かわいい女・いい女・パートナー
8月上旬に参加した研究会の夕食の時、近くにいた関西の若い女性や関東の若い男性と話していた雑談の中で、かわいい女といい女とパートナーの話に花が咲いた。多少アルコールも入っていたが、×一の男の言葉に対する妙に素直な反応が、なぜかおかしかった。
まず、「かわいい女」だが、アイドルやお人形的な、現実感の乏しさが1つの条件であろうか。ただ、自分の弱さを自覚した上でのズルさはある程度許容範囲で、それは、素直でけなげなところに通じている。アニメ「エヴァンゲリオン」の桂木ミサトなどを「かわいい女」の例に挙げたら、妙に納得されてしまった。
つぎに、「いい女」について。若い女性は、「米倉涼子などはどうか?」と言ったが、即座に却下。理由は、「毒が足りない」ということで、「ルパンⅢ世」の峯不二子や小沢真珠などを例に挙げたら納得されてしまった。毒を持ち、宿命の匂いのする大人の女性…そんな印象なので、モローの絵「オイディプスとスフィンクス」のスフィンクスなども「いい女」の条件にピッタリかも知れない。ついでに、北条司のマンガも話題になったので、「キャッツ・アイ」の長女/泪(るい)や「シティー・ハンター」の冴子などが「いい女」で、「キャッツ・アイ」の愛は「かわいい女」だ…という話は3人で大いに盛り上がった。
そして、「パートナー」。恋人や夫婦の場合は相手がもちろん「パートナー」だが、仕事やさまざまな活動の場面でも、相手を信頼して重要なことを任せられ、もしそれが失敗したら、その結果はどれほど酷いものでも甘んじて受け入れる覚悟ができる相手である。夫婦や恋人の場合は、特に、一緒に日常を積み重ねられる相手であると同時に、異性を感じられる相手でもなければならない。これも、かなり納得されてしまった。
現実を生きていく際には、「パートナー」の存在は大きい。だが、文学・芸術の感受性を刺激するのは「パートナー」よりも「いい女」の方である。すでに人生の後半に差し掛かった今、どのような出会いが待っているのだろうか。
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