2009年11月 6日 (金)

もう4年…

本田美奈子.が亡くなってから、もう4年になる。彼女の歌を聞き始めたのは、《Lips》というアルバム…いわゆる「1986年のマリリン」の入っているアルバム辺りからなので、もう20年以上前になる。アイドルとしてスタートし、ロックへ、そしてミュージカルやクラッシックへ、彼女の音楽の幅はどんどん広がっていった。

飲みに出かけた時、ふと、彼女の在りし日の姿を見たくなると、「1986年のマリリン」や「Oneway Generation」をカラオケで歌ったりもする。だが、歌として好きなのは「つばさ」や「風のうた」である。実は今日も、日中、車の中で「風のうた」を聞いていた。そして今は、アルバム《心を込めて…》を聞いている。彼女の高く、力強く、しなやかな声は、こうして今も聞くことが出来るが、次々と新しいことにチャレンジしていく生き方も魅力に充ちていた。

けれども、4年前、本田美奈子は白血病のため亡くなった。それでも彼女は、ギリギリまで希望を捨てず、音楽を愛し、病院でも歌を歌い続けた。骨髄移植という治療法が開発されるまでは不治の病であった白血病だが、それによって100%治る訳ではなく、彼女のように死に至ることもある。その意味では、発病して以降は、常に死と隣り合わせの生であっただろう。しかし彼女は死に向き合い、そのことによって真摯に生に向き合ったからこそ、最後まで希望を捨てずに生き続けたのだろう。

その生き様は、4年という時間を隔てた今なお、多くの人々の心を動かし続けている。今日は、彼女の歌を聞きながら、彼女のために、そして世界中の人々のために祈りたいと思う。

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2009年11月 5日 (木)

風邪…グレープ「せせらぎ」より

グレープの2ndアルバム「せせらぎ」の中に「風邪」という歌がある。作詞・作曲ともにさだまさし。もう、30年以上も前の歌になるのかと思うと感慨深いが、日常の中の1シーンをうまく切り取った、クスリとしてしまうような歌詞である。

 

今日は風邪をひいてしまったから 君への電話は止すよ こんなシオカラ声じゃ 君に よけいな心配させる

こんな時は黙って寝てるのが 一番いいのよって君が 前にいってたけれど 確かに 煙草がおいしくないね

季節が かわれば 風邪もなおるよ そしたら 最初に電話をするよ

 

今の時代ならメールだろうから、シオカラ声はごまかせるだろうけど、とか、最近の神経症的な嫌煙の流れでは煙草という歌詞が叩かれるかも、とか、季節が変わるまで長引く風邪ってけっこう強力かも…などという他愛も無いツッコミを入れたくなるが、それも含めて、何かほのぼのとした感じである。

巷では、新型インフルエンザの嵐が吹き荒れ、煙草税の税率の引き上げが噂され、失業率の上昇が懸念され、何となく余裕のない殺伐とした空気が充満しつつある。たまには、こんなほのぼのとした他愛の無い歌を聞いてゆっくりするのも良いかも知れない。

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2009年9月26日 (土)

美辞麗句…岡村孝子《私の中の微風》より

今日は、片道1時間ほどかけて隣の市まで出かけていたので、途中の車の中で岡村孝子の歌をかけていた。岡村孝子の歌は割とよく聞く方だが、ソロになってからのアルバム《夢の樹》や《リベルテ》、《オー・ド・シェル~天の水》は特に好きな歌が多く入っている。今回取り上げる「美辞麗句」は2ndアルバムの《私の中の微風》に入っている歌である。このアルバムには来生えつこ・たかお姉弟が詞と曲を書きシングルカットもされた「はぐれそうな天使」も入っているが、個人的にはこの「美辞麗句」や「Baby, Baby」、「ひとりごと」などの歌の方が好きである。それらの詞と曲には、20代の頃の若き岡村孝子の瑞々しい感性が感じられる。

 

幸せについてコメントすれば あたりさわりのない美辞麗句 何かがこわい誰かがこわい 自分をせめるすべてのもの

こんなに私は弱虫だっけ 思わず苦笑い 退屈なだけの夜を飛び越え ここを見つけたのに 本当の自分をどこかに忘れ 今日もさまよう

 

周囲の視線がどうしても気になってしまう。歳を重ねることでその怖さや不安は若い頃ほどには感じなくなったが、20代の頃には周囲を過剰に意識し、不安や恐れを感じていた。そして、「本当の自分」を探して悩み、迷い、苦しんだものである。けれども、そうした日々を越えてくる過程で、「自分」というものは、周囲の他者と関わりながら、時には影響を受け、時には影響を与えながら少しずつつくりあげていくものだったのだな、ということを今になって思う。

けれども、若い頃はそんなことなど思いつきもしなかったし、幻想の中の「本当の自分」を信じて苦闘したものだった。それゆえに、同じように苦闘していた岡村孝子の歌に惹かれたのだろう。この歌を聞いていて、そんな若い頃のことを思い出してしまった。若さには若さの良さと苦悩があり、歳を重ねればそれに応じた別の良さと苦しみがある。それを受け入れながら、まじめに生きることが「本当の自分」へと至る道なのかも知れない。

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2009年7月14日 (火)

黄金の花…夏川りみ【南風】より

夏川りみの【南風】というミニ・アルバムに「黄金(こがね)の花」という歌が入っている。作詞/岡本おさみ、作曲/知名定男、夏川りみのオリジナル・ソングという訳ではなく、カラオケでは沖縄SONGのカテゴリーに入ってはいても、別の歌手の歌になっていたりする。ただ、私自身はこの夏川りみのミニ・アルバムで覚えたので、その印象が強い…ということになる。

 

黄金の花が咲くという 噂で夢を描いたの 家族を故郷、故郷に 置いて泣き泣き、出てきたの 素朴で純情な人達よ きれいな目をした人たちよ 黄金でその目を汚さないで 黄金の花はいつか散る

あなたの生まれたその国に どんな花が咲きますか 神が与えた宝物 それはお金じゃないはずよ 素朴で純情な人達よ 本当の花を咲かせてね 黄金で心を捨てないで 黄金の花はいつか散る

黄金で心を捨てないで 本当の花を咲かせてね

 

とてもストレートな歌詞だが、テクノやシンセサイザーなどの都会風のサウンドではなく、素朴な民族楽器を使った沖縄風のアレンジで歌われると、その言葉は、嫌味な感じには聞こえずに、すっと心に染みこんでくる。

確かに、お金はないよりもあった方が良いが、お金と引き換えに、大切なものを失ってしまっては本末転倒である。富が、それなりに幸福につながることはあるが、経済的に豊かになることが必ず幸福を保証する訳ではない。経済的な豊かさを求めるあまり、時間や心の余裕を失い、大切な関係が壊れたり、心や身体を病んで不幸になってしまう場合が少なくないからだ。この歌を聞いていると、そんな当たり前のことを思い出すことができる。 

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2009年6月 9日 (火)

戦争は知らない…フォークルの歌

ザ・フォーク・クルセダーズの歌の中に「戦争は知らない」という歌がある。個人的には、「はしだのりひことクライマックス」が歌っていたものが印象深いが、シューベルツも歌っている。作詞は寺山修司、作曲は加藤ヒロシ、青木望の編曲である。フォークル、シューベルツ、クライマックスとなるといずれもはしだのりひこが共通するが、その中でもフォークルは一番古く、この歌も半世紀ほど前の歌ということになるだろう。

 

野に咲く花の 名前は知らない だけども野に咲く花が好き 帽子にいっぱい 摘みゆけば なぜか涙が 涙が出るの

戦争の日を 何も知らない だけど 私に父はいない 父を想えば ああ荒野に 赤い夕陽が 夕陽が沈む

戦さで死んだ 悲しい父さん 私はあなたの 娘です 20年後の この故郷で 明日お嫁に お嫁に行くの

見ていて下さい 遥かな父さん いわし雲とぶ 空の下 戦さ知らずに 20歳(はたち)になって 嫁いで母に 母になるの

 

メロディーは明るい感じで覚えやすく、伴奏のギター・コード進行も簡単で、大学時代は歌声サークルなどでも歌っていた歌だが、明るく歌いやすい中にもしんみりとした情感があり、けっこう好きな歌である。

太平洋戦争の敗戦から20年後…というと1965年。その当時、日本の軍隊が戦場で直接他国の人々を傷つけたり殺したりすることはないと信じられ、国民は、昨日より少し豊かな今日、今日よりさらに豊かな明日を信じていたし、多くの人々が未来への希望を胸に抱きながら毎日を生きていた。この歌にも、それは表現されている。「嫁いで、母になる」ことは「幸せな未来」と同義語だとこの歌を聞いた人は感じたし、作り歌っている側もそう信じていた。

だが今は、明るい未来を単純に信じられる人はそれほど多くはないだろうし、結婚や子どもを産むことと幸せがそのまま無条件でイコールだと感じる人も少ないだろう。それどころか、社会には明日への不安や戦争へ至るかも知れない不穏な空気が渦巻いている。だからこそ、いっそう、この歌を噛み締めたい。戦争の体験は知らないまま一生を終えたい。だが、そのためには、努力が必要である。無理をすれば続かないが、自分のやれそうなことを探して、少しでも努力を積み重ねたい。

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2009年5月16日 (土)

私はここにいる…岡村孝子 3rd / リベルテ より

岡村孝子がソロになって3枚目のアルバムとなる「リベルテ」。このアルバムの中の歌では「電車」や「夢をあきらめないで」の方が有名だが、「私はここにいる」という歌も個人的には好きである。大好きな恋人の愛を失って、失意のどん底にあっても最後のギリギリのところで《私はここにいる》と自分の存在を肯定する。そこに、生きていく力強さを感じるからである。岡村孝子の澄んだ声が、切なく淋しい想いをしんみりと語るように歌い、そしてそれでも死ぬこともなく、今、ここに存在していることを歌い上げる。古いポップスの曲でカーペンターズがアルバム「Now & Then」でカバーした「The End of the World」と対比すれば、恋人が「さよなら」を告げた時に「この世は終わった」と歌う「The End of the World」の歌詞よりよりもずっと、女性の自意識を感じられる。

 

生きていたくない 悲しい時にも あきれてしまうほど 笑って見せてる私を 許せないほど 憎んで 会えない時にも過ごせるようにと 始めた夢なのに 二度とは会わずに こうして 強くなってゆくのネ 笑って手を振る私を無理にとめてほしかった

あなたがいなけりゃ 愛はもう 歌えない いつでも 私の心に あなたがいる

楽しく話せる仲間もできたし 夢に近づいても 切ない位に孤独よ 自分を見つけられずに 全てを敵にしてでも あなたがいれば良かった

あなたがいなけりゃ 愛はもう さがせない いまでも 私の心に あなたがいる

あなたが いたって 愛はもう 歌わない あなたが いなくても 私は ここにいるわ

 

辛い時にどうするか。その辛さを心から切り離そうとする精神的な「防衛」がある。けれども、それが不自然に習慣化してしまった時、精神的な悪影響が生じてしまうことがある。感情的に暴走してしまった(キレた)その瞬間、まったく別人のようになってしまい、自分の意識で自分の行動や思いをコントロールできなくなってしまうのである。昨今の事件の中には、そうした精神的な「乖離(かいり)」という防衛が痛ましい事件へと発展してしまったものを見かけることが少なくない。だが、周りにそうした辛さを理解してくれる人が1人でもいれば、不自然に習慣化することもなく、事件も起こらなかったのかも知れない。

自分の周りにいる大切な人たちの辛さを理解してあげられれば、お互いに愛をはぐくむことが出来るだろう。だが、関係が壊れてしまっても、自分は自分として存在する。そのように、自分を肯定できる強さを持ちたいと思う。

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2009年4月30日 (木)

SOLITAIRE…男は1人カードを

今年は、カーペンターズがデビューして40周年ということで、日本では様々なイベントがあったようで、リチャードも来日している。私自身も中学時代はよくカーペンターズを聞いた。アルバム「Now & Then」はテープに録り、何度も聴いたし、「スーパースター」や「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「オンリー・イエスタディ」などの曲も好きだった。けれども、最近では「ソリテアー」をよく聞くし、またカラオケでも歌っている。中学・高校時代は、嫌いではなかったがそれ程大好きという訳でもなかったこの歌の良さが、最近はよく分かる。

恋を失った男が、1人カードをめくる。その哀愁を、カレンの優しく包み込むように響く歌声が鮮やかに歌い上げる。もちろん、リチャードの繊細なアレンジもすばらしいのだが、それを生かしきったカレンの歌唱は、何度聞いても心を動かされる。

 

There was a man  A lonely man  Who lost his love Throgh his indifference

A heart that cared  That went unshared Until it died Within his silence

他に心をまぎらわすゲームもなく、何か新しく惹かれるものもなく、ただ、1人でトランプを続ける。そこにあるのは、男として泣くことなどできない……という見栄だろうか。いっそ、嘆き悲しんだ方が心は早く回復するのだろうが。それとも、それさえ出来ぬほどに深く傷ついたのだろうか。彼は1人、トランプを続ける。

それなりに生き続けていれば、多くの出会いと別れを経験する。その経験の中には、失恋した後、1人でトランプのカードをめくり続けるシーンはなかったが、その気持ちは理解できる気がする。1人の生活もそれなりに心地好いが、人生を共に歩めるパートナーが傍にいると信じられた時間の豊かさも確かにある。そうした思いもかみしめながら、今夜はカレンの歌声を聞いて眠りにつこう。

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2009年4月21日 (火)

「よその子」と「ひとりでお帰り」…知らない誰かのために

自分の利益のために……だとか、周りの身近な組織や集団のために……といった利己的な判断がよく目に付く今日この頃、谷山浩子の歌をセレクトしてmy favorite songs の音楽CDを編集していて、二つの歌をセレクトした。1つは、アルバム《宇宙の子供》の中の【よその子】、そしてもう1つがアルバム《銀の記憶》の中の【ひとりでお帰り】である。両方とも、アルバムの第1曲目に置かれている。

 

ここから見える全ての家の 全ての人の幸せを 祈れるくらいに強い心を 強い心を 僕は持ちたい ここから見えない全ての家の 全ての家の幸せを 祈れるくらいに強い心を 強い心を 僕は持ちたい きみはよその子 宇宙の子供 全ての家の 窓を開くよ きみはよその子 わたしの子供 閉ざした心の窓を開くよ ……【よその子】より

きみの今のその淋しさが 遠い街の見知らぬ人の 孤独な夜を照らす ささやかな灯に変わるだろう …… たとえば夜が深く 暗がりに足が怯えても まっすぐに顔を上げて 心の闇に沈まないで どんなに淋しくても きみはひとりでお帰り どんなに淋しくても きみはひとりでお帰り ……【ひとりでお帰り】より

 

生きていれば、どこかで辛い思いや悲しい思い、淋しい思いを経験するだろうし、その中で心に深い傷を負ったりもする。けれども、そんな心の闇をきちんと見つめ、それを超えていく過程で、人は成長し成熟するし、強くなると同時に、他者に対して優しくなれる。それを実感できたとき、この2つの歌の歌詞が深く胸に染みこんでくる。

孤独の辛さや淋しさに耐え、それに押しつぶされそうになりながらも、「全ての家の幸せ」を願う。あるいは、自分の辛く悲しい経験を、他者の「孤独な夜を照らすささやかな灯」に変えていく努力を続ける。その中には「利己心」や欲望を超える深い愛がある。まだ、そこまでは至らない自分の弱さや小ささを自覚しつつ、それでも努力を続けていこうとする意思。それこそが本当の強さであり、また本当のやさしさにつながっているのではないだろうか。そのような生き方を大切にしようとする人間でありたいと思う。

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2009年4月11日 (土)

花の街…鮫島有美子/日本の歌 より

ぽかぽかと温かな日が続いている。庭先にも道端にも、桜やタンポポ、水仙をはじめとする様々な花が風景を彩っている。温かな日ざしとそよ風の中で春の花々をぼんやりと眺めていると、「花の街」という歌が思い出される。作詞は江間章子、作曲は團伊玖磨。わがCDコレクションの中では、鮫島有美子の「日本のうた」というアルバムに入っている。

 

七色の谷を越えて 流れていく風のリボン 輪になって 輪になって かけて行ったよ 歌いながら かけて行ったよ

美しい海を見たよ あふれていた 花のまちよ 輪になって 輪になって 踊っていたよ 春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で 泣いていたよ まちの窓で 輪になって 輪になって 春の夕暮れ ひとりさびしく 泣いていたよ

 

中学校の時の音楽の時間に、この歌を歌ったような記憶がある。教科書にあった歌なのだが、その時の記憶では、1番の最後の歌詞が「春よ春よと かけて行ったよ」だったように思う。そして、3番の歌詞は書いてなかったので、ずっとこの歌は2番までしかないのだと思っていた。だが、その後、初めてこの歌をきちんと聴いたとき、驚いてしまった。歌はもっと長く、しかも、春の喜びだけを謳っているのではなかったのだ。だが、春は必ずしも喜びばかりではない。それを考えれば3番の歌詞もうなずける。そればかりか、この歌の世界の深さをも感じさせるのである。

このところ、ポップスやフォーク、ニューミュージックをよく聞いていたので、今日は久しぶりに鮫島有美子の歌に耳を傾けよう。

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2009年4月 1日 (水)

ジャングルジム…小さな夢をからませた銀の思い出

五輪真弓の古い歌の1つに「ジャングルジム」がある。NHKの銀河テレビ小説「僕たちの失敗」の主題歌だった「落日のテーマ」と共に五輪真弓の歌の中でも特に好きな歌である。夕暮れの公園/運動場にポツンと残るジャングルジム。昼間は子どもたちの声に満ちた遊具も、子どもたちがいなくなると何かしら寂しく物悲しい。そう言えば、小さい頃はよくジャングルジムに登ったり、中を歩いたりしたものだった。最後にジャングルジムで遊んだのはいつだろう……。この歌を聴いていると、そんな想いが心に浮かんでは消えていく。

 

ジャングルジム 夕闇の背に 昔のおもかげ うかべて ジャングルジム まるで母のように 幼な心 呼びさます あなたからみれば 私はもう見知らぬ通りすがり 今はつかれ たちつくす ぼろきれのような私に 悲しげなまなざしさえ むけてくれない あー ジャングルジム 今はあこがれ あー ジャングルジム 遠い恋人のように

あなたから見れば 私はもう見知らぬ通りすがり 小さな夢をからませた 銀のおもいで ジャングルジム ジャングルジム まるで母のように 幼な心 呼びさます あー ジャングルジム 今はあこがれ あー ジャングルジム 遠い恋人のように

 

今となっては、ジャングルジムで遊ぶことはない。小さい頃はやすやすとくぐれた鉄棒の間も狭く、中に入ってしまったら抜けられなくなりそうだ。けれども、何も考えずに鉄棒の間をちょこまかと動き回り、上ったり下りたりを繰り返した時代は確かにあった。そんなことを思い出すと、心の中にやさしさが広がっていく。忙しい日々が続いても、こんな気持ちを忘れずにいたいものである。

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2009年3月 1日 (日)

仰げば尊し

今日は3月1日。所用があって出かけた津市の会場の近くで、高校生の姿を多く見かけた。今年は今日が日曜日なので、近くの高校の卒業式は先週末に行われたようにおもったのだが、その高校は違っていたのだろうか。私も、30年ほど前に、「プラチナの…」で始まる母校の校歌を歌って、神宮杉をかたどったデザインの校章を持つ思い出多い母校から巣立った事を思い出した。

その頃の卒業式の歌というと、「蛍の光」や「仰げば尊し」などが定番だった。そして、私自身は、けっこう「仰げば尊し」が好きで、卒業の季節に関係なく口ずさんだりすることもあった。我が家には、さだまさしの《にっぽん》というアルバムとスーザン・オズボーンの《パール》というアルバムに入っているので、日本語のものも英語のものも聞くことが出来る。

 

あおげば尊し 我が師の恩 教えの庭にも はや幾年(いくとせ)

思えばいと疾(と)し この年月 今こそ別れめ いざさらば

互いに睦(むつ)みし 日頃の恩 別るる後にも やよ忘るな

身を立て名をあげ やよ励めよ 今こそ別れめ いざさらば

朝夕なれにし 学びの窓 蛍のともしび つむ白雪

忘るるまぞなき ゆく年月 今こそ別れめ いざさらば

 

この歌については、卒業式だけではなく、「ビルマの竪琴」と「地球交響曲(ガイア・シンフォニー)」という映画も思い出す。どちらも、心に残る場面でこの歌が使われている。「ビルマの竪琴」では水島上等兵の想いが、竪琴のメロディーの奥に響く歌詞とともに胸にしみこんでくる。また、私がスーザン・オズボーンという歌手の存在を知るきっかけになった映画が「地球交響曲」でもある。卒業という言葉とともに別れと旅立ちへの思いが胸を打つ。

だが、学校を卒業しても、厳しい経済状況の中で、未来を見通せない若者達も少なくないだろう。厳しい世の中ではあるが、夢を追い続けられるようなしなやかな強さを若い魂の中にひそませて、人生の歩みを進めていってほしいと思う。

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2009年2月12日 (木)

君の誕生日…ガロの歌

3人組のフォーク・グループ、ガロと言えば、「学生街の喫茶店」の大ヒットで知られているが、個人的にはその次のシングル「君の誕生日」も好きである。飲みに行って、たまたま誰かの誕生日に重なったりした時は、この歌を歌う事がある。同年輩には、けっこう懐かしがってもらえる歌である。

 

君の誕生日 2人祝ったよ あれは過ぎた日の 想い出のひとこま 街の角にある ほんのささやかな 店でお祝いの グラスをあげたよ 今年もまたその日 もうじき来るけれど 君はいない 2人あの日別れたよ

君は誕生日 誰と祝うのか きっと幸せで ローソク消すだろ 僕は忘れない 君の生まれた日 いつも近づけば この胸が痛むよ 今年もまた街は 花やぐ時だけど 君はいない 2人あの日別れたよ

 

「学生街の喫茶店」とは異なり、マークがメイン・ボーカルをつとめた歌だが、1番と2番の間の間奏に「学生街の喫茶店」のメロディーが織り込まれている。当時は多少あざとさを感じたものだが、今聞いていると、それも含めて懐かしい。

いくつかの恋もしたし、結婚もした。何人かは、その誕生日も覚えている。切なくも懐かしいあの頃を思い出せる歌である。

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2009年2月 9日 (月)

初冬夜…アルバム【美しい日々】より

カナダ留学から帰ってきた後のアグネス・チャンのアルバムに【美しい日々】というのがある。この頃のアグネス・チャンはアイドル時代のような爆発的な人気はなく、いろいろと迷いの多かった時期だと思うのだが、この【美しい日々】というアルバムは、しっとりとした日本情緒を感じさせる歌で構成されていて、個人的にはこの時期のアグネス・チャンのアルバムの中でも【メッセージ】とともに大好きな作品の1つである。その中でも「初冬夜」は「抱きしめて夕暮れ」と共に着物の似合うイメージがあり、70年代頃までの日本的なイメージが強い。

とぎれる言葉を集め一文字 あなたを愛して 暦めくれば 涙を落として 装い濡らし 雪の夜 思いは北の風に乗り 荒野を越えて あなたのもとへ いつの日訪れる 喜びだけの日々 しんしん降ります 心に雪

ヒューヒュー木枯らし 凍てついた夜も 心は紅々(あかあか) 燃えて焦(こが)れて あなたの優しさ 1つ欲しくて 紅(べに)さし 鏡に 写せばゆれます あなたの 文(ふみ)読む 指先ふるえ いつの日訪れる 思いをとげる夜 今宵は 夢さえ 凍えそうに

あなたの幻(まぼろし) 瞳に閉じて いつの日訪れる あなたとの初冬夜(しょとうや) 思いは冷えない 初(はつ)冬(ふゆ)夜(よる)…

今の日本にこうした情景はないし、もしこの歌を若い歌手が歌おうとしても文化的な背景が違い過ぎて、情感タップリに歌いこなせる若い歌手はまずいないだろう。「ルージュをひく」ことは出来ても「紅をさす」ことは難しいだろうし、「メールを見る」ことは出来ても「文を読む」感覚は理解しがたいであろうから……。その意味においては、日本人ではないアグネス・チャンが、この歌をしっとりと歌い上げていることは、ある意味では驚きであった。けれども、敢えてこの歌に挑戦したアグネス・チャンの努力は素晴らしかったと思うし、結果として一層「日本」を感じさせるアルバムになったように思う。

立春は過ぎたが、まだまだ寒さは完全には抜けない様子である。こんな夜は、久しぶりにLPを取り出して【美しい日々】を聴くのも良いかも知れない。

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2009年1月24日 (土)

「負けてもいいよ」…高橋由美子《万事快調》より

90年代後半、「最後の正統派アイドル」と呼ばれた高橋由美子の《万事快調》というアルバムのラストに「負けてもいいよ」という歌がある。高橋由美子主演のTVドラマの主題歌だったこともあり、CDシングルでも出ていたが、勝たなければ全てを失うかのように追い立てられる資本主義経済体制の中にあって、あえてこんな歌をアイドル歌手が歌っていたというところが結構興味深い。

 

負けてもいいよ 休んでいいよ 夢と逢うのはもっと遠くだよ 追い越してゆく誰かの背中にね 地図が見えるかも ほらひと休み 慌てたりしないでね 今は先を急ぐ誰かをね 助けてあげて

 

働くことには様々な意味がある。そして、競争することも大切である。けれども、いつまでも勝ち続けるなど、まず不可能だし、負けることで学べることもある。1度や2度の負けで人生の全てが終るような大勝負は、そんなに頻繁にあるわけではない。入試だろうと就職だろうと、長い人生の1コマに過ぎないし、またそういう社会でなければいけないのである。

 

高橋由美子はさらに歌う

 

負けてもいいよ 大丈夫だよ 心配ないよ きっとうまくいくよ 負けてもいいよ あなたのことずっと 見ててあげるから

 

それは、何の根拠もない言葉かもしれない。けれども、大切な人から信頼されている…という実感は、勇気を与えてくれる。そしてその勇気が新しいエネルギーをも生み出してくれることもある。勝負ではなく、信頼が人を支えるのである。周りの人々に、自然にこんな言葉を出せるような人間でありたいと思う。

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2009年1月11日 (日)

不眠の力…世界を滅ぼす想い

谷山浩子のアルバム「ボクハ・キミガ・スキ」というアルバムの中に「不眠の力」という歌がある。とても美しいメロディーなのだが、詞の方はドキリとした内容になっている。好きな人にキスをしようとする想いが、世界を砂漠にしてしまう。欲望が、世界を滅ぼすのである。

 

恋する人は眠れない 恋する人は眠れない 真夜中に天井をとおして星を見る 星はわたしの瞳の レンズに降りてくる それは世にも恐ろしい 星座のかたち それは世にも恐ろしい 殺戮の暗号

恋する人は眠れない 恋する人は眠れない 明け方に彼の家のまわり 5キロ四方 いちめんの砂漠になる 人は死に絶える 鳥も獣も魚も 水も緑も 干涸びて崩れ落ちる 砂はさらさらと

そして砂漠はさらに ひろがりつづける 消える街 渇れる海

やがて彼の美しい 死骸の上に 自由になった わたしの心がかがみこむ 一度だけのくちづけの 夢をかなえるために すべては死んだ わたしのすべては死に絶えた

誰かわたしに眠りを 安らかな眠りを 眠れぬかぎり砂漠は どこまでもひろがる 誰かわたしに眠りを 安らかな眠りを 眠れぬ限り世界は やがて廃墟になる

たとえ宇宙を滅ぼす力を手にしても あなたにとどかない 想いはとどかない 大きく開いたままの目に 星座は焦げつき 瞳の黒いガラスが 静かにひび割れる

 

欲望は、それ自身が生きるエネルギーだとも言えるが、一方で、煽れば煽るほど肥大化し、制御ができなくなってしまう。歌詞に戻ればささやかな願い…としての好きな人との一度だけのキスもそれができない現実の中で想いが充満し、ついには破壊的な力を呼び込んでしまう。そして、1度呼び込んでしまった破壊的な力は、自分自身だけでなく世界を破滅させても止まらない。

小さな欲望を利用され、欲望が暴走する。暴走する欲望は、世界を滅ぼし自分自身をも滅ぼしてしまう。幻想的な詞が、何故か今の世界のイメージと重なってくる。欲望がなければ人間は生きていけないが、欲望と折り合いをつけなければ欲望の炎は自分自身を焼き尽くし、周囲をも滅亡させてしまう。それをさける智慧が人間社会にはあるのだろうか。

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2009年1月 7日 (水)

パラオ ゼロファイター …戦の終わりを願って

「パラオ ゼロファイター」という歌がある。作詞・作曲は武田鉄矢で海援隊が歌っていた。ゼロファイターは、もちろん第二次世界大戦中の日本海軍の零式艦上戦闘機である。歌詞には「緑の…」というフレーズがあるので、カラーリングから類推すれば52型あたりだろうか。戦いが終わったサンゴ礁の海の中で朽ち果てていく戦闘機をほのぼのと歌っている。

 

こんなところで翼をひろげ 眠っているのか 緑のゼロファイター 南の魚たちが 翼の上を過ぎる 透き通った海に 緑のゼロファイター 空を飛ぶ為に 生まれてきたんだろう それがどうして 海の底にいるのか 戦さは とうの昔 敗れて終わったのだ 守るべき人達も お前を忘れたのだ 一筋の煙 空にひいて落ち 珊瑚を枕に 眠るゼロファイター

折れた翼に 波は白く打ち 空の夢をみるのか 緑のゼロファイター お前を操り 空を翔けた人は どこに消えたか 緑のゼロファイター 空からその人と ここへ落ちてきたんだろう それでその人は 死んだのですか 戦さとはいえ 長閑な この海では 死ぬ気もせぬのに 眼を閉じたのだ 白い飛沫をあげて 海へ落ちて沈み 珊瑚を枕に 眠るゼロファイター

海の底を 空だと夢見るのか 珊瑚は雲なのか 緑のゼロファイター

 

メロディーもほのぼのとしているのだが、太平洋の戦場で墜落した戦闘機というのは生々しい。この戦闘機によって何人の人が死んだのだろうか。ゼロ戦は子どもの頃から大好きで、21型や32型、52型丙、54型のプラモデルを作った記憶がある。隼や飛燕、雷電なども作ったが、これほど多く作った戦闘機は他にはない。太平洋戦争の末期には神風特別攻撃隊に使われ、機体に爆弾を装着して敵艦に突っ込んでいった。爆弾の為に機体が重くなり、途中で撃墜されたものも多く、敵・味方共に多くの命がゼロ戦によって失われた。

それゆえに、日本人のゼロ戦に対する思いは特別なものがあるように思われる。それでも、ゼロ戦はやはり兵器である。あらゆる兵器は、世界の為、一般の人々の為には、戦争に使われぬまま朽ちていく方が良い。この世界から戦火が消え、兵器が朽ち果てるような日が来ることを思ってやまない。

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2008年12月31日 (水)

今年もストコフスキー指揮の第九で…

仕事が昨日まであったので、今日はようやく仕事のない1日になったが、パソコンで同人雑誌の編集作業をしながら、CDを聞いていた。年末という事で、チョイスはベートーヴェンの第九、指揮はもちろんストコフスキーである。演奏はロンドン交響楽団、1970年の録音だから、今から40年近く前の音ということになる。

ストコフスキーの演奏は、ベルリオーズの幻想交響曲やムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」などが思い浮かぶ。「展覧会の絵」などは、ラヴェルの編曲の方が知られているが、ストコフスキーが指揮しているのは自身が編曲したものである。いずれも、ストコフスキーの強烈な個性が感じられる演奏となっている。

もちろん、このベートーヴェンの第九も、どこかしら異なった匂いがある。確かに第九なのだが、確かにストコフスキーと納得のできる演奏でもある。1年の終わりに当たってチョイスしたCDが今年もストコフスキーの第九だったことは何ともいえない感慨がある。

今年も、いろいろと事の多い1年だった。世界レベルでも、日本レベルでも、そして自分自身のことを振り返っても……。波乱の時代にあっては、波乱を乗りきる強い個性が必要となる。ただ、大きなことをなすには、1人では何もできないことを自覚した上で、個性を尊重しながら心を合わせていく努力が必要となる。ストコフスキー指揮のベートーヴェン第九をチョイスしたのは、無意識の中に、そんな思いがあったからだろうか。

やがて2008年の12月31日も終わる。新しい年が、多くの人々にとって幸福であることを願わずにはいられない。

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2008年12月23日 (火)

銀河子守唄と星の子守唄…松本アニメ/父と母の子守唄

松本零士のアニメのエンディングや挿入歌に、いくつか子守唄がある。例えば、【SF西遊記スタージンガー】のエンディンク「星の子守唄」や【宇宙海賊キャプテンハーロック】の挿入歌「銀河子守唄」、【新竹取物語1000年女王】の挿入歌「ラーメタル・ララバイ」などがそれである。

子守唄というと、母親や子守の少女など、どちらかと言えば女性が歌うイメージが強い。その意味においては「ラーメタル・ララバイ」や「星の子守唄」は女性の澄んだ声が相応しい母性あふれる歌になっている。1000年女王/雪野弥生もそうだが、オーロラ姫も銀河に母性のエネルギーを復活させるためにジャン・クーゴやサー・ジョーゴ、ドン・ハッカの三人のサイボーグに守られながら銀河の中心にある大王星へと旅をする。その存在そのものが大いなる母性であり、オーロラ姫の歌としてのイメージで作られた「星の子守唄」は母性の子守唄であると言えよう。

 

ララル ララル 星の海は 白い流れ 静かな輝き 星くずキラキラ 船のしぶき 遠い彼方へ 旅は長く 夢路はるかな母の星よ 眠れ眠れよ 心安らか ララル ララル 星のララバイ ララル ララル 星のララバイ

ララル ララル 星の空は 七色虹の きれいな輝き 光るかけ橋 夜も昼も 明るく照らす 旅のゆくえ 願う心は 母の星よ 眠れ眠れよ 夢は静かに ララル ララル 星のララバイ ララル ララル 星のララバイ  〔星の子守唄〕

 

一方、「銀河子守唄」は、ハーロックの親友で、肉体は死んでも心は海賊戦艦アルカディア号の頭脳となって行き続ける大山トチローが、マゾーンにさらわれて助けられた後も恐怖のために眠れない愛娘まゆを眠らせるために歌ったうたであり、言わば父性の子守唄である。

 

大きな枕に 星屑をつめて おやすみ おやすみ いとしい子 この世で一番 美しい星は おやすみ おやすみ その瞳 さがしに行こう 夢の宇宙船で よみがえる 愛の星を みんなの星を

輝く銀河の ゆりかごに乗って おやすみ おやすみ いとしい子 誰もが待ってる 新しい星は おやすみ おやすみ その笑顔 さがしに行こう 若い宇宙船で 父母の生きた夢を みはてぬ夢を  〔銀河子守唄〕

 

どちらも、それぞれの味わいがあって優しい。心が疲れたときには、そっと聞いていたい歌である。

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2008年12月 8日 (月)

群青…残された者は

谷村新司が、映画「連合艦隊」のテーマ・ソングとして作った歌、それが「群青」である。今日は12月8日、日本海軍の連合艦隊による真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まった日である。真珠湾攻撃を計画した山本五十六は、最後まで対米戦争への突入に反対したというが、開戦の決定によって、少しでもアメリカ太平洋艦隊の戦力を殺ぐべく、この真珠湾攻撃を計画し、実行に移した。けれども彼は同時に、彼我の工業力の差を熟知しており、アメリカの反撃を予測していた。そして、ミッドウェー海戦での敗北で赤城、加賀、飛竜などの主力空母を失った後、彼自身もラバウルで搭乗していた一式陸攻と共に暗号の解読によって放たれたP51戦闘攻撃機に撃墜され帰らぬ人となる。

その後、連合艦隊は次々と空母を失い、沖縄戦では連合艦隊の象徴であった戦艦大和も九州沖で撃沈されてしまう。映画「連合艦隊」でも、片道分の燃料で戦闘機の護衛もなく出撃していく戦艦大和を見送るシーンが心に残っている。「群青」の2番の歌詞は、このシーンを象徴しているように感じられ、胸が痛む。

 

老いた足どりで 思いを巡らせ 海に向いて 1人立たずめば 我より先に逝く 不幸は許せど 残りて哀しみを 抱く身のつらさよ 君を背おい 歩いた日の ぬくもり背中に 消えかけて 泣けと如く群青の海に降る雪 砂に腹這いて 海の声を聞く 待っていておくれ もうすぐ還るよ

 

大和の乗組員もそうだが、陸海軍の特攻隊による「攻撃」で多くの若い命が散っていった。残されたものの悲しみの深さや辛さを呑み込んで、戦争は1945年の8月半ばまで続けられた。決断力を欠いた政府と軍部首脳の罪は重い。

決断力を欠いている、という点において、現首相もあまり変わらないようだ。支持率の急落は、解散の決断を先延ばして行き当たりばったりの発言を続け、社会を混乱させ、自らの発言とは裏腹に「政治的空白」を作っている。本人がどうなろうと「自己責任」として仕方がないと思うが、その迷走によって多くの人々が苦しんだり、不安を感じたりしている。

老人が苦しい思いをしながら生きていくようなことのない世の中、若者たちが希望を持って働くことのできる社会が来ることを願わずにおれない。

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2008年11月18日 (火)

極光(オーロラ)…夢を追う生き方

さだまさしの【夢の轍】というアルバムの中に「極光(オーロラ)」という歌がある。「椎の実のママへ」「風に立つライオン」など、さだまさしが実在の人を歌った歌の1つだが、その写真家の生き方にはとても心を引かれる。そして、彼を支えた愛の存在にも……。

 

 

おい結婚するぞそしてアメリカへゆくぞといっぺんにふたつびっくりをつきつけて それから俺仕事をやめたぞカメラマンになるんだと腰が抜けなかったのが奇跡だわ そのあとあなたは夢の通りに歩いてとうとう本物のカメラマンになった グランド・キャニオンも死の谷もみんな友達にして知らないうちに丸め込んでいた 

自然はやはりすてきだだけど不安が1つ もっと大きなものが撮りたくなって俺はどこまで行けばいいのか オーロラそれはオーロラ地球も夢を見るんだこいつがそうだと目を輝かせてた あなたを愛して気づいたどんどん先に歩いて行ってしまうあなたを 追いかけるのは大変だわ

アラスカであなたが突然空気になったとそんな事信じられると思う 飛行機のプロペラが廻っているのに気づかない程オーロラに夢中だったのね 

あなたの残したものは世にも美しい地球が夢を見ている写真とそれからこの私と オーロラそれはオーロラなんてせっかちなあなたオーロラに愛されてオーロラになってしまった あなたを愛して気づいたどんどん先に歩いて行ってしまうあなたを 追いかけるのは大変だわ

 

 

夢を追い続ける生き方は魅力的ではあるが、それなりに大変である。夢を捨ててしまい普通の日常に埋没している生き方は、逆に、とても楽なところがある。多くの人々が大人になるにつれて、若き日の夢をあきらめてしまう理由がそこにある。結局は様々な苦労や苦しみを越えて夢にこだわり続けることができる人間だけが、夢を追い続けることができるのだろう。そういった人々は、神に愛されることも多く、すばらしい仕事をする一方で若くしてこの世を去る運命になることも少なくない。写真家・阿岸充穂さんもその1人だったのかも知れない。

そして、もう1つ。彼を支えた愛、阿岸明子さん……。夢を追い続ける恋人/夫を支え続けた愛の存在が、写真家としての阿岸充穂さんの仕事をすばらしいものにしていたのではないだろうか。「あなたを愛して気づいた どんどん先に歩いて行ってしまうあなたを 追いかけるのは大変だわ」というフレーズに、その愛の深さが表れている。彼女は「大変だわ」と言いながらも、追いかけるのを止めることなく続けているのだ。2人の生き方には、とても心を動かされる。

人は、こんな素晴らしい生き方もできる。写真家として仕事に倒れる生き方、そして愛する夫を支え続け、その最愛の人を失ってなお生きる生き方。切なく、悲しいけれども、美しく愛と勇気に満ちている。そんな2人を歌った歌だから、いっそうこの歌は美しい。20年以上前に作られ、今なお輝きを失わない歌である。

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2008年11月 2日 (日)

主人公…自分の人生の中では誰もが

今日も片道2時間かけて津に行ってたので、行き帰りの車の中でいろいろな歌を流していた。その中に、さだまさしの歌をセレクトしたものがあったので、久しぶりに「極光(オーロラ)」や「夢」などと共に「主人公」を聴いた。「主人公」はさだまさしがソロになってから3枚目のアルバムである【私花集(アンソロジー)】のラストを飾る歌だが、【帰郷】というアルバムでは、別のアレンジで入っている。【帰郷】以降は、こちらのアレンジに近い形で歌われることが多いようだが、個人的には【私花集】のアレンジの方が好きである。さだまさしの歌との付き合いは、グレープの「精霊流し」の頃からになるので、もうかれこれ30年をこえるだろうか。たくさんの歌を聴き、ギターを片手に歌ったり、カラオケで歌ったりしてきているが、「主人公」は、その中でも特に大好きな歌の1つである。

 

時には思い出ゆきの ガイドブックにまかせ 「あの頃」という名の駅で降りて

「昔通り」を歩く いつものテラスには まだ時の名残が少し

メトロの駅の前には「62番」のバス プラタナス並木の古い広場と学生だらけの街

そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる

あなたの眩しい笑顔と 友達の笑い声に

抱かれて私はいつでも 必ずきらめいていた

「或いは」「もしも」だなんてあなたは嫌ったけど 時を遡るチケットがあれば

欲しくなる時がある あそこの別れ道で選びなおせるならって……

勿論 今の私を悲しむつもりはない 確かに自分で選んだ以上精一杯生きる

そうでなきゃあなたにとても とてもはずかしいから

あなたは教えてくれた 小さな物語でも

自分の人生の中では誰もがみな主人公

時折思い出の中で あなたは支えてください

私の人生の中では 私が主人公だと

 

 

この年齢になるまで、多くの選択を繰り返してきた。様々な出会いと別れの中で、もしかして、別の選択をしたら、また違った人生があったかもしれない…という思いは確かにある。けれども、自分自身の選択の積み重ねによって、今の私がある。他の人から見ればバカなことや愚かなことに写るかもしれないが、自分自身は、それらの選択のすべてが今の自分を創ってきたのだと感じられるし、今の自分自身を否定する気もない。不器用でも、自分の足で歩いてきた道だからである。

この歌は、上質の映画を見るようにシーンが浮かび上がる。不器用でも、精一杯あがきながら、それでも地道に生きていこうとする人生を応援してくれているような歌である。

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2008年10月21日 (火)

北岡樹さんのシャンソン・ライブ

11月23日に、シャンソン歌手の北岡樹(みき)さんのライブを志摩市内で開く、と市内に住むS画伯から連絡があった。北岡さんは、幼児虐待をテーマにした「ぶたないで」という歌をはじめとして何曲か作詞を提供している、仲の良いシャンソン歌手で、市内のなじみのスナックで時々顔を合わせて仲良くなり、北岡さんを紹介したことから、ライブを企画した時にはよく連絡をしてくれる。

前にあった、伊勢でのチャリティー・コンサートの時には、用があって津市内に出かけていたので、打ち上げの時だけしか参加できなかったために、生の歌声は久しぶりに聴けることになる。包み込んでくれるような低音を聴いていると、歌声に抱かれているようで、とても心地よい。今回は、このところの忙しさの中では奇跡的に予定の入ってない日だったので、生の歌声が聴けると思うと、今からとても楽しみである。

最近は、日本人4氏のノーベル賞受賞を除いては、あまり良いニュースも聞かない。そのノーベル賞も、過去の仕事を評価されてのものだが、すべて基礎研究であり、大学の独立法人化によってその基礎研究への予算配分が低下し続けている現実を考えれば、10年先の状況はお寒いものである。そうした現実を認識できる者としては、手放しには喜べないノーベル賞受賞だった。

そんな中で、今回のシャンソン・ライブは、ささやかだが、手放しで喜べるニュースである。来月の楽しい時間を支えに、少し疲れ気味の毎日にささやかな希望をもって進みたいと思う。

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2008年8月27日 (水)

歌ってよ夕陽の歌を

先週末に明和町のジャスコで、70年代までのフォークを歌うコンテストのイベントがあった。友人が参加していたこともあり、隣町の友人と二人で見にいった。参加した友人は残念ながら優勝できなかったが、【バンバン】や【ユーミン】、【チューリップ】などの懐かしい歌が聞け、それなりに楽しい時間を過ごした。

ただ、フォーク…と言われると、個人的には【かぐや姫】以前の【シューベルツ】や【五つの赤い風船】、【上条恒彦】などを連想する。「涙そうそう」の作詞で健在ぶりを示した【森山良子】なども、フォーク系の歌手の1人である。「今日の日はさようなら」や「禁じられた恋」、「さとうきび畑」などが有名だが、個人的には「歌ってよ夕陽の歌を」が好きだ。森山良子の高い声が良く伸びて恋の夕暮れを美しく描いている。

 

歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく

 

あなたは坂を登って行く 私はあとからついていく

影は私達をへだてるので やさしい夕陽は時々雲にかくれてくれる

歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく 

歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく

 

あなたは夏をおりて行く 私は秋に登って行く

心を季節がへだてるので すばやい風はこうして二人を寒くさせる

歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく

歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく

 

 

季節は、夏から秋へと向かう頃。夕焼けが美しくも物悲しい。そんな風景に心の揺れる恋人達の姿を森山良子が歌い上げる。秋の空気を感じさせる今日この頃、ふと聞きたくなる歌である。

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2008年8月 5日 (火)

蜩…長山洋子の歌

夏の陽光の中を響き渡る蝉の声…それ自体が嫌いではないが、それがいっそう暑さを感じさせることもある。それでも、地上に出てからの蝉の命の短さを思うとその声がいとおしく感じられることもある。蝉の声が聞けるのは、それだけ身近に自然が残っている証でもある。そんな蝉の声を聞いていると思い出す歌がある。それが、長山洋子の「蜩」である。

「蜩」は、それまではアイドル歌手として名を売っていた長山洋子が、演歌に転向した時の1曲目の歌でもある。カラオケは好きでも、演歌はあまり歌わない。それでも、長山洋子の歌は何曲か歌うが、特に「蒼月(つき)」とこの「蜩」は演歌にしてはよく歌う方の歌である。

 

命を燃やす季節は短い まして女のきれいなときは

夏の夕暮れ人恋しさに 焦がれなきする蝉のようです

言葉で愛を語れたら 手紙に愛をつづれたら

ああ あなた 死んだら涙 流してくれますか

冷たい身体 抱きしめてくれますか

 

ある意味では、演歌歌手としては若いので相応しい歳になるまでアイドル歌手として芸能界での経験を積んでいたとも言える長山洋子にとって、演歌デビューの第1曲目は非常に重要であったろう。そしてこの「蜩」は、彼女やスタッフのそうした思いにこたえられる良質の演歌である。情念を込められた歌詞が演歌の物悲しいメロディーに乗せられ、想いの熱さが悲しいくらいに切なくなる。そんな歌を、民謡などのトレーニングをしっかり積んできた長山洋子がしっとりと歌い上げる。この歌がヒットしたのも当然だろう。

今も昔も、演歌をそれほど好んで聞く機会はないのだが、それでもこの「蜩」を聞いていると、たまには演歌も良いものだなぁ…と思う。想いのありったけを燃やす熱い恋。燃え尽きてしまうことを恐れないのは、若さゆえかも知れない。けれども、そんな恋もまた良い。そんな風に思う心が、まだ自分自身の中に残っている。それが残っている間は、まだ、文学を続けられそうである。

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2008年7月12日 (土)

本田美奈子の風流風鈴初恋譚

アイドルからロック歌手、そしてミュージカル、クラッシックと様々な分野で自分の可能性を広げ、白血病で亡くなった本田美奈子の歌に「風流風鈴初恋譚」というものがある。だが、様々な本田美奈子の歌のイメージからすると、この歌はまた異色な感じを受ける。何となく、演歌の匂いを感じるからである。作詞は岩谷時子、作曲は弦哲也。「JUNCTION」というアルバムに入っている。

 

風鈴屋さんが来たよ これを1つ下さいな

丸いガラスに 1と刷け赤い花 江戸風鈴を 器用に包み

「ありがとうよ」で 眼と眼があった

忘れられない 初恋の人 名前呼びたい 呼ばれない

駆け出す背中に すずしい声で

土曜の日暮れは いつでもいるぜ だってだって

 

 

浴衣の似合う下町の夏の夕暮れ。道端の風鈴屋と少女の初恋のまなざし。そのしっとりとした風景はアイドルの本田美奈子のイメージはもちろん、ロック歌手の彼女とも、ミュージカルで熱演する彼女とも、クラッシックを歌う彼女とも重ならない。けれども、この一曲の歌には、もしかしたら演歌歌手としての可能性もあったかも知れない本田美奈子の世界が広がっている。その意味では、異質な歌でありながら、本田美奈子はしっとりとこの歌を歌いこんでいるのである。

この歌の入っているアルバム「JUNCTION」は、他にもシャンソンの名曲「愛の賛歌」やミュージカル「ミス・サイゴン」の「命を上げよう」、そして「つばさ」が入っている。良く言えばバラエティーに富んだ選曲だが、悪く言えばまとまりの弱い《アルバム》である。ただ、1曲1曲を丁寧に聴くと、そこに本田美奈子の歌い上げる様々な世界が広がる。一つひとつの歌が強い自己主張をしているアルバムだと言えよう。

そろそろ暑さが本格的になってきた7月。涼しげな風鈴の音に彩られた悲しい初恋小説を本田美奈子の歌声で味わいたい夜である。

 

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2008年6月17日 (火)

6月の子守唄…ウイッシュのハーモニー

その存在を知ったのは80年代で、彼女たちが活躍していた頃ではなかったが、かつてウイッシュという女性フォーク・デュオがいた。「御案内」というベスト・アルバムによって、その歌声を聴き、高く澄んだハーモニーに魅せられた。

その中でも、「6月の子守唄」という歌が、多分、当時はまだ結婚していなかったのではないかと思われる若い女性のイメージの中にある母性を美しく描いていて、特に好きだった。この「6月の子守唄」は、後に《あみん》が「メモリアル」というアルバムの中でカバーしている。《あみん》の声とハーモニーも、もちろん悪くはないのだが、ウイッシュの方がより高く澄んだ印象である。

 

星がひとつ空から落ちてきた

6月の子守唄をうたう母のもとへ

さわるとすぐにこわれそう

ガラスのようなおまえだから

風がわるさせぬように

悪魔がさらって行かぬよう

そしておまえが 目をさましたならば

一番はじめに私が見えるよう

 

この頃はまだ、女性と母性の間に違和感や距離感はなく、少女は結婚して母性豊かな母になると信じられていた。だからこそ、幼児虐待のニュースも耳には届かず、「自分の子が好きになれない」などという苦悩の言葉も聞くことはなかった。けれども、女性の社会進出の希望を企業の欲望が利用して、人々から家族が共に過ごす時間を奪い続けた今、こうした牧歌的なイメージは、ストレートには受け入れがたくなってしまった。

それでも、いや、それだからこそ、この歌の美しいハーモニーが心に染みてくる。この歌の中に織り込まれた真っ直ぐな愛情と母性を、私たちの社会が失わずにすめばいいのだが。 

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2008年5月18日 (日)

おぼろ月夜

夜空を眺めると薄くかかった雲のために星が見えず月もぼんやりとかすんでいる。風もなく、暖かな5月の夜である。星の夜は星の美しさに心が満たされ、雨の夜は雨音に風情を感じ、そしてこんな風に月がかすんだ暖かな夜は、そのやわらかな時間を楽しむ。そんな風流を愛する心がかつての日本にはあったのだ。

そんなことを考えながらぼんやりと月を眺めていたら、何となく心に流れてきた歌があった。「おぼろ月夜」である。小学校か中学校で歌った記憶があるが、興に乗ると時々カラオケで歌ったりもする。「おぼろ月夜」や「早春賦」、「旅愁」、「ローレライ」といった小中学校で歌った歌は高得点をたたきだし、ビールを1本(実はビールは飲まないのだが…)getすることも少なくない。「サンタルチア」で99点をとったこともあるのだ。そんな風に歌ったりもするが、我がCDコレクションの中にも、この「おぼろ月夜」の入っているアルバムがある。さだまさしの【にっぽんⅡ~通りゃんせ~】である。

 

菜の花畠に 入日うすれ 見渡す山の端 かすみ深し

春風そよ吹く 空をみれば 夕月かかりて 匂い淡し

里わのほかげも 森の色も 田中の小道を たどる人も

かわずの鳴く音も 鐘の音も さながらかすめる おぼろ月夜

 

 

春の暖かさが心いっぱいに広がる。心に浮かぶ一つひとつの情景が懐かしく優しい。スケジュールに追われる慌しい日々の中で、ぽかんとできた穏かなひととき。こんな夜は、ぼんやりとかすんだ月を見ながら、「おぼろ月夜」を口ずさむのもたまにはいいかも知れない。

 

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2008年4月30日 (水)

世情…中島みゆき「愛していると云ってくれ」より

人の世は常に動き、変化していく。その変化についていけない人がいる。あるいは、自らの利益のために、その変化を押しとどめようとする人がいる。より多くの人々の幸福のためには変えていくべき方向…というものもあるのだろうが、それを無視して既得権益にしがみつきたい輩もいる。

例えば、ガソリン税関連の法案が、衆議院で再可決された。これだけ問題点が明らかになっているにも関わらず、乱用・不適切な使い方に対する対処の具体的手立ては見えてこないし、なぜ、そのままの税率でなければならないのか…という説明もまったくない。「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる者たち」なのだろうが、今までと同じようにはいかない。この悪影響がどのような形で噴出するとしても、必ず、弱い立場の人々が辛く苦しい思いをするだろう。彼らが怒りを爆発させたとき、あるいは力尽きて死んでしまったとき、社会は、より悲惨な方向へと向かう。

 

世の中はいつも 変わっているから 頑固者だけが 悲しい思いをする

変わらないものを 何かにたとえて その度崩れちゃ そいつのせいにする

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく 変わらない夢を 流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を 見たがる者たちと戦うため

 

そしてマスコミ……。大本営発表の悪夢は「水に流して」しまい「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」ということなのだろうか。ガソリン減税による消費の伸びやコストの削減による経済効果は、なぜ議論にならないのか。無駄遣いが占める割合から、税率の引き下げを求めるような議論がなぜ出てこないのか。制度の不備や問題点が明らかになっている後期高齢者医療制度を「説明して理解を求める」という、「直さない発言」になぜキャンペーンが張れないのか。メディア・コントロールを受けた御用マスコミに堕してしまえば、再び「いつかきた道」を転げ落ちるしかないのだが……。

 

世の中は とても 臆病な猫だから 他愛のない嘘を いつもついている

包帯のような嘘を 見破ることで 学者は世間を 見たような気になる

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく 変わらない夢を 流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を 見たがる者たちと 戦うため

 

アルバム「愛していると云ってくれ」は1978年4月に発売されている。30年も前の歌が問いかけてくるものが、時を隔てた今も心に迫ってくる。

 

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2008年4月19日 (土)

時代…中島、薬師丸、そして徳永

先日行った行きつけのスナックで徳永英明のVOCALISTというアルバムが話題になっていたので、遅ればせながら今夜聞いてみた。VOCAL2も含めて、様々な女性歌手/ボーカリストのヒット曲を徳永英明が歌っているものである。そのVOCALISTの1曲目に入っている歌が中島みゆきの「時代」である。「時代」は中島みゆきの歌の中でも特に好きなものの1つで、通常のバージョンだけでなくアコースティックギターによるバージョンの入っているアルバムも持っている。高校や大学時代には、よくギター片手で歌った歌でもある。

その後、薬師丸ひろ子主演の映画「ダウンタウンヒーローズ」のイメージソングになったこともあり、薬師丸ひろ子によるシングルも出ている。さすがに、映画までは見に行かなかったが、シングルCDは買った。中島みゆきの少しけだるいような声とは違う、透き通った薬師丸ひろ子の声は、少し軽い気もしたが、時には聞いてみたいという感じの印象だった。

そして、今回の徳永英明。徳永の声はけっこう高いので印象的には、中島みゆきと薬師丸ひろ子の中間くらいで、思っていた以上にしっくりと耳に入ってきた。ある意味では、中島みゆきの少しけだるいような声は悪くはないけれど少し不満もあった。ちょうど、ユーミンの「卒業写真」よりもハイ・ファイ・セット「卒業写真」の方が耳には馴染むように、徳永の「時代」は中島みゆきよりも高くスッキリした声だが薬師丸ひろ子ほども軽くはなく、歌詞にしっくりと馴染むのである。もちろん、それぞれ嫌いではないからこそ、CDはちゃんと持っているのだが……。

この歌の歌詞のように時代はまわり、時代はめぐる。それでも、良い歌は、時代を越えて歌い継がれる。歌手は変わっても、それぞれに味わいのある歌。今夜は、じっくりと「時代」を楽しもうか。

 

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2008年4月 9日 (水)

春爛漫…森田童子Ⅱマザー・スカイより

人混みの桜吹雪の中を歩いていく時に感じる孤独…そんなイメージが心に浮かんで大好きだった歌がある。森田童子のセカンド・アルバム【マザー・スカイ】の10曲目に収録されている「春爛漫」という歌である。森田童子の6枚のアルバムの中でも、この【マザー・スカイ】は印象に残る歌が多いが、桜の散り始める時期になると、よくこの「春爛漫」という歌が心に浮かんでくる。3分にも満たない短い歌なのだが、繰り返される言葉の中で、イメージがどんどん深まっていく。

 

桜の花びら 踏んで 歩いた 君と肩くんで 熱くこみあげた

春よ 春に 春は 春の 春は遠く

春よ 春に 春は 春の 春は遠く

悲しみは 水色にとけて 青い空の 青さの中へ

青く 青き 青の 青い 青さの中へ

青く 青き 青の 青い 青さの中へ

哀しい夢 花吹雪 水の流れ ンーン ンーン 春爛漫

 

風に舞う淡い紅色の花びら、透き通るほど青い空、美しい風景がどこか哀しい彩を帯びて胸に迫ってくる。周りの春を楽しむ人々の中で一層際立つ、真っ青な孤独。それでも、夢はおろか目的すらも見出せないまま彷徨い、歩き続ける若き日々。中学から高校にかけて、言葉にしきれないもやもやを抱え込んだまま闇雲にあがいていた時間が、この歌のイメージに重なってくる。

もちろん、今はもうそのような【若さ】はない。けれども、必ずしも心躍るだけではない春の姿がそこにある。

 

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2008年4月 4日 (金)

北岡さんの伊勢ライブ

4月27日の日曜日、午後3時から、伊勢市民活動センター北館の2階で、堺市在住のシャンソン歌手・北岡樹(みき)さんがチャリティー・コンサートを行う。北岡さんとはけっこう長い付き合いになるが、以前、市内のラテン・バーのライブで出会い、詞を提供するようになった。このblogでも二度ほど記事にした「ぶたないで」という歌も、そのうちの1つである。

「ぶたないで」は幼児虐待をテーマにした詞で、吉田さんというピアニストが曲をつけて、時々ライブでも歌っていたのだが、何しろテーマが重いため、一時期歌わない時期が合ったらしい。ところが、昨今、幼児虐待の事件が多く報道される中、北岡さんは「ぶたないで」のシングルCDを製作し、無料で配布するという活動を始めた。北岡さんの活動は、関西の複数の新聞でも取り上げられている。

その北岡さんが、伊勢志摩の不登校ひきこもりの親の会のメンバーが中心となって実行委員会を作ったチャリティー・コンサートのために伊勢に来る。コンサートが決まったという話を聞いたとき、久しぶりに生で北岡さんの歌を聞けると喜んだのだが、残念ながら、精神分析の講義と重なってしまい、行けなくなってしまった。とても残念である。

北岡さんの低音の歌声は、音楽で抱きしめてくれるように身体を包んでくれる。そうした北岡さんだからこそ、こちらとしても頼まれたものも含めて何曲かの詞を提供したのである。もっとも、曲がついてライブなどでも歌っている歌は、今のところ「ぶたないで」以外は知らないのだが……。

その伊勢でのコンサートもあと3週間ほどとなった。友人や知り合いにポスターやチケットを頼んだりして、こちらも可能な範囲でできるだけのことをしている。私自身は今回は聞けそうにないが、ぜひとも、多くの人に北岡さんの伊勢での歌を聴いてもらいたいと思っている。

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2008年4月 3日 (木)

桜散る…さだまさし【Glass Age】より

市内を車で走っていると、道端の桜の一部は葉桜へと変わり始めている。満開の桜も良いが桜の散る風情もけっこう好きだ。そんな季節に思い出すのが、さだまさしの【Glass Age】というアルバムに入っている「桜散る」という歌である。桜の散りゆくイメージに恋が終わり恋人が去っていくシーンのイメージが重なって描かれる歌。「桜散る 桜散る」と繰り返されるサビの部分が春の美しくも悲しい別れを風景写真のようにイメージさせてくれる。

「愛し過ぎる」ことは「愛さない」ことと同じだろうか。確かに、深く愛すれば、相手を自分の都合で束縛できなくなるような気持ちが生じることがある。けれども、相手を束縛し合う…ということも恋愛の重要な要素の1つである。そうした観点からすれば、「愛し過ぎる」ことは「愛さない」と同じになってしまうのかもしれない。

自分の恋人が、別の人を好きになってしまったとき、それを許容できるか。ほとんどすべての人が許容できないだろう。まして、その好きになった相手まで好きになるなどということは不可能に近い。けれども、「君が愛した人を 僕も愛せる そんな日がくると いいね」とさだまさしは歌う。そこには、相手への深い愛情がある。

 

桜散る 桜散る 想い出を埋め尽くして

桜散る 桜散る もう君が見えないほど

桜散る 桜散る 雪の面影なぞる様に

桜散る 桜散る もう君が見えないほど

 

繰り返される言葉をさだまさしの高い声に乗せて、美しい風景の中に散り逝く恋が見える。けれども、それでも残る深い愛が哀しくも美しい。それを彩るように舞う桜の花びらが深くイメージとして心に焼き付いていく。そんな歌である。

 

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2008年3月15日 (土)

春よ、来い

日差しや空気がすっかり春めいてきたが、この時期になると思い出す歌の1つが「春よ、来い」である。NHKの朝の連続ドラマの主題歌だったのだが、1994年の歌であり、もう10年以上も前に作られたものということになる。ドラマそのものの印象はあまり残っていないが、この「春よ、来い」という歌はけっこうすきで、今でも春の初め頃にカラオケで歌うことが多い。日本的な音階が続くイントロの後、1番の冒頭の歌詞は、いかにも早春…という風景のイメージが頭に浮かぶが、続く2番の歌詞は、変わらぬ想いが綴られ、こんな愛し方をしたくなる。

 

君にあずけし我が心は 今でも返事を待っています

どれ程月日が流れても ずっとずっと待っています

それは それは 明日を越えて いつか いつか きっと届く

春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まる時 夢をくれし君の まなざしが肩を抱く

夢よ 浅き夢よ  私はここにいます 君を想いながら ひとり歩いています

流るる雨のごとく 流るる花のごとく…

 

時は流れ、人の心もまた移ろい行く。それでも、愛する人を信じ、愛を信じて待っていたい。そうした瞬間の想いは、多分、真実だろう。けれども、時と場所を隔てたとき、待ち続けられる人はそれ程多くはいない。そして、一方が待ち続けられても必ずしももう一方は待つことに耐えられないことも少なくない。その意味において、お互いに待ち続けられる…というのは奇跡に近いかもしれない。それでも、そのような関係がある…ということも信じたい。それは美しい夢である。

その夢を実現できる強さが、人にはあるのか。答は、自分自身の心と行動に聞くしかない。けれども、待つことの出来る自分でありたいとは思っている。

 

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2008年3月11日 (火)

春なのに…卒業式の日に

今日は、市内の中学校で卒業式が行われた。卒業式の時期…というと「蛍の光」や「仰げば尊し」といった歌以外にも、H2Oの「想い出がいっぱい」や海援隊の「贈る言葉」、ハイファイセットの「卒業写真」、高橋由美子の「いつか会おうね」、NHKみんなの歌の「ありがとうさようなら」といった歌が頭に浮かぶが、「春なのに」もそうした歌の1つである。作詞・作曲は中島みゆき、それを若い頃の柏原芳江が歌っていた。我が家のCDコレクションの中には、中島みゆきの「春なのに」はあるが、残念ながら柏原芳江の「春なのに」はない。この辺りは、ちょっとした愛嬌だろうか。

だが、イメージとしてはやはり柏原芳江の歌の方が強い。中島みゆきが歌うには、歌詞が可愛らしすぎて、どことなく違和感があるからかもしれない。それでも、逆に、中島みゆきがこのような歌詞を書けるというのも驚きだった。その意味でも、若い頃に聞いた、卒業シーズンの、印象深い歌の1つである。

 

卒業だけが理由でしょうか 会えなくなるねと 右手を出して

さみしくなるよ それだけですか むこうで友だち 呼んでますね

流れる季節たちを微笑みで送りたいけれど

春なのに お別れですか 春なのに 涙がこぼれます

春なのに 春なのに ため息またひとつ

卒業しても 白い喫茶店 今までどおりに会えますねと

君の話はなんだったのと きかれるまでは言う気でした

記念にください ボタンをひとつ 青い空に捨てます

春なのに お別れですか 春なのに 涙がこぼれます

春なのに 春なのに ため息またひとつ

 

シーンとしては、やはり過去の時代のものだろうか。この歌に思いを重ねて聞いていた時代があった。可憐だった頃の柏原芳江の声がまた、胸に迫った。けれども、今の子どもたちの感性とは微妙にずれている気がしないでもない。

それでも、子どもたちは長く共に過ごしてきた仲間たちと別れ、それぞれの未来へ向かって歩き出す。新しい出会いが当然待ち受けている訳だが、その前に、自分を育んでくれた「場」や人々との別れがある。後に、また出会い直しが出来る場合もあるが、そういう機会がない場合も出てくるだろう。だが、子どもたちが生きて成長していくために「卒業」は避けては通れない儀式である。今日、巣立って行った中学生たちの未来が、明るいものになるように祈ると共に、大人として自分のしてあげられることをきちんとやっていきたいと思う。

 

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2008年3月 2日 (日)

おやすみ(Good Night)…ふきのとうの歌

谷山浩子、あみん…と「おやすみ」という歌について取り上げたが、わがCDコレクションの中にはもう1つ「おやすみ」という歌がある。《ふきのとう》の【水車】というアルバムの8曲目に収録されているのが「おやすみ(Good Night)」という歌である。これは、男がその恋人に歌う形の歌詞になっている。作詞・作曲は細坪基佳である。

 

あなたと僕の 愛がどれほど強いものか きっと誰もわからない

あなたと僕の 胸のふるえが聞こえてくるんだ ずっとこのままでいよう

おやすみ僕の腕を枕に 僕には何もあげるものがないけど

あなたのために強くなってゆくよ これから

若いだけの あやまちじゃない 僕の言葉も あなたのぬくもりも

あなたと僕の 甘く哀しい愛の夢は 暗い闇の中から

おやすみ僕の腕を枕に 僕には何もあげるものがないけど

あなたのために強くなってゆくよ これから

 

時間にして3分にも満たない短い歌である。けれども、ふきのとうの澄んだハーモニーが歌い上げる世界は、はかなく優しい。心で想い合っていても、現実の様々な問題や矛盾が心を通わせる2人に襲いかかってくることは多い。そのような苦難を越えていくためには、優しさだけではなく強さも必要となる。2人の未来を切り開いていくためには、2人が共に強くなっていかないと先へは進めない。しかし、その「強さ」を支えるのは、お互いの想い/信頼であろう。

本当に短くはかない歌である。けれども、恋をする気持ちの素直な優しさを思い出させてくれる温かな歌である。

 

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2008年2月28日 (木)

おやすみ…あみんの歌

昨年の紅白歌合戦で、復活した《あみん》が「待つわ2007」を歌っていたが、《あみん》と言えば「おやすみ」という歌も思い出す。作詞と作曲はもちろん岡村孝子。だが、この歌は、《あみん》の1stアルバム【P.S.あなたへ…】にも2ndアルバム【メモリアル】にも入ってはいない。それでも、若い岡村孝子の豊かな感性と《あみん》のハーモニーの美しさを味わえる歌である。

 

泣いているの? 笑ってるの? 黙っていたらわからない

電話してる部屋の外 雨が降っている

あんな男(やつ)と知らなかった 顔など見たくもないわと

返す言葉さがせずに ため息こぼれる

本当は彼にふられたってこと 友達にきいたけど

あなたの泣き声 ききたくなかった

もうおやすみおやすみ 泣きつかれ涙も枯れた夜だから

もうおやすみおやすみ 今夜だけは朝まで子守歌うたうから

 

人生の分岐点で悩む時、自分を支えてくれる同性の友人の存在……。その温かさが、胸に染む。珍しいテーマを扱っているが、それがまた女性の感性の一端を覗かせてくれるようで興味深い。詞の内容は少し重いが、《あみん》の高く澄んだハーモニーが、それ程重くならずに聞かせてくれる。その辺りは「待つわ」とも共通するかも知れない。

この「おやすみ」の後、《あみん》は活動を停止し、その後しばらくして、岡村孝子はソロで歌いだす。その際に「あの日の風景」や「未知標」といった歌はソロになってからのアルバムに収録されたりもしていたが、「おやすみ」はそうはならなかった。もしかすると、「待つわ」と「おやすみ」は《あみん》としてこそ歌える歌なのかもしれない。

 

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2008年2月19日 (火)

おやすみ…谷山浩子の歌

昨夜は都合で布団に入るのが遅くなり、少し睡眠不足気味だったので、夕食の後、谷山浩子の【Mezzo Piano】というアルバムを聞きながら、灯りを消してウトウトしていた。このアルバムは以前も取り上げたが、歌の入っていないピアノアルバムなので、こんなシーンにはピッタリなのである。その中のラストの曲が《おやすみ》である。谷山浩子の奏でるピアノを聞いていたら、歌詞がそのまま浮かんできた。

 

 

おやすみ ぼくの 大好きな人 遠くはなれて 会えないけれど

おやすみ ぼくは あなたのことを おもっているよ どんな時でも

淋しくないか ひとりの夜は 話す相手は いるのだろうか

おやすみ 今夜 あなたのために 灯りをひとつ ともして眠るよ

 

 

側にいない愛する人を思いながら歌う、その言葉の一つひとつが、しんみりと心に染み込んでくる。できるなら、一緒に眠りたい。けれどもそれがかなわぬならば、せめて祈りだけでも届けたい。寒い冬の夜、歌に込められた温かな想いが心をふるわせる。愛する人の幸せと、世界の人々の平安を祈りながら床に就きたい。

 

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2008年2月11日 (月)

雪が降る日に…かぐや姫の歌

9日の土曜日は研究会の関係で滋賀県に行った。8時過ぎに志摩を出たのだが、11時前に京都についた頃には雪が降っていた。さすがに近鉄特急は時間通りであったがJR湖西線は11時過ぎには遅れが出始めていた。志摩などはめったに雪が降らないので、雪景色を見るのは風流だと思うのだが、雪の中の移動は慣れてないためにけっこう大変である。それでも、雪景色を見ていると思い出す歌がある。その1つが、【かぐや姫】の「雪が降る日に」である。

【かぐや姫】は中学の頃から聞き始め、「神田川」や「赤ちょうちん」、「22才の別れ」などをギター片手に良く歌っていたが、そういう趣味の仲間と歌う時には、パートの別れる「雪が降る日に」なども歌っていた。

 

雪が降るよ やまずに昨日から 昨日から 窓の外は何も見えない 見えない

約束を信じてた 約束を信じてた 昨日の夢は 終わるよ

雪の上に 足跡続くよ 続くよ 私を連れてゆこうと あなたは言ってたのに

足跡を追いかけて 足跡を追いかけて 昨日の夢は 終わるよ

昨日の夢は 終わるよ

 

高く伸びる声が印象深い歌だが、繰り返しのフレーズが多く、けっこう単純な歌である。けれども、別のパートの「雪やこんこん あられやこんこん ふってもふっても 何も…」といった言葉が重なると、けっこう面白い効果がでる。あるいは、それがあるからこそ、メインの詞は繰り返しが多くて単純になっているのかもしれない。

最近は、ギターを片手にこの歌を歌うことはめったにない。それでも、雪の日には、不意に耳の奥に聞こえてくる歌なのである。

 

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2008年2月 3日 (日)

最後の一葉…12ページの詩集より

太田裕美のアルバム「12ページの詩集」の6曲目に「最後の一葉」という歌がある。もちろん、有名なO・ヘンリーの傑作短編小説『最後の一葉』を元にして作られた歌だ。作詞/松本隆 作曲/筒美京平で、シングルにもなっている。もう30年以上も前の歌だが、たまに、聞きたくなる時がある。

 

この手紙着いたらすぐに お見舞いに来てくださいね

もう三日あなたを待って 窓ぎわの花も枯れたわ

街中を秋のクレヨンが 足ばやに染めあげてます

ハロー・グッバイ 悲しみ青春 別れた方があなたにとって

倖せでしょう わがままですか

木枯しが庭の枯れ葉を 運び去る白い冬です

おでこへとそっと手をあてて 熱いねとあなたは言った

三冊の厚い日記が 三年の恋 綴ります

ハロー・グッバイ さよなら青春 林檎の枝に雪が降る頃

命の糸が切れそうなんです

生きてゆく勇気をくれた レンガべいの最後の一葉

ハロー・グッバイありがとう青春 ハロー・グッバイありがとう青春

凍える冬に散らない木の葉 あなたが描いた絵だったんです

 

歌詞では、恋人同士の話になっているが、原作では壁の葉は嵐の夜に老画家が命を削って描いた作品であり、若い娘が悪性のインフルエンザから回復するのと引き替えに老画家は肺炎のために危篤に陥っている。物語としては原作の方が深みがあるが、アイドルの歌としてはこれで良いのだろう。イントロのピアノソロの音と、ピアノを弾きながら太田裕美が歌い始めるシーンが心に浮かび上がる。青春時代の1ページである。

 

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2008年1月27日 (日)

砂塵の彼方…弱者は戦争へ

「冬の稲妻」が入っているアリスⅥのアルバムの3曲目に「砂塵の彼方」という歌がある。作詞は谷村新司、作曲は堀内孝雄、学生時代は時々ギターを片手に1人で、あるいはサークルの仲間たちと歌っていた歌である。

 

外人部隊の若い兵士は いつも夕陽に呼びかけていた

故郷に残してきた人に 自分のことは忘れてくれと

不幸を求めるわけじゃないけど 幸福を望んじゃいけない時がある

いつも時代は若者の 夢をこわして流れてゆく

もうすぐ私も死ぬだろう それは祖国のためにではなく

思い出だけを守るために 愛する人を守るために

不幸を求めるわけじゃないけど 幸福を望んじゃいけない時がある

私は明日を信じない 今日がなければ明日も来ない

 

ここに描かれたシーンに、アメリカの貧困に苦しむ若者たちの姿が重なる。《テロとの戦い》でイラクやアフガニスタンの戦場に送られている若い兵士たちは、産業の空洞化によって職がなかったり、教育予算の切捨てのために高騰する学費の返還や大学の卒業のために兵役についたり、国籍や永住権の取得のために兵役についたりするような貧困層がほとんどである。こうした現実は、マイケル・ムーアの映画【華氏911】や堤未果の『ルポ    貧困大国アメリカ』(岩波新書1112)などに詳しく描かれている。

ブッシュ政権の遂行する《テロとの戦い》だが、それを推進し、あるいは積極的に協力しようとする人々は、なぜか危険な戦地には足を運ばない。【華氏911】でも、ブッシュ一族や上院議員の家族が誰一人として軍人として中東の土を踏んでいないという事実がマイケル・ムーアのインタビューによって暴かれていく。それとは逆に、戦地に赴く兵士たちは、国策として削減された福祉予算や医療費・教育予算の削減によって、多額の借金を背負い、生存権を奪われて、戦地へ赴く以外の選択肢を奪われている。

軍需産業や多国籍企業のみが肥え太り、国民が生活を破壊され、未来を奪われていく現実がそこにはある。少し前にアメリカ軍兵士の捕虜や現地人への虐待がニュースになったが、そのような形で痛めつけられ自ら人権侵害を受けた人々が、さらに弱い立場の人々を虐待し人権を侵害する行動に走ってしまう…という例は、歴史を紐解けば、今までも世界各地で何度も繰り返されたものである。

それを考えれば、経済格差の放置は自国のみならず世界全体を破壊し不幸の種を撒き散らすことに直結していることが分かる。「民営化」という名の下に削ったり売り渡したりしてはいけないものがある…と、堤未果は警告する。小泉改革、安倍政権そして福田政権と進めてきた「改革」の成果が弱者の切捨て、セーフティー・ネットの縮小、そして格差の拡大という形で「実」を結んだ現実が日本にもある。この流れを放置した時、日本も、国民のためではなく企業の利益のために戦争をする国、社会的弱者が生存権を奪われて戦争に追い込まれていく国になってしまう。

日本を、若者の夢を壊して、一部のものだけが肥え太る国にしてしまってはいけない。

 

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2008年1月21日 (月)

小さな質問…君の言う枯葉どこにあるの?

アグネス・チャンの昔の歌に「小さな質問」というステキな歌がある。もう25年以上も前の「小さな質問」というアルバムの冒頭を飾っていた歌で彼女自身の作詞・作曲だったような記憶がある。しっとりとした良い歌で、この「木」のような人間になりたい、と初めて聞いたときにしみじみ思ったものだった。

心の中に鍵かけては生きていけませんね 

自分がみても素敵な娘になるのが大切な事

ヒュルヒュルルール風に舞う1枚の枯葉のように 

あてもなく回り続けたそんな悲しい若い日

大きな木にぶつかってポトンと座りこんだ

見上げれば優しい顔 言葉より胸に響いた

傷つけられたと言いながら自分で直せなくて

もどかしいから不器用だと逃げて走り続けた

ヒュルヒュルルールいつだって正しいと言いたかった

けれどもそれは無理だね自分で気づいたくせに

大きな木に聞いてみる小さな枯葉の未来

答える前に1つ聞こう 君の言う枯葉どこにあるの

君の言う枯葉どこにあるの

 

人は時として、自信をなくし、悩み、迷い、自分が取るに足らない、価値の無い小さな存在だと感じてしまう事がある。そして、自分が、ここにいても良いのか、生きていてもいいのかと考えてしまう。そんな時に、ただ、側にいて冷えきった心を温めてくれる、そんな存在があれば救われる。「小さな枯葉に未来はないでしょ?(私はその小さな枯葉のようなものなの)」…「君の言う枯葉どこにあるの(君は枯葉じゃないよ)」そんな風に応えられる大人になりたいと思った。もう四半世紀ほど前のことだから、昔むかしの話である。

さて、それなりの年月を重ねて、今ここにいるわけだが、自分は「大きな木」になれただろうか。それとも、また「小さな枯葉」のように木枯しにまかれてフラフラと漂っているのだろうか。たまには、木の真似事が出来ることもあるかもしれないが、まだまだ「大きな木」には程遠いような気がする。それでも、さらに年齢を積み重ねて「大きな木」になりたいものである。

 

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2008年1月11日 (金)

再び「海の時間」…恋人と眠りたい夜

冬の雨の夜、コタツに入っていてもどこか寒いように感じられる。それでも、愛する人と一緒に過ごせば、その時間は永遠にもにた豊かさを持つ。谷山浩子の高い声とピアノの音に抱かれて、「海の時間」を漂いたい。

 

ずっときみとこうしたかった 寒い夜にベッドの中で

頬と頬をくっつけあって 雨の音を聴いているよ

きみの中指にキスをして きみの髪に顔をうずめて

きみをほんとにダイスキだよ 何度言っても言いたりない

あかりを消して 息をひそめて はじまるよ 静かにね

ぼくたちのベッドの船が 今 すべりだした 時を超えて

ごらん とてつもなく背の高い 不思議な樹が伸びていくのを

不思議な樹の大森林が 胞子の雨を降らせている

遠い昔の植物たちの 淡い夢が空をうずめて

とても小さなぼくときみは 空を見ている水の岸辺

それから時を さらにさかのぼり たどりつく 船は今

海の底 気の遠くなるような 長い長い 海の時間……

 

時を超えて愛し合うことが幸せになるかどうかは分からない。けれども、永遠とも感じられるような充実した一瞬一瞬を積み重ねられるような愛し合い方ができたら、多分、幸せなのではないだろうか。「海の時間」という歌に抱かれ、そんなことを考えている。

 

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2008年1月 6日 (日)

お酒の歌

高石ともやとザ・ナターシャセブンの歌はほのぼのとして好きな歌が多い。だが、初めて聞いたときに思わず笑ってしまった歌がある。ウィスキー党としては少し不満が残るが、これだけお酒の名前が並ぶと、ちょっと壮観であり、また、酒をたしなむ男にとっては少し耳の痛い歌でもある。

瞳のきれいなあの人が好き 彼は私よりお酒が好き

白雪 白鹿 北の誉 キリン アサヒ 純生 サッポロジャイアント

昨日も日暮れに遊びに来て そのまま朝まで酔いつぶれ

大関 剣菱 金杯 月桂冠 福娘 あけごころ 小町娘

私の父さん呑み助だった 酒飲みの女房にゃなりたくないの

黄桜 松竹梅 菊正宗 加茂鶴 白鶴 沢の鶴

もうすぐあの人と結婚します 彼よりもお酒に泣かされるでしょう

富翁 美少年 男山 オーシャン ニッカ サントリー 日本盛 爛漫

 

この歌詞は、記憶に頼って書いたもので、もしかすると間違っている箇所があるかも知れない。それでも、仲間と酒を飲みながらギターを手にすると、ついつい歌いだしたくなる歌なのである。自分の好みからすれば、ウィスキーの名前を並べて、こんな歌を作ってみたいと思う。ただ、酒で家族を泣かせる…つまり、酒に飲まれるような飲み方はしたくない。酒の味わいを楽しみながら、余裕をもって飲んでいたい。ただ、軽快なリズムとバンジョーの音が楽しく、とにかく、酒好きにはたまらない歌である。

 

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2007年12月31日 (月)

イーハトーヴの魔法の歌

寒い大晦日になった。さすがにこの辺りに雪は降っていないが、慌しかった1年があと少しで終わる。思いがけず静かな時間が年が変わるのを前にして訪れた。こんな夜に、ふと聞きたくなったのは、谷山浩子の4thアルバムに入っている【イーハトーヴの魔法の歌】である。

この寒波では、イーハトーヴの現世での位置に当たる岩手県には雪が舞っているのではないだろうか。愛してやまない宮澤賢治の童話世界の登場人物たちも、静かな異界で新しい年を迎えようとしているのだろうか。

 

雪の中 こんなに静かな夜は イーハトーヴの魔法の歌が

白く輝く雪たちが 思い出みんなつつむ夜

しあわせかいって 誰かが聞いた そんな気がして ふりむいても

そこには私の足跡だけ

雪の中 こんな静かな夜は イーハトーヴの魔法の歌が

ほら 本当に聞こえてきます

 

そんなに長い歌ではない。けれども、語りかけるような言葉が、多忙だった1年の疲れをすうっと吸い取ってくれるように感じられる。こんな時間を迎えることができたことが何となくうれしく感じられるひととき。静かに、そしてゆっくりと時間が流れる。谷山浩子の透き通った高い声に導かれ、穏やかに眠りにつこう。

 

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2007年12月 9日 (日)

さらばシベリア鉄道…すれ違う想い

松本隆が詞を書き、大瀧詠一が作曲した「さらばシベリア鉄道」は作曲者の大瀧も歌っているが、個人的には太田裕美の歌っていたものの方が印象が強い。大瀧詠一の方はシングルはもちろんアルバムも持っていなかったのだが、太田裕美の方は「12月の旅人」というこの歌の入ったアルバムを持っていることにもよるのだろう。

この歌は、カラオケのレパートリーの1つだが、太田裕美にも大瀧詠一にも歌えないような形で歌う事が多い。女の言葉の部分はカウンター・テナーで、男の言葉の部分は通常の声で歌っている。声を変えることで、それぞれの思いが少し分かるような気がする。

男と女のすれ違い…そして女はシベリア鉄道に乗る。手紙を読んだ男は…

 

哀しみの裏側に何があるの? 涙さえも氷りつく白い氷原

誰でも心に冬をかくしてると言うけど あなた以上冷ややかな人はいない

君の手紙読み終えて切手を見た スタンプにはロシア語の小さな文字

独りで決めた別れを責める言葉探して 不意に北の空を追う

伝えておくれ12月の旅人よ いつ……いつまでも待っていると

この線路の向こうには何があるの? 雪に迷うトナカイの哀しい瞳

答えを出さない人についてゆくのに疲れて 行き先さえ無い明日に飛び乗ったの

ぼくは照れて愛という言葉が言えず 君は近視まなざしを読みとれない

疑うことを覚えて人は生きてゆくなら 不意に愛の意味を知る

伝えておくれ12月の旅人よ いつ……いつまでも待っていると

 

日本の男たちは、想いを口にするのが下手だった。けれども、それを察してくれる女たちがいた。だが、それは男たちの甘えだったのだろう。女たちはやはり、愛の言葉が欲しい。それは、もしかすると気休めに過ぎないのかも知れないが、愛する男の口から愛の言葉を聞きたいのである。ただ、最終的には、相手を信頼できるかどうか…という点にかかってくる。様々な苦難を乗り越えて、心から信頼できると感じられる相手こそ、かけがえのないパートナーなのだろう。

冬も深まり、寒さが身に沁み始めた。それでも、かけがえの無いパートナーの側で過ごせる時間があれば、寒さもそれほど気にならなくなるかも知れない。

 

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2007年11月25日 (日)

Winter Comes Around(冬の1日)

TM NETWORKの「CAROL」というアルバムは、1つひとつの歌が関係しながら、一連の物語を作るような構成になっているおもしろいアルバムである。そして、その物語はメンバーの1人木根尚登の手で小説化され、アニメ化もされた。物語の展開はどことなくミヒャエル・エンデの『モモ』のイメージと重なるところがあるが、「CAROL」の場合は《時間どろぼう》ではなく、《音楽どろぼう》が敵である。

そのアルバムの9曲目に【Winter Comes Around(冬の1日)】という歌がある。作詞の小室みつ子はこの頃のTMNの歌の定番だが、作曲は木根尚登。TMNの歌は小室哲哉の作曲が多いが、木根も時々印象的な歌を作っている。この【Winter Comes Around】もそんな木根のバラードの1曲である。「CAROL」の物語の流れの1シーンとしてピッタリはまる歌なのだが、この1曲だけを取り出して聴けば、上質のLove Songのようにも聞こえる魅力をも併せ持った歌である。

うずくまるハトと 凍る街路樹 急ぎ足の誰か 広場を抜けて

冬がめぐる街のどこかに 君が確かに生きている 

石につまずくようにたやすく 一度は出会った

君を失うはずはない 人混みに問いかけても 分け合えなかった日々は 風にさらわれ

Winter comes around

人は出会い、そして別れ……そんな日々を繰り返しながら人生を歩み続けるが、自分の人生にとって大切な意味を持つ人との出会いは、やはり、運命のようなものを感じる。出会うべくして出会った、そんな必然のような感触なのである。様々な出会いと別れを経ることが、この人との出会いには必要だった、そんな風に思えるような出会いもある。そのような相手との関係は、時間や距離を隔てても信頼の絆で結ばれる。信じる事は大切だが、信じられるということは幸せでもある。

人生の歩みの途上では、何度となく辛く厳しい《冬》を経験することも少なくない。けれども、信じられる人と共に歩いていけるなら、やがてくる《春》を心から信じられる。聞いていて、そんな気持ちにさせてくれる、地味だがしっとりとした歌である。

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2007年11月10日 (土)

再び「夢の樹」…岡村孝子の1stアルバムより

以前にも書いたが、岡村孝子の歌の中で特に好きなのが「夢の樹(き)」と「オー・ド・シェル(天の水)」という歌である。2つとも、アルバムのタイトルにもなっている歌だが、今回、あらためて「夢の樹」について書いてみたくなった。カウンセリングなどと関わりを持っている関係で、先日、「夢の樹」の歌詞が頭に浮かんだことがあり、それについての話をする機会があった。そこで今回はその辺りも含め、もう一度「夢の樹」について書いてみよう。

人は、誰かに「わかってもらいたい」と願いながらも、孤独の中で生き続ける。けれども、「わかる」「わかりあう」ということはけっこう微妙な問題を含んでいる。それでもやはり、多くの人は「わかってほしい」と思う。特に、自分が大切に思っている人に分かってもらいたいのである。けれども、それはそう単純でもない。そんな現実を、淡々とこの歌が歌っている。特に、2番の歌詞に接しているとそのことを強く感じる。

 

悲しい顔して生きてる女に 誰かがやさしくする

傷つくことなど知らない人ほど 悲しい顔を見せる

一つの夢見て歩いてきたのに 通じる心もなく

やっとの思いで芽生えた夢の木 つみとり逃げてしまう

今窓の外 木枯しに散った枯葉が舞い上がる

そんなものだとくり返し 落葉は風に消えてゆく

泣きたいよね 泣きたいよね 男だって女だって 立ち止まる時には

からみついた心の糸ほどくような優しいうた あなたにも届け

悲しい恋などしたくもないのに こりずに愛を探す

死ぬほどつらいと言ってる人ほど 悲しい恋におちる

期待はしないと夢など見ないと 何度も誓ったのに

わかってほしいと一人はつらいと 心がつぶやいてる

今この胸に打ち寄せる波の終りはどこだろう

いつか出会うとくり返し 船は沖へとすべり出す

泣きたいよね 泣きたいよね 行く所も帰る場所も 遠すぎる時には

感じたいね 真実(ほんとう)のうた あなたのため 私のため 生きている限り

 

この歌は【あみん】の活動を休止してソロ活動を始めた最初のアルバムのラストを飾る歌である。それまでの過程の中で岡村孝子自身もいろいろと悩み、苦しんだという話を何かの雑誌で読んだ記憶がある。その過程を経て出来た歌だからこそ、味わい深い内容になっているのだろう。もう若いとは言えない年齢になったが、まだ人生の途上……どこへと至るのかは定かではない。それでも、「真実のうた」に近づけるような生き方をしたいと思う。

 

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2007年10月31日 (水)

電車…あなたをなくしてまでも

岡村孝子の3rdアルバム『リベルテ』の3曲目に【電車】という歌がある。イントロの電車に揺られているようなリズムが、心地よく耳に馴染むが、しっとりと歌いこまれる歌詞に耳を傾けていると、胸に響くフレーズがある。

 

誰もが自分の生き方を見つけて歩いてゆくけれど

私は変わらずに私でいるしかできない

あなたを失くしてまでも決めた道を悔やむほど弱くなった私をしかって

あなたを失くしてまでも決めた道を進むほどずるくなって明日を変えたい

 

日々の仕事に追われ、自分を見失いかけたとき、ふと心に浮かぶ人。荒井由実/ハイ・ファイ・セットの【卒業写真】という歌もそうしたイメージを歌っているが、この【電車】は、思い出に抱かれるという感じではなく、自分の選択した「現実」にのたうちながらも、生きていこうとする思いがいっそう生々しく感じられる。

恋を選択する道もあった。だが、恋とは違う選択をした。でも、あの時に恋を選択していたら、今とは違う人生があったのだろう。けれども、実際には、恋を選ばなかった。だからこそ、今の「現実」がある。その「現実」の中で、ふと、疲れを感じてしまった時……。

もちろん、この歌は女性の立場・視点で書かれている。だが、男にもそんな瞬間がある。それでも、歩みを止めることなく進まなければならない「現実」を感じながらこの歌を聴くと、何となく励まされる。

自分の選択によって傷ついた人がいる。かけがえのない大切な人を傷つけた選択。けれども、そんな犠牲を払ってまでも納得できるような生き方をしてきただろうか。必ずしも、yesと言えない自分の今に、心は傷つき、疲れきっている。だけど、明日も生きていく。そんな、自分の中のしたたかさを信じたい。

聞いていて、こんな思いにさせてくれる歌である。

 

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2007年10月20日 (土)

やさしくしないで…リューズの歌

映画「銀河鉄道999」で、機械伯爵の愛人である時間を自由に操る機械化人の女リューズが、惑星ヘビーメルダの酒場で歌を歌うシーンがある。その際にリューズが歌っているのが【やさしくしないで】という歌である。

 

何が欲しいというの 私 それとも愛 つばさいやす鳥たちも 私を欲しいとさわがしい

こわれたおもちゃ箱を 子供みたいに 抱えこんで 涙ぐんで それでどうなるの

何が欲しいというの 私 それとも愛 疲れはてた心には やさしくしないで させないで

誰でも昔話 ひとつやふたつ 大事そうに 語るけれど それでどうなるの

 

若さゆえに出来るチャレンジがある。それを諦め、また諦めして歳をとってしまうと、わずかな思い出を抱えこんで後悔の涙を流すだけなのか。そんな大人たちを尻目に、鉄郎は先へ進もうとする。リューズが最後の最後の土壇場で機械伯爵を裏切るのは、鉄郎の熱い意志に深く心を動かされるものがあったからなのだろう。けれども、自らの時間を戻して人生をやり直すことはできないし、機械伯爵との時間もまた彼女自身の選択の結果でもあった。そして、機械伯爵と共に滅ぶ時間城と運命を共にするリューズ。そんなリューズの哀しさを歌い上げるように、【やさしくしないで】のメロディーが流れる中、リューズの身体が錆びて崩壊していく。忘れられないシーンである。

だが、30年ほどの時を経た今、リューズの歌に涙を流すような齢の取り方をしていないだろうか。少し気になるところである。

 

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2007年10月 8日 (月)

乙女のワルツ…なくしてしまった情景

伊藤咲子のヒット曲の1つに「乙女のワルツ」という歌がある。作詞/阿久悠、作曲/三木たかし…。告白もかなわぬまま、破れてしまった少女の初恋を、伊藤咲子がその歌唱力で情感豊かに歌い上げた歌。現代の街角には似合わぬシーンだが、忘れられない印象を持つ歌でもある。

  

好きといえばいいのに いつもいえぬままに 月が上る小道を 泣いて帰った

白く咲いてる野の花をつんで願いをかける どうぞ愛があなたにとどくようにと

好きな人はいつしか 他のひとをつれて 遠い町へ旅立つ 何も知らずに

駅のホームのはずれから そっと別れをいって それで 愛が悲しく消えてしまった

小雨降る日はせつなくて ひとり涙を流し つらいだけの初恋 乙女のワルツ

 

この歌の題にも使われている「乙女」という言葉は、現在はほとんど若い子たちの間では日常的には使われていないだろう。けれども、伝えきれない思いの情感が胸に迫る美しいシーンがここにはある。歳を重ね経験を積んで、伝えるテクニックと言葉にする図太さをある程度見につけたお陰で、シンポジウムや講演を引き受けられる程度にはなったが、もしかすると、伝えずにいる時間の中で味わう情感を失いかけていないだろうか。ふと、そんなことを考えてしまう。

せめて、美しいメロディーにのって歌い上げられるこの歌に心を開き、失いかけているものを思い出したいものである。

 

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2007年10月 1日 (月)

風のいたみ

オリジナルを聞いた事はないのだが、心に残っている歌がある。それが【風のいたみ】である。記憶をたどって歌詞を再生してみる。次の通りである。

風のいたみ

電話の中のあなたの声に心もはずむの 電話の中のあなたの姿思い浮かべるの

ああ あれはいつだったでしょ あなたと愛しあえて幸せだったのに

あなたの中に私が見えた時が過ぎてゆく

オレンジ色の涙に溶けた2人の心だったけど 風のいたみをわかっていたのあなたと私

つよがりばっかりであなたを困らせた 私の悪い癖

あなたの影をふみこえていった時が過ぎてゆく

記憶に間違いがなければ、このような歌詞になる。多分、高校時代に聞いた歌だと思うのだが、その頃のヒット曲ではなく、もう少し前の歌だと思われる。メロディーもきれいだったが、詞の感性にも強く惹かれた。だからこそ、今もこうして覚えているのだと思う。若い頃は、ギターを片手に何度も歌ったこの歌…。オリジナルを聞いてみたいと思うのだが……。

 

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2007年9月25日 (火)

九月の雨…嫉妬と不安に揺れながら

朝方雨が降ったので、何となく思い出したのが太田裕美の【九月の雨】という歌だった。恋愛において重要なのはお互いへの想いと信頼だが、人間という存在はそれ程強くはなく、わずかの事で心が揺れ動く。そんなシーンを見事に切り取ったのがこの【九月の雨】という歌である。

雨の中、タクシーで恋人のもとへと急ぐ女。電話口から聞こえてきた別の女の声に揺れる心を松本隆の詞と筒見京平のメロディーが見事に描いている。ただ、これを聞いた当時、多少、違和感を感じたのは太田裕美という舌足らずな声を出すキャラクター・イメージがこの曲には成熟度が足りなかったからなのかも知れない。

 

ガラスを飛び去る公園通り あなたと座ったイスも濡れてる

さっきの電話で あなたの肩の近くで笑った女(ひと)は誰なの?

September rain rain 九月の雨の静けさが

September rain rain 髪のしずくをふるわせる

愛がこんなに悲しいのなら あなたの腕にたどりつけない

September rain 九月の雨の静けさが

 

 

この2番の歌詞からは、女の思い違い…と、女が男の真実を知ってしまった瞬間…という2つのストリーがイメージできる。どちらであっても、若い日の恋模様…という事になろう。その上で、女はどんな決断をするのか。それを考えると3番の歌詞がなかなか意味深長である。この歌をラジオやTVで聴いていた当時は気付かなかったことが、20年以上の年を経た今になって味わえる事がある。そうした意味でも、なかなかおもしろい歌である。

 

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2007年9月20日 (木)

たとえば ぼくが死んだら…森田童子「ラスト・ワルツ」より

1980年に発売された森田童子のアルバム「ラスト・ワルツ」の中に「たとえば ぼくが死んだら」という歌がある。とてもきれいなメロディーで、1度聞くと、そのままひきこまれてしまいそうな怖い優しさに満ちている。

 

 

たとえば ぼくが死んだら そっと忘れて欲しい

淋しい時は ぼくの好きな 菜の花畑で泣いてくれ

たとえば 眠れぬ夜は 暗い海辺の窓から

ぼくの名前を 風にのせて そっと呼んでくれ

 

 

人は誰もが、いつの日か死を迎える。その時に、何を思うのだろうか。自ら生きた証を多くの人々の心に刻み付けたい…とまでは思わないが、親しかった人々には、時々、自分のことを思い出してもらえるとうれしい。そんなささやかな思いは確かにある。そして、そのような形の死は、もしかしたら幸福かも知れない。

けれども、人が生き続けていれば、知らず知らずのうちに他者を無自覚に傷つけてしまう事は少なくないし、そのために怒りや深い恨みをかうこともある。そして、その事実にすら気付かない事もあるのだ。だが、そうした暗く重い部分も含めて、1人の人間の人生はある。だからこそ、この歌が心に強く響くのかも知れない。

親しい人々に時々懐かしく思い出してもらえて、そしてその人々がなくなれば忘れ去られてしまうような生き方…。押さえきれない怒りや、死んだ後も他者の心に重く留まる恨みとは無縁の、いつの日か人々に忘れてもらえるような生き方…。それは、泡沫のような一生かも知れないが、宙に漂い虹色の光を反射させながら揺らいで、やがて静かに消えていくシャボン玉の美しさに似ている。

彼岸の入りには、こんな歌を聴きながらひとときを過ごすのも良いかも知れない。

 

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2007年9月16日 (日)

オリビアを聴きながら…杏里のバラード

お気に入りの唄…そう、この歌の冒頭のフレーズにあるように、この「オリビアを聴きながら」は、好きな歌の1つだ。あまり古さを感じない落ち着いたバラードだが、この歌は実は1978年11月の発売なので、30年近く前の歌ということになる。

お気に入りの唄 1人聴いてみるの オリビアは淋しい心 なぐさめてくれるから

ジャスミン茶は 眠り誘う薬 私らしく1日を 終えたいこんな夜

出あった頃は こんな日が 来るとは思わずにいた

Making good things better いいえ すんだこと 時を重ねただけ

疲れ果てたあなた 私の幻を愛したの

 

作詞・作曲の尾崎亜美が歌っているものは手元にはないが、杏里のしっとりとした歌声が静かに心を抱き締めてくれる。恋とは、お互いの幻を求めることから始まり、やがて、ありのままの相手の存在を受け入れられるようになる事で深まり、愛へと進化していくのだろうか。だが、ありのままの存在を受け入れることは難しい。幻を求め続けていては、どれ程優しさで取り繕っても恋は終わってしまう。そんな情景を杏里がしっとりと歌い上げる。

恋の終わりは、ありふれた出来事かもしれないが当事者にとっては辛く、苦しいものである。好きな歌を聴きながら、1人静かにしていたい。そんな時には、この歌はピッタリかもしれない。メロディーと共に流れていく静かな時間が、また明日を運んでくれるだろうから。

 

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2007年9月11日 (火)

Take Me Home Contry Roads …Oliviaを聞きながら

Take Me Home Contry Roads/カントリーロード。カントリーロードという歌の題名を聞いて、誰の顔が思い浮かぶか…というと、実はジョン・デンバーなのだが、歌を作ったジョン・デンバーだけでなく、オリビア・ニュートンジョンもこの歌を歌っている。基本的には、ジョン・デンバーを聞くことの方が多いし、カラオケで歌う場合でも、ほとんどジョン・デンバーの方で入れるが、オリビア・ニュートンジョンのカントリーロードも、彼女の高く伸びる声を生かしたリズミカルなアレンジになっているのでけっこう好きである。

そんな訳で、時にはオリビアのカントリーロードを聞くこともある。若い一時期、学校へ通うために9年ほど故郷を離れていた事があり、その体験が、このカントリーロードという歌に一層心を動かされる理由にもなる。オリビア・ニュートンジョンも私もウェスト・バージニア出身ではないのだがこの歌を聴いていると懐かしい故郷の様々な風景が心をよぎる。我が故郷は海に囲まれた小さな町で、大きな山よりも白い砂浜や岩の切り立った磯浜、真珠いかだの浮かぶ深く波の静かな湾の眺めが思い浮かぶ。そんな町にも国道は走っていて、帰りのバスの窓から砂浜と灯台が見えてくると「ああようやく帰って来た」と思ったのを覚えている。まさにTake Me Home Contry Roadsである。

大学で卒論と研究論文を書き終えて、再び故郷の町に帰ってきてから、もう20年以上たつ。それでも、高校や大学の時に聞いたカントリーロードの歌の印象とこの歌への愛着は今も変わらない。ジョン・デンバーの温かで泥臭い味わいの歌声も良いが、時にはオリビア・ニュートンジョンの透き通った都会的な味わいのカントリーロードも良い。いずれにしても、愛する歌、カントリーロードである。

 

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2007年9月 3日 (月)

旅愁…岩崎宏美の愛唱歌集より

中学時代、音楽の時間に習った歌の中でけっこう好きな歌がいくつかある。この「旅愁」もそんな歌の1つであり、時にはカラオケで歌うこともある。作詞/犬童球渓、作曲/J.P.Ordway。この「旅愁」を含め、「赤とんぼ」「椰子の実」「浜辺の歌」「夏の思い出」といった懐かしい歌を集めた「愛唱歌集」というアルバムを岩崎宏美が出している。

 

 

更け行く秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとりなやむ

恋しやふるさと なつかし父母 夢路にたどるは 故郷(さと)の家路

更け行く秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとりなやむ

 

 

編曲はいずれも青木望。アニメ「銀河鉄道999」のTV版や1作目の映画の作曲を手がけていることもあり、割と好きな音楽家である。

懐かしい歌を、岩崎宏美がさらりと歌う。鮫島有美子などのクラッシックの歌手とは一味違う歌謡曲的な軽さが新たな歌の魅力を引き出してくれる。外からは、虫の声も聞こえ始めた。まだまだ残暑の残るこの時期に、じっくりと秋の風情を味わうのは難しいかもしれないが、岩崎宏美の「旅愁」でも聞きながら、秋の気配を楽しみたいと思う。

 

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2007年8月28日 (火)

やさしさとして想い出として…変わったのは?

【ふきのとう】の最後のアルバム「ever last」の冒頭を飾っている歌が、この「やさしさとして想い出として」である。その歌詞を生かした編集が心憎いが、この歌自体はもともと「風待茶房」という初めの頃のアルバムにも入っているきれいな歌であり、9月前のこの時期にカラオケに行くとついつい歌いたくなる歌である。

もうあなたと逢えなくなる 2人で夢に見た 手さぐりの 

青春は通りすぎた 昨日の風のように

もう あなたは冗談も云わずに 九月のことにかかりきりみたいで

夜の街は 淋しすぎて その上 冷たすぎて

爪の伸びた小指をかみながら こぼれる涙に言い訳していた

知らないこととはいえ 短すぎた ぼくが1年離れて いるうちに

あなたが あなただけが こんなに変わるなんて

解散に際してのアルバムで「もうあなたと遭えなくなる…」というフレーズの歌を冒頭に置き、最後の「山のロープウェイ」という歌の終わりのフレーズ「…いつかまた会えたらと思います」で結んでいるところに、【ふきのとう】の思いを感じる。

それはそれとして、この歌に描かれている別れのシーンで、男の方が女の変化を悲しんでいるが、1年も会わなければ、お互い、変わっていて当然であろう。一年分の体験・経験が人間を変えていくのだから「あなただけが」「変わる」というのはおかしい。でも、変わって欲しくない部分の変化が心の距離を開き、別れへとつながっていったのだろう。

そうした別れのシーンの心情を澄んだ声で歌い上げているこの歌は、高音の伸びが特に美しく、聞いているとしっとりとした思いを味わえるが、その音の高さと音域の変化の巾の大きさゆえに、歌い上げるのは難しい。それでも、上質の小説の一部を読むような感じがあって、残暑も忘れさせてくれるような歌である。

 

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2007年8月22日 (水)

冷たい水の中をきみと歩いていく

《冷たい水の中をきみと歩いていく》…初めて見て、これが歌の題名だと分かる人はほとんどいないと思うのだが、実は、これは谷山浩子の歌であると同時に1990年に発表された15枚目のアルバムのタイトルでもある。アルバムのタイトルと同じ歌である…ということは、それなりに思いの強い歌なのだろう。

確かに、個人的にも11曲収録されているアルバムの歌の中でも印象深いものの1つである。ただ、この歌はあくまでもイメージの中を漂いながら楽しむ歌であり、歌詞の意味を考え始めたら頭が痛くなるかもしれない。

冷たい水の中をきみと歩いていく なんて青くあどけない夏の1日 グラスの底を

誰かの読んでいる小説の挿絵の 湖の中に ぼくは今沈んでる  誰も見えない

みのらずに終わった恋は 重さもかたちもなく

みのらずに終わった恋は 思い出も影さえなく

あんまり静かに輝くので ぼくのからだはこわれていく

あんまり静かに輝くので 音楽ももう聴こえない

あんまり静かに輝くので ぼくのからだはこわれていく

あんまり静かに輝くので ぼくの命も奪っていく

谷山浩子の高く透き通る声が、透き通る歌詞のイメージをさらに増幅させて生と死の狭間を漂う不思議な世界へと心を誘う。その美しさに魅せられてしまったら、命までも透明になって消えてしまいかねない怖さがある。その不思議な魅力を湛えた世界は、ローレライかシレーネの歌声のように妖しい誘惑のまなざしを送ってくる。だが、その微妙なイメージの世界がまた楽しい。

暑い夏の午後、例えばこんな歌を聞きながら、日常のわずらわしさを忘れてイメージの世界での散策を楽しみたいものである。

 

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2007年8月12日 (日)

精霊流し…亡き人への思い

派手な花火の音に始まったイントロはヴァイオリンとギターのメロディーへと変わりC#mの高い歌声が夏のイベントをしっとりと歌い上げる。作られたのは30年以上も前になるが、この歌によって、グレープ・さだまさしと出会い、高校から大学を通じてグレープ・さだまさしの歌をもっとも多く弾き、歌ったのではないかと思う。《精霊流し》はそんな、思い出深い歌である。

今でも、お盆前後のこの時期になるとカラオケで歌ったりもするが、さだまさしによれば、カラオケの映像では「灯篭流し」を使っているものが多く、実際の長崎の「精霊(しょうろう)流し」はもっと派手らしい。長崎のお盆の伝統だが、8月9日に原爆を落とされた後も、「精霊流し」は行われたとか。悲しみを胸に抱いているからこそ、より一層、派手でにぎやかに行われるのかもしれない。グレープの1stアルバム『わすれもの』の《精霊流し》のイントロでの花火の音のは、それを表しているのだろう。

 去年のあなたの思い出がテープレコーダーからこぼれています

 あなたのためにお友達も集まってくれました

 2人でこさえたおそろいの浴衣も今夜は1人で着ます

 線香花火がみえますか 空の上から

 約束通りにあなたの愛した レコードも一緒に流しましょう

 そしてあなたの舟の後をついて行きましょう

 私の小さな弟が 何も知らずにはしゃぎまわって

 精霊流しが華やかに 始まるのです

《椎の実のママへ》という後のさだまさしの歌によれば、この歌にはモデルがいるようである。《極光(オーロラ)》や《風に立つライオン》など、さだまさしが出会った魅力溢れる人々の生き様を歌にした作品がいくつかあるが、この《精霊流し》については、そうした後の作品の先駆をなすものであると同時に、表面的な華やかさの奥に流れるしっとりとした日本情緒をさりげなく織り込んだすばらしい歌だと思う。

「レコード」や2番の歌詞にある「浅葱色(薄い藍色)の着物」といった歌詞が、それなりに時代も感じさせるが、それもまた美しい情緒を伴って胸に迫ってくる。これまで生きてくると同級生をはじめ、何人かの身近な人たちをなくしている。この地域のお盆の行事は長崎とは違うが、日常生活の慌しさの中で意識の表面には出てこない亡くなった人々を思い出すこの時期、しんみりと《精霊流し》を味わって聞きたいものである。

 

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2007年7月26日 (木)

冨田勲の【展覧会の絵】

ムソルグスキー作曲の【展覧会の絵】という組曲がある。クラッシック音楽のファンには、元のピアノ組曲によるものよりも、オーケストラ用に編曲されたもの、特にラヴェルの編曲のものが馴染みが深いだろう。

私のCDコレクションでも、カレル・アンチェル指揮/チェコ・フィル演奏のものをはじめカルロ・マリア・ジュリーニ指揮/シカゴ交響楽団演奏のもの、リチャード・ウィリアムズ指揮/ロンドン交響楽団演奏のものなどをピック・アップできる。もっとも、ストコフスキー編曲・指揮/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団演奏のものなどもあるが……。

そうした演奏を知った上で、この冨田勲の【展覧会の絵】を聞いてみると非常におもしろい…というか楽しさを感じる。その時点でのシンセサイザーの特徴を生かしながら、非常にコミカルで新鮮な印象に原曲を仕上げているのである。

私自身と冨田勲の音楽との出会いは、日本初のカラー・アニメ《ジャングル大帝》のオープニング・テーマであろう。その当時は当然小さかったので、その音楽が冨田勲だとは知らなかった。でも、あの壮大な音の世界は今でも鮮やかに思い出せる。他にも、映画《風の又三郎~ガラスのマント》や《学校》など、強く印象に残っている音楽は多い。

それゆえに、冨田勲の名前を知り、ある程度お金に余裕が出来た時期に冨田勲のCDを何枚も買っている。この【展覧会の絵】も、もともとはレコードで発売されていたものである。CDではなくレコードの時代からこのような電子音にこだわり、様々な作品を発表していたのだと思うと、その感覚の新しさは感動的ですらある。

もちろん、21世紀を迎えた現在においては、当時とは比べものにならないほどシンセサイザーも精緻になっている。だが、当時として最高水準の機械にこだわりこのような形に仕上げた冨田勲のすばらしさは、この1枚を聞くだけでも十分に堪能できる。

少し疲れ気味だったが、久しぶりに聞いた冨田勲の【展覧会の絵】の楽しいサウンドに心が晴れやかになってきた。今夜は、良い夢が見られるかもしれない。

 

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2007年7月20日 (金)

ストコフスキーの幻想交響曲

レオポルド・ストコフスキーの名前を知ったのは、ストコフスキー指揮/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏によるベルリオーズの幻想交響曲を聴いた時だった。その後、幻想交響曲とストコフスキーの両方に興味を持ち、CDを集め始めた。

そして現在……。手元にはヘルベルト・ケーゲン指揮、サー・ゲオルグ・ショルティー指揮、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮の幻想交響曲と「新世界より」や「四季」、「展覧会の絵」「火の鳥」をはじめとする10枚ほどのストコフスキーのCDがある。

我がクラッシックのCDコレクションの中では20枚を越えるドヴォルザークの「新世界より」が群を抜いているが、それに次ぐのがこのストコフスキーである。それ程に、ストコフスキーの幻想交響曲の印象が強烈だったとも言えるだろう。

ストコフスキーの幻想交響曲は、カラヤンやショルティーらの幻想交響曲と比較すると、時にはおどろおどろしさを感じるほどに濃密で重い感触がある。それゆえに強烈に印象に残ったのだといえるかもしれない。それは、他の指揮者の幻想交響曲と聞き比べる中でわかってきた事であり、その事がストコフスキーの指揮する他の作品への興味もかきたてて、ストコフスキー・コレクションにつながっていったのである。

音楽の演奏について言えば、楽譜通りの演奏と演奏者の感性による解釈をプラスした演奏がある訳だが、より魅力を感じるのはやはり後者である。ただ、楽譜をまったく無視してしまっては別の作品になってしまう。その辺りのギリギリのせめぎあいの面白さがストコフスキーの指揮には溢れている。もちろん、それを嫌う人もいる訳だが、私としてはそのギリギリのせめぎあいに面白さと魅力を感じ、ストコフスキーにはまったのである。

ストコフスキーは、今から30年前の1977年、95歳でこの世を去っている。私がストコフスキーの音楽と初めて出会うのは、それよりも少し後の80年代である。それでも、良いものには時代を越えて共感できる。それが芸術というものの魅力なのであろう。

 

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2007年7月14日 (土)

上野市…故郷の風景

上野市、少し前まで三重県にあった市だが、平成の大合併で周辺の町村と一緒になって伊賀市となってしまった。が、かつて上野市の風景をほのぼのと歌い上げてヒットした歌があった。五つの赤い風船のメンバーの1人、西岡たかしの【上野市(うえのまち)】という歌である。

江戸時代の城、上野城がそのまま残り、忍者屋敷もある。休日にチンチン電車に揺られて出掛け、ぼんやりと歩き回るのには最適のほのぼのとした町。そのイメージをそのまま歌にした【上野市】はギターを手にすると、ついつい歌いたくなる歌の1つである。サビの部分は、チンチン電車に揺られていると良く分かるのだが、終点までの最後の4つの駅をそのまま使っている。それもまた、のんびりとした電車に乗っていく雰囲気を楽しませてくれる。

 

私が訪ねた 上野まち  忍者屋敷の 上野まち

小さなお城の 伊賀の町 静かな暮らしの 上野まち 

くわ町 かや町 広小路 もすこしゆられて 上野まち

 

伊賀市になってからはまだ行っていないが、上野市には何度か訪れた事がある。伊勢志摩から出かけるには交通アクセスが少し不便だが、それでも、ほのぼのとした雰囲気を楽しめる。海の町とは一味違う味わいの「故郷の豊かさ」を数多く持つ歴史ある街並。その柔らかく温かな風景は、そのまま4番まであるこの歌の歌詞に閉じ込められている。

だから、この歌を聞くと楽しくなるし、この歌をギターを弾きながら歌っていると何となく元気になってくる。【上野市(うえのまち)】は、とてもあったかく、ステキな歌である。

 

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2007年7月 5日 (木)

まぼろしのつばさと共に…若き情熱

《五つの赤い風船》というフォーク・グループがあった。〔遠い世界に〕を作って歌っていたグループだと言えば、「ああ、彼らか…」と思い出す人もいるかも知れない。ある意味では、民主主義国家である日本にとって〔君が代〕よりも〔遠い世界に〕の方が相応しいのではないかと思うような歌詞の歌である。

〔まぼろしのつばさと共に〕という歌も、その《五つの赤い風船》が歌っていた歌である。作詞・作曲は〔遠い世界に〕と同じ西岡たかし。ハーモニーも素晴らしいが、その歌詞がじんと胸を打つ。だから、時々、ギターを片手に歌ったり、カラオケで歌ったりする。そこには、命をかけた若者への鎮魂の思いが感じられる。

 

今でもぼくは 思い出すのさ あの頃の事 あの日の人

ぼくと同じ 学生だった 国のためと 死んでいった

君は若くたくましく 短い命だったが

まぼろしのつばさと共に 炎の中に消えてしまった

 

他人に愛国心を説く政治家や老人がいる。だが、彼らはその言葉に命をかけているだろうか。例えば、安倍首相の近い身内に自衛隊に入ってイランやアフガニスタンの最前線で活動している人がいるだろうか。日露戦争で2人の息子を失った乃木大将は、その作戦立案能力や指導力がどうだったかはともかく、愛国心は心から信頼に値する。乃木大将と比較して、愛国心を口にする政治家たちの言葉はとても軽い。

だが、この国の近代史・現代史において、「国のため」に死んでいった若者たちは確かに存在する。彼らの思い、彼らの遺産を、本当の意味で大切にできるような生き方をしたい。この歌を聞いていると、いつもそう思う。

 

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2007年6月28日 (木)

逆光線…狂気の夏

森田童子の2ndアルバム《マザー・スカイ》の中に「逆光線」という短い歌がある。汗、青い空、ランニング…そうした夏のイメージが冒頭にちりばめられる。クーラーもない狭い部屋で暑さに苦しみながら灼熱の太陽が照りつける青空を見上げる…そんな学生時代が何となくイメージの中にダブる。

だが、次の瞬間、心が冷たくなる。安全カミソリ・手首・命がふきだす……そして、ひとり・発狂/というフレーズがたたみかける。孤独、寂しさ、狂気……確かに、そんなものを感じる暑さがある。安全カミソリではなかったが、カッター・ナイフの刃先の鈍い光と左手首を交互に見つめていた時間の記憶はある。その頃の思いや感じ方は、確かにこの「逆光線」という歌と重なっていた。

だが、そういう時代を越えてきた今は、そうした狂気の中に身を置く人々の思いに寄り添いながらも、「生」を粘り強く語りかけていきたいという思いがある。確かに、シンドイ時代である。悪政がそれを助長している部分には怒りも感じる。だが、周りには、そんな中でも力強く歩みを進める人々や、健気に日々を生きている人々がたくさんいる。だからこそ、生きたいと思うし、また、生きて欲しいと思う。

暑い夏…その中に滲み出す狂気や詞への憧れは、この「逆光線」の歌の中に封じ込めておきたい。

 

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2007年6月23日 (土)

「ポケットいっぱいの秘密」のささやかなヒミツ

アグネス・チャンのアイドル時代のヒット曲に「ポケットいっぱいの秘密」には、ささやかなヒミツが隠されている。これはもちろん、作詞家の松本隆のオアソビの部分も含まれているのだが、これに気付いたときに、思わず笑みを浮かべてしまった。

その歌詞の一部を示してみよう。

 

なた 草の上   っすり 眠ってた

顔 やさしくて  「きよ」ってささやいたの

 

 

御覧のように歌詞の中に、見事に「アグネス」という名前が織り込んである。松本隆はアグネス・チャン以外にも多くのアイドル歌手の作詞を手がけているが、こういった例は他には知らない。ただ、面白かったので仲の良いシャンソン歌手の北岡樹さんに送った「冬の樹」という詞に彼女の名前を読み込んでいる。まだ曲はついていないがalbum【MIKI】のライナーノートに紹介されているので興味のある方は御覧いただきたい。

閑話休題。「ポケットいっぱいの秘密」の話に戻ろう。この歌を歌っていた頃、アグネス・チャンは歌詞に合わせて胸元に大きなポケットのついたオーバーオールばかりを着ていた。それまでの白っぽいミニスカートとハイソックス…という衣装からのイメージ・チェンジを図ったのだろうが、それが必ずしも成功したとは言えず、この歌の後はまたミニスカート系の衣装に戻っている。ただ、この歌自体の愛らしさは、今聞いていてもまったく損なわれていない。この歌は、当時のアグネス・チャンの可愛らしさを、そのまま伝えてくれている。

 

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2007年6月16日 (土)

壊れかけのRadio…若き日々への想い

「時には昔の話を」「我が良き友よ」「俺達の旅」「コーヒーショップで」「真夜中のギター」など、若かった頃のことを思い出させてくれる歌はいくつかあるが、徳永英明の「壊れかけのRadio」もその1つである。特に、中学・高校・大学の頃は、ギターが「もう1人の恋人」とでも言えそうな存在だったこともあり、3番の冒頭部分が胸にキュンとくる。

 

ギターを弾いていた 次のコードも判らずに

迷子になりそうな夢 素敵な歌が導いた…

 

ギターを初めて手にしたのは中学の時だった。器楽クラブに入って基礎の基礎を教えてもらい、お年玉をはたいて自分でギターを買った。高校で、下宿の先輩に色々なテクニックを教えてもらった。大学では、ギターの腕を買われて歌声サークルに引き込まれたし、東海地区の学生のゼミナール大会のテーマソングを作詞・作曲したりもした。

徳永英明のこの歌を聞くと、そんな日々が心に蘇る。だから、ギターの腕が錆びつき、ワン・フレーズを聞いただけですぐに音を合わせて伴奏できた当時の面影はなくなった今でも、時々、カラオケでこの歌を歌うことがある。カウンター・テナーで「もののけ姫」が歌える程度に高い声も出るので、声の高さは気にはならない。それでも、ギター片手に楽譜もなしで歌っている…という訳ではないところに一抹の寂しさはある。

といっても、やはりこの歌は好きだ。それは、ギター片手に日々を過ごした当時の想いと歌詞とが一番一致する歌だからなのかも知れない。

 

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2007年6月12日 (火)

山崎の味わい、キースの味わい

普段はスコッチのシングルモルトが中心なのだが、研究会の仲間からプレゼントされた山崎蒸留所のモルトがあったので、今日は山崎を味わう気になった。さすがに、日本のウイスキーの代表的なシングルモルトの1つである山崎……。その味わいは深く、ストレートが美味しい。

入梅の声は間近だが、その割に暑い日々が続いている。ニュースによれば北海道では30℃を越える真夏日になっているようである。暑くてダレそうになる夜は、濃い酒を少量飲む。酔っぱらわないように量さえきちんと自制すれば、程よい刺激になる。

このことを最初に目にしたのは、芥川賞作家・庄司薫の《赤頭巾ちゃん四部作》の4作目『僕の大好きな青髭』だったように記憶している。大学時代にそれを真似して、少量で抑えるので成功したときはうまくいったので、暑くてダレそうな時は時々やるようになった。

ただ、今日に関しては、特に大きな仕事がある訳ではないので、純粋に山崎の味わいを楽しんでいる。日本の誇るモルトだけあって、香りも上品だし口の中に広がるテイストも心地よい。ただ、もっとも良く愛飲しているグレンフィデックと比較すると、よくも悪くも、山崎の方がまろやかなのかな…という印象である。

となると、BGMはキース・ジャレット。【ケルン・コンサート】のCDを取り出して、ステレオにセットする。山崎の肴には、大人の音楽ジャズが良い。特に、キースの上品なピアノの魅力を十二分に伝えてくれる【ケルン・コンサート】はベスト・チョイスだと思う。

クーラーも扇風機も無い部屋だが、山崎の香りとキースのピアノが身体を包み、心に染み込んでくる。味わい深い初夏の夜が更けていく。

 

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2007年6月 9日 (土)

フォルクローレの味わい

フォルクローレはアンデス高原を中心としたラテンアメリカの民族音楽である。サイモン&ガーファンクルのヒット曲「コンドルは飛んで行く」も元々はこのフォルクローレであり、ケーナやチャランゴの憂いを帯びた美しい響きは聞いていて心をうつ。

だが、フォルクローレを聞くと、すぐに思い出すのが大学時代の1人の親友である。彼の部屋にはケーナやチャランゴなどの楽器がいくつも置いてあり、遊びに行くとそれを見せてくれたり、手にとって演奏してくれたりもした。ケーナなどは、材料と道具があれば作るのはそれ程難しくはないが、意外と音を出すのが難しく、それをやすやすと演奏する彼には驚かされたし、チャランゴの音色にも魅了された。彼の影響で、フォルクローレも聞くようになり、竹でケーナを作ったりもして現在にいたっている。

もちろん、毎日のようにフォルクローレを聞いているわけではないが、ユパンキをはじめクリスティーナ&ウーゴ、インティ・スマックなどの歌は非常に味わい深い。「牛車にゆられて」「インディオの小路」「トゥクマンの月」「亡びゆくインディオの哀歌」「風とケーナのロマンス」「花祭り」「灰色の瞳」などの名曲は、聞いていて心安らぐ歌である。

 

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2007年6月 1日 (金)

カラオケの最高点は!?

いろいろと予定があったり、手持ちのお金が少なかったりして、少し間を置いていた行きつけのスナックに、昨夜は久しぶりに出かけた。「昨日と今日は暇…」という女の子の言葉通りに客もほとんど無かったので、グレンフィデックを飲みながら、カラオケの個人ライブ!?てな雰囲気になってしまった。

「酒と泪と男と女」「あなたが美しいのは」「よせばいいのに」「夢の途中(セーラー服と機関銃)」「テルーの唄」「北ウイング」「つばさ(本田美奈子)」「負けないで(ZARD)」「闘え!! 仮面ライダーV3」「時には昔の話を」「チキチータ」「カントリー・ロード(オリビア・ニュートン・ジョン)」「宇宙戦艦ヤマト」「悪女」「夢想花」など20曲ほどを歌ったが、女の子との会話の中で、得点機能をonにした。「けっこう点が辛いのよ」という言葉通り、確かになかなか点がのびない。

それでも、最高点は96点。その高得点をたたき出したのは、笑ってしまうことに「帰ってきたウルトラマン」であった。次点は来生の「夢の途中」の93点。80点を切ることはほとんど無かったが、後は90点が2つか3つ…といったところだろうか。女の子と歌った「Man & Woman」も90点には届かなかったし、後から入ってきた中の良い常連のリクエストで歌った「雨音はショパンの調べ」は得点が出ない歌だった。

久しぶりにグレンモーレンジも一杯だけストレートで飲み、最後は「もののけ姫」でしめて帰宅といういつものパターンだったが、楽しいひとときだった。

 

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2007年5月27日 (日)

哀しい妖精…南沙織の魅惑

アルトの声の魅力を最初に教えてくれたのは、多分、南沙織だったのではないかと思う。森高千里もカバーした「17才」でデビューし、「純潔」「傷つく世代」「色づく街」「想い出通り」「ひとかけらの純情」「人恋しくて」など、今聞いてもそれ程古さを感じさせない歌を次々とヒットさせた沖縄出身のアイドル歌手。その長い髪と大人びた表情も魅力だったが、アグネス・チャンなどの高い声とは異なるアルトの大人びた声も強い印象を心に刻み込むものだった。

そんな南沙織の歌の中で「哀しい妖精」はもっとも好きな部類に入る歌の1つである。作詞は松本隆、そして作曲はジャニス・イアン(J.Ian)である。メールも携帯電話も無い時代……。手紙に想いをつづり、会うことで気持ちを確かめ合う。そんな恋愛を美しく描いている。最後の「ひと言好きと言ってね 頬そめて待ってます」というフレーズは、初めて聞いた時から、強く心に残っている。

その後、南沙織は写真家の篠山紀信と結婚し、母となったが、90年代に《MATURITY》《Art of Loving》という2枚のアルバムを出している。アルトの声には一層艶やかさが乗って、安心して聞けるアルバムとなっている。ただ、それらのアルバムの歌と共に「人恋しくて」や「哀しい妖精」を聞いても、それ程違和感はない。その意味で、南沙織の歌は時を隔てても古さを感じない。だからこそ、時々、聞きたくなるのだろう。今宵は久しぶりに「哀しい妖精」のアルバムを聞いてみようか。

 

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2007年5月23日 (水)

涙そうそう…ウチナーグチの味わい

《涙そうそう》…もはや国民的歌謡とも言うべき存在になり、BEGINや夏川りみばかりでなく、森山良子など多くの歌手が歌っている歌だが、BEGINや夏川りみについては、通常の歌詞ばかりでなく、ウチナーグチ(沖縄方言)でも歌っている。

もちろん、通常の歌詞は意味としても良く分かるし、作詞者の森山良子が歌っているものを聞いていても、夏川やBEGINの歌とは別のところでジンとくるものがあり、好きな歌の1つになっている。それでも、BEGINや夏川りみがウチナーグチで歌っているのを聞いていると、また異なった味わいを感じる。

森山良子の作詞はもちろんヤマトグチだし、その言葉が描く世界の美しさや情愛には、何とも言えない優しさが込められているが、ウチナーグチで聞くそれは、それに加えて、明るさとしたたかな力強さをも感じる。

それは、様々な苦難の歴史を背負ってきた沖縄に対する思いが感じさせるものなのだろうか。それとも、方言の持つ生き生きとした表現力と力強さが、地元の思いを引き出してくるからなのだろうか。いずれにしても、格別の情感が聞くものの胸に迫ってくるように感じられる。そして、ヤマトグチの歌詞で意味が分かっているからこそ、ウチナーグチの言葉との比較が可能となり、より一層の味わいを引き出してくれるように思われる。

ただ、いずれにしろ《涙そうそう》は良い歌である。歌手によるアレンジの違い、ヤマトグチとウチナーグチの響きの違いなどを楽しみながら、これからも末永く付き合って行きたいと思っている。

 

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2007年5月19日 (土)

琉球ムーン…国仲涼子の歌

その歌を聴いたのは《ちゅらさん2》のエンディングが最初だった。NHKのドラマとしての「ちゅらさん」のシリーズは好きだったので割りとよく見ていたが、この【琉球ムーン】の歌は、明るさの中に、微妙に哀しさなどのイメージも内包されていて、歌としてもよくできていると思い、好きになった。

その後、《ふるさと》という国仲涼子のアルバムの中にも入れられている。このアルバムには、他にも「コーヒーショップで」「涙くんさよなら」「白いブランコ」「学生街の喫茶店」などの懐かしい歌も多数入れられており、お気に入りの1枚になった。

「花」「島唄」「涙そうそう」「童神」など、沖縄と関わる名曲はたくさんある。「琉球ムーン」は、それ程派手でもなければ有名でもないかもしれない。それでも、この歌はよい歌だと思うし、何度聞いても、あるいは歌っても、味わい深い1曲である。

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2007年5月16日 (水)

悪女…哀しいプライド

中島みゆきの歌の中で一番多く歌っているのが《悪女》という歌である。情念を生々しく表現する重い歌をけっこう作っている中島みゆきだが、この《悪女》という歌の印象は、それ程重いものではない。曲調も割りと明るく、原曲の高さもカラオケで歌うのにはピッタリなので、ついつい歌ってしまうのである。

だが、歌詞は必ずしも明るいわけではない。好きな男に別の女ができたらしいことを察した女が、悪女を演じて男と別れようとする。仕事もでき、自己主張もする自立した女だからこそプライドもある。そして、自分自身をも見つめられる賢さも併せ持っている。だからこそ自分の嫌な部分、好きになれない部分も自覚していて、愛され続けてはもらえないだろうと悲観している部分がある。それゆえに、愛している…という心からの声に従えないで、嫌われるであろうことばかりを繰り返してしまう。

ある程度人生経験を積んだ男であれば、それらもひっくるめて「可愛さ」を感じ取ることができるだろうが、好きな男は多分そうではない。優しいけれど、女としての存在すべてをひっくるめて愛し、受け入れられる度量の大きさを持ち合わせていないのだろう。ならば、プライドをかけて別れるしかない。そのために悪女を演じる女の姿が哀しい。そんな歌詞である。

10代や20代の頃は、このような女心は理解しきれなかっただろう。しかし、今ならそれにりに分かる。分かれば、可愛いとも健気だとも思えてくる。この歌詞に描かれている女は、その意味では哀しく、かつイイ女なのだ。このような女を包み込める優しさを持った男でありたいと思う。

 

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2007年5月11日 (金)

カタツムリを追いかけて…ゆったりとしたリズム

谷山浩子のアルバム【翼】の最後が、《カタツムリを追いかけて》という歌である。小さい頃から「競争」を煽られる現代日本の社会のスピードは、人の心からゆとりを失わせ荒ませつつあるようだが、その人工的なリズムとは全く異なる自然のリズムの1つにカタツムリのリズムがある。この歌は、それを淡々と歌い上げ、聞いているうちに心が安らかになってくる。何か、不思議な歌である。

冒頭のフレーズ、「カタツムリを追いかけるのは難しい」は、聞いていて「あれ? 何で?」と思わせる。カタツムリの動きは本当にゆっくりだから、別に追いかけるのが「難しい」とは思えないという印象があるからだ。けれどもよくよく考えてみると、これはけっこう正しい。なぜなら、「追いかける」なら、必ず後ろにつかなければならないからである。

後ろにつく…ということは追い抜いてはいけない。でも、カタツムリの動きはとてもやっくりであり、ゆったりとしているから、注意しないと知らないうちに簡単に追い抜いてしまう。そうした意味において《おいかける》のはとても難しいのである。けれども、そのゆったりとしたリズムの中に大切なものがたくさん含まれているように思われる。少し目をそらして他の事をやっていたりすると、見えなくなっていることもある。だから、けっこう「追いかけるのは難しい」のだと思う。

それにしても、人々は忙しい毎日をおくっている。通常、大人はもちろん小学生以上の子どもたちも、カタツムリを追いかける《時間》はない。生活時間と心にゆとりがあってこそ、カタツムリを追いかけることが可能となる。逆に言えば、私たちは生活時間と心のゆとりを失っている…のではないだろうか。せめて「カタツムリを追いかけて」でも聞きながら、少しでも心のゆとりを取り戻したいものである。

 

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2007年5月 6日 (日)

コーヒーショップで…懐かしい学生時代

学生時代と言うと、下宿で悪友たちと飲んだ酒と、女の子たちと喫茶店で話すとも無く話した時間を思い出す。後者のイメージを定着させたのは、「学生街の喫茶店」と「コーヒーショップで」という2つのヒット曲があったからではないかと思う。

「学生街の喫茶店」は、ギターへの憧れをかきたてた歌で、カポタストを使わずにギターコードが押さえられるようになるまでにかなりの練習が必用だったことを覚えている。努力の甲斐あって、高校・大学の頃は、ギターの腕を買われて歌声サークルに引きずり込まれる…という一幕もあった。もちろん、かわいい女の子に誘われたから、素直に従ったわけだが……。

一方、「コーヒーショップで」の方は、どちらかと言えば、しっとりと聞いていたい歌だった。もちろん、《ガロ》と《あべ静江》という歌手の違いも大きかったのだろうか。だが、そのしっとりとした歌詞が、いっそうイメージをかきたててもくれた。大学時代の喫茶店への憧れはやはり「コーヒーショップで」が好きな歌だったから……ということが大きいかもしれない。

もちろん、フォークギターを弾ける喫茶店のマスターとか、そのマスターの似顔絵を描く学生だとか、昭和の時代を感じさせる言葉も多い。だが、それゆえにいっそう、ノスタルジーを感じるのかもしれない。

手元には、あべ静江のCDはない。けれども、国仲涼子の【ふるさと】というアルバムには「コーヒーショップで」をはじめ「学生街の喫茶店」「涙くんさよなら」「白いブランコ」などの懐かしい歌も《ちゅらさん2》のエンディングに使われていた「琉球ムーン」と共におさめられている。国仲涼子の声は、あべ静江のオリジナルの声とは異なるが、元のイメージを大切にしているので、このアルバムを聞きながら、心の中でささやかなタイムスリップを楽しみたいと思う。

 

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2007年5月 1日 (火)

五年目の手紙…アリスのⅥアルバムから

アリスⅥのアルバムの中に【五年目の手紙】という歌がある。シングルカットされたという訳でもなく、割と地味な歌なのだが、アリスの歌の中では、もしかすると一番好きな歌かもしれない。

会社勤めを続けている1人の若い女性が、ふと帰宅途中に封筒を買い、5年前に別れた恋人への想いがまだ心に残っているのに気付き、ペンを執って手紙を書いてみる。そんなシーンがそのまま淡々と歌われている。

その手紙は、最後まで書き終えたのかどうなのか? もし書き終えたとしても、ポストには投函されなかったのではないだろうか? わずか3分ほどの歌の中に、そんな余韻が広がる。想いは、必ずしもストレートに伝えるのがベストだとは限らない。表に出てきていない想いを察する…そんな中にある豊かさを、もともと日本人は持っていたのではないだろうか。そんな時代の名残りを感じさせるきれいな歌である。

そう言えば、グレープの【追伸】という歌にも同じような奥ゆかしさと美しさを感じる。今は、もしかするとそのような恋愛は時代遅れなのかもしれない。けれども、表現されたものの奥にある様々な想いを感じ取ることで恋愛は豊かなものになっていく。この歌のような感受性をいつまでも持ち続けていたいと思う。

 

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2007年4月26日 (木)

八十八夜…NSPの歌より

4月も、残すところわずかとなった。小さい頃は、祖母に連れられて茶摘をした思い出があるが、「茶つみ」という歌の冒頭が「夏も近づく八十八夜…」であったように、もうすぐ八十八夜である。今年は5月2日がちょうど八十八夜に当たっている。

さて、八十八夜と聞くと、NSPを思い出す。「夕暮れ時はさびしそう」や「赤い糸の伝説」のヒットで知られるグループだ。彼らの歌の中に、ちょうど「八十八夜」という歌がある。長過ぎた恋に終止符をうって結婚を決めた女性が、結婚を前にして、ふとかつての恋人の写真を引き出しの奥から見つけてしまう。その心の揺れをNSPが歌う。

もう、引き返せない。恋は終わったのだ。そう、何度も自分に言い聞かせながらも、完全には捨て切れないで宙に浮いたままの想い。それを断ち切ろうとする心に、思い出が揺れる。それを振り払おうと繰り返す言葉…サビの部分である。

もうすぐ八十八夜 もうすぐあたたかくなる

もうすぐ八十八夜 もうすぐ幸せになる

恋人と共に生きることを願う想いは純粋であっても、それだけで生きていくことはできない。終わった恋に区切りをつけて、新しい愛を育んでいく…それもまた人生である。

 

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2007年4月22日 (日)

あなたが美しいのは…愛する人に伝えたい言葉

堀内孝雄が歌っている歌の1つに「あなたが美しいのは」という歌がある。作詞は小椋佳、作曲は堀内孝雄である。誰もが、人に好かれたい。特に、自分が愛している人には……。そういう思いを持っているだろう。その思いゆえに「美しくありたい」と願うことも多い。だが、美しさ…とは何だろう。

例えば、テレビや映画で見る女優、あるいはアニメやコミックのヒロイン……。確かに、美しいのだが、実は身近なところにも美しさはある。ひたむきに生きること、そしてひたむきに愛すること。家族やパートナーの姿に、あるいは周囲の人々の行動にそれを感じたとき、やはり美しいと感じるものである。

 

あなたが美しいのは 愛されようとする時でなく

あなたが美しいのは ただ愛そうとする時

あなたが素晴らしいのは 愛されようとする時でなく

あなたが素晴らしいのは ただ生きようとする時

 

小椋佳が紡ぎ、堀内孝雄が繰り返し歌うこのフレーズが胸に響く。確かに、パートナーが美しくありたいと思う気持ちはかわいらしいと思う。だが、現在の若さの美を過度に賛美する風潮は明らかにおかしい。歳を重ねることでにじみ出てくる美しさというものもあるからだ。だからこそ、愛する人に伝えたい言葉がここにある。小椋佳が過不足なく歌詞にし、堀内孝雄が曲をつけ、歌いこんだこの歌。面と向かって口にするのは照れくさいが、心を込めて歌ってあげたい歌である。

 

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2007年4月15日 (日)

主人公…さだまさし《私花集》より

さだまさしの3rdアルバム《私花集》の最後に【主人公】という歌が入っている。さだまさしの歌の中では【夢】【童話作家】【極光】などと並ぶ、特に大好きな歌の1つである。さだまさし自身もそれなりにこだわりがあるようで、《帰郷》などにはアレンジを変えたものも収録されている。ただ、個人的には《私花集》のアレンジの方が好きである。

時には、思い出をたどって懐かしい街並みをたずねてみたい。毎日の仕事や生活に追われ、心に疲れを感じると、ふとそんなことを思う時がある。金も地位も力もなかったが、時間と希望だけはあった若い頃。そんな時代を過ごした懐かしい街で思い出をたどりたくなる。様々な選択をし、今の自分がある。それゆえに、あの時、別の道を選んでいれば、また別の人生になったのかも…とも思う。

けれども、今の生き方は、自分の今までの選択の結果でもある。別の選択をしていれば出来なかった事、出会えなかった人はたくさんいるだろう。だから、それなりに苦労もあったし、辛いことや悲しいこともあるが、逆に、楽しいことも多かったし、それなりの幸せを感じられる時間も数多くあった。

だからこそ、時には、思い出に浸ることはあっても良いが、今までの自分自身の歩みを受け入れ、今の自分を精一杯生きたい。自分の人生の主人公は、さだまさしが歌い上げているように、あくまでも自分なのである。過去を悔やむのではなく、辛かったことや悲しかったことも含めた過去の温かさに励まされながらも、今の自分を、胸を張って生きたい。この【主人公】は、いつも、そんな気持ちにさせてくれる歌である。

 

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2007年4月11日 (水)

瀬戸の子守唄…子どもへの思い

高石ともやとザ・ナターシャー・セブンの「フィールド・フォークvol.1」というアルバムの中に「瀬戸の子守唄」という歌がある。瀬戸とは、陶磁器で有名な瀬戸であり、陶磁器を焼く仕事の合間に子どもを寝かしつけようとする親の温かさと仕事のきびしさが伝わってくる詞が胸に響く。

「ねこなし ねこなし…」という言葉が4番まである歌詞のサビの部分で繰り返されるが、意味はもちろん「ネコがいない」ではなく、「眠らないで」という意味になる。鉢や皿を寝ずに登り窯で焼きあげる厳しい仕事。けれども、そこに働く人々の働くことに対する喜びや誇りも伝わってくる。だから、子どもがおきたら窯の火や登り窯を見せてやろうと歌うし、焼き上げた鉢や皿が売れたら、お菓子屋さんをまるごと買ってやろう…などという豪快な話になってくる。

どんな仕事も、それなりに大変である。けれども、誇りを持ってできるやりがいのある仕事で家計を支え、家族を守り、子どもを慈しみながら育てていこうとする素朴な思いがこの歌から伝わってくる。そのあったかさが、たまらなく好きである。

 

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2007年4月 8日 (日)

Old Black Joe…フォスターの名曲

「故郷の人々」「おおスザンナ」「草競馬」、スティーブン・コリンズ・フォスターの名曲は数多くあるが、中でも大好きなのは「Old Black Joe」である。手元にはロジェー・ワーグナー合唱団の歌うフォスターの名曲集があるが、この「Old Black Joe」は、そのアルバムの最後を飾っている。

この「Old Black Joe」ができたのは1860年。1860年といえばリンカーンが大統領になった年であり、時代からすれば黒人奴隷が存在しており、人種差別も激しかった。そんな中で自分に忠実に尽くしてくれた老黒人のために作った歌がこの歌である。歌には、当時のアメリカにおいて黒人であることの大変さと、その中で生き抜いてきた男に対する優しいまなざしと、歌の完成を待たずに世を去った老人への鎮魂の想いが感じられる。

歳を重ねて生き続けるのは大変なことである。その意味では、老いることそのものが価値がある。近年、「若さ」を偏重し「老い」を軽視する風潮がある。現代の暴走資本主義の「効率」からすれば、確かに「老い」は効率が悪い。だが、それが人間としての「自然」であり、暴走資本主義こそが、多くの人々の幸福な人生を圧迫し、「老い」の価値を不当に貶めているのである。

人は、何もしなくても歳を重ね、老い、死へと近づいていく。豊かで穏やかな歳の重ね方をしたいものである。

 

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2007年4月 4日 (水)

春の日の花と輝く…懐かしいアイルランド民謡

埴生の宿、庭の千草、蛍の光、故郷の空…古くから日本で歌い継がれているイギリス民謡や歌はたくさんあるが、「春の日の花と輝く」は、高校時代に選択した音楽の時間に最初に習った歌としても覚えている。そのきれいなメロディーも大好きだが、堀内敬三の日本語詞もロマンに満ちていて良い。

肌の張りや瑞々しさ、躍動する肢体の美しさは、確かに若い時代のものだろう。けれども、歳を重ねて深まっていく美しさや愛というものもある。そうした久遠の愛を歌い上げる「春の日の花と輝く」は、その詞も、言葉の描く愛の姿も美しいと思う。

昨今、「若さ」のみが「美しさ」だとする間違った風潮がある。けれども、品性のある立居振舞の美しさは、若い世代ではなかなか出し切れるものではないし、心の美しさは愛し愛されることによって磨きがかかり、より一層輝きを増す場合もある。

確かに、年齢を重ねて経験を積み、結果として忙しさに追いまくられていると、春の日差しのように温かで冬に耐える大木のようにどっしりとした深みのある愛を育むことは難しいかもしれない。けれども、大切なパートナーに目を向け、愛を深めることは不可能ではない。そんな気にさせてくれる歌である。

手元には、鮫島有美子の「庭の千草…イギリス民謡集」があり、この中にはもちろん「春の日の花と輝く」も入っている。今日も忙しい一日だったが、歌を聞きながら愛する人への思いを温めたいと思う。

 

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2007年4月 1日 (日)

雨音はショパンの調べ…雨の夜に

1時間ほど前に帰宅した時は降ってなかった雨が、いつの間にか降ってきている。春の夜のしっとりとした雨はそれなりに風情がある。明日はさらに春らしく、温かくなるのだろうか。そんなことを考えていたら、ふと「雨音はショパンの調べ」という歌を思い出した。さすがに古い歌なので、我がCDコレクションには無い。久しぶりに小林麻美の〈CRYPTOGRAPH~愛の暗号~〉というLPレコードを取り出した。何年ぶりかのレコード鑑賞である。

と言っても、小林麻美の歌は、それ程巧い訳ではない。ただ、そのセクシーな雰囲気が、歌のイメージとピッタリくるという程度である。原曲を作ったGAZEBO.P.L.Giombiniの曲と松任谷由実の日本語詞の出来がすばらしいので好きな歌になっているのである。カラオケなどでも、雨の降った夜に興にのると歌ってしまう。だが、小林麻美のような女の色気は出せない。…もっとも、出せたら怖いが。

それでも、しっとりとした雨の夜に楽しむのには良い歌である。いつもはCDで聞く音楽も、たまにはレコードで聴いてみると懐かしい。今宵は、他のレコードも楽しんでみようか。

 

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2007年3月29日 (木)

私をとめて…新しい詞

シャンソン歌手/北岡樹さんに提供した「ぶたないで」という幼児虐待をテーマにした歌のことを以前にも取り上げたが、北岡さんとの話やhpで「虐待をする側の歌も…」という声があったことを知り、仕事が一段落したこの時期に、それを作ってみた。

幼児虐待の背景には、母親や家族が孤立し、追い詰められている現実がある。以前にも書いたが、例えば正月から子どもを親に預けて両親が働かなければならない現実がある。企業の側の都合や効率のみを優先し、家計の収入や子育て・家族のための時間を徹底的に削ってきた政府・与党の「子育てをし難い国づくり」の「成果」であろう。だから、「産む機械」などの発言が出てしまうのだろうし、少子化対策が遅々として進まないのである。この詞が、ある意味では意外と簡単に出来てしまったのは、政府・与党の圧政・悪政があるからである。

 

私をとめて

               作詞 TAC

仕事が始まる 時間がせまる

なのに この子はぐずってばかり

言う事きかず 甘えているの

それとも 私を困らせたいの

 

この子をなぐる 手がとまらない

しつけをしているつもりなのに

私の心が疲れ果てて 壊れ始めているのだろうか

 

 

隣の子どもは 聞き分け良くて

いつも ニコニコ愛想がいい

だけどこの子は オドオドしてて

私の 困ることしかできない

 

この子に向ける 目がきつくなる

私が望んだ子どもなのに

悩みを相談できないまま 心の闇に呑み込まれそう

 

 

子どもはおまえに まかせたからな

おれは 仕事が忙しいから

困っていても 相談できず

毎日 ストレスたまってくだけ

 

しつけをしてる そう思っても

何かが違うと感じている

早く私をとめてください どうか私をとめてください

 

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2007年3月26日 (月)

蒼き狼の伝説…冨田勲の躍動

「蒼き狼の伝説」というCDがある。作曲・シンセサイザーは、冨田勲。10年ほど前のNHKスペシャル「大モンゴル」のサントラである。「大モンゴル」自体も非常におもしろい作品だったが、この冨田勲の音楽がまた魅力的であった。そのテーマを聞くだけで大草原を疾走する騎馬軍団のイメージが浮かび、冒険心を刺激された。

冨田勲との出会いは、「ジャングル大帝」の主題歌だった。今から考えれば、短いという気がしないでもないけれども、その数分にも満たないわずかな時間の中にアフリカのサバンナの広がりを感じさせる雄大なイメージが凝縮されていた。「惑星」「宇宙幻想」「展覧会の絵」「風の又三郎~ガラスのマント」など、冨田勲のCDは10枚近く持っているが、この「蒼き狼の伝説」はその中でもお気に入りの1枚である。

音のイメージに包まれていると、狭苦しい日常から心が羽ばたき、広大な草原を駆け巡り始める。激しさ、猛々しさ、命の輝き、生と死、そして永遠への夢……。わずか一時間ほどのアルバムの中に様々なものがちりばめられ、心を揺さぶる。そして、その揺れが音楽と共鳴し、繰り返しの退屈な日常に疲れた感性を解き放ってくれる。

「蒼き狼の伝説」…10年あまりの歳月を重ねても、色あせることなく輝きを放ち続ける珠玉の1枚である。

 

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2007年3月23日 (金)

ここは春の国…ひねもすのたり~の夢

先日までとはうって変わって温かな1日になった。こんな日は、何も考えずにぼんやりとして穏やかな海を見つめながら過ごしたい。そんな思いをそのまま歌にしてしまったのが、谷山浩子の5thアルバム《ここは春の国》の最後に入っている「ここは春の国」という歌である。

春の海 ひねもす のたり のたり かな

ひねもす…終日という意味だが、言葉の響きがゆったりとして穏やかである。何か、訳のわからない精霊か妖怪の類と、時を忘れ、日々の生活や仕事を忘れ、ただぼんやりと座って、その時間そのものを味わい、楽しんでいる。そんな時間を過ごしたいと思う。…もっとも、それが永遠に続くとしたら退屈で退屈でたまらなくなってしまうかもしれないが。

それでも、忙しさの中で嵐のように過ぎ去ったこの数ヶ月を思うと、ゆったりとした1日を過ごせたら…と思う。だが、状況を考えれば、実現は難しいかも知れない。せめて谷山浩子のアルバムを聞きながら、気分だけでも味わいたいと思う。

 …あれはなんですか…あれはひねもすですよ…

 …ひねもすってなんですか…知りませんか…知りませんねえ…

はるかむこうは はるかにかすんで

何もない? 何もないんです?

ここは ここは 春の国

ひねもす ひねもす 春の国

 

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2007年3月20日 (火)

Teardrops…アグネス・チャンのメッセージより

アグネス・チャンがアイドル歌手の活動を中断してカナダのトロント大学に留学し、再び日本で活動をしていた頃に出したアルバムの1つに【メッセージ】がある。何曲かはアグネス・チャン自身が作詞や作曲も手がけているが、1曲目の「Children of th sea~ぼくの海」も好きだが、アルバムの最後に入っている「Teardrops」は特に大好きな歌の1つだ。

「Children of the sea」は戦火を逃れるために小さな船で祖国を脱出しなければならなかった難民/ボート・ピープルをテーマにした歌の英語バージョンだが、日本語バージョンの歌詞よりもずっとシビアな内容で激しく胸を揺さぶられた。そして、そうした矛盾に満ちた世界に溢れる涙・涙・涙…。その涙に込められた思いを祈りに変えたい…そんな風に感じたのがこの「Teardrops」という歌である。

1粒1粒の涙が流れ出て、集まり、海へと流れていく。その過程で悲しみを癒して欲しい。その涙は、さらに蒸発して空へと至る。新たな希望…心の太陽を見つけて、眠れない夜から抜け出して欲しい。そして、慈雨となって降り注ぎ、地面に吸い込まれて、花へと至る。そのささやかな自然の中に生きることのうれしさを見出して歩んでいって欲しい。海・空・花…涙が溢れるような辛さや悲しさを越えて、それでも人は生きる。その姿は美しいし、また尊いと思う。

まだまだ20代の若さだったアグネス・チャンの透き通った高い声が、そんな思いをのせて心に染み込んでくる。「Teardrops」……。CDでは聞けないが、大好きな歌の1つである。

 

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2007年3月16日 (金)

私の愛した街~The Town I Love So Well

もう40年近く活動を続けているフォーク歌手の横井久美子が長年歌い続けている「私の愛した街~The Town I Love So Well」という歌がある。大学時代に先輩に教えてもらった歌だが、あまり横井久美子の歌を聞いた覚えはない。それでも、実は大好きな歌の1つである。もちろん、カラオケに入っているような歌ではないので、歌う時には、どうしてもギターを手にしながら…ということになる。そして、それがまた似合う素朴な歌でもある。

この「街」とは、北アイルランドにあるロンドン・デリーのことである。スコットランドやアイルランドなと、ケルト文化を色濃く残している地域には割りと親近感を覚えている。エンヤの音楽、ケルトの渦巻もよう、そして地域に残る民謡…。「春の日の花と輝く」「埴生の宿」「ダニー・ボーイ」「故郷の空」などの歌も大好きだ。

だが、この「私の愛した街」は、聞いていても歌っていても涙が出そうになることがある。作詞・作曲はPhill Coulter、横井久美子が平井則之の原訳を日本語詞に整理して歌っているが、曲からも詞からも、作者がどれほどロンドン・デリーの街を愛していたかが伝わってくる。欠点も何もかも含めた故郷への思いが1番と2番の歌詞で歌われる。3番では、そこで過ごした青春。だが、そんな優しく温かな情景を壊したのは……。

1970年代の公民権運動のたかまりに対し、イギリス軍が発砲し、13人が亡くなったという事件。その事件への怒りと悲しみが4番で歌われる。こうした思いをしてきた人々は、世界のあちこちに存在している。しかし、絶望はしない。それが5番である。横井久美子の歌は、それほど巧いというほどではない。だが、この歌の存在感が強く胸に迫ってくる。作者の強く熱い思いが、この歌に触れるとき、目頭を熱くさせるのかもしれない。

 

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2007年3月14日 (水)

桜井の決別…正成を描く歌

明治期に作られた唱歌のの1つに「桜井の決別」という歌がある。終戦前に子ども時代を過ごした年配の方は「青葉しげれる桜井の…」で始まる冒頭のフレーズを聞けば、「ああ、あの歌か…」と記憶がよみがえるかも知れない。

この歌は、湊川の合戦を前にして、出陣しようとする楠木正成が、息子の楠木正行(まさつら)に別れを告げる場面を歌にしたものである。原曲は、長調になっているが、短調で歌うといっそう雰囲気が出る。正成は死を覚悟し、息子を帰そうとする。正行は、父と一緒に行くことを望むが、正成に説得されて帰っていく。父親として、負け戦は目に見えている戦いに息子を同行させたくない…という気持ちである。そしてもう1つ、故郷に残る楠木一族をまとめる存在として、正行が生き残る意味は大きいとも考えてのことだろう。

割とコード進行も簡単な歌だったので、ギターを覚えた頃からギター片手に歌っていたこともあったが、一度、さとう宗幸が、やはりギターの弾き語りでこの歌を歌っているのを聞いて驚いた記憶がある。3番以降の歌詞については、天皇制賛美が露骨な部分もあるのであまり好きではないが、特に別れをしっとりと歌っている2番の歌詞は大好きである。

 

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2007年3月10日 (土)

夢の樹…岡村孝子1stアルバムより

岡村孝子のアルバムは20枚ほど持っているが、特に好きな歌が「夢の樹」と「オー・ド・シェル~天の水」の二つである。その中でも「夢の樹」はアルバムの名前になっていると同時に、1stアルバムの最後を飾る歌である。

男だって、女だって、泣きたい時がある。迷い、苦しみ、立ち止まっている時にはそうだ。もう過去には戻れない。だからといって明るい希望に満ちた未来が見える訳でもない。そんな時には、心まで抱き締めてくれるような真実の存在に巡りあいたい。それは、愛する人でも良いし、すばらしい歌でも良いし、深い文学作品や映画などでも良い。

このアルバムは【あみん】を休止した後、岡村孝子が存在としての苦しみを超えて作られた最初のアルバムである。だから、「一人息子」「雨の街」「ピエロ」「煙草」など、生々しい歌が数多く含まれている。これらの詞の生々しさは、それなりに辛い時間を重ねた末に生まれる言葉の重さを感じられる。その上で、岡村孝子は、同じような辛さや苦しさを感じる人々に、そして自分自身のために、最後の「夢の樹」を作ったのではないだろうか。

最後に繰り返されるフレーズ……この中に、それでも生きていこう…という心からの思いが感じられる。

泣きたいよね 泣きたいよね 

行く所も帰る場所も 遠すぎる時には

感じたいね 真実(ほんとう)のうた

あなたのため 私のため

生きている限り

…この歌に、何度もはげまされた事があった。そして、もしかしたら苦しんでいて、たまたまこのページを目にした人に伝えたい歌でもある。

 

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2007年3月 7日 (水)

「早春賦」の似合う夜

昨日、そして今日と、夜はけっこう冷え込んでいる。今朝は、朝の仕事がなかったので、昨夜は久しぶりに行きつけのスナックでグレンフィデックを楽しんだ。もちろん、カラオケも…。先月に行った時は「春よ、来い」(ユーミン)「襟裳岬」(森進一)「サボテンの花」(チューリップ)などと共に「早春賦」といった冬から春にかけての歌を歌ったが、その後、暖かい日が続いたので、今回はもう少し春にシフトするつもりだったのだが…。

グラスに氷を入れて鹿のラベルのボトルから淡い琥珀色の美酒を注いでもらう。軽くグラスを回して香りを楽しみながら、ゆっくりと口に注ぐ。疲れていた心身が蘇るような感触…。やはり、グレンフィデックは美味しいシングルモルトである。

2杯目を飲みながらの選曲は「あいつ」(風)「春雷」(ふきのとう)そして「卒業写真」(ハイ・ファイ・セット)それから「仰げば尊し」…。春と言えば卒業のシーズンでもある。ついでに「SAYONARA」(メアリー・マクレガー/さよなら銀河鉄道999)も歌った。店の女の子や常連さんたちとの会話も楽しみながらグラスを重ねる。4杯目を数える頃には午前零時半を回っていた。そろそろ帰る時間とばかり「もののけ姫」を入れる。ラストソングとして固定してあるので、ママが勘定を始める。そしてタクシーで帰宅。

仲の良い友人たちとウイスキーや泡盛を飲みながら、ギターを片手に歌うのも楽しいが、行きつけの店でグレンフィデック…そして時にはスプリングバンクやグレンモーレンジも…を楽しむのも良い。ウイスキーと共に過ごす楽しい時間である。

 

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2007年3月 6日 (火)

春雷…ふきのとう《人生・春・横断》より

ふきのとうの《人生・春・横断》というアルバムの中に〈春雷〉という歌がある。ふきのとうの歌は割と穏やかというかソフトなものが多いのだが、この歌は非常に激しく、まさに春の嵐をそのまま歌にしたような作品である。

穏やかな春の良いを揺るがす雷、そして激しい雨……。街路や公園の桜を楽しみ、あるいは杯をかさねる人々を襲う。帰る家のある人、家族を持つ人々は、激しい雨の中で家路を急ぐ。けれども帰る当てのない男たちは、雨の中で孤独に嵐の通り過ぎるのを待っている。帰宅を急ぐようなポーズを取りながら……。

穏やかな陽気と柔らかな風の中の桜は、咲くのも散るのも美しい。けれども、激しい雨と風にさいなまれて散っていく桜の花に、いつ終わるかもしれない孤独な存在の生がむき出しになる。それは、あえて家族ではなく孤独を選択した者の心に潜む寂しさであり、恐怖でもある。

この歌は、カラオケにも入っているし、春には時々歌いもする。けれども、キーの高さと、リズムの速さ、それにサビの部分に出てくる装飾音符をオリジナルのように微妙に音程を震わせて歌うなどの点でけっこう難しい歌である。それでも、この歌のイメージにある孤独や生と死の闇に心惹かれる。ふきのとうの歌の中では、一番好き…というわけではないが、強烈な個性を感じる歌である。

 

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2007年3月 1日 (木)

TMNと小室哲也/2つのResistance

TMN(TMnetwork)の「humansystem」というアルバムに入っている歌の1つに【Resstance】がある。多分、大ヒットした「Get Wild」の次のシングルだったように記憶している。作詞は小室みつ子、作曲は小室哲也でアニメ【シティーハンター】のエンディング「Get Wild」と同じコンビである。

歌詞の内容は、旅立っていく女性を愛情を持って見送る男の視線で作られている。その意味でグラディエイション/卒業という言葉も見受けられる。旅立ちを見送る男が、励ましと、「待ち続ける」という深い愛情の投げ掛ける。TMのボーカルの宇都宮隆がそれをロックのリズムに乗せて力強く歌いこんでいる。TMNの歌の中でも、お気に入りの1つである。

ところが、それとは別に、小室哲也が出している「Hit Factory」というアルバムにも【Resistance】という歌が収録されている。メロディーは同じだが、歌詞は少しシュチュエーションを変えて、多分、空港から海外へと飛躍しようとする女性の旅立ちを彼女を愛する男が見送るという形になっている。小室哲也の繊細な声に合わせて、こちらはバラード調のアレンジである。もちろん、こちらはこちらで味わい深くけっこう好きな歌になっている。

今日は、県下の多くの高校で卒業式が行われた。新しく巣立っていく卒業生たちに、この2つのResistanceを送りたい。未来は君たちの手にある。けれども、やさしい道だけではなく、時には苦難も訪れるだろう。しかし、諦めず、流されず、前向きに進んでいって欲しいと思う。

 

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