2009年12月24日 (木)

This Night …TM NETWORK / humansystemより

1994年までのTM NETWORK(TMN)の歌は、それぞれのアルバムに様々な工夫やチャレンジが感じられ、とても面白かった。その中でもお気に入りのアルバムの双璧は《CAROL》と《humansystem》だが、アルバム《humansystem》のラストを飾るのが「This Night」である。作詞・作曲ともに小室哲也、ロマンティックなクリスマスの夜の恋人たちの姿を降り積もる雪の風景に写し取ったステキなバラードに仕上げているところは、才能と遊び心と冒険心に溢れたこの頃の小室哲也らしい。そんなわけで、クリスマス前後にカラオケに行くと、ついつい入れてしまいたくなる歌になっている。

 

「いつまでも いつまでも 君はぼくのものだよ」/優しくうなずく君に 言葉はいらない UH…/いつか こんな日がふたりに訪れることを/Merry X'mas響く夜は 誰も知らなかった UH… I've been waitin' for this night /空に雪は降り続けた/ I've been waitin' for this night /永遠に続く夜だった

人はそれぞれの苦しみを 話してしまいたい/ひとりの夜は特別さ 君も泣いていた UH… /同じ雪の音を聞いて 同じ淋しさを感じて/すぐそこにある出逢いには 気づかずにいた UH… You've been waitin' for this night /言葉もぬくもりも夢も/ You've bee waitin' for this night /冬の日が深く閉ざしてた

一年前の哀しげな 君のまなざしが/めぐり来る季節の中で ほほえみに変わる UH…/ひとりきりの夜は今も 忘れないけれど/「いつまでも いつまでも 君はぼくのものだよ」 UH… I've been waitin' for this night /空に雪は降り続けた/ I've been waitin' for this night /永遠に続く夜だった/ I've been waitin'for this night / I've been waitin' for this night …

 

孤独な日々を送っていた2人が出会い、苦しみや哀しみを語り合い、共に時間を重ねて、永遠の夜を迎える。そのような出会いを無邪気に信じられる年齢ではなくなってしまったが、それでも、若い世代にそんな出会いがより多く訪れることを願いたい。

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2009年11月 6日 (金)

もう4年…

本田美奈子.が亡くなってから、もう4年になる。彼女の歌を聞き始めたのは、《Lips》というアルバム…いわゆる「1986年のマリリン」の入っているアルバム辺りからなので、もう20年以上前になる。アイドルとしてスタートし、ロックへ、そしてミュージカルやクラッシックへ、彼女の音楽の幅はどんどん広がっていった。

飲みに出かけた時、ふと、彼女の在りし日の姿を見たくなると、「1986年のマリリン」や「Oneway Generation」をカラオケで歌ったりもする。だが、歌として好きなのは「つばさ」や「風のうた」である。実は今日も、日中、車の中で「風のうた」を聞いていた。そして今は、アルバム《心を込めて…》を聞いている。彼女の高く、力強く、しなやかな声は、こうして今も聞くことが出来るが、次々と新しいことにチャレンジしていく生き方も魅力に充ちていた。

けれども、4年前、本田美奈子は白血病のため亡くなった。それでも彼女は、ギリギリまで希望を捨てず、音楽を愛し、病院でも歌を歌い続けた。骨髄移植という治療法が開発されるまでは不治の病であった白血病だが、それによって100%治る訳ではなく、彼女のように死に至ることもある。その意味では、発病して以降は、常に死と隣り合わせの生であっただろう。しかし彼女は死に向き合い、そのことによって真摯に生に向き合ったからこそ、最後まで希望を捨てずに生き続けたのだろう。

その生き様は、4年という時間を隔てた今なお、多くの人々の心を動かし続けている。今日は、彼女の歌を聞きながら、彼女のために、そして世界中の人々のために祈りたいと思う。

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2009年11月 5日 (木)

風邪…グレープ「せせらぎ」より

グレープの2ndアルバム「せせらぎ」の中に「風邪」という歌がある。作詞・作曲ともにさだまさし。もう、30年以上も前の歌になるのかと思うと感慨深いが、日常の中の1シーンをうまく切り取った、クスリとしてしまうような歌詞である。

 

今日は風邪をひいてしまったから 君への電話は止すよ こんなシオカラ声じゃ 君に よけいな心配させる

こんな時は黙って寝てるのが 一番いいのよって君が 前にいってたけれど 確かに 煙草がおいしくないね

季節が かわれば 風邪もなおるよ そしたら 最初に電話をするよ

 

今の時代ならメールだろうから、シオカラ声はごまかせるだろうけど、とか、最近の神経症的な嫌煙の流れでは煙草という歌詞が叩かれるかも、とか、季節が変わるまで長引く風邪ってけっこう強力かも…などという他愛も無いツッコミを入れたくなるが、それも含めて、何かほのぼのとした感じである。

巷では、新型インフルエンザの嵐が吹き荒れ、煙草税の税率の引き上げが噂され、失業率の上昇が懸念され、何となく余裕のない殺伐とした空気が充満しつつある。たまには、こんなほのぼのとした他愛の無い歌を聞いてゆっくりするのも良いかも知れない。

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2009年9月26日 (土)

美辞麗句…岡村孝子《私の中の微風》より

今日は、片道1時間ほどかけて隣の市まで出かけていたので、途中の車の中で岡村孝子の歌をかけていた。岡村孝子の歌は割とよく聞く方だが、ソロになってからのアルバム《夢の樹》や《リベルテ》、《オー・ド・シェル~天の水》は特に好きな歌が多く入っている。今回取り上げる「美辞麗句」は2ndアルバムの《私の中の微風》に入っている歌である。このアルバムには来生えつこ・たかお姉弟が詞と曲を書きシングルカットもされた「はぐれそうな天使」も入っているが、個人的にはこの「美辞麗句」や「Baby, Baby」、「ひとりごと」などの歌の方が好きである。それらの詞と曲には、20代の頃の若き岡村孝子の瑞々しい感性が感じられる。

 

幸せについてコメントすれば あたりさわりのない美辞麗句 何かがこわい誰かがこわい 自分をせめるすべてのもの

こんなに私は弱虫だっけ 思わず苦笑い 退屈なだけの夜を飛び越え ここを見つけたのに 本当の自分をどこかに忘れ 今日もさまよう

 

周囲の視線がどうしても気になってしまう。歳を重ねることでその怖さや不安は若い頃ほどには感じなくなったが、20代の頃には周囲を過剰に意識し、不安や恐れを感じていた。そして、「本当の自分」を探して悩み、迷い、苦しんだものである。けれども、そうした日々を越えてくる過程で、「自分」というものは、周囲の他者と関わりながら、時には影響を受け、時には影響を与えながら少しずつつくりあげていくものだったのだな、ということを今になって思う。

けれども、若い頃はそんなことなど思いつきもしなかったし、幻想の中の「本当の自分」を信じて苦闘したものだった。それゆえに、同じように苦闘していた岡村孝子の歌に惹かれたのだろう。この歌を聞いていて、そんな若い頃のことを思い出してしまった。若さには若さの良さと苦悩があり、歳を重ねればそれに応じた別の良さと苦しみがある。それを受け入れながら、まじめに生きることが「本当の自分」へと至る道なのかも知れない。

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2009年7月14日 (火)

黄金の花…夏川りみ【南風】より

夏川りみの【南風】というミニ・アルバムに「黄金(こがね)の花」という歌が入っている。作詞/岡本おさみ、作曲/知名定男、夏川りみのオリジナル・ソングという訳ではなく、カラオケでは沖縄SONGのカテゴリーに入ってはいても、別の歌手の歌になっていたりする。ただ、私自身はこの夏川りみのミニ・アルバムで覚えたので、その印象が強い…ということになる。

 

黄金の花が咲くという 噂で夢を描いたの 家族を故郷、故郷に 置いて泣き泣き、出てきたの 素朴で純情な人達よ きれいな目をした人たちよ 黄金でその目を汚さないで 黄金の花はいつか散る

あなたの生まれたその国に どんな花が咲きますか 神が与えた宝物 それはお金じゃないはずよ 素朴で純情な人達よ 本当の花を咲かせてね 黄金で心を捨てないで 黄金の花はいつか散る

黄金で心を捨てないで 本当の花を咲かせてね

 

とてもストレートな歌詞だが、テクノやシンセサイザーなどの都会風のサウンドではなく、素朴な民族楽器を使った沖縄風のアレンジで歌われると、その言葉は、嫌味な感じには聞こえずに、すっと心に染みこんでくる。

確かに、お金はないよりもあった方が良いが、お金と引き換えに、大切なものを失ってしまっては本末転倒である。富が、それなりに幸福につながることはあるが、経済的に豊かになることが必ず幸福を保証する訳ではない。経済的な豊かさを求めるあまり、時間や心の余裕を失い、大切な関係が壊れたり、心や身体を病んで不幸になってしまう場合が少なくないからだ。この歌を聞いていると、そんな当たり前のことを思い出すことができる。 

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2009年6月 9日 (火)

戦争は知らない…フォークルの歌

ザ・フォーク・クルセダーズの歌の中に「戦争は知らない」という歌がある。個人的には、「はしだのりひことクライマックス」が歌っていたものが印象深いが、シューベルツも歌っている。作詞は寺山修司、作曲は加藤ヒロシ、青木望の編曲である。フォークル、シューベルツ、クライマックスとなるといずれもはしだのりひこが共通するが、その中でもフォークルは一番古く、この歌も半世紀ほど前の歌ということになるだろう。

 

野に咲く花の 名前は知らない だけども野に咲く花が好き 帽子にいっぱい 摘みゆけば なぜか涙が 涙が出るの

戦争の日を 何も知らない だけど 私に父はいない 父を想えば ああ荒野に 赤い夕陽が 夕陽が沈む

戦さで死んだ 悲しい父さん 私はあなたの 娘です 20年後の この故郷で 明日お嫁に お嫁に行くの

見ていて下さい 遥かな父さん いわし雲とぶ 空の下 戦さ知らずに 20歳(はたち)になって 嫁いで母に 母になるの

 

メロディーは明るい感じで覚えやすく、伴奏のギター・コード進行も簡単で、大学時代は歌声サークルなどでも歌っていた歌だが、明るく歌いやすい中にもしんみりとした情感があり、けっこう好きな歌である。

太平洋戦争の敗戦から20年後…というと1965年。その当時、日本の軍隊が戦場で直接他国の人々を傷つけたり殺したりすることはないと信じられ、国民は、昨日より少し豊かな今日、今日よりさらに豊かな明日を信じていたし、多くの人々が未来への希望を胸に抱きながら毎日を生きていた。この歌にも、それは表現されている。「嫁いで、母になる」ことは「幸せな未来」と同義語だとこの歌を聞いた人は感じたし、作り歌っている側もそう信じていた。

だが今は、明るい未来を単純に信じられる人はそれほど多くはないだろうし、結婚や子どもを産むことと幸せがそのまま無条件でイコールだと感じる人も少ないだろう。それどころか、社会には明日への不安や戦争へ至るかも知れない不穏な空気が渦巻いている。だからこそ、いっそう、この歌を噛み締めたい。戦争の体験は知らないまま一生を終えたい。だが、そのためには、努力が必要である。無理をすれば続かないが、自分のやれそうなことを探して、少しでも努力を積み重ねたい。

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2009年5月16日 (土)

私はここにいる…岡村孝子 3rd / リベルテ より

岡村孝子がソロになって3枚目のアルバムとなる「リベルテ」。このアルバムの中の歌では「電車」や「夢をあきらめないで」の方が有名だが、「私はここにいる」という歌も個人的には好きである。大好きな恋人の愛を失って、失意のどん底にあっても最後のギリギリのところで《私はここにいる》と自分の存在を肯定する。そこに、生きていく力強さを感じるからである。岡村孝子の澄んだ声が、切なく淋しい想いをしんみりと語るように歌い、そしてそれでも死ぬこともなく、今、ここに存在していることを歌い上げる。古いポップスの曲でカーペンターズがアルバム「Now & Then」でカバーした「The End of the World」と対比すれば、恋人が「さよなら」を告げた時に「この世は終わった」と歌う「The End of the World」の歌詞よりよりもずっと、女性の自意識を感じられる。

 

生きていたくない 悲しい時にも あきれてしまうほど 笑って見せてる私を 許せないほど 憎んで 会えない時にも過ごせるようにと 始めた夢なのに 二度とは会わずに こうして 強くなってゆくのネ 笑って手を振る私を無理にとめてほしかった

あなたがいなけりゃ 愛はもう 歌えない いつでも 私の心に あなたがいる

楽しく話せる仲間もできたし 夢に近づいても 切ない位に孤独よ 自分を見つけられずに 全てを敵にしてでも あなたがいれば良かった

あなたがいなけりゃ 愛はもう さがせない いまでも 私の心に あなたがいる

あなたが いたって 愛はもう 歌わない あなたが いなくても 私は ここにいるわ

 

辛い時にどうするか。その辛さを心から切り離そうとする精神的な「防衛」がある。けれども、それが不自然に習慣化してしまった時、精神的な悪影響が生じてしまうことがある。感情的に暴走してしまった(キレた)その瞬間、まったく別人のようになってしまい、自分の意識で自分の行動や思いをコントロールできなくなってしまうのである。昨今の事件の中には、そうした精神的な「乖離(かいり)」という防衛が痛ましい事件へと発展してしまったものを見かけることが少なくない。だが、周りにそうした辛さを理解してくれる人が1人でもいれば、不自然に習慣化することもなく、事件も起こらなかったのかも知れない。

自分の周りにいる大切な人たちの辛さを理解してあげられれば、お互いに愛をはぐくむことが出来るだろう。だが、関係が壊れてしまっても、自分は自分として存在する。そのように、自分を肯定できる強さを持ちたいと思う。

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2009年4月30日 (木)

SOLITAIRE…男は1人カードを

今年は、カーペンターズがデビューして40周年ということで、日本では様々なイベントがあったようで、リチャードも来日している。私自身も中学時代はよくカーペンターズを聞いた。アルバム「Now & Then」はテープに録り、何度も聴いたし、「スーパースター」や「トップ・オブ・ザ・ワールド」、「オンリー・イエスタディ」などの曲も好きだった。けれども、最近では「ソリテアー」をよく聞くし、またカラオケでも歌っている。中学・高校時代は、嫌いではなかったがそれ程大好きという訳でもなかったこの歌の良さが、最近はよく分かる。

恋を失った男が、1人カードをめくる。その哀愁を、カレンの優しく包み込むように響く歌声が鮮やかに歌い上げる。もちろん、リチャードの繊細なアレンジもすばらしいのだが、それを生かしきったカレンの歌唱は、何度聞いても心を動かされる。

 

There was a man  A lonely man  Who lost his love Throgh his indifference

A heart that cared  That went unshared Until it died Within his silence

他に心をまぎらわすゲームもなく、何か新しく惹かれるものもなく、ただ、1人でトランプを続ける。そこにあるのは、男として泣くことなどできない……という見栄だろうか。いっそ、嘆き悲しんだ方が心は早く回復するのだろうが。それとも、それさえ出来ぬほどに深く傷ついたのだろうか。彼は1人、トランプを続ける。

それなりに生き続けていれば、多くの出会いと別れを経験する。その経験の中には、失恋した後、1人でトランプのカードをめくり続けるシーンはなかったが、その気持ちは理解できる気がする。1人の生活もそれなりに心地好いが、人生を共に歩めるパートナーが傍にいると信じられた時間の豊かさも確かにある。そうした思いもかみしめながら、今夜はカレンの歌声を聞いて眠りにつこう。

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2009年4月21日 (火)

「よその子」と「ひとりでお帰り」…知らない誰かのために

自分の利益のために……だとか、周りの身近な組織や集団のために……といった利己的な判断がよく目に付く今日この頃、谷山浩子の歌をセレクトしてmy favorite songs の音楽CDを編集していて、二つの歌をセレクトした。1つは、アルバム《宇宙の子供》の中の【よその子】、そしてもう1つがアルバム《銀の記憶》の中の【ひとりでお帰り】である。両方とも、アルバムの第1曲目に置かれている。

 

ここから見える全ての家の 全ての人の幸せを 祈れるくらいに強い心を 強い心を 僕は持ちたい ここから見えない全ての家の 全ての家の幸せを 祈れるくらいに強い心を 強い心を 僕は持ちたい きみはよその子 宇宙の子供 全ての家の 窓を開くよ きみはよその子 わたしの子供 閉ざした心の窓を開くよ ……【よその子】より

きみの今のその淋しさが 遠い街の見知らぬ人の 孤独な夜を照らす ささやかな灯に変わるだろう …… たとえば夜が深く 暗がりに足が怯えても まっすぐに顔を上げて 心の闇に沈まないで どんなに淋しくても きみはひとりでお帰り どんなに淋しくても きみはひとりでお帰り ……【ひとりでお帰り】より

 

生きていれば、どこかで辛い思いや悲しい思い、淋しい思いを経験するだろうし、その中で心に深い傷を負ったりもする。けれども、そんな心の闇をきちんと見つめ、それを超えていく過程で、人は成長し成熟するし、強くなると同時に、他者に対して優しくなれる。それを実感できたとき、この2つの歌の歌詞が深く胸に染みこんでくる。

孤独の辛さや淋しさに耐え、それに押しつぶされそうになりながらも、「全ての家の幸せ」を願う。あるいは、自分の辛く悲しい経験を、他者の「孤独な夜を照らすささやかな灯」に変えていく努力を続ける。その中には「利己心」や欲望を超える深い愛がある。まだ、そこまでは至らない自分の弱さや小ささを自覚しつつ、それでも努力を続けていこうとする意思。それこそが本当の強さであり、また本当のやさしさにつながっているのではないだろうか。そのような生き方を大切にしようとする人間でありたいと思う。

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2009年4月11日 (土)

花の街…鮫島有美子/日本の歌 より

ぽかぽかと温かな日が続いている。庭先にも道端にも、桜やタンポポ、水仙をはじめとする様々な花が風景を彩っている。温かな日ざしとそよ風の中で春の花々をぼんやりと眺めていると、「花の街」という歌が思い出される。作詞は江間章子、作曲は團伊玖磨。わがCDコレクションの中では、鮫島有美子の「日本のうた」というアルバムに入っている。

 

七色の谷を越えて 流れていく風のリボン 輪になって 輪になって かけて行ったよ 歌いながら かけて行ったよ

美しい海を見たよ あふれていた 花のまちよ 輪になって 輪になって 踊っていたよ 春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で 泣いていたよ まちの窓で 輪になって 輪になって 春の夕暮れ ひとりさびしく 泣いていたよ

 

中学校の時の音楽の時間に、この歌を歌ったような記憶がある。教科書にあった歌なのだが、その時の記憶では、1番の最後の歌詞が「春よ春よと かけて行ったよ」だったように思う。そして、3番の歌詞は書いてなかったので、ずっとこの歌は2番までしかないのだと思っていた。だが、その後、初めてこの歌をきちんと聴いたとき、驚いてしまった。歌はもっと長く、しかも、春の喜びだけを謳っているのではなかったのだ。だが、春は必ずしも喜びばかりではない。それを考えれば3番の歌詞もうなずける。そればかりか、この歌の世界の深さをも感じさせるのである。

このところ、ポップスやフォーク、ニューミュージックをよく聞いていたので、今日は久しぶりに鮫島有美子の歌に耳を傾けよう。

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