2016年12月28日 (水)

平和への誓い

首相が真珠湾での慰霊から帰国した。真珠湾攻撃の犠牲者に思いをはせ祈るとともに平和への誓いを新たにする……というのは良いことだと思う。ただ、真珠湾攻撃の犠牲者の多くは戦闘員(軍人とその関係者)であり、平和への道を開くのであれば、非戦闘員…つまり一般の人々に対する犠牲について、より謙虚な言動が望まれる。いわゆるアジア諸国における民間人の犠牲者である。
 
例えば、日本はアメリカ軍による空襲や原爆投下、沖縄地上戦によって、多大の民間人の犠牲者を出している。だから、国民はヒロシマ、ナガサキ、沖縄、や東京や名古屋などへの大空襲を忘れていない。被害者・犠牲者は忘れないのである。そして、非戦闘員に対する無差別攻撃は、決して忘れてはならないと思う。
 
だが、日本の歴代の為政者や政治家の少なからぬ人々が、日本軍による加害責任を軽視したり矮小化したりする言動を取ることが度重なっていた。特に安倍信三のそれは、歴史修正主義として侵略の事実を捻じ曲げようとしているかのように多くの人々の目に写った。そのため、内外から何度となく非難を浴びている。
 
今回の行為が、それに対する反省の上に立ち、本当に平和を志向する出発点であるならば、真摯に歴史的事実に向き合わなければならない。それは、民間の犠牲に対して、真珠湾での言動以上に謝罪と鎮魂の姿を内外に示すことである。
 
例えば、無差別爆撃を言うのなら、日本軍は渡洋爆撃という形で長距離爆撃を南京や重慶に対して行っている。零式艦上戦闘機11型の初陣でもあったため、私はその事実を中学生の頃から知っていたが、高校はもちろん中学の社会科でもそれを学習した記憶はない。これはもちろん、民間人が犠牲になることも想定した無差別爆撃である。
 
そうした民間の犠牲に対して、これから首相が謝罪と鎮魂の旅をして回るのであれば、今回の平和への誓いは今までのそれとは異なり、口先だけの言葉ではなく真摯な思いであるかもしれない。だが、真珠湾だけにとどまるならば、それは日本の軍事化を進めるためのアメリカの人々に向けた単なるパフォーマンスに過ぎず、いつものウソとほとんど同じ対外的美辞麗句に過ぎないだろう。そしてそれは、私が見抜くぐらいであるから内外の心ある人々にとっても簡単に見抜けることである。首相がこれから、平和に向けてどのような言動を取るのか注目していきたい。

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2016年12月26日 (月)

依存症ビジネスに甘い国

ギャンブル依存症対策をきちんと作らないままカジノ法案が成立した。ひどい話だが、この国・政権は、依存症ビジネスに激甘で、それによって人々を食い物にするビジネスを野放しにしてきている。その結果、少なくない国民が苦しんでいても、まともな対策も立てようともせず、知らん顔である。その辺りを徹底的に追及できない野党やマスメディアにも困ったものだが、そうした野党やマスメディアの弱さに乗じて暴走する現政権は、犯罪的ですらあるといえよう。
 
臨床心理的に言えば、ギャンブル依存症に限らず、多くの依存症がある。古くは「中毒」などとも言われたアルコール依存症やパチンコ依存症(ギャンブル依存症…の一つではあるが)、タバコ依存症に薬物依存症、新しいところでは携帯電話やスマホの依存症などもある。
 
依存症は病気である。麻薬や覚せい剤使用で逮捕されたり名前が上がったりしている芸能人や有名人は毎年のように出てくるが、犯罪の側面と同時に病の側面がある。ヨーロッパなどでは、その「病」という面により意識を注ぎ、治療のルートに乗せるシステムがある。だが、「犯罪」として摘発するだけで治療のための制度を確立しないまま放置すれば、「犯罪」は減らないだろうし、逆に、それを悪用する「闇経済」を太らせるだけだろう。
 
また、依存症から抜け出すためには、本人の心のケアが大切となる。忙しさや充実感を奪われた生活が心のスキマを広げ、そこに依存症の原因となる「毒」が入り込む。仕事に押しつぶされずに家庭生活や趣味、地域の活動や生きがいに割ける十分な時間とお金があり、親密に関わり心を許せる家族やパートナーや仲間がいる充実した暮らしが多くの人に保障されていれば、依存症のリスクは小さくなるし、立ち直りも早くなる。そして、そうした社会であれば、生産性も独創性ももっともっと出てくることだろう。
 

言わば、現政権の推し進めることと正反対の道が、まさしく依存症対策となり、依存症ビジネスを縮小させ、真っ当な経済を回復する道である。それから目を背け、どこまで国民生活を破壊すれば気が済むのだろうか。


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2016年7月31日 (日)

マイノリティーの排除という弱さ

障がい者の大量殺人という痛ましい事件が起きた。報道によれば、加害者の考えの中にマイノリティーの排除があるらしい。だが、その思想は、実は安倍政権や政権与党の中にも色濃く存在する。もちろん、首相も与党議員も露骨な形でそれを出しているわけではない。けれども、沖縄や介護、障がい者への政策的な対応や行動を見れば、安倍首相をはじめとする政権与党が、明らかにマイノリティーの側に対する抑圧に大きく舵を切っているのがわかる。特に第二次安倍政権以降にその傾向は強く出ている。従って、加害者の衆議院議長への手紙は非常に象徴的でもある。現政権が進めたマイノリティーへの弾圧・抑圧をより凄惨な形で実行したのが今回の事件だという分析もできるのである。
 
表面に出ているのは、暴力と残虐性ということになるが、個人的には、それが凄惨であるほど、加害者側の心の弱さや狭さが浮かび上がる。「弱い犬ほどよく吠える」ということわざがあるが、本当に強い心を持っていれば他者に寛容で弱者にやさしくできるし、マイノリティーを排除する必要はない。マイノリティーの排除をするということは、そうした暴力的な姿勢をとることで自らの「弱さ」を隠蔽し、「強さ」を誇示したいという心の表れであろう。
 
それに気づき、自らの弱さを自覚して、改善のための努力をしようとするのであれば、まだ救われる可能性がある。けれどもそうした自分の弱さから目を背け、ごまかそうとする限り、結局は自ら不幸を呼び込むことになるだろう。
 
 

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2016年6月23日 (木)

守るべきもの

沖縄慰霊の日、ニュースでは安倍首相も出席していたようだが、どの面を下げてのことだろう。昨年の安保法制の改悪に際し、安倍首相は国民を守るため…との説明をした。だが、その安保法制の下で、沖縄の若い女性の命が奪われた。その後、米兵による飲酒ひき逃げ事件も起こった。沖縄はもちろん日本の一部だし、沖縄県民は当然のことながら日本国民である。安保法案の強行採決の際の首相の説明では、日本国民は誰一人として殺させないのではなかったか。首相の言葉が正しいならば、安倍氏はアメリカに喧嘩を売ってもおかしくないと思うのだが、逆に、この事件をもみ消そうという圧力が捜査陣に働いていたという話も聞こえてくる。それに危機感を持って、情報が沖縄の新聞に流れ、事件が明るみに出たとのことである。
このような国民軽視と人権侵害を続ける政府に対し、冷静で客観的な判断をしたとき、もともと琉球王朝として大和朝廷とは別の歴史を歩んでいた沖縄があえて日本の一員であり続けることがBestの選択なのか、という考えも出てくる。県民(国民)を本当の意味で守るための沖縄の独立という考えである。そして、沖縄が独立したとき、差別と人権侵害を続けた日米にそのまま基地の設置を許すことはありえない。とすれば、外交的に中国やロシアとの交流を重視するという外交的選択の可能性も当然出てくる。
そうなった時、沖縄の地政学的な位置は日米の安全保障や外交にとって脅威となる。
安倍政権の沖縄への対応は、安全保障の名の下、安全保障をかえって危うくする危険性をはらむ愚かなものなのである。普天間基地の移設は、確かに様々な問題を抱えているし、一週間や一か月で解決できる種類のものでもない。それは、沖縄県民であっても複雑な思いを抱えつつも、それなりの努力を続ければ理解はしてくれるだろう。だが、問題解決への努力をせずに負担を押し付けるだけでは理解は得られない。たとえば、地位協定でも日本ほど米軍に譲歩した卑屈なものは、同じ敗戦国のイタリアやドイツでも結んでいないし、フィリピンでも、もっとフィリピン国民側に譲歩する形での改定を行っている。それらの国にできることが日本にできないなどありえない。政府の外交的無能、あるいは怠慢と言う以外にないだろう。
安倍政権は、安保法の強行採決時に「国民を守るため」と主張したが、それにも拘わらず、国民の命が奪われている。安倍政権の言葉が、いかに行動を伴わない空虚なものであるかが、この事件でも明らかになったのである。守るべきは国民…安全保障においてこれは大前提である。だが、安倍政権はそうした行動をとらなかった。来月には参議院議員の選挙がある。これは、判断をする上で大切なポイントの一つとなる。

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2015年11月30日 (月)

本当の「テロとの戦い」

フランスでのテロの後、世界各地でテロに対する緊張感が高まっている。テロの犠牲になった人々には、心から哀悼の意をささげたいと思う。一般市民を標的にしたテロは無論、許されることではないが、ISの支配地域と見られるところを空爆してもテロは防げないだろう。それどころか、テロリストではない市民の犠牲も当然出る。それが、新たなテロリストを生むことにつながる可能性をはらんでいる。武力制裁は、テロに対して必ずしも有効とは言えない…というのが、9.11以降の世界で、我々が学ばなければならないことだろう。
では、何が有効なのか。残念ながら、簡単にテロを止めるすべはない。だが、テロリストを増加させる流れを止める道はある。それは、なぜテロリストが生まれたのか……ということを考察していけばよい。差別と貧困、そしてそれによる社会への絶望が原因だと言えよう。自分が一人の人間として大切にされ、まじめに働けばそれなりに十分な収入が得られて幸福に暮らしていけるような社会にいれば、多くの人はそのような社会を壊したいとは考えないだろう。しかし、差別やいじめによって人間性を否定され、まじめに働いても貧困から抜け出せず、不安や不満も取り上げてくれないような社会であれば、破壊したいと考えても不思議ではない。つまり、差別と格差による貧困がテロリストを生み出す土壌となるのである。
だから、格差社会を是正し、マイノリティーの声に耳を傾けて、弱い立場の人々の人権を大切にする社会・国・世界を作る努力を積み重ねることが本当の意味でのテロとの戦いとなる。つまり、安倍政権のやっていることの反対をやればいいということなのである。その意味で、平和憲法の制約の中で軍事的な行動を制限されている日本・日本人は、様々な地域でのNPOボランティア活動によって、長年、テロとの地道な戦いを積み重ねてきていたといえる。それをぶち壊した安倍政権。そのツケを国民が払わねばならない時が来ることがないことを祈りたいのだが…。残念ながら、その保証はない。

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2015年7月31日 (金)

嘘について

子どもの頃は「嘘は絶対にダメ」と教えられてきたが、臨床心理学をそれなりに学んだ今、嘘を全面的に否定する気はない。弱い自分を何とか守り、自我の崩壊を防ぐためについてしまうような嘘は、ある意味では人間として仕方がない部分もあるからだ。また、誰かを守るために自分を犠牲にしてつく嘘もある。弱い立場の人々を守るための防波堤となり、自分が傷ついたり損害を被ったりするような嘘ならば、心情的には許せるように思う。
ただ、悪質で許せないと感じる嘘もある。自分の失敗やミスをごまかし、その責任回避を図り、結果として他の人やより弱い人たちを傷つけるような嘘である。あるいは、その嘘によって他人をだまし、自分が利益を得ようとする嘘。嘘というよりも詐欺だろう。
今、日本の政治には嘘が満ち溢れている。かつての政権もたくさん嘘を重ねてきたが、現在の政権ほどのウソツキは多分存在しないだろう。戦争法案の審議で安倍政権の支持率が急落しているが、これは「理解が進んでいない」のではなく「理解が進んだ」からこそ、政権の嘘まみれの発言に怒りを覚える国民が急増しているからだろう。
ハワイでのTPP交渉にしても、自民党は「TPP反対」を公約に掲げていた。つまり、国の運命を左右するような重要事を嘘をついてあっさりひっくり返し、国民の安全や富をアメリカ多国籍大企業に売り渡して恥じないことを進めているのである。
個人の嘘のレベルなら、ある程度仕方のない部分もそれなりにある。けれども、政権与党の嘘は、多くの国民や国の富を巻き込み、国民と日本を不幸にしていく。こういう類の嘘は、絶対に許してはならない。

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2015年5月31日 (日)

加害者の意識

被害者は忘れない、ただ許すだけだ。そして、加害者の真摯な謝罪が積み重なってこそ、それを許そうという気になれるのだろう。けれども、加害者が自らの罪と真摯に向き合おうとしなければ、さらにはその罪をごまかそうとしていたら、被害者は加害者を許すことはできないだろう。様々な事件の報道で、真摯に謝罪しない加害者に対して我々がどんな気持ちになるかを考えれば、それは容易に想像できる。
だが、それを理解できない…あるいは理解しようとしない者もいる。太平洋戦争において、原爆や東京大空襲などのことを考えれば、日本国民は被害者という面があることは否定しない。どちらも、抵抗できない一般の民衆を無差別に爆撃したものだから。けれども、実はその前に南京や重慶といった都市を無差別に爆撃したのは日本帝国軍である。だから、被害にあった民衆にとって、日本は大日本帝国軍は明らかに加害者なのである。では、加害者である日本は真摯に自らの罪に向き合った犯罪加害者のようにきちんと謝罪したと言えるだろうか。戦後70年という節目にあって、村山談話と河野談話という二つで謝罪は十分なのだろうか。戦犯を合祀した靖国神社に多くの大臣や国会議員が参拝する姿は真摯な謝罪と被害者の目に映るだろうか。そうではないだろう。
最初の「宇宙戦艦ヤマト」においてヤマトはガミラス本星での戦いで、鉱脈を波動砲で打ち抜き、ガミラスの都市を滅ぼす加害者となる。古代進は「我々に必要だったのは戦うことではない。愛し合うことだった」と叫ぶ。リメイクされた2199では、ガミラスに対する加害者としての姿は描かれておらず、落下する大要塞を波動砲で打ち抜く。これによって多くのガミラス人が救われる。物語としては受け入れやすい形に変わったが、それでいいのか…という思いもある。
人は生きていく中で多くの人と出会い、かかわっていく。その過程で、それぞれが他者によって傷つき、また他者を意識せずに傷つけたりもする。我々は、自分の加害者の部分にも意識を向けることも必要だと思う。

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2015年4月30日 (木)

罪や間違いを認めること

日本と日本人の国益をアメリカに売り渡そうとする売国総理がアメリカ議会で演説した。が、侵略に対しての直接の謝罪と反省は言葉にすることはできなかったようだ。結局彼は、自らの未熟さや心の狭さを全世界に向けてアピールしたことになる。個人レベルの話であれば、自業自得だが、問題は、彼が日本の政治家のトップである首相を務めていることにある。彼が首相であるということが、日本の国会にとって恥であるばかりでなく、国益面からも大きなマイナスであろうし、日本人として、本当に恥ずかしい。
まともな大人であれば、自らのミスは率直に認め、それに対する被害や損害にはきちんと謝罪し、その反省の上に立って関係の改善に努めるものである。それは、国家としても当然必要なことであり、どのように誤魔化そうとしても日本がアジア諸国を侵略して欧米に代わって利権を得ようとしたことは歴史的事実として消すことはできない。言葉よりも、大日本帝国と日本軍が行った行動がその事実を示している。それを真摯に反省し、その謝罪も兼ねた援助や協力事業によって、我が国は諸国の信頼を得てきたのである。
侵略しなければ、ほかの帝国主義諸国の侵略されていたかもしれない…という言い方も聞くが、それは侵略され被害をこうむった国の人々に対しての言い訳にすらならない。被害者がどれだけ不利益を受けて人権を侵害されたか…という問題を前にして、侵略する側の心情や事情は意味がない。それを「わかってほしい」というのは【甘え】であって、未熟な国家であればまだしも、成熟した先進国・民主国家を自認するなら、口が裂けても言えないことなのである。
だがそれは、売国首相と彼を中心とした政権は理解できないようだ。その結果、日本という国の評判は泥にまみれ、多くの国民がそのツケを償わなければならなくなる。他者の言葉を聞かず、力で自分の思いを押し通そうとする権力者がテロを呼び込み、暗殺されることも少なくないのは歴史が証明している。が、巻き添えになる国民はたまったものではない。

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2015年3月30日 (月)

内政の失敗と外敵

歴史を紐解くとき、内政に失政を重ねた政権は、外部に「敵」を作ってそれをあおり、失政への批判から人々の目をそらそうとするケースが多い。日本を敵視する言動を繰り広げてきた韓国の朴政権や中国なども内政の矛盾の拡大と政治腐敗の状況を見るにつけ、それを感じる。が、それはわが日本も同じである。
相手に口実を与えないように冷静に対応しながら、批判をうまくかわしつつ、経済やその他の活動で日本人がより動きやすくなるように相手に「貸し」を作っておく、そうした大人の対応によって、長期的に多くの国益を手にすることができるだろう。そして、戦後の日本は、なんだかんだと言いながらも、わりあい冷戦状況や平和憲法を上手に利用しながら、うまく立ち回ってきたのではないかと思う。
だが、安倍政権は多くの失政を積み重ね、マスコミのコントロールも思うに任せず、批判を真摯に受け止めたうえで落としどころを探っていく大人の対応ができないため、中国や韓国を敵視して、一部の夢想右翼にだけは支持されているようだが、結果としてアメリカへの隷属に終始しつつ、そのストレスを東アジアの国々やイスラム圏への「強気」の姿勢での対応によってごまかそうとしている。
「弱い犬ほどよく吠える」という言葉があるが、安倍政権の姿は、まさしくその典型と言えよう。自らが精神的に未熟で実際は弱いと、相手の話を聞いたり、反対意見を含めた話し合いの中で譲るところは譲りつつ、最低限の主張はきちんと認めさせる形で落としどころを探る……という余裕を持った対応をすることができない。実は、「譲れる」ことこそが「強さ」の証なのだが、「弱い」からこそ「譲れない」のである。そしてそれは、ある程度成熟した相手には見透かされて、交渉の中で多くの利益を失ってしまう。一個人の話であれば、「自己責任」だが、一国の中心的政治家ということになると、政権の失敗がごまかされて積み重なっていくと、多くの国益が損なわれ、現在の国民ばかりでなく、未来の国民にも多大な不利益をもたらすことになる。
嘘と感情的な言葉によってごまかそうとしているが、政権の姿勢は「聞く耳を持たない」「暴力でことを進める」ということに終始する。これは、テロリストの心情と非常に近い。近代以降の先進国において、話し合いによって落としどころを探り、ことを進め、失敗したらその都度修正していく…という姿勢は「常識」である。けれども、問答無用で嘘と暴力によってことを進めるのであれば、対立する側は話し合いをしても意味がないと考えるようになる。これは、テロを呼び込む土壌となる。
弱くて、聞く耳も受け止める懐の深さもない最悪のリーダーが国のかじ取りを続けている。日本という船が山に登ってしまい身動きが取れなくなる危険が一層深まっている。

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2015年1月30日 (金)

ブラックゴーストと安倍政権

マンガ家石ノ森章太郎の代表作「サイボーグ009」で、ゼロゼロナンバーサイボーグの改造や多くの武器の製作に手を染めていた謎の組織、ブラックゴースト。地下帝国ヨミ編のラストで、ブラックゴーストは武器商人たちが自らの欲望の充足のためにブラックゴーストを作ったことがほのめかされる。そして、動く巨大な魔人像の中にある三つの脳がブラックゴーストの首領であり、自らが009に破壊されても、人間の欲望がある限りブラックゴーストは何度でも復活するだろう、と予言する。
金儲け至上主義に走れば、他所の戦争ほどオイシイ商売はない。兵器は、何も生み出さないが、戦闘が続く限り消費され、その購入に資金が必要だからである。実際、最新鋭の兵器は非常に高価である。戦闘機にしろ、イージス艦にしろ、ミサイルにしろ、その購入が新たなモノやサービスを生み出す事にはつながらず、ただ消費するだけである。だが、その購入を少しひかえれば、例えば戦闘機を一機減らしてそのお金を福祉に回すだけで、多くの人の年金や医療費が賄える。そして、年金や医療費に回ったお金は、当然、使われて別の人の所得となり、次々と動いていく。その動きそのものが新たな仕事を生み、所得を生み、所得税を発生させて経済を循環させる。
そうした流れを考えた時、日本の武器輸出禁止という歴史的な決断は英断であったと思う。そして、基本的に日本で作られたものが他者を殺傷する兵器や武器にならないという信用が、アラブ・イスラム世界での平和な日本人の活動を支えていたと言えるだろう。そうした歴史を捻じ曲げようとしているのが、今の安倍政権である。武器輸出の禁を解き、軍事的志向を強固に主張するのは、首相の子供じみたプライドをくすぐるのだろうが、それによって失われる国益は小さくない。政権の軍事化の動きに呼応するように日本人が人質になる事件が増加しているが、それを助ける軍事的決断はもちろんできないし、だからといって強い外交努力で直接介入するわけでもない。政権の鈍い動きを見る限り、口先だけの実力のない政府であることが内外に見透かされている。
日本は、このままブラックゴーストの下っ端への道を進むのだろうか。我々はサイボーグ009のように文字通り体を張ってそれを止めることは困難である。しかし、亡くなった石ノ森先生のように、多くの国民が日本がブラックゴースト化することに反対していると信じたい。

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