2008年8月17日 (日)

かわいい女・いい女・パートナー

8月上旬に参加した研究会の夕食の時、近くにいた関西の若い女性や関東の若い男性と話していた雑談の中で、かわいい女といい女とパートナーの話に花が咲いた。多少アルコールも入っていたが、×一の男の言葉に対する妙に素直な反応が、なぜかおかしかった。

まず、「かわいい女」だが、アイドルやお人形的な、現実感の乏しさが1つの条件であろうか。ただ、自分の弱さを自覚した上でのズルさはある程度許容範囲で、それは、素直でけなげなところに通じている。アニメ「エヴァンゲリオン」の桂木ミサトなどを「かわいい女」の例に挙げたら、妙に納得されてしまった。

つぎに、「いい女」について。若い女性は、「米倉涼子などはどうか?」と言ったが、即座に却下。理由は、「毒が足りない」ということで、「ルパンⅢ世」の峯不二子や小沢真珠などを例に挙げたら納得されてしまった。毒を持ち、宿命の匂いのする大人の女性…そんな印象なので、モローの絵「オイディプスとスフィンクス」のスフィンクスなども「いい女」の条件にピッタリかも知れない。ついでに、北条司のマンガも話題になったので、「キャッツ・アイ」の長女/泪(るい)や「シティー・ハンター」の冴子などが「いい女」で、「キャッツ・アイ」の愛は「かわいい女」だ…という話は3人で大いに盛り上がった。

そして、「パートナー」。恋人や夫婦の場合は相手がもちろん「パートナー」だが、仕事やさまざまな活動の場面でも、相手を信頼して重要なことを任せられ、もしそれが失敗したら、その結果はどれほど酷いものでも甘んじて受け入れる覚悟ができる相手である。夫婦や恋人の場合は、特に、一緒に日常を積み重ねられる相手であると同時に、異性を感じられる相手でもなければならない。これも、かなり納得されてしまった。

現実を生きていく際には、「パートナー」の存在は大きい。だが、文学・芸術の感受性を刺激するのは「パートナー」よりも「いい女」の方である。すでに人生の後半に差し掛かった今、どのような出会いが待っているのだろうか。

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2008年7月 7日 (月)

七夕の夜に

601番目の記事は、七夕の夜である。現在、いくつか星は見えるが空は雲が多く、すっきりと晴れ渡ってはいない。織女と牽牛は、今夜は残念ながら逢瀬を楽しめないということか。七夕伝説の起源は、もともとは中国らしいが、年に一度の逢瀬とはなかなかロマンチックである。ただ、それがずっと続いているということになれば、距離を隔てていても、お互いの心は深い信頼で結ばれているということである。

ところが、人間たちの世界ではなかなかそれが難しい。例えば、若い世代の携帯メールのやり取りなどの様子を見ていると、メールが来るとすぐに返信しなければならないような様子が伺える。お互いに信頼しあっていればそんな必要はなく、それぞれの都合のいい時間に呼んで返事を返せば良いと思うのだが、やりとりの行為そのものによって関係を維持しているから、それができないのだろう。

これは、ある意味では極端な例かもしれないが、人間の恋人同士の場合は、当然、それぞれの人間関係もある訳で、やはり、同じ時間の積み重ねがお互いの想いを育むのに対し、時間的なすれ違いは、度重なれば誤解や不信感を生むことにつながりかねない。さびしい話だが、それが「現実」の姿でもある。

ただ、誤解や不信感は、きちんと向き合うことで、返ってお互いをより深く理解し合い関係を深めるチャンスにもなり得る。…もちろん、お互いへの強い想いが維持されている場合に限ってのことだが。ただ、時間をかけず、苦労をせずにそれができるわけではない。やはり、理解を深めるにはお互いに2人の時間をきちんと積み重ねる努力が必要である。

織女や牽牛は、そういう努力を積み重ねたのだろうか。それとも、人間ではないから、嫉妬や誤解に苦しむことはなく、それゆえに信頼していられるということなのだろうか。まあ、大気圏を越えてしまえば、2人の逢瀬を邪魔する無粋な雲は存在しなくなる。ただ、光速で進んでも1年や2年ではたどり着けない距離が横たわっているのだが……。

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2008年2月14日 (木)

信頼と嫉妬

離婚してしまった元妻と「遠距離結婚」をしていた頃、電話の会話の中で「遊んでもいいよ」などという発言が飛び出し、「それは違うぞ!!」と怒った事があった。このように一見「もの分かりの良い」元妻は、結局、自分のことしか考えていなくて、離婚となった。

その後、別の新しい相手と遠距離恋愛を楽しむ羽目になったが、けっこうヤキモチ焼きで疲れてしまったことが何度かあった。ある意味では、嫉妬をしてしまうという感情は相手を信じきれていないということでもあるのだが、相手に対して強い執着がなければ逆に嫉妬されることもない。そうした点からすれば、嫉妬が恋愛のスパイスとして働くのも大いに納得できる。その意味では、多少の嫉妬は、時としてカワイイと感じられたりもするものである。あくまでも、日常生活や仕事に大きな支障が出なければ…であるが。

相手を心底信頼できれば、嫉妬はしなくて済む。だが、相手に執着していなくても嫉妬はしない。その辺りが難しいところだが、時には嫉妬を感じることがあっても、基本的には相手を信頼していられる…というスタンスが恋愛でも結婚生活でも一番良いのかも知れない。

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2007年9月27日 (木)

本歌取り狂歌10首

本歌取り狂歌十首

 

アッシーのケイタイの音鳴り響き

        家に送ればひとり寝るだけ

 

若いコは道で会ってもシカトする

        世も末かなとオジンはつぶやく

 

君がため 早く家出てアルバイト

        我がバイト料すぐに消えつつ

 

四の五のと言えど今更我が恋は

        もはやダメかと人の噂す

 

会い見ての後の心を言ったなら

        メル友のままいれば良かった

 

大声で叫ぶ電話の遠ければ

        また会えもせず雨の道端

 

あらし吹く別れの前の修羅場では

        立ち会う者は不運なりけり

 

行かざれば代わりの男訪れて

        車の助手席空き 風ぞふく

 

背は低く金も車も無き我さ

        ふられた末に哀れとぞ思う

 

嘆けとて月のものは来ぬと言う

        ヤッてしまった我が涙かな

 

 

 

元になった百人一首の短歌を当ててみて下さい。

 

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2007年8月28日 (火)

やさしさとして想い出として…変わったのは?

【ふきのとう】の最後のアルバム「ever last」の冒頭を飾っている歌が、この「やさしさとして想い出として」である。その歌詞を生かした編集が心憎いが、この歌自体はもともと「風待茶房」という初めの頃のアルバムにも入っているきれいな歌であり、9月前のこの時期にカラオケに行くとついつい歌いたくなる歌である。

もうあなたと逢えなくなる 2人で夢に見た 手さぐりの 

青春は通りすぎた 昨日の風のように

もう あなたは冗談も云わずに 九月のことにかかりきりみたいで

夜の街は 淋しすぎて その上 冷たすぎて

爪の伸びた小指をかみながら こぼれる涙に言い訳していた

知らないこととはいえ 短すぎた ぼくが1年離れて いるうちに

あなたが あなただけが こんなに変わるなんて

解散に際してのアルバムで「もうあなたと遭えなくなる…」というフレーズの歌を冒頭に置き、最後の「山のロープウェイ」という歌の終わりのフレーズ「…いつかまた会えたらと思います」で結んでいるところに、【ふきのとう】の思いを感じる。

それはそれとして、この歌に描かれている別れのシーンで、男の方が女の変化を悲しんでいるが、1年も会わなければ、お互い、変わっていて当然であろう。一年分の体験・経験が人間を変えていくのだから「あなただけが」「変わる」というのはおかしい。でも、変わって欲しくない部分の変化が心の距離を開き、別れへとつながっていったのだろう。

そうした別れのシーンの心情を澄んだ声で歌い上げているこの歌は、高音の伸びが特に美しく、聞いているとしっとりとした思いを味わえるが、その音の高さと音域の変化の巾の大きさゆえに、歌い上げるのは難しい。それでも、上質の小説の一部を読むような感じがあって、残暑も忘れさせてくれるような歌である。

 

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2007年7月 7日 (土)

七夕の夜に

今日は7月7日、七夕である。だが、雨こそ降っていないものの空はどんよりとした雲に覆われている。残念ながら、牽牛と織女の年に一度のデートは天の川の増水のためにお流れ…となりそうである。

ただし、これって元々は中国に起源を持つ日本の伝承なので、太陽暦で考えるのはおかしい気がする。旧暦で考えれば、今年の七夕は8月19日である。これくらいの時期なら梅雨も明けているし、秋の長雨にも間がある。年に1度のデートも楽しめるのではないかと思う。

以前、TVドラマに週末婚を扱ったものがあったように記憶しているが、年に1度とまではいかないにしても、離れている期間がそれなりにあれば、自分のアラをつくろいやすくもなるし、トキメキもけっこう持続しやすいのではないか……という気がしないでもない。それに、自分の時間…もそれなりに確保することが出来る。1対1の異性関係であれば、恋愛感情は持続しやすいかもしれない。

ただ、アラをつくろっている間は、自分自身をさらけ出しているわけではないので、当然、不安も心の隅にくすぶっていることだろう。ある意味では、安心して自分のすべて(嫌な部分や欠点など)をさらけ出せるということは、それだけ相手を深く信頼しているという証でもある。となれば、安心して側にいることが出来る相手…ということになろう。

恋人としての関係、家族としての関係…。それぞれに魅力があるし、また味わい深いものもある。その両方を感じることのできるパートナーを持っている人はとても幸運な人である。けれども、その一方だけでも実感できるパートナーのある人もそれはそれで幸せである。身近にいる幸せの青い鳥を大切にしたいと思う。

 

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2007年2月26日 (月)

サボテンの花…チューリップの歌より

ここ数日、少し寒い日が続いているが、風が穏やかで晴れている日は、目に見えて温かくなってきている。地域によっては、まだ雪が残っているところもあるようだが、春はもうそこまできているようだ。

そんなことを考えているうちに、「サボテンの花」を連想してしまった。2番にある「春は もうすぐそこまで 恋はいま 終わった」というフレーズである。そう言えば、去年の今頃は、離婚して1月あまりしかたってなかったし、家族の入院も重なっていて、心身ともに大変な時期だったのを覚えている。

そういう時には、「サボテンの花」のようなバラード調の歌がフィーリングにピッタリなので、よく車の中で聞いたり、カラオケで歌ったりする。去年の2月もそうだった。

チューリップの歌は、若い頃よく「心の旅」をギターで弾いて歌っていたが、カラオケでは「サボテンの花」や「悲しきレイン・トレイン」を歌うことが多い。割と高い声が出る(裏声/カウンター・テナーで「もののけ姫」を歌える…そして時にはリクエストもされるというレベル)方なので、カラオケで歌っていても、「サボテンの花」はけっこうウケル方だ。

ただ、去年の2月については離婚したばかりでもあり、「恋は今 終わった」のフレーズはそれなりに感慨深かったのを覚えている。元妻は、初めての大ゲンカで家を飛び出し、そのまま帰国してしまった。そして、結局、離婚と相成ったわけである。さすがに編み掛けの手袋や、洗いかけの洗濯物などはなかったが……。

それにしても、「感慨深い」で済んだのは、自分なりにできることはやった、それで終わってしまった以上、仕方がない……と納得できたからである。だからこそ、冬が終わった後、図らずも新しい出会いがあった。自分としては【長い冬】は、思っていたよりも短くて済んだということであろうか。

思いの外、昨年の自分と重なるイメージのある「サボテンの花」だが、相変わらず好きな歌の1つで、車でもよく聞いているし、カラオケでも時々歌っている。多分、これからも聞き続け、また歌い続けていくことだろう。

 

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2007年1月26日 (金)

「煙草」…岡村孝子の1stアルバムより

岡村孝子の1stアルバム【夢の樹】の中に「煙草」という歌がある。シングル・カットされた歌ではないし、特に目立つ歌でもない。それでも、初めて耳にしたとき、女性のリアルな本音を垣間見たような気がして、妙に心に残ったのを覚えている。

アルバムとしても歌としても20年以上も前のものだが、当時の世相なども垣間見える。この歌の頃は、煙草を吸う女性の姿も見かけるような時代で、自立を志向するようなタイプの人がアクセサリーの一つのように煙草を扱っていたように記憶している。だから、男に「可愛い」と見られ、その庇護を受けるような旧来のジェンダーの枠組みから抜け出る意思を持たない女性は、まず煙草を手にしなかったのを記憶している。その意味では、この歌は自立に揺れる女性の心を素直に描いているのである。

だからこそ「煙草をとりあげて」とか「名前を呼び捨てて」といったフレーズが出てくる。社会的・歴史的なジェンダーの枠組みと自立志向、そして嫉妬の中で揺れる感情が時折り混じる不安定な和音と響き合いリアルに伝わってくるように思われる。

名前を呼び捨てる…という行為の中に含まれる様々なもの…愛着、親しさ、そして上下関係などが複雑に絡み合う。それをする側、そして受け入れる側の感情の流れ……。もちろんそれは恋する男女の間に限定することはないのだが、このような小品からもそのようなものを感じ取ることが出来る。歌というのも、なかなかおもしろいものである。

 

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2007年1月10日 (水)

破局の肖像…「君は人形」ふきのとう's Song

高校時代から聞いていた《ふきのとう》の【風待茶房】というアルバムの中に「君は人形」という歌がある。恋愛の破局にあって、お互いに相手をなじりあうことは多いが、ワガママな女に対する男の最後の言葉を歌にしたものである。

男は女に対して、君の「愛する」という意味は「愛される」ということだとなじる。つまり、男は「愛されていない」し、女はただ自分を大事にしているだけだというのである。男と女の立場が入れ替わっていても、相手のことを考え、相手をどれほど大切にしても、相手は自分のことしか考えていないなぁ…と感じられる場合は少なくない。そこでどうするのか、という問題が当然出てくることになる。

片思いの段階ならともかく、それなりに相手がパートナーであると考えている、あるいは周りからもそう認識されている場合において、お互いに相手を大切にしようとしているし、大切に思われていると感じられるのであれば、その言動に多少のズレや勘違いがあってもやっていけるだろう。まあ、男と女は感性や考え方も違うわけだし、そうしたズレや勘違いを楽しむのも恋愛の醍醐味だとも言える。

けれども、相手の思いや誠意が感じられず、利用されているだけだということになれば、当然、情熱は冷める。そうした実感が度重なれば、破局…ということもあるだろう。個人的にも、そういう経験はある。意外に、男の立場からそれを歌っている歌は少ないように思われる。実際、そのような歌はこの「君は人形」の他には知らないので、時々、聞きたくなることがある。

パートナーの自己チュウ・ワガママが目に余る時にどうするか。その背景を理解できた上で、それが許せるならば、まだ恋愛は続けられるだろうし、もしかするとその情熱が相手を変えていくかも知れない。けれども、理解できなくて許せなくなったら、自分が納得いくように「別れ」という決断もあってよい。きちんと、自分なりに努力した結果であれば、別れた直後は辛く苦しくても長い目で見れば、自分の人生を豊かにする良い経験だったと言える日が必ず来るだろう。

もしかすると、自分の経験が浅く、愛する能力が不足していたために見えなかった…ということもあるかも知れない。けれども、それを次の恋愛に生かすことができるように経験を重ねて、豊かな人間になれれば…と思う。

 

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2006年12月29日 (金)

意外と楽しい遠距離恋愛

帰国している彼女から3日ぶりにメールが届いた。1通目は「メリー・クリスマス」が遅い!! と怒り気味だったが、例の台湾での地震の影響で電話回線やメールがつながりにくくなったり遅くなったりしていることを理解したためか、2通目と3通目は「愛してる」「仕事が終わったら電話下さい」という内容になっていた。

心身がしんどい時には側にいて欲しいとも思うが、忙しいときやこちらの付き合いがある時には相手が出来なくなることもある。そういう時には、近くにいると怒ったり拗ねたり嫉妬したりして後始末に苦労するが、離れていると、信じあわなければ終わってしまうという危機感もあってか、逆に、側にいるときよりも理解がある…と感じられる場合も少なくない。それとも、重ねた時間が「理解」につながっているのだろうか。

その意味で、それぞれが自分の時間を重ねながらも、お互いを信頼しつつ再会を待つ時間はけっこう楽しい。今頃、働いているな…とか、ごはんは何を食べているだろうか…とかを想像しつつ、メールを送る。あるいは、仕事が終わってから電話を入れる。少し、疲れているときでも、電話の声を聞けばほっとして、心なしか元気が出てくることも多い。

さりげなく、自由を謳歌しながらも、信頼する相手のいる立場は心地よい。相手への想いと信頼が続く限り、遠距離恋愛も悪い面ばかりではないと思う。

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