2017年2月 1日 (水)

分断は以前から

トランプ大統領の一部の国の難民やイスラム教徒を名指しするかのような入国拒否の大統領令が大きな波紋を広げている。多くの人々が指摘するように、それは中東の人々やイスラムについての差別であり、社会の分断につながる…との指摘は、特に反論する気はない。だが、日本の報道を見ていると、どこかしら違和感がある。それは、今までは《分断》がなかったかのように聞こえるからである。
 
なぜ、トランプ大統領がこのような大統領令を出したか、と言えば、選挙での公約が絡んでいるし、その公約ゆえに彼を支持した多くのアメリカ国民の存在があったからだろう。ではなぜ彼らはそれを支持したのか。それは、経済格差による《分断》によって、彼らが相当なまでに痛めつけられていたからである。
 
経済格差も、大きな分断を生む。その分断が世界中でのテロを呼び起こしているのである。とするならば、分断の解消のためには、経済格差の問題に取り組む必要がある。それは生半可なことではないが、その事実に目を背けていては、分断は拡大し、更なる人権侵害や暴力、テロを生むだろう。これは、アメリカだけの問題ではない。ヨーロッパも日本も、世界のあらゆる国々が取り組まなければならない緊急の問題なのである。

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2016年12月28日 (水)

平和への誓い

首相が真珠湾での慰霊から帰国した。真珠湾攻撃の犠牲者に思いをはせ祈るとともに平和への誓いを新たにする……というのは良いことだと思う。ただ、真珠湾攻撃の犠牲者の多くは戦闘員(軍人とその関係者)であり、平和への道を開くのであれば、非戦闘員…つまり一般の人々に対する犠牲について、より謙虚な言動が望まれる。いわゆるアジア諸国における民間人の犠牲者である。
 
例えば、日本はアメリカ軍による空襲や原爆投下、沖縄地上戦によって、多大の民間人の犠牲者を出している。だから、国民はヒロシマ、ナガサキ、沖縄、や東京や名古屋などへの大空襲を忘れていない。被害者・犠牲者は忘れないのである。そして、非戦闘員に対する無差別攻撃は、決して忘れてはならないと思う。
 
だが、日本の歴代の為政者や政治家の少なからぬ人々が、日本軍による加害責任を軽視したり矮小化したりする言動を取ることが度重なっていた。特に安倍信三のそれは、歴史修正主義として侵略の事実を捻じ曲げようとしているかのように多くの人々の目に写った。そのため、内外から何度となく非難を浴びている。
 
今回の行為が、それに対する反省の上に立ち、本当に平和を志向する出発点であるならば、真摯に歴史的事実に向き合わなければならない。それは、民間の犠牲に対して、真珠湾での言動以上に謝罪と鎮魂の姿を内外に示すことである。
 
例えば、無差別爆撃を言うのなら、日本軍は渡洋爆撃という形で長距離爆撃を南京や重慶に対して行っている。零式艦上戦闘機11型の初陣でもあったため、私はその事実を中学生の頃から知っていたが、高校はもちろん中学の社会科でもそれを学習した記憶はない。これはもちろん、民間人が犠牲になることも想定した無差別爆撃である。
 
そうした民間の犠牲に対して、これから首相が謝罪と鎮魂の旅をして回るのであれば、今回の平和への誓いは今までのそれとは異なり、口先だけの言葉ではなく真摯な思いであるかもしれない。だが、真珠湾だけにとどまるならば、それは日本の軍事化を進めるためのアメリカの人々に向けた単なるパフォーマンスに過ぎず、いつものウソとほとんど同じ対外的美辞麗句に過ぎないだろう。そしてそれは、私が見抜くぐらいであるから内外の心ある人々にとっても簡単に見抜けることである。首相がこれから、平和に向けてどのような言動を取るのか注目していきたい。

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2016年12月26日 (月)

依存症ビジネスに甘い国

ギャンブル依存症対策をきちんと作らないままカジノ法案が成立した。ひどい話だが、この国・政権は、依存症ビジネスに激甘で、それによって人々を食い物にするビジネスを野放しにしてきている。その結果、少なくない国民が苦しんでいても、まともな対策も立てようともせず、知らん顔である。その辺りを徹底的に追及できない野党やマスメディアにも困ったものだが、そうした野党やマスメディアの弱さに乗じて暴走する現政権は、犯罪的ですらあるといえよう。
 
臨床心理的に言えば、ギャンブル依存症に限らず、多くの依存症がある。古くは「中毒」などとも言われたアルコール依存症やパチンコ依存症(ギャンブル依存症…の一つではあるが)、タバコ依存症に薬物依存症、新しいところでは携帯電話やスマホの依存症などもある。
 
依存症は病気である。麻薬や覚せい剤使用で逮捕されたり名前が上がったりしている芸能人や有名人は毎年のように出てくるが、犯罪の側面と同時に病の側面がある。ヨーロッパなどでは、その「病」という面により意識を注ぎ、治療のルートに乗せるシステムがある。だが、「犯罪」として摘発するだけで治療のための制度を確立しないまま放置すれば、「犯罪」は減らないだろうし、逆に、それを悪用する「闇経済」を太らせるだけだろう。
 
また、依存症から抜け出すためには、本人の心のケアが大切となる。忙しさや充実感を奪われた生活が心のスキマを広げ、そこに依存症の原因となる「毒」が入り込む。仕事に押しつぶされずに家庭生活や趣味、地域の活動や生きがいに割ける十分な時間とお金があり、親密に関わり心を許せる家族やパートナーや仲間がいる充実した暮らしが多くの人に保障されていれば、依存症のリスクは小さくなるし、立ち直りも早くなる。そして、そうした社会であれば、生産性も独創性ももっともっと出てくることだろう。
 

言わば、現政権の推し進めることと正反対の道が、まさしく依存症対策となり、依存症ビジネスを縮小させ、真っ当な経済を回復する道である。それから目を背け、どこまで国民生活を破壊すれば気が済むのだろうか。


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2016年7月31日 (日)

マイノリティーの排除という弱さ

障がい者の大量殺人という痛ましい事件が起きた。報道によれば、加害者の考えの中にマイノリティーの排除があるらしい。だが、その思想は、実は安倍政権や政権与党の中にも色濃く存在する。もちろん、首相も与党議員も露骨な形でそれを出しているわけではない。けれども、沖縄や介護、障がい者への政策的な対応や行動を見れば、安倍首相をはじめとする政権与党が、明らかにマイノリティーの側に対する抑圧に大きく舵を切っているのがわかる。特に第二次安倍政権以降にその傾向は強く出ている。従って、加害者の衆議院議長への手紙は非常に象徴的でもある。現政権が進めたマイノリティーへの弾圧・抑圧をより凄惨な形で実行したのが今回の事件だという分析もできるのである。
 
表面に出ているのは、暴力と残虐性ということになるが、個人的には、それが凄惨であるほど、加害者側の心の弱さや狭さが浮かび上がる。「弱い犬ほどよく吠える」ということわざがあるが、本当に強い心を持っていれば他者に寛容で弱者にやさしくできるし、マイノリティーを排除する必要はない。マイノリティーの排除をするということは、そうした暴力的な姿勢をとることで自らの「弱さ」を隠蔽し、「強さ」を誇示したいという心の表れであろう。
 
それに気づき、自らの弱さを自覚して、改善のための努力をしようとするのであれば、まだ救われる可能性がある。けれどもそうした自分の弱さから目を背け、ごまかそうとする限り、結局は自ら不幸を呼び込むことになるだろう。
 
 

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2016年6月23日 (木)

守るべきもの

沖縄慰霊の日、ニュースでは安倍首相も出席していたようだが、どの面を下げてのことだろう。昨年の安保法制の改悪に際し、安倍首相は国民を守るため…との説明をした。だが、その安保法制の下で、沖縄の若い女性の命が奪われた。その後、米兵による飲酒ひき逃げ事件も起こった。沖縄はもちろん日本の一部だし、沖縄県民は当然のことながら日本国民である。安保法案の強行採決の際の首相の説明では、日本国民は誰一人として殺させないのではなかったか。首相の言葉が正しいならば、安倍氏はアメリカに喧嘩を売ってもおかしくないと思うのだが、逆に、この事件をもみ消そうという圧力が捜査陣に働いていたという話も聞こえてくる。それに危機感を持って、情報が沖縄の新聞に流れ、事件が明るみに出たとのことである。
このような国民軽視と人権侵害を続ける政府に対し、冷静で客観的な判断をしたとき、もともと琉球王朝として大和朝廷とは別の歴史を歩んでいた沖縄があえて日本の一員であり続けることがBestの選択なのか、という考えも出てくる。県民(国民)を本当の意味で守るための沖縄の独立という考えである。そして、沖縄が独立したとき、差別と人権侵害を続けた日米にそのまま基地の設置を許すことはありえない。とすれば、外交的に中国やロシアとの交流を重視するという外交的選択の可能性も当然出てくる。
そうなった時、沖縄の地政学的な位置は日米の安全保障や外交にとって脅威となる。
安倍政権の沖縄への対応は、安全保障の名の下、安全保障をかえって危うくする危険性をはらむ愚かなものなのである。普天間基地の移設は、確かに様々な問題を抱えているし、一週間や一か月で解決できる種類のものでもない。それは、沖縄県民であっても複雑な思いを抱えつつも、それなりの努力を続ければ理解はしてくれるだろう。だが、問題解決への努力をせずに負担を押し付けるだけでは理解は得られない。たとえば、地位協定でも日本ほど米軍に譲歩した卑屈なものは、同じ敗戦国のイタリアやドイツでも結んでいないし、フィリピンでも、もっとフィリピン国民側に譲歩する形での改定を行っている。それらの国にできることが日本にできないなどありえない。政府の外交的無能、あるいは怠慢と言う以外にないだろう。
安倍政権は、安保法の強行採決時に「国民を守るため」と主張したが、それにも拘わらず、国民の命が奪われている。安倍政権の言葉が、いかに行動を伴わない空虚なものであるかが、この事件でも明らかになったのである。守るべきは国民…安全保障においてこれは大前提である。だが、安倍政権はそうした行動をとらなかった。来月には参議院議員の選挙がある。これは、判断をする上で大切なポイントの一つとなる。

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2016年5月31日 (火)

伊勢志摩サミットは終わったが

月末の伊勢志摩サミットは、テロなどの事件や大きな事故もなく無事に閉幕した。地元住民としては、検問と警察車両の増加による多少の不便はあったが、大過なく過ぎ、また伊勢志摩の名前も世界規模で発信できたことは良かったと思う。
 
ただ、不安定化する世界におけるサミットの役割や日本の役割を考えた時、日本の首相の言動は役不足、能力不足の感は否めない。不安定化する世界の分析をある程度してみれば、その大きな要因は、新自由主義による格差の拡大とそれによる不平等や対立の問題が大きい。新自由主義の失敗は、もはや多くの人々の認識になりつつあると言えよう。したがって、経済的にも政治的にも、格差の是正が大きな問題となってくる。当然、アベノミクスは失敗という認識となり、さらなる金融緩和など、タックス・ヘイブンの問題とも関わって、自国はもちろん他国に対して働き掛けること自体が、経済オンチを世界中に喧伝しているに等しい。それを、わが安倍総理はやってのけたのだから、これはもう図らずも自分自身の無能と恥を世界中の知性に晒してしまったも同然である。本人の評価だけなら、不勉強と努力不足の自己責任を取ってもらえば済むことだが、彼が日本国首相であることから、それは同時に日本の恥を世界に晒してしまったことにもなる。日本国民として、まことに恥ずかしい限りである。

地元の新聞は多少なりともそうした点に触れていたようだが、いかんせん大マスコミは、どうもそうした政権批判が見えてこない。それも大きな課題と言えよう。困った話である。

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2016年4月30日 (土)

卑怯な連中

小さい頃から、TVやマンガ、アニメが好きだった。仮面の忍者赤影、サイボーグ009、仮面ライダー、ウルトラマン、レインボーマン、キカイダー、マジンガーZ、ライディーン、キューティーハニー、月光仮面、ジャイアントロボ、バロム1……。少し考えるだけで数多くのタイトルが思い浮かぶ。そして、それらの作品にはたくさんのヒーローたちがいた。その一方で、ヒーローに敵対する悪の組織も存在した。金目教、ブラックゴースト、死ね死ね団、ショーカー、デストロン、ダーク、パンサークロー、サタンの爪、BF団、ギドロン……。様々な悪の組織があったが、そうした連中は様々な卑怯な行い、卑劣なことをして人々を苦しめ、社会を破壊した。嘘や不正、殺人、誘拐、破壊工作、テロ……。嘘をつくなど平気、弱い者いじめは当たり前、影に隠れて悪行の限りをつくし、私利私欲をむさぼる。子ども心にその行為の醜さを嫌悪した。そして、そうした行いをせぬようにと心に誓い、卑怯を嫌悪したものだった。
 
そうした意味において、たくさんのマンガやアニメ、特撮は私たちの道徳の先生ともなった。大人になって学校で生徒たちに教えたときに、「ウルトラセブン」や「帰ってきたウルトラマン」を見せて子どもたちに感想を書かせ、話し合いをさせるようなこともした。教科書を説明するよりも熱心に文章を書き、真剣に発言する子どもたちの姿があった。
 
だが、最近の社会を見ていると、卑怯な連中が幅をきかしている姿が目に余る。公約というものは破るのが当たり前と考えている政府与党。政治献金をなくすための政党助成金をもらいながら政治献金を受け取るなど卑怯千万である。丁寧に説明すると言いながら審議に応じなかったり、重要事項を隠した真っ黒な資料を渡して審議そのものを妨害するような行為もあった。今回の熊本周辺の震災に関わっても、何故か鹿児島県の震度が出てこない。距離的に見れば明らかに情報の隠蔽であろう。また、パナマ文書で「合法的」…というよりも法律の不備をついて税金逃れをする一方で減税を求める財界。これも卑怯で不誠実な行動である。
 
このように見てみると、フィクションであった悪の組織が社会のあちこちで実体化しているかのようである。しかし、現実の社会にはウルトラマンも仮面ライダーもそんざいしない。私たち一人ひとりが卑怯を許さない態度を貫く必要がある。

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2016年3月31日 (木)

ウソツキたちが奪ったもの

アベノミクスの失敗と増税の判断ミスは、国民生活を一層のっびきならぬ方向へと追いやっている。先だっても、高名な経済学者から意見を聞く時間を取った時、都合の良い部分だけを継ぎ接ぎでマスコミに流されては信用にかかわると、当の経済学者から内容を暴露され、政権が赤っ恥をかくということがあった。それほどまでに、安倍首相と今の自公政権は、信頼を置かれていないということなのだろう。
思えばこの政権は、発足当初から嘘とごまかしを内外で積み重ねてきた。オリンピック誘致に際しての「アンダーコントロール」などは、すでに多くの国々の人々の知るところとなっており、日本の長年培ってきた信用に泥を塗る結果となっている。5年経っても「復興」への道が遠い福島の現在を考えれば、マスコミの買収によって国民をだましたりごまかしたりしている放射線の問題で東京でのオリンピックがキャンセルやボイコットの憂き目にあう可能性は決して低いとは思えない。また、福島のみならず関東地方の都県にも放射線の影響が出ているという情報もあり、その地域で暮らす国民の健康や生命に対する危惧は高い。
「保育所落ちた。日本死ね」に始まった騒動も、「女性の活躍」を口にしながら対策を怠り続けてきた結果であり、泥縄式に保育所を増やそうとしているが、私の知人の中には、今まで預けていたところが「保育所」になり、条件的に多少楽だったため逆にそこを追い出され、これまでの働き方が難しくなったという人がいる。愚かな総理に率いられた自公政権は、福祉を削ってその負担を家族に押し付け続けてきたが、消費税増税に代表される格差拡大政策によって多くの家庭が時間的にも経済的にも余力を失い、その負担に耐えられなくなりつつある。国民は、アベノミクスと自公政権のために多くのものを奪われてしまったのである。
格差の拡大は人心の荒廃と絆の断絶を生み、それは社会の荒廃と人々の対立を生み出す。そしてそれは、テロを育てる土壌となっていく。我々はウソツキ盗人政権から、美しい日本を取り戻さなければならない。

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2015年11月30日 (月)

本当の「テロとの戦い」

フランスでのテロの後、世界各地でテロに対する緊張感が高まっている。テロの犠牲になった人々には、心から哀悼の意をささげたいと思う。一般市民を標的にしたテロは無論、許されることではないが、ISの支配地域と見られるところを空爆してもテロは防げないだろう。それどころか、テロリストではない市民の犠牲も当然出る。それが、新たなテロリストを生むことにつながる可能性をはらんでいる。武力制裁は、テロに対して必ずしも有効とは言えない…というのが、9.11以降の世界で、我々が学ばなければならないことだろう。
では、何が有効なのか。残念ながら、簡単にテロを止めるすべはない。だが、テロリストを増加させる流れを止める道はある。それは、なぜテロリストが生まれたのか……ということを考察していけばよい。差別と貧困、そしてそれによる社会への絶望が原因だと言えよう。自分が一人の人間として大切にされ、まじめに働けばそれなりに十分な収入が得られて幸福に暮らしていけるような社会にいれば、多くの人はそのような社会を壊したいとは考えないだろう。しかし、差別やいじめによって人間性を否定され、まじめに働いても貧困から抜け出せず、不安や不満も取り上げてくれないような社会であれば、破壊したいと考えても不思議ではない。つまり、差別と格差による貧困がテロリストを生み出す土壌となるのである。
だから、格差社会を是正し、マイノリティーの声に耳を傾けて、弱い立場の人々の人権を大切にする社会・国・世界を作る努力を積み重ねることが本当の意味でのテロとの戦いとなる。つまり、安倍政権のやっていることの反対をやればいいということなのである。その意味で、平和憲法の制約の中で軍事的な行動を制限されている日本・日本人は、様々な地域でのNPOボランティア活動によって、長年、テロとの地道な戦いを積み重ねてきていたといえる。それをぶち壊した安倍政権。そのツケを国民が払わねばならない時が来ることがないことを祈りたいのだが…。残念ながら、その保証はない。

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2015年7月31日 (金)

嘘について

子どもの頃は「嘘は絶対にダメ」と教えられてきたが、臨床心理学をそれなりに学んだ今、嘘を全面的に否定する気はない。弱い自分を何とか守り、自我の崩壊を防ぐためについてしまうような嘘は、ある意味では人間として仕方がない部分もあるからだ。また、誰かを守るために自分を犠牲にしてつく嘘もある。弱い立場の人々を守るための防波堤となり、自分が傷ついたり損害を被ったりするような嘘ならば、心情的には許せるように思う。
ただ、悪質で許せないと感じる嘘もある。自分の失敗やミスをごまかし、その責任回避を図り、結果として他の人やより弱い人たちを傷つけるような嘘である。あるいは、その嘘によって他人をだまし、自分が利益を得ようとする嘘。嘘というよりも詐欺だろう。
今、日本の政治には嘘が満ち溢れている。かつての政権もたくさん嘘を重ねてきたが、現在の政権ほどのウソツキは多分存在しないだろう。戦争法案の審議で安倍政権の支持率が急落しているが、これは「理解が進んでいない」のではなく「理解が進んだ」からこそ、政権の嘘まみれの発言に怒りを覚える国民が急増しているからだろう。
ハワイでのTPP交渉にしても、自民党は「TPP反対」を公約に掲げていた。つまり、国の運命を左右するような重要事を嘘をついてあっさりひっくり返し、国民の安全や富をアメリカ多国籍大企業に売り渡して恥じないことを進めているのである。
個人の嘘のレベルなら、ある程度仕方のない部分もそれなりにある。けれども、政権与党の嘘は、多くの国民や国の富を巻き込み、国民と日本を不幸にしていく。こういう類の嘘は、絶対に許してはならない。

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