2016年2月29日 (月)

春遠からじ

毎年、何かしら忙しい2月が終わろうとしている。確定申告の帳簿整理や申告の事務仕事に苦労するのは毎年のことだが、それでも、自分でエクセルを使って帳簿を作るようになってから、電卓を片手に何度もやり直す手間がなくなって、多少は楽になった。今年も、先週初めに申告を終えたので、2月最大の気が進まない作業は終えたことになる。あと、スケジュール的には、毎年、長年属している教育研究会の関西ブロック集会も2月に開催される。さすがに、全国委員と三重の事務局長という立場からすれば、多少懐具合が悪くても参加……ということになる。今年も充実した研究会で、また、レポート発表や実技講座なども担当していなかったため、こちらとしては、あまり気を使わずに参加できた。ただ、懐具合は、例年より少し厳しい感じで2月を終えようとしている。
懐具合を考えると、どうしても安倍政権の失政・悪政の責任は重いと感じる。消費税の増税と高額所得者や大企業に向けての減税は、格差を拡大する一方で、かえって景気や財政への悪影響が大きい。日本の経済が、もはや内需中心にシフトしているのに、内需を支える中間層を減らし、貧困層を拡大していては、今までに買えた物がどんどん買えなくなり、需要の停滞を招き、企業に設備投資をしようとする意欲を失わせてさらに景気が悪化する悪循環となる。それが進めば進むほど、福祉の経費は拡大しさらなる財政支出を増大させる。マイナス金利政策など、福祉の不備による将来への不安から、投資よりもタンス預金に流れるのが関の山だろう。去年と同じように買い物をしても、税金に持っていかれる分だけ高くなり、「チリも積もれば山となる」ということわざのごとく結局可処分所得が減ることになる。懐具合の悪化は、それによる部分も大きいと言えよう。
暦の上では、明日から3月。春が来る。けれども、安倍政権がのさばる限り、国民の春はまだまだ先の話であろう。

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2016年1月31日 (日)

冬の一日

数日前から、治療した歯の近くの歯茎が痛む。風邪の時などに、時々このようなことがあるので、熱もなさそうだし、のどの痛みなどもないのだが、今日は大事を取って津に出かける予定をキャンセルした。といっても、本来、寝込むほどではないので、何かちょっとした用があるとゴソゴソと動き出したり、服を着替えて近場に出かけたりもしたのだが……。
こちらよりも、日本の政治や経済の方が大事かもしれない。失敗の度合いが強い新自由主義経済政策に固執して、失敗を認められない無能政権とその太鼓持ちは、マイナス金利まで導入しようとしている。株価の指標だけが口実になりつつある現政権は、その維持だけのために勝手に国民年金の資金をつぎ込んでミスをして、さらに株価維持のためにマイナス金利にまで手を付けて、預金へ回るはずの資金まで、無理やり株価に振り向けたいということだろう。しかし、新たな発明や発見や開発もなく、労働者の可処分所得を無理やり少なくし続けたツケが回っていて、設備投資などに振り向ける判断ができない。したがって、こちらの方は、まだまだ冬が長くなる…あるいは厳しくなりそうな気配である。
ただ、今日一日については、気温は結構高く、それなりに日差しもあって、車の中にいれば、ぬくぬくと温まった。おとなしく布団の中に入っていても、わりと温かかった。よい骨休みの一日になったかもしれない。明日からは、また外仕事が続く。今日は早めに寝て、明日に備えよう。

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2015年12月31日 (木)

第九を聞きながら

父を連れて地元の八雲神社にお参りをしたあと、着替えて、紅茶を飲みながらベートーベンの第九を聞いている。歳を重ねるほどに、一日一日が早く過ぎるように感じ、今年もあと数時間余りで終わろうとしている。この数日は、最終の仕事の後、たまっていた本を読んだり、DVDを見たりして、どちらかと言えばダラダラと過ごした感じである。やろうと思えば、いくつかやっておきたいこともあるのだが、どうもエンジンがかからない。その辺りは、歳をとったが故のエネルギーや集中力の低下が確実にあるのだろう。
個人的に振り返れば、失業期間もあれば、いくつか仕事も変わったりして、必ずしも「いい一年」とは言えなかったかもしれないが、最悪の状況にはならず、今まで続けてきた「金にならない」ことも、特に縮小することもなく続けられた。しばらく出してなかった小説の公募にもチャレンジしたりもできた。結果自体は一次予選を通過しただけであったが、改めて書き直す視点も見つかり、再度加筆訂正を進めたいという気になった。素直によいことだと思う。
その一方で、日本の現状にはかなり危機感がある。私自身は自民党も新自由主義もペテンだと思っていたが、一般的には経済だけは期待された安倍政権もその政策の失敗が明らかになってきた一年であった。経済的にも大企業優先の格差拡大を推し進めた結果、あの民主党政権にも劣るような経済の停滞・縮小の結果になっていることがデータからも明らかになってきたが、何よりも違憲選挙で選ばれたたかが一内閣の分際で、憲法違反を繰り返し、沖縄の民意や、法治主義・立憲主義を無視して平和主義を放棄しようとする、前近代的な軍国主義政策と福祉の切り捨て、財政危機を口にしながらの軍備増強や対外的な大盤振る舞いにはあきれ果てた。そのやりようは、国の歴史や伝統を破壊し、国を危うくする対米売国奴としか映らなかった。少なくとも、日本の未来を考えれば、安倍・自公政権にまかせてはおけないことだけははっきりとした一年だった。
あと数時間で新しい年が始まる。今年よりも良い一年となるように心から願いたい。

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2015年10月31日 (土)

風邪

朝晩が急に冷え込んできた。布団の中にいても寒いと感じる明け方が出てきたが、早朝や夕暮れ時に海沿いや川沿いで仕事をしていると、ちょっと強い風に身震いをすることがある。数週間前には、10月になっても25℃を超える日が何日もあることがニュースになっていたが、さすがにここにきて、本格的に秋の気配が感じられるようになった。
そのせいかどうかは知らないが、この数日、のどにいがらっぽさが感じられ、鼻づまりやクシャミが出てきている。熱が出て寝込むほどではないが、どう見ても風邪のひきはじめという感じだ。そう言えば、今月はけっこう忙しかった。昼の仕事で12時間の日がけっこうあったし、講演もしにいった。同人誌の編集や発行、発送作業もあったし、全国研究会の原稿依頼もあってそれも書いた。そう考えると、少しがんばり過ぎたのかもしれない。
風邪の症状は、こんな時に「休みなさい」という身体の声である。もちろん、明日も早朝から仕事が入っているし、休みをとった明後日もいろいろと予定がつまっている。それに穴をあけるつもりはないので、薬も飲んでおくが、せめて今夜は、暖かくして早く眠ろう。

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2015年8月31日 (月)

八月が終わる

今日でもう、八月が終わる。上旬は仕事が結構忙しかったのと、暑かったので、なかなか大変だったが、中旬は昼の仕事がほとんど休みで、けっこうボゥ~と過ごしてしまった。仕事以外でもやらねばならないことがいくつかあるが、どうも、順調に進まない。体力と集中力の衰えは、さすがに「そろそろ歳だからなあ」という感じではある。そして、それゆえに「まあいっか」となってしまう。これがちょっと曲者だと最近は思う。

あまりがんばり過ぎるのはもちろんよろしくないが、あまりユルユルもマズイ。少し、心を入れ替えてがんばろうという気持ちにはなるのだが、結局長続きせず、月末まで来てしまったようである。エンジンのかかりが悪くなったが、まだ、エンジンさえかかればそれなりにやれるし、やっていく中で楽しさも感じられる。少しばかり暑さが和らいできているのも、ある意味では朗報だろうか。そろそろ心を入れ替えて、とりあえず、やり残しているものに手を付けなければ。

明日からは九月。早朝、東の空にオリオンが上がり始める時期である。今日は、雲も多く、きれいな星空とはいかないが、秋の星空は結構好きだ。季節は、少しずつ秋に向かっている。

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2015年6月30日 (火)

夢を見ること

最近、体力的な疲れによるのか、早起きの日が増えたことによるのか、あまり夢を見なくなった。もちろん、それなりに睡眠は確保しているので、まったく夢を見ないということはありえないのだが、何というか、起きてからも覚えている印象的な夢がほとんどないのだ。多少は、「夢を見た」という事実の記憶だけはあるので、精神衛生面でどうこうという不安や心配はない。唯一、困ることと言えば、カウンセリング関連の夢分析のゼミに提出する「夢」に苦労するということくらいだ。その意味で、特に実害があるわけではない。
ただ、個人的には、何となくつまらない……という印象はある。完全に目を覚ます寸前の夢とうつつを行き来するような感覚が昔から好きで、その中で浮かんでくるイメージを詩や小説を書く際にはいろいろと利用していた……ということがあるからだ。意識そのものに縛られない、その時間の感覚は、けっこう楽しい。そこには想像と創造のヒントがあふれているのだ。
仕事が体力を使うものに変わり、身体がまだまだそれに慣れていない……ということもある。ある程度、身体が慣れたら、また休日などを中心に夢も復活してくるのだろうか。とりあえず、明日は休日。早起きをせずに惰眠をむさぼろうと思う。

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2012年8月31日 (金)

やっと発送

7月が忙しかったので、大幅に遅れた同人誌の発行……。ようやく発送作業が終わり、明日には投函ということになる。今回は、本当にようやくたどり着いた……という感じである。ただ、今の仕事を続ける限り毎年7月は多忙を極めそうなので、とても編集は無理。ということで、原稿の締切そのものを3か月ずらして、7月末と1月末にすることにした。こちらの都合で勝手にずらす訳だが、他の同人仲間が代って編集してもらえる状況にはないので、まあ、致し方のないことだというべきか。
それでも、何とか続けられる……というのは悪くない。最近は、なかなか新作の小説や童話を書く時間が散れないが、詩やエッセイなどは何とか書く時間を作っている。それだけでも、けっこう精神的にはプラスとなる。文学関係の創作活動をする時間そのものが、心を安定させてくれるからである。できれば、新作の小説や童話を書きたいのだが、書くためにはかなりの精神的な集中が必要になる。が、そこまでの集中はけっこう難しいし、何よりも集中のための時間もそれなりに必要となる。ところが、その物理的な時間の確保が、今の状況では困難なのである。
だからといって、収入を得るための仕事を辞める気がある訳ではない。まだまだ慣れないところもあり、けっこう混乱もするが、悪い仕事ではないし、慣れてきたらもう少し時間を工夫していきたい。
そろそろ夏も終わりに近づいてきている。とりあえず、次の締切までに作品を書いていきたい。

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2011年5月 3日 (火)

アラバマの竜巻

アラバマの友人からメールが届いた。アメリカ南部も先月末に嵐と竜巻の被害にあり、多くの被害が出ているという。友人本人と家族は無事だったということだったが、街は竜巻で多くの被害が出ているという。何かできることはないか…と思うのだが、今のところ名案は浮かばない。

東日本の災害には、高校時代の友人がボランティアに出かけている。だが、私自身はそれが出来るだけの時間的・経済的なゆとりがない。日本国内ですらそうである。遠く離れたアメリカのアラバマ州ではいっそう、どうしていいか。

何にしろ1人では出きることは知れている。とりあえず、友人知人の知恵をかりて、できることを探したいと思っている。

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2011年1月 1日 (土)

新しい年は明けたが

謹賀新年

 

新しい年が明けた。とは言っても、特に新しいことがある訳ではない。雑煮を食べ、サッカーを見て、TVやDVDを見て1日が終わろうとしている。平和な元旦である。ただ、日本列島に居座っている寒気の影響で、日本海側は大雪である。米子など、研究会などで交流のある人たちも住んでいるので、悪影響が出ていないか心配ではある。

とは言っても、心配できることは自分自身に余裕があることなのだろう。その意味では、社会や経済でも、本来、お金や生活に余裕のある人は、心の余裕を持って他者と接することや他者を助けることが出来るはずなのである。ところが、必ずしもそうとは言えないところが今の日本の社会にはある。今年は、それが少しでも改善されて欲しいものである。

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2010年12月31日 (金)

年の終わりに

今年も残りあと1時間を切った。個人的にはそれなりにいろいろなことがあったが、おおむね大過なく過ぎたのではないかと思う。ただ、日本は変革期のうねりの中で嵐の中の木の葉のように不安定な一年を過ごした。政治的にも、経済的にも、社会的にも……。それは、ある意味では危機であり、苦難・困難は弱い者により激しく牙を剥き、我が故郷の街でも、少し気をつけて見てみれば身近な人々がシンドイ中で日々を生きている。

友人の中にも経済的な苦境の中で忍耐の日々を送っている者がいるが、彼らに比べれば私自身は、経済的には昨年よりは多少はマシな1年だったが、それ程生活に余裕がある訳ではない。ただ、毎日を失業することもなく、餓えることもなく、凍えることもなく暮らせたというところか。

経済的には何とか生きてこれたが、振り返ってみると、そろそろ「時」がきつつあるのかな、という予感があるような出来事もいくつかあった。自我が「したい」と欲することでなく、必要とされる大きな「流れ」のようなものに沿って、苦闘しつつも努力を続けて、いつの間にか、何かに導かれているように感じる…というようなところか。「おおむね大過なく…」という言葉は使ってはいるが、小さな危機はいくつもあった。それを何とか越えてきたかな…という気はするが、成熟のための課題はまだまだたくさん残っている。それらは、結局は来年に持ち越すことになる。

身体も1年ごとに衰えていく。記憶力や集中の持続、出会ったさまざまなことやものへのフレッシュな感受性なども20年前、10年前よりも確実に低下している。けれども、それなりに歳を重ねたことによる知恵はいくらか付いてきたのではないか、と思っている。それを生かしながら、樽の中で熟成していくウイスキーのように、良い歳の重ね方をしていきたいと思う。

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