を知る日本人であれば、戦争末期、飛行機等による特攻作戦を立案して実行させた上層部はともかく、家族や故郷の「くに」を守るためと信じて敵の艦船に体当たりを敢行した一人ひとりの特攻隊員を責める人はまずいないだろう。

 

このコミックは、そうした特攻隊員の一人が、知覧を飛び立つまでの姿を描いたものである。

 

爆弾を抱いた一式戦闘機「隼」にのる渋沢大助という青年がこの物語の主人公である。母の、婚約者の、大切な家族の生きる故郷を守るために命を投げ出す。けれども、それで戦争に勝つわけではない。大声では言えないそんな予感が、隊長や特攻隊員の胸に澱んでいる。

 

だが、こうした思いは、パレスチナやイラクでの「自爆テロ」と重なっていないだろうか。「話せばわかる」ならば、誰も自分の命を犠牲にしたりはしない。努力によってどうにかなる状況ならば、そしてその希望や可能性が実感できるならば、自分の命を犠牲にして他人を殺す必要などありはしないのだ。

 

もはや、語れる言葉もなく、希望もない。

そうした状況の中で、知覧から多くの若者が飛び立っていった。「特攻」などという作戦ですらない作戦を立案し、実行させた指導部の罪は重いが、命を賭けて「特攻」という殺人・破壊行為に及んだ特攻隊員を糾弾する言葉を私は持たない。

 

では、「自爆テロ」はどうか。イラクやアフガニスタンの人々の苦しみ、パレスチナ難民の絶望と怒り…。新聞やTVニュースではあまり詳細に報道される事はないが、僅かに伝えられる内容を見てもその惨状は目を覆うばかりであり、しかもそれはほんの一部に過ぎない。テロによって亡くなった人々の存在やその家族の悲しみを思えば胸が痛むが、そうした現実に思いをはせれば、「自爆」をした「犯人」たちの周囲にもそれに勝るとも劣らない悲しみや苦しみ、絶望があったのではないだろうか。

 

確かに、罪もない人々や弱者を犠牲にするテロは許せない。けれども「テロには屈しない」と叫ぶ人々の「反撃」によって、もっと弱く貧しく、罪のない人々が犠牲になっている。使用者が「核兵器」と認定していない【劣化ウラン弾】によって多くの人々が今尚「被爆」し続ける現実。高い失業率。そして「責任」をとる訳でもない「誤射」「誤爆」など生活や文化を破壊し、人々の命さえも奪い続けて責任をとらない卑劣な行為の数々…。私は、それらも国家による「テロ」だと思う。

 

ある意味では、「争う」事は簡単なのだ。しかし、暴力で「その場」は押さえられても、根本的には何も解決しない。大切なのは、理解し、分かち合う事である。

 

私たち日本人は、【特攻】という歴史を持っている。その背景には、爆弾を積んで飛び立っていった若者たちの絶望と純粋で切ない思いがあった筈である。

 

そうした歴史から学ぶことが出来れば、「自爆テロ」の背景にあるものも少しは理解できるのではないだろうか。「テロに屈しない」と叫ぶのは易しい。けれども、日本の歴史を真摯に学べば、それだけで済ませてはいけない何かがあるのか分かる。【特攻】という歴史を持つ日本だからできる事…。私たち一人ひとりが、それを真剣に考え、それぞれが地道に出来る何かを探していくことが大切だと私は思う。

 

人気ブログランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年1月28日 (日)

星の子守唄…SF西遊記スタージンガーより

松本零士の関わったTVアニメの一つに【SF西遊記スタージンガー】という作品がある。1978年4月から79年6月にかけて放映されたものでオーロラ姫を守って、ジャン・クーゴ、ドン・ハッカ、サー・ジョーゴの3人のサイボーグが宇宙を旅をする話である。そのアニメの後半のエンディングが増山江威子の歌う「星の子守唄」である。

松本アニメの子守唄では、【宇宙海賊キャプテンハーロック】の挿入歌の一つ「銀河子守唄」も好きだが、「銀河子守唄」が父親が娘のために歌う子守唄として心優しく聞いていられる歌だとすれば、この「星の子守唄」は母性溢れる安らぎの歌…ということになろうか。

スタージンガーのオーロラ姫が、本来の『西遊記』における三蔵法師の立場になるわけだが、このオーロラ姫はメーテルやスターシャ、雪野弥生(1000年女王)、霧野リサ(惑星ロボ・ダンガードA)などの松本作品における主人公を見守る母性的な女性キャラクターの系譜に入る存在となっている。だが、メーテルのような陰のイメージをほとんど持っていないために良い意味での母性の塊のような印象を受けるが、その分、キャラクターとしての存在感には弱さがある。しかし、この「星の子守唄」は、まさしくそのオーロラ姫の存在そのものをまるごと歌にしているような作品に仕上がっているので、聞いていてとても心地良いのである。

だから、疲れているときに聞くと、とても心が休まる。もはや30年近くも前の歌であり、覚えている人もそれ程多くはないだろうが、何とも言えず好きな歌の一つである。

 

人気ブログランキング  … よろしければクリックをお願いします。

コメント・TBの主要言語は日本語…でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年1月19日 (金)

「銀河英雄伝説」から読む民主主義

「銀河英雄伝説」はもともと田中芳樹原作の小説だが、その後オリジナル・アニメ・ビデオのシリーズとして制作され、テレビでも放映された。原作も非常に面白く、10巻をわずか数日で一気に読んでしまったが、その原作に忠実に作られているアニメも、よく出来た作品である。

個人的には、「宇宙戦艦ヤマト」の古代進の声を担当した故・富山敬が自由惑星同盟のヤン・ウェンリー役をしていた事もあり、そちらの興味もあって何度となく楽しんでいる作品の一つである。特に、作品の中でヤン・ウェンリーが亡くなった後、富山敬も後を追うように亡くなっているので、特に印象が強い。

そのヤン・ウェンリーは、よく民主主義や民主政治について自らの考えを周囲の仲間や家族に口にする。それは、歴史的に見ても、法学や政治学の視点から見ても、けっこううなずける内容が多い。政府の上層部にいる人々が「愛国心」を口にして戦争を煽るにも関わらず、自らはもちろん、その家族をも戦場には送っていないことへの批判は特に手厳しい。そして、現在のアメリカの姿を見ていると、それは大いに納得できる。

自由惑星同盟が、民主主義の制度疲労によって衆愚政治に堕し、銀河帝国のローエングラム候による清潔な独裁制によって滅ぼされる辺りは、何とも考えさせられる。民主主義がきちんと機能するためには、自立した個人やマスコミによるきちんとした情報開示や情報公開が必要であり、逆に、公正な税制や国民を大切にする政策があれば、独裁体制でも国民に支持される……などなど。

例えば、ヤン・ウェンリーは考える。国民としては、清潔な独裁政治と極度に腐敗した民主政治とでは、どちらの国民がより幸福なのか……と。そして、改革を進めるには、独裁制の方が効率的であるとも……。それでも、ヤン・ウェンリーは最後まで民主主義を守るために戦い、死んでいった。だが、彼は、自分の作戦によって失われた敵と味方双方の命についても考え、狂信的に「民主主義」のドグマを信じるようなこともなかった。

翻って、現在の日本の姿や世界の姿を見てみよう。「民主主義」の名の下に多くの人々を殺したり苦しめたりしている権力者たちがいる。国民を苦しめる政策を立て続けに実行し続けて恥じない「民主国家」の政治家たちもいる。日本や世界を、自由惑星同盟のようにはしたくはないと思うのだが……。

 

人気blogランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメントは日本語でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 9日 (火)

まず自分から愛さなければ…「ペリーヌ物語」より

風邪のために寝正月を決め込んだ年末から三が日の休みの間に見ていたビデオの一つに「ペリーヌ物語」がある。「アルプスの少女ハイジ」や「あらいぐまラスカル」、「ムーミン」などで有名なフジTV系列の《世界名作劇場》シリーズの一つで、1978年の1月1日から12月31日まで放映された作品である。

 

原作はエクトル・マロの『アン・ファミーユ』、日本では『家なき娘』という題名で訳されたりもしているが、同じ作者の『家なき子』ほど有名ではない。けれども、まじめに、そして正直でけなげに生きていくうちに周りの人々に愛されて幸せになる、という筋立ては共通しているかも知れない。

 

現代社会では、何が「幸せ」かということ、つまり幸せの質や中身が問題になってきている。が、このシリーズが最初にTVで放映されていた30年ほど前の時代であれば、経済的・物質的豊かさが大きな意味を持つと感じられていた。

 

確かに、それらがなければ、必ずしも「幸せ」とは感じられない人は少なくないかも知れない。けれども、お金持ちで物質的に豊かであっても「幸せ」だとは限らない。この物語の主人公であるペリーヌの祖父ビルフランも、ペリーヌが現われるまではそうだった。

 

ビルフランは、マロクール村でフランス一の織物工場を経営し、多くの使用人に囲まれて大きな家で生活していても、たった一人の息子(つまりペリーヌの父親)とは結婚をめぐって対立したために音信不通となっていた。周りの人々から「ビルフランさま」と呼ばれ、傅かれたり、羨望されたりしていても、ビルフラン自身は、本当に心を許し、愛することのできる人を周囲に持っていなかったのである。

 

その孤独な心を開かせたのは、ペリーヌだった。ペリーヌは最初、オーレリーと名乗ってビルフランの工場でトロッコ押しをして働いていた。けれども英語ができたことから通訳に抜擢され、さらにビルフランの個人秘書として信頼を得て、一緒に屋敷で暮らし始めていた。

 

マロクールへ向かう旅の途中、パリで亡くなったペリーヌの母マリは、死ぬ間際にパリでペリーヌに、人から愛されるにはまず自分から人を愛さなければならない、と言い残した。

 

ペリーヌはその言葉を守り、母マリのことを誤解し憎んでいるビルフランを心から愛した。そして父エドモンの死を知って悲しむ祖父ビルフランを一晩中看病した。

 

そんなペリーヌの思いは次第にビルフランにも伝わり、やがてビルフランはオーレリ―と名乗る少女が自分の孫ではないかと思い至る。そして、弁護士に息子が死んでからの足取りを調べてもらい、オーレリ―=ペリーヌが孫であることを確かめる。ビルフランは、孫のペリーヌの存在が新たな生きがいとなって生きる意欲を取り戻し、目の手術にも耐えてペリーヌと共に幸せになる。

 

だが、ペリーヌやビルフランがすばらしいのは、自分たちの幸せだけではなく、保育所や労働者住宅なども整備して、みんなの幸せを考えて生きていこうとするところである。

 

確かに、誰もが愛されたいと思うだろう。けれども、誰もが深く愛されるとは限らない。ただ、これまで出会った多くの人々のことを考えると、多くの人を愛している人ほど周囲から愛されているように思われる。愛とは、与えれば与えるほど返ってくるものなのかも知れない。

 

例えば、「愛国心」を強制しようとする人々がある。けれども、政治家や官僚がまず国民を愛し、大切にしていれば、愛国心など勝手に育まれるだろう。自分を愛してくれる存在を愛せない人間などいないのだから……。

人気blogランキング … よろしければクリックをお願いします。

コメントは日本語でお願いします。spmではないことを確認の上で24時間以内に公開します。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年12月 7日 (木)

祈り…交響組曲・宇宙戦艦ヤマトを聞きながら

昨夜は、久しぶりに〈交響組曲・宇宙戦艦ヤマト〉を聞いた。①序曲、および⑪明日への希望のところに川島かず子のスキャットが入るが、その透き通った祈りのような歌声は、砂浜に染みていくさざ波のように心を包んでくれる。テープを買い、レコードを買い、CDまでも買ってしまった理由である。

そう言えば、〈宇宙戦艦ヤマト〉のドラマの中にはそこかしこに祈りがあったような印象がある。ガミラスの遊星爆弾に攻撃され、滅亡の危機にあえぐ地球、本土決戦の結果死の惑星となってしまったガミラスを見つめる古代進や森雪の心、そして人々の死に絶えたイスカンダルで1人生きようとするスターシャ……。それらのイメージの中に鎮魂の祈りが漂っている。

鎮魂の祈り、それは私たちが持っていた「美しい日本」の伝統の1つではなかっただろうか。原作者の1人である松本零士は、戦場マンガシリーズとして分類される多くの作品を描いているが、その作品の多くの鎮魂の思いを感じることが出来る。辛く哀しい戦争の歴史を経てきた日本という国の歴史を深く知れば知るほど、今の日本の政治や社会に失われようとしている本当の意味での「美しい日本」の姿が浮かび上がってくるが、それは某首相の著作の中身とは似ても似つかぬものである。

この鎮魂の祈りの音楽イメージは映画〈さらば宇宙戦艦ヤマト〉にも引き継がれている。流れゆく音楽の中に漂いながら、忙しさの中で見失っていたものを思い出したい。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年9月 8日 (金)

仮面ライダーのすたるじい

子どもの頃、毎週テレビの前にかじりつき見ていた「仮面ライダー」……。そしてそろばん教室での待ち時間にむさぼるように読んでいた「仮面ライダー」……。その当時はそれ程意識していなかったが、今思い返してみると、テレビ版とマンガ版との作品世界は微妙に違っている。テレビ版、特にサボテグロンの襲来と仮面ライダー2号/一文字隼人の登場以降のシリーズではテンポのいいアクションとライダーのヒーロー性に魅せられて毎週見ていたが、マンガ版を後で読み返してみるとところどころに見える社会への視線が物語への深みを与えているのが理解できた。

なぜ、仮面ライダーは風をエネルギーとするのか、それは仮面ライダーが「自然」の使者でもあるからだ。そして、彼が戦い続けるショッカーとは……。例えば、マンガ版で出てくるコブラ男は、公害反対運動のリーダーたちの暗殺を行っている。高度経済成長期の社会の闇とアクセスしている存在、そうした面も持っているのだ。

そして、仮面ライダーがサイボーグであることの異人性も、マンガ版ではより強調されることになる。それは、激しい怒りを覚えると顔に改造手術の傷跡が浮かび上がるといった場面から象徴的に読み取ることができる。だからこそ、普通の人々との距離を感じざるを得ず、孤独を胸に戦い続けるのである。

しかし、テレビ版では、そうした部分を描ききれぬまま終わってしまったところがある。以降のシリーズにしてもヒーロー性を追及するあまり、社会への視線が弱かったのかなあ、と思う。もちろん、それゆえに繰り返し制作され、平成の今でも続くほどの大ヒット作品となったのだろう。それはそれで悪くはないのだが、マンガ版に描かれていた背景や異人性は、大人になった今でも充分に楽しめる深みを持っている。さすがに、平成の新しい仮面ライダーまでは見ていないが、時には古いビデオやフィギアの存在を楽しみたい今日この頃である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月 2日 (土)

愛しのメーテル

好きな映画を考えたときに、この数十年ベスト10から抜けずに不動の位置を誇るのが「銀河鉄道999」と「さよなら銀河鉄道999」である。最近は忙しくて見に行く回数が少なくなったが、映画はかなり映画館で見ている方なので、新しい映画の中でも良いものは良い。にも関わらず、この二つの999はすばらしい出来だと思っている。

999のシリーズは、雑誌・単行本・TV・映画、そして最近はインターネット連載までしているようなので、実に幅広いメディア展開となっている。そして、それぞれのメディアによって微妙に質感が違ってくるのだが……。

映画999について言えば、星野鉄郎の年齢設定がマンガやテレビよりも少し上げられていて、年齢感覚としても少年の成長と自立をメーテルとの間に流れる感情を絡ませながら見事に描ききっている。そして「銀河鉄道999」が母からの自立であり「さよなら銀河鉄道999」が父の存在を超えていくことにテーマ設定がなされているために、2つ併せて見るといろいろと考えさせてくれることが多い。

さらに両方の映画が「機械化人」という設定によって永遠の命と限りある命、すなわち生と死についても考えさせてくれる。限りある命だから、一瞬一瞬がかけがえのないものとなり、だからこそ命そのものを大切にしなければならない、という思いを何度見ても感じさせてくれるのである。

また、細かいシーンでも情感溢れるところが多い。「銀河鉄道999」のラストの別れのシーンでは、メーテルの唇の感触まで伝わってくるような映像になっている。母性の部分と恋人の部分をあわせもつメーテルの存在は作品全体にわたって大きな意味を持ってくるし、そうした意味でも、何度でも見たくなる映画である。

そう言えば、好きになった女たちの中で、髪の毛の長さと脚の線の美しさをあわせもつ割合はけっこう高いように思う。もしかするとメーテルの《悪影響》なのかも知れない。フィギアがあるとつい手を出してしまう(display collection 参照)ほどに、バツイチの今でもメーテルは好きである。

| | コメント (2) | トラックバック (1)