2009年12月15日 (火)

空気人形…からっぽの心

昨日の夜、無理をして映画を見にいった。監督・脚本・編集は是枝裕和、主人公の心を持ってしまった《空気人形》を演じるのは韓国の女優、ぺ・ドゥナである。性的欲望の処理のために作られた「空気人形」が心を持ってしまう…そのようなシュチュエーションで思い出すのは、眉村卓の小説『わがセクソイド』や桂正和のマンガ『電影少女』だが、それらとはまた異なったファンタジックな映像が、心を持った「空気人形」の哀しさと、周囲に生きる人間たちの空虚さを鮮やかに描きつくしていた。

ノゾミと名づけられて持ち主のファミレス店員の男と毎晩ベッドを共にする《空気人形》。ある朝、心を持ってしまって動き出し、アパートを出て街を歩き出す。そして、様々な心に空虚さを抱えた街の人たちと出会うが、たまたま足を踏み入れたビデオ店の店員をしている青年と出会い、恋をしてしまう。そして、そのビデオ店でアルバイトを始める《空気人形》。普通の女の子のように少女から娘、そして大人の女へという成長を経験できなかったが故の「日常生活」との距離感は、どこかしら「新世紀エヴァンゲリオン」の「造られし少女」綾波レイのイメージとも重なる。無垢で、新鮮で残酷な視線が、日常を暮らす人々の空虚な心を浮かび上がらせる。《空気人形》は身体は「空っぽ」だが、周囲の人々も心の中に「空っぽ」を抱えながら生きているのだ。

けれども、「空っぽ」の心は、人間にとってはある種の比喩に過ぎないが、《空気人形》は人としての成長の経験を持たないがゆえに、比喩を理解できる知恵がない。それゆえに【言葉】をストレートに受け止め、「誤解」をしていく。その誤解が彼女を哀しい【事件】へといざなう。そして、ラストの選択が、愛に殉じての死なのだとすれば、この物語はまさしく恋のファンタジーである。

ただ、人としては、たとえ心に「空っぽ」を抱えていても、精一杯生き続ける現実が愛おしいとも感じる。しかし、生き続ける為には、もしかしたらこんなファンタジーも必要なのかもしれない。

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2009年10月 3日 (土)

ウルトラマン印象記…果てしなき逆襲

科学特捜隊インド支部から休暇で日本に訪れたパティ隊員。ところが、灼熱怪獣ザンボラーが現れて、パティ隊員の休暇は散々なことに……。けれども、彼女は言う、「私はもう、日本の名物を三つも見ました。地震、怪獣、ウルトラマン」と。40年以上も前に放映されたものであるにも関わらず、今でも印象深く覚えているそのシーン。それは、パティ隊員を演じた真里アンヌのエキゾチックな美貌にも因るのだろう。そして多分、ウルトラセブンのアンヌ隊員のネーミング/由里アンヌにも、彼女の存在は大きく関わっているのに違いない。

印象としては、圧倒的にパティ隊員の存在感が強いが、森林や丘陵を開いて、工場や宅地が作られていくことに対する自然の怒りの象徴が、灼熱怪獣ザンボラーである。ザンボラーは山を割って出現し、宅地造成中の工事現場を襲い、周辺を火の海にして、さらに近代的な大工場も破壊する。ザンボラーの発する高熱は、自然破壊に対する怒りの炎なのである。だから、自然破壊を進める人間社会にたいしての「果てしなき逆襲」ということになる。それは、40年以上もの時を隔てた今は、「空想特撮」の《怪獣》ではなく、地球温暖化の影響の1つとしてささやかれる大型台風/ハリケーンや洪水の頻繁な発生という形になっているのではないだろうか。

ザンボラーは工事現場や工場を破壊し、周辺一帯を焼き尽くしたが、結局、ウルトラマンによって倒された。だが、ザンボラーに代わる巨大台風/ハリケーンや大洪水の頻発を前にして、その問題を解決してくれる《ウルトラマン》は現実の私たち人類の前にはいないのである。

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2009年8月15日 (土)

今年も「ビルマの竪琴」

毎年、終戦記念日の頃になると、「ビルマの竪琴」が見たくなる。昨年はビデオデッキが壊れていて見ることができなかったが、今年は、古いVHFのテープを取り出して夕方から見出した。何度も見ている映画だが、何度見ても胸を打たれる。若き頃の中井貴一が多感で純真な水島上等兵を好演し、石坂浩二が隊長の役を演じて全体の雰囲気を支えている。

第一のエピソードは、歌による和解である。水島たちがタイへの脱出の途中、ビルマ(現ミャンマー)国境近くの村でイギリス軍に囲まれる。それに気付いた部隊は、広場に置きっぱなしだった弾薬を積んだ荷車の回収と、戦闘準備の時間を稼ぐために歌を歌い、騒ぐ。包囲に気付いてないとイギリス軍に思わせ、油断させるための作戦だった。ところが、たまたま歌った「埴生の宿」が状況を一変させる。その歌に、イギリス軍も声を合わせて歌いだし、結局それが停戦を知り、武装解除して生きながらえることになるのである。

映画ではこの辺りはさらりと流れていくだけだが、原作では、「埴生の宿」はもともとはスコットランド民謡で、その歌詞も遠い地から故郷を思うものであったことが書かれている。だから、両方の部隊がメロディーを知っていて、英語と日本で歌いだす…という場面の説得力が生まれる。もちろん、現実の近代戦争ではこのような牧歌的なことは起こり得ないだろうが、それゆえに一層胸に染みる。

次のエピソードは三角山で抵抗を続ける日本軍の部隊に水島が説得に向かうところから始まる。水島は必死に説得するが、指揮官はそれを受け入れず総攻撃が始まってしまう。戦闘に巻き込まれた水島はビルマの僧に助けられる。水島は、ビルマ僧の服を盗んで、ムドンに移動した隊に合流しようとするが、途中で、山や川に放置されているたくさんの日本兵の遺体を目にして、彼らの埋葬と鎮魂のためにビルマに残る決意をする。

それを知らない部隊の戦友たちは、水島がビルマ僧に化けて近くにいると察し、水島に一緒に日本に帰ろうと呼びかけるために歌を歌い続ける。その行動に、水島の心も揺れるが、部隊が日本に帰る直前に戦友たちの前に姿を見せ、別れの曲として「仰げば尊し」を演奏して姿を消す。翌日、水島から彼の思いと決意を述べた手紙が隊長宛に届く。帰国の船上で、隊長は水島の手紙をみんなに読んで聞かせる。

後半は、犠牲者への鎮魂である。近代以降の戦争は敵・味方に関係なく、多くの犠牲者を出している。それは、戦闘員(軍人)・非戦闘員(一般市民)を問わずに…である。そして、多くの犠牲者がそのまま放置されることもまれではない。そうした人々への鎮魂の思いをこの映画はいつも思い出させてくれる。太平洋戦争は終わったが、世界全体を見渡せば、まだまだ戦火や紛争は続いている。終戦記念日の今日、鎮魂の思いを新たにすると共に、不戦への努力を続けていきたいものである。

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2009年6月16日 (火)

優駿/ORASION…決断と祈り

先日、久しぶりに20年ほど前の映画のVTRを見た。緒方拳と緒方直人の親子が競演している映画で、宮本輝の同名小説が原作の「優駿/ORASION」(1988年・日本/フジテレビ開局30周年記念作品)。仲代達矢や田中邦衛、石坂浩二などの名優や吉岡秀隆なども出演し、それぞれの持ち味を生かして好演している。

出演者の中で違和感を覚えるのは、和具工業の社長令嬢を演じる斉藤由貴だ。映画によっては持ち味を出しているのだが、この作品に関しては、ところどころで好演は見せるものの、全体のイメージとしては原作の物語と比較して少し泥臭さを感じさせる。私なら、同年代の渡辺典子か原田知世辺りをキャスティングしたかった。もう少し都会的に洗練された感じと意思の強さを併せ持つ味わいを出せれば、より一層面白い映画になったと思う。

ただ、物語としてはしっかりしている。風の強い日に北海道の小さな牧場・渡海ファームで生まれた一頭の仔馬。それは、牧場の息子・渡海博正(緒方直人)が初めて責任を持って世話をした仔馬である。和具工業の社長・和具平八郎(仲代)がこれを買い、オラシオン(スペイン語で《祈り》の意味)と名付けられる。だが、家族の中での様々な事情によって、その所有権は娘の久美子(斉藤)に、そしてさらには久美子の母親の違う弟であり腎臓に障害を抱えて病院から外に出ることすら出来ない田野誠(吉岡)へと移る。

運搬中の交通事故で前足に故障の危機という「爆弾」を抱えたオラシオン。けれども、渡海親子(拳・直人)や、久美子や誠、砂田調教師(田中)たちの思いを乗せてオラシオンは走り続ける。その背後で様々な運命が渦巻く。誠の死、平八郎の社長解任、渡海千造(緒方拳)の癌……。1800までは抜群の速さを誇るが2000以上では勝てなかった母親の戦績と前足の爆弾。それを思ってダービー出走を躊躇する博正や砂田。だが、久美子の決断と説得で、人々は日本ダービーへオラシオンを送り込む。ダービーの日を前に千造は亡くなるが、千造の、そして久美子や博正、砂田たちの想いを乗せてオラシオンは疾走する。そして……。

原作では、騎手の想いも丁寧に描かれているが、映画という枠の中では十分に寝られた作品であり、緒方親子をはじめとする俳優たちの熱演も光っている。政治の世界では「世襲」が問題になっているが、実力と才能があれば不満は出ないだろう。給付金の問題でも郵政の問題でも、麻生首相に久美子のような決断力があれば、また異なった結果となっただろう。能力のない人間が「世襲」しているから、「決断」が先送りされて状況が改善されずに悪化していくのである。映画を楽しむ心の隅で、そんな考えが頭を過った。

疾走するサラブレッド、そして北海道の美しい風景。2時間8分という時間を長いと感じさせない映画である。

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2009年6月 2日 (火)

ウルトラマン印象記…侵略者を撃て

ウルトラマンのシリーズでもっとも有名かつ人気のある宇宙人をあげるとすれば、多分、バルタン星人だろう。バルタン星人は「ウルトラマン」以外にも、「帰ってきたウルトラマン」や「ウルトラマン・パワード」等のシリーズにも登場するが、最初に登場するのがこの「ウルトラマン」の第2話である。

バルタン星人は、マッド・サイエンティストの核実験によって母星を破壊され宇宙を放浪している。地球の近くで宇宙船が故障して、その修理のために必要なダイオードを求めて地球に立ち寄るが、地球の環境が彼らにとって住みやすいということで地球を侵略しようとする。

この設定は、「宇宙船艦ヤマト」のガミラスとも似ている。ガミラスも、母星ガミラスが惑星としての寿命がつきかけていて海が強酸化して生存環境が悪化しているため移住の地を求めて侵略の手を他の星に伸ばしていた。その意味では、ガミラス人にとってデスラー総統は偉大な指導者であり、英雄であった。

もし、地球人がバルタン星人やガミラスと同じ立場に立たされたらどうだろう。多分、他の星を侵略をしてでも生き延びようとする選択に異を唱えない人の方が多数を占めるのではないだろうか。なぜなら、我々の地球は、もっと些細な理由で戦争を繰り返しているからである。

さて、バルタン星人の登場に際し、科学特捜隊のムラマツ隊長の慎重論に対して新兵器ハゲタカ(核ミサイル!?)の威力に絶大の自信を持ち攻撃を主張する声が上がる。そして侵略宣言とバルタン星人の巨大化に対しハゲタカを発射するが、バルタン星人には何のダメージも与えることは出来なかった。戦後21年目の昭和41年の夏から放映されているウルトラマンでのこうした《核》の扱いはなかなか感慨深い。核兵器は惑星をも簡単に滅ぼす一方で、侵略者に対して必ずしも絶対的な抑止効果は持たない……というメッセージあるいは製作者たちの思いがわずかなエピソードの中から見えてくるようである。

この回では、バルタン星人はウルトラマンのスペシウム光線によって倒され、バルタンの宇宙船もウルトラマンによって宇宙に運ばれ爆発する。そのセミをモチーフにしたインパクトの強い形状や分身・静止光線など多彩な武器で人気の高いバルタン星人だが、「核実験」のニュースが世界を駆け巡る今日において、いろいろと考えさせてくれるエピソードである。

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2009年5月25日 (月)

ウルトラQ印象記…ゴメスを倒せ !

久しぶりに古いビデオを見た。「ウルトラQ」である。「ウルトラマン」以前の円谷プロダクションの作品でデジタルどころか白黒映像である。けれども、白黒写真が独特の味わいを持つように、意外と奥行きを感じる面白い映像となっている。そして、ウルトラマンでフジ隊員を演じた桜井浩子も若々しい動きも魅力的である。また舞台となったトンネル工事現場の風景も、妙に懐かしい感じがする。さて、最初にテレビで見た子どもの頃には気づかなかったが、ゴメスの着ぐるみは、ゴジラを改造して作られたことが顔や手足や尻尾から良く分かる。そういうところも、久しぶりに見ると楽しい。

さて、物語は東京と大阪を結ぶ弾丸道路のトンネル工事現場で、アル中の男がトンネルの奥から出てきた穴の中に光る眼を見る。実はそれがゴメスだったのだが、発見者がアル中だったためにその言葉は信頼されなかった。ただ、その現場から隕石とも化石とも見えるような謎の物体も出てくる。工事現場に出入りしていたジロウ少年は記者と共に神社の古文書を見て、工事現場の光る眼の正体がゴメスであり、謎の物体がリトラのサナギ(!?)ではないか、と予想する。ゴメスによって工事は停止し、桜井浩子が演じるカメラマンは洞窟に閉じ込められてしまう。

ゴメスは洞窟の奥からトンネル工事現場に出現して暴れ出す。一方、ジロウ少年はリトラのサナギを温め、中からリトラが出てくる。サナギから出たばかりのリトラは最初動かなかったが、ゴメスの出現とジロウ少年の必死の呼びかけの中で大空に羽ばたき、ゴメスと戦う。ゴメスの鋭い爪やしっぽに痛めつけられながらもリトラは鋭いくちばしでゴメスの眼を突き、口から溶解液を出してゴメスを倒す。だが、リトラも戦いに力尽き、死んだゴメスの上に折り重なるように倒れ絶命するのである。

わずか30分にも満たない時間に多くのエピソードを詰め込んでしまっているきらいは無きにしも非ずだが、その映像そのものが何ともいえず懐かしい。

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2009年2月 5日 (木)

コスモタイガーⅡ…ヤマトの艦載機

宇宙戦艦ヤマトの艦載機と言えば、すぐ、コスモタイガーⅡが頭に浮かぶ。実は、コスモゼロ、ブラックタイガー、新コスモゼロなど、ヤマトにもいくつかの艦載機が登場するのだが、もっとも好きなのが、コスモタイガーⅡである。コスモタイガーⅡは、映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」から登場し、その後のTVシリーズのすべてと映画の「完結編」までヤマトの主力艦載機となるが、実は、単座タイプ(1人乗り)と3座タイプ(3人乗り)があり、登場回数は圧倒的に単座タイプが多いが、3座タイプは白色彗星帝国との戦いの際、空間騎兵隊を乗せてその内部に突入する際に使われている。

艦載機としては、銀河英雄伝説に登場するワルキューレやスパルタニアン、キャプテンハーロックのアルカディア号のスペースウルフ、マクロスのバトロイド・バリキリー、宇宙空母ジャスダムの巨大艦載機でダンガードAに変形するサテライザーなども思い浮かぶが、そのシャープなイメージの割には曲線も多い洗練されたフォルムと、大気圏/宇宙空間と場所を選ばず使用可能な汎用性、機銃で敵艦を破壊する攻撃力(?)、なかなか撃墜されない強さ(?)など、突っ込みどころも多いトップクラスの高性能は相当魅力的だと言えよう。

同じヤマトの艦載機でも、最初のブラックタイガーはどこかしらやぼったいデザインであったし、初代コスモゼロは、松本メカとしては納得できる仕上がりだったが、それゆえにごつごつした感じもあってシャープさという点では今ひとつという印象だった。が、コスモタイガーⅡは、松本メカのエッセンスを持ちながらシャープで洗練されたデザインであり、それを見た瞬間、プラモデルを作りたくなった。当時はいくつかの事情があってその夢は適わなかったが、現在my roomには4機のコスモタイガーⅡがブラックタイガーや宇宙戦艦アンドロメダなどとともに並んでいる。うち2機は、アフターバーナーのカラーリングが異なる山本機(単座タイプと3座タイプ)である。

このコスモタイガーⅡに乗って宇宙を飛行することは絶対に叶わないが、それでも、コスモタイガーⅡに乗って宇宙や大気圏を飛行する事を想像すると心が躍る。多分、その速度に耐えられるほどの力はこの肉体にはないだろうが、そのスピード感は、そのデザインを見ているだけで味わう事ができる。メカとして、ヤマトに次ぐ登場回数を誇るのもうなずける戦闘機である。

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2009年1月 9日 (金)

再び【DAVE】…完全雇用を目指して

昨年の1月にも取り上げた映画だが、この社会・経済情勢の中でもう一度取り上げたい映画、それが【DAVE】である。伊勢にある個性的で良質の映画を上映している進富座という映画館で何気なく見て感動し、LDとDVDを買ってしまった映画である。1993年製作、監督はアイバン・ライトマン、主演はケビン・クライン、シガーニー・ウィーバーも大統領夫人エレン役で共演している。

ストリーは、大統領の物まねと仕事の紹介で生計を立てているDAVEが脳溢血で倒れた大統領の替え玉として首席補佐官ボブに操られていたのが、持ち前の優しさと大統領夫人エレンへの想いの中で目覚め、ボブと対立した後、人々の為に完全雇用法案を提出するが、ボブの逆襲にあって彼と刺し違える形で元の生活に戻るが、ナンス副大統領がその意志を受け継ぎ、DAVE自身も人々の生活を守るために政治家としてのスタートラインに立つためにDAVEとして地方議員に立候補をする……というものである。

ヒスパニックなどの弱者の側に立って仕事を斡旋するDAVEは、どこかの国の悪質な人材派遣会社とは違って、それだけでは生計は立てられないので、大統領のモノマネ・ショーで収入を補っている。だからこそ、雇用の大切さを痛感している。ボブとの決裂の後、完全雇用法案の提案の演説をするDAVEの姿は、しんみりとした中に深い思いやりを感じさせながら、説得力があり、取材陣の中からも「Thank you Mr. President !」という声が上がる。個人のレベルでも、社会的なレベルでも、雇用の大切さを再認識させてくれる、地味だが感動的なシーンである。

ホームレスの子どもたちの施設を訪問した後、ボブの画策したホームレス施設への予算削減を撤回する閣議のシーン、国会での演説の途中で倒れて大統領の影武者を降りた後、ひっそりと去っていくシーンなど、胸を打つシーンは多い。その意味において、難しいことを考えなくても映画として楽しめる作品である。けれども、ただ楽しいだけではなく、後の余韻も深い映画である。

その余韻の1つに、「完全雇用政策」がある。働く意志と能力を持った人々が、失業によって生活を脅かされることなく、安心して働くことのできる社会は健全であり、モラルも治安も税収も安定してくる。普通の人が普通に働けば普通に生活でき、家族との交流を深めながらもボランティアもできる社会こそが目指されるべきなのだ。小泉「改革」後の日本やブッシュ政権下のアメリカで軽視され、ないがしろにされていった理想である。けれども、その結果がどうなったか。多くの人々が実感していることだろう。

映画【DAVE】はフィクションである。けれども、そこには求められるべき社会の姿も描かれている。この映画からのメッセージをきちんと受け止め、多くの人々が幸せに暮らせるような未来につながる決断や選択をしていきたいと思う。

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2009年1月 3日 (土)

ウルトラセブン印象記…北へ帰れ

いつになく穏やかな年末年始の休みに、久しぶりにゆったりとTVやDVDを見ることができた。サッカー天皇杯や高校サッカー、映画、そしてウルトラセブン……。今回は、フルハシ隊員がドラマの中心となる「北へ帰れ」について書いてみよう。

お母さんが病気だという知らせを受けて実家へと急ぐフルハシ。妹の話でそれが彼に牧場を継がせようとしてお母さんがついた嘘だと知ったフルハシは、結局、家には帰らず地球防衛軍の基地へと戻っていく。おりしも、北極上空で謎の飛行機衝突事故が発生する。フルハシはその原因を突き止めるべく、北極上空に向う。が、フルハシの乗るホーク3号が突然、操縦不能に陥る。同じように、前方からは、操縦不能になった旅客機が迫る。

ほのぼのとしたシーンが一変して緊迫したドラマになるが、実は、この話の中では、カプセル怪獣ウィンダムが敵のカナン星人に操られてウルトラセブンと戦うシーンも出てくる。その戦闘シーンはけっこうユーモラスでもあるが、フルハシを中心としたドラマは緊迫感と温かな家族愛にあふれ、なかなか見ごたえがある。

フルハシの機体の異常と旅客機の接近を知ったキリヤマ隊長は、フルハシを脱出させてホークを自爆させ、旅客機を救おうとするが、脱出装置も作動しない。そんな中、フルハシのお母さんがフルハシを説得しようと北海道からやってくる。本来は家族といえども民間人は司令部には入れないのだが、キリヤマ隊長は、せめても…とフルハシと母親を交信させるべく、彼女を司令室に招く。

旅客機を救うためには…という思いで、苦悩の選択をしようとするキリヤマ隊長とフルハシ。何も知らない母親とフルハシの何気ない会話は、フルハシの覚悟と彼の母に対する思いを伝えてくれる。結局、間一髪のところでカナン星人はセブンに倒され、フルハシの機体のコントロールは回復し、彼は無事に帰還する。その間に、フルハシの真剣な姿を目の当たりにした彼のお母さんは、何も告げずに北海道へと帰っていく。

奇跡の生還を果たしたフルハシが司令室に帰ってくると、キリヤマ隊長は即座にパトロールを命じる。最初は、「疲れているのに…」という顔をしたフルハシだったが、場所が北海道上空と聞いて、笑顔でパトロールへと向うのだった。

たった30分弱のドラマの中に、家族への思いや責任感について考えさせられるシーンがたくさん詰まっている。戦闘シーン/アクション・シーンは派手ではないが、じっくりと見せてくれるなかなかの小品となっている。

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2008年10月23日 (木)

ウルトラセブン印象記…宇宙囚人303

ウルトラ警備隊の超兵器と言われてまず頭に浮かぶのは3つに分かれての攻撃ができ、地球上ばかりでなく宇宙空間をも飛行する能力を持つウルトラホーク1号である。「宇宙囚人303」については、このウルトラホーク1号の印象が強いストリーとなっている。

冒頭、狩猟に来ていたハンターが謎の怪物に襲われる。その頃、地球防衛軍の宇宙ステーションV3が冥王星外からの謎の電波をキャッチする。それは、キュラソ星から、囚人の脱走を知らせる通信であったことが判明し、ハンターはその囚人によって襲われた地球人の最初の犠牲者だったのである。ウルトラ警備隊はガソリンスタンドからの急報を受けて出動し、囚人303号が乗ってきた宇宙船を破壊するが、警戒中にアンヌ隊員が捉えられて操られホーク1号β号を奪われる。

この事態に際し、ダンはホーク1号をドッキングさせてβ号に乗り移る作戦を進言する。その進言は作戦として実行に移され、β号を追ってα号とγ号が出撃する。後ろから回り込んでドッキングしたα号とγ号は、苦心の末にβ号とのドッキングに成功する。そして、アンヌ隊員の救出に成功するが、囚人303号の反撃でβ号が燃え始める。ダンはβ号を切り離させるとウルトラセブンに変身し、墜落していくβ号から脱出する。囚人303号は体内のガソリンに火がついて自爆してしまう。ダンは、地球でも多くの人を殺害した囚人303号に、「逃げ場は無い」「宇宙でも地球でも正義は1つなのだ」と叫ぶ。

だが、ブッシュの始めた「テロとの戦い」によって、今の地球上においては必ずしも「正義」が1つではないことを私たちは知ってしまった。例えば、ブッシュ政権によって「敵」とされたアフガニスタンのタリバンは、学校の建設などの日常活動によって多くの民衆の支持を得ていた。アフガニスタンでタリバンがまた勢力を伸ばしているのは、ブッシュ政権の言う「正義」がアフガニスタンの民衆には「正義」ではないからである。もしかしたら、利害や欲望を超えたところに地球の多くの人々が納得できる「正義」を打ち立てることは時間をかければできるかも知れないが、少なくとも今は無理である現実が存在する。

それを考えると、ウルトラホーク1号のアクションを楽しめるが、少しほろ苦い感じの残る話である。

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